表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
26/29

7-1

気持ちを伝えたあの日、コースのラストに出されたデザートの味はどんな味だったのかまったく記憶になかった。高寺さんは気を利かせて話題を変え、何とか雰囲気を変えようと努力してくれてはいたが私は上の空だった。次に会える日にちを聞き出す事はできたものの、答えを出せるまでは待って欲しいと言われたからにはすぐに会える保証はどこにもなかった。だからこそ帰路について以降何かしらの連絡は来ていないか気になって意味もなく私は何度もケータイの画面をいじるのだった。GBAILYの方はというと上原さんが一段落したのか、やっと仕事に復帰していた。だが、その代わりに珍しく徳井さんが急きょ休みを取った。体調を崩したのだそうだ。

「せっかく、久々に戻ったと思ったら徳井ちゃんの代わりをやらされるとは思わなかったわ。でももうすぐ二号店の店長やるわけだし予行練習と思えばいいかな」

「えっ上原さん、異動しちゃうんですか?」

「そうなの。社長がね、『店長を任せられそうな人材が見つからないから上原、お前がやってくれ』って。『離婚して稼ぎ手が一人っきりになるなら給料ももっと必要だし好都合だろ?』なんて言うんだよ、あの人。神経疑っちゃうよね。こっちは離婚協議で気持ちがズタズタだっつーの」

「時間かかるんですか?離婚って?」

「円満に別れるなら別だけど子どももいるし相手の不倫も絡んでるしお金の問題とか揉める事柄は山積みよ。離婚協議自体はまだまだ続きそうね、それとまだ正式には離婚は成立していないからまだ『上原』だけど離婚したら『牧野』だからよろしくね」

「大変そうですね、牧野さん」

「そっ離婚ってほんと大変。だから恋ちゃんは私みたいな失敗はしちゃダメだからね」

「私はそもそも付き合ってる人がいませんから。アプローチしてる人はいるんですけどね」

「ええ!?恋ちゃんもついに恋の春が来たの!?まさか葛城君じゃないよね?」

「その辺は話が長くなると思うので今日は伏せておきます」

「そっか、そっか。恋ちゃんにも恋がついに訪れたか…いいな、青春は」

「そんな事より何で離婚する羽目になったんですか?そこがはっきりしないと『私みたいな失敗』って言われても何も響いてこないですよ」

「グサッ、痛い所を突いてくるわね、恋ちゃん」そう言って上原さんは両手で胸を抑えるのだった。

「いやいや、そんなオーバーリアクションなんていらないんで」

「まったく、この会社の人間は皆、無神経だね。徳井ちゃんくらいだよ、早く帰ってこないかな」

「えっ話したくないんですか?」

「いいよ、分かったよ、話しますよ。結論から言えば彼の浮気が離婚原因なんだ。でもそれは別れるきっかけかな…正直言ってその前から関係は冷め切ってたから。昔のような愛情はなくても子どももいることだし今のままでもいいかとも思ってたけどある日急に『私と別れたい』って言うの。不審に思って探偵に調査してもらったら別に女がいるんだもの。『ああそうですか』だよ」

「何で冷め切ってたんですか?」

「何だろう...気が付いたら彼の事考える時間は減ってはいたし少しずつ関係は冷めていったのかもしれないけど、決定的だったのは子育ての考え方の違いかな。私は子どもがのびのびと自分らしく育ってくれればそれでいいと思ってたけど、彼は違って将来の為にも困らないように習い事をたくさんやらせるべきだって。いつまで話し合っても平行線で、ある日彼が勝手に子どもの習い事を申し込んでたの。私に相談なく勝手にだよ?それも週三日。子どもが言い出したからなら納得いくけど、全部あの人の勝手な独断。それからかな、この人と話し合うのはもうやめようと思ったの。それ以来お互いの事には口出しはしなくなった分会話もなくなっちゃった。出会った頃は違ったんだけどな。海外旅している時に意気投合して一緒に残りの旅程を旅したの、今でも鮮明に覚えてる。運命的な出会いをしたと思ったのにこんな結末になるとは思わなかったよ。昔の楽しかった記憶があるからこれでもまだ心の奥底では彼と通じ合えていると信じてたの。だから彼の浮気が分かった時は諦めはついたけどショックだった。前まで子どもの将来についてたくさん話し合ったはずなのにあの子の事はどうするの?子どもの為に我慢してきた私はいったいなんなのとか…あーあ、これから子どもの事でだいぶ揉めるんだろうな。相手は浮気している分私の方がだいぶ有利なんだけど」

 そう言ってため息をつく上原さんに私はなんて声を掛けてあげればいいのかわからなかった。

「うまくいくといいですね」

 私はそう当たり障りのない言葉を言ってその場を後にした。


 そして仕事に戻りいつものように品出しを行い、レジを打ち、尋ねてきた客の対応をした。いつも行うルーティーンを私は淡々とこなした。ただ、そんな中橘がその私の普段の流れを乱した。急に私に話しかけてきたのだ。

「加賀美先輩、この前はすみませんでした」

 客の姿がないタイミングを見計らい彼はそっと小さな声で私に謝ってきた。

「すみませんでしたってなんの事謝っているの?」

私は棚の商品を整理しながら吐き捨てるようにそう返事をした。彼と話すのは先日の高齢の女性が来店してきた時以来だろう。それも業務的な会話だ。

「いや、この前は言いすぎたなって。俺、あの時忙しくってイライラしてたし人妻がそもそも嫌いだったんです」

「どういう事?」

「俺ここで働く前はホストをやっていたじゃないですか。その時たくさんいたんです、家のお金を使いこんでホストに貢ぐ人妻が。その人たちのおかげで稼げてたの重々承知っすけど、それでも金でしか繋がれない関係なのに大金を貢ぐ人妻たちをずっと見下してたんす。既婚者の癖に枕営業されて喜んでいる女達ですよ?それにそもそも俺の母親がまさにそういう女だったんす。父親との関係が冷めてた俺の母親はよく夜に街に出てお金を使い込んでいたんっすよ。だから上原さんの離婚の話聞いた時その事を思い出して…ついつい言い過ぎたんすよ」

「それと上原さんにどんな関係があるっていうの?」

「いや、だからいい年して恋だ恋愛だって言ってるのがその客たちの姿と重なって見えてたって事っすよ」

「ああ、そう…それにそんな家庭の事情があったのによくホストになろうと思ったね」

「仕方ないでしょ、お金がなかったんっすから。その時は効率よく働くにはそうするしかなかったんすよ。それに俺は親の事は今でも嫌いっすけど、ばあちゃんの事は今でも感謝してるし大事にしてます」

「だからこの前来たおばあちゃんが来た時は親切に対応したって事?」

「そうなるっすね。あのおばあちゃんはご当地キャラのバッジを集めてる孫の為に店に探しに来たんすよ。だからこそばあちゃんにやさしくされた時の事を思い出したんすよ」

彼の話を聞き終わりしばらく黙った後、私は迷った挙句去り際に一言言う事にした。

「その親切さをほかの人にも出せればいいのにね」


  仕事はあっという間に終わった。普段だったら誰かと談笑しながら身支度をするのだが、今日はそんな気分には一切なれなかった。今日のシフトにいるメンツのせいもあるだろうが、どうしてもモヤモヤとした気持ちが晴れなかった。そのモヤモヤが何なのか言葉にできれば楽だったろうが、それにはまだまだ時間が掛かりそうだった。

 帰り際、ケータイを見たがまだ高寺さんからの連絡は何も来ていなかった。代わりに社長から着信があった。徳井さんはまだ体調が悪くて復帰できないそうだからその分明日の穴埋めを私もしてほしいとの事だった。私は断る理由を見つけることが出来ず、渋々了承した。そして一息ため息をつき、そのまま夜の街へと繰り出した。今日はそのままカロリーも気にせず、美味しいものを食べよう。私はそう思い立ち、以前食べて気に入ったピザ屋でチーズがたっぷり乗ったチーズピザを頼んだ。周りはカップルか何人かの団体客ばかりで一人で来ているのは私くらいなものだった。ワインを片手にピザを頬張ったものの一人で寂しく食べるピザはどんなに美味しくてもチーズが胃に重たくのしかかり一人で食べきれる量ではなかった。せっかくのピザだ、残すのはもったいない。かといってお腹は限界だった。チビチビと酒を飲むようにピザを少しずつ胃の中に流し込んだ。そしてその間、意味もなくケータイをいじるのだった。高寺さんから連絡が来たのはそんな作業を二十分ほど繰り返していた頃だった。

「待たせて済まない。この前話した日の夕方に駅前に会えないか?少しドライブでもしよう」

彼からそんなメールをもらった私は即座に返事をした。

「はい。大丈夫です。楽しみにしています」

そして私はさっきとは打って変わって食べ残しを残したままさっさと会計を済まし帰路に着いた。


その日は雲が少しかかったなんとも言い難い日だった。待ち合わせ場所に着くと既に高寺さんはレトロなデザインの色褪せたのであろう薄い水色のコンパクトカーを停めて私を待っていた。

「やあ、これからこの車で山を登るよ、さあ乗って」

「こういう車に乗るんですね、高寺さんって」

 案内されるように助手席に乗ると私はそう言った。

「ありきたりなデザインが好きじゃないんだ。だからと言って奇抜すぎるのもあまり好きではない。結果、レトロなこの子に落ち着いたというわけさ。でももうすぐこの子ともさよならだ。海を渡ってこの子を海外に連れて行くには費用も手間もかかり過ぎる。医師免許を取得したその日に買った思い入れのある車ではあるが今日がこの子との最後のドライブだ」

「そんな思い入れのある車なら手放さなければいいじゃないですか」

「思い入れがあるようでないんだろうな。世の中には山ほどいい女がいるように、あっちに行けば行ったらでいい車があるだろうからね」

「それは今の私にとっては響きの悪い言葉ですね」

「傷ついたかい?でもしょうがないんだ。これが僕が生きてきた中での真理だ。その辺にいる女ならだれでもいいと言っているわけじゃないよ。そんな軽い意味じゃない。人をしっかりと見ようとさえすればその人の良さ、良さがなくても原石となるものが必ずそこにあるんだ。その一つさえ見つけてしまえばその人は輝いて見える。どんな短所だらけな人だろうとそのたった一つの良さでその人は他にはない輝きを持っているんだ。だからこそこの世は魅力的な人々ばかりの素敵な世界だ。問題はその人個人個人が持つ輝きに多くの人が気がついていない事なんだ。かつての僕のようにね。一つの出会いを切望する必要も一つの別れを悲しむ必要もないんだ。この世は素敵な出会いに満ちているんだから」

「せっかく私がその一つの出会いに心踊らされているってのにそんな話する高寺さんはやっぱり空気の読めない人ですね」

私は素っ気なくそう言った。

「はははっ、さすが恋ちゃんだ。それくらい話をバッサリと切り捨てられるような気の強い子だからこそ僕はデートに誘ったのかもしれないね」

「はぐらかさないで下さいよ」

「まあまあ、そう焦らないで。恋ちゃんは山は好きかい?」

「あんまりですね。街の方が色々あって便利ですし楽しいですから」

「なら好都合だ。今から行くところはその街を一望出来るスポットだからね」

そう言って高寺さんは勢いよくアクセルを踏んだ。しばらく山を登ると山道を覆っていた木々が影を潜め彼が言っていた街を一望出来る高台が姿を現した。私達はそこで車を停めて外に出た。

「よくここに来るんですか?」

と私は高寺さんに聞いた。

「霊園と比較したら頻度は少ないがたまに来るね。ここに来ると自分がどれだけちっぽけな存在なのか再確認できるんだ。街の中にいる時は只々目の前の事に取り組むのに必死で周りに構ってなどいられない。だが普段自分がいる場所をこうやって遠くから眺める事でそんな自分もこの広大な大地からしたら小さな一駒に過ぎない事がよく分かる。僕らは一人では生きていけない。ありとあらゆるもの、それに携わる人々によって生かされている。それを考えたら僕個人の悩みなんてちっぽけなものだし自分勝手な事は出来っこない。気持ちとして残るのは感謝のみなんだ。初めは愛する彼女の為に僕はこうやって難病の治療、研究に携わってきたけど、こうやって一歩下がって世界を眺めると一層人の為に頑張りたいと思えてくるんだ。僕はね、僕に関わった人全ての人に幸せになってほしいと本気で思ってる。だからこそこの前もここで、『僕と恋ちゃん二人の幸せにとって何がベストか』を考えたんだ」

「で、答えはなんなんですか?」

私は急かすようそう尋ねた。

「僕は恋ちゃんの事を友達想いのいい子だとは思ってはいたよ。ズバズバと言いたい事を言う肝の据わったところも素敵だと思った。だから君から好意を伝えられた時は素直に嬉しかった。でも前にも話したがもう僕は海外に職場を移すって決めていた。それがあったからすぐに断るはずだった。でもどうしてもそれが言えない自分がいたのも確かだ。だから考える時間が欲しかった。結論を言えば僕は何かしら理由を見つけては逃げていたんだ。君からの好意から逃げていた。昔と何にも変わっていない。君はこれから何が待っていようとも傷つく事も恐れず僕と過ごす未来を望んだ。だからこそ僕自身も君に好意を抱いている時点で君の好意を拒む理由などなかったんだ。それなのに断ろうとした僕はただの臆病者だよ、全く」

「つまり、私と付き合ってくれるという訳ですか?」

「そう、そうなる。回りくどい言い方だけどね」

「全くその通りですよ。だらだらと自分語りをするものだから我慢できずに引っぱたたこうかと思いました。断られるかもしれないと思いながらじっと話を聞いていた私の気持ちも考えて下さいよ、ほんとに」

 そう言う私を彼はそっと引き寄せ腰に手を回し、自身と私のおでこを優しく合わせた。

「これからどんな未来が待っているのか僕もわからない。君が留学してくるという手もある。僕は稼いでいる割にはほとんどお金に手をつけていないから資金的なサポートは可能だ。それに僕だって数年で帰国するという可能性もないわけではない。どちらにしろ後悔のないよう、僕は出来る限り最大限の愛情を君に注ぐよ」

「よくそんなキザな事が言えますね。恥ずかしくないんですか?」

「そんな事恥ずかしがっていたら人生はあっという間に終わってしまうよ」

「それじゃあ私も恥ずかしがらない事にします」

そう言って私は目を瞑り、肌の感触を頼りに彼の唇を求め、貪るように口づけを交わした。

そして彼の唇の感触を味わいながら彼の温もりを全身で感じるのだった。このまま溶けてしまってもいい、そんな事を想いながら彼に体を預けるのだった。


「誰かと手を繋ぎながらなら興味のない景色も綺麗に見えるものなんですね」と夕日を眺めながら私はそう言った。

「素直にいい景色と言えばいいじゃないか」

「男性と手を繋いだ事すらなかったの知ってるでしょ。それくらい大目に見て下さいよ」

「まだ緊張がほぐれてないのかい?それじゃあSな僕はしっかりと君のその手を握っておく事にするよ」

 私と高寺さんは手を絡めるように繋ぎながら夕日に染まる街を眺めた。それなりに大きい街だと思っていた街もこうやって遠くから見るとちっぽけなものだ。それ以上に世界は広大で美しい。そして夕日がそのすべてを優しく彩っている、そんな気がした。

「高寺さんは伊古タワーの逸話知ってますか?」私は街中で立派にそびえ立つ伊古タワーを指さしながら高寺さんにそう尋ねた。

「伊古タワーかい?そのタワーはもちろん知っているけど何か面白いエピソードがあるのかい?」

「知らないならいいです。今度一緒にあのタワーを登った時にでも話します。あそこから眺める夕日もとても綺麗ですから。高寺さんが旅立つ前に一度一緒に見に行きましょう」

「わかった。そうしよう」

 そして私たちはどちらからともなく口を閉じ、まるでその景色の一部分になったかのように微動だにせず、ただただ日が沈みきるのを眺めた。その間固く握り締められた彼の手のぬくもりはこれまでになく温かく、言葉を発する必要性を私から奪い去った。幸せはこういう事なのかもしれない。私はそう思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ