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先日高寺さんと食事をする約束をした私は当日の朝、鏡を前に「これでもない、これでもない」と服のコーディネートに苦戦していた。中々服が決まらず悩みながら、「こうやって真剣に服選びに苦心したのはいつ以来だろうか」とふと思うのだった。散々悩んだ結果、白のTシャツの上にライダースジャケットを羽織り、ボルドー色のチュールスカートに黒のプレーンパンプスという組み合わせに落ち着いた。
待ち合わせは駅前の時計台の前。時計を見ると待ち合わせ時間の三十分前だった。ケータイをいじるなどして時間を潰そうにもどうしても落ち着けずに何度も周りを見渡していた。しばらくすると誰かが背後から私の肩をトントンと叩いてきた。ビクッとすると共に反射的に後ろを見るとそれは笑顔で待ち構える高寺さんだった。
「やあ、お待たせ」高寺さんは呑気な口調でそう言ってきた。
「高寺さん、もしかして驚かすためにわざと私の後ろに回り込んできませんでした?」
「よく気が付いたね、さすが恋ちゃん。普通に顔を合わすよりも普段見ることの出来ない相手の驚いた表情を見た方が楽しいだろ?」
「意外とSな所があるんですね。それに高寺さんっておしゃれな恰好するんですね、そんな恰好初めてみました」
水色のYシャツの上にグレーのスーツベストを重ね、ジーンズに黒の革靴という組み合わせで来た高寺さんを上から下に一通り眺めてから私はそう言った。
「そりゃあデートだからね。それなりに気合入れて身なりを整えてくるよ。恋ちゃんだって気合い入ってるじゃん。似合ってるよ」
「それはそれは…お世辞でも嬉しいです」
「お世辞じゃなくて本当にそう思うよ。恋ちゃんらしくて」
「恋ちゃんらしいですか…私らしいって具体的にどんな感じなんですか?」
「うーん、気は強いけど上品さを忘れないようにしてる姿勢とかかな」
「へえ、高寺さんは私の事そういう風に見てるんですね。でもまあ嬉しいです。ありがとうって言っておきます」
「もっと素直に喜んでくれてもいいんだよ。でもまあいいか、じゃあお店の方に向かうよ」
高寺さんはそう言って慣れた様子で歩を進め始めた。
「ちなみにどこに行くんですか?」
「たまにある休日に足を運ぶレストランさ。外食はよく行くんだが、女性を連れて行く事があまりないからね。選択肢は限られてるんだ」
「残念だな、私のイメージだと休日は凝った料理を作ってるものだと思ったのに」
「残念ながらそんな暇はないよ。これでも忙しい身だからね。でも僕は医者としてしっかり稼ぐ分その稼ぎを素晴らしい料理を提供してくれる街中のお店に回すからいいんだ。金は天下の回りものと言うだろう。稼ぐ分それなりに使う事でうまく世の中にお金を循環させるのさ」
「それは料理をしない事に対するうまい言い訳ですね。でもそれだけ言うんだったら期待してますよ?それだけ美味しいお店なんですね」
「どうぞ十分期待してくれ。僕はこの店に辿り着くまでにいくつもの店を回ってきたがここのお店は雰囲気も味も一級品だ。まさにデートにぴったりだ。これ以上に似合うお店を僕は知らないね。もしまずかったら僕が全部払うよ」
「それじゃあこれから食べる物は全部不味い物で間違いないですね」
「おいおい、初めから奢るつもりだったんだから素直な感想を言ってくれよ」
「なら安心しました。正直に美味しいか不味いか食べ終わったら言いますね」
「全く君は気が強いのか図々しいのか…」
お店は街中を少し逸れた物静かな通りの一角にあった。お昼を過ぎた頃であるものの、それでも数席しか空きがないくらいに混んでいた。私ほどの年齢の客は見当たらなかった。その理由はメニュー表を見えばすぐにわかった。これなら確かに高寺さんに奢ってもらうしかない。私たちはワイン一本を開け軽いつまみも口にしながら前菜を、そして主菜を口にした。どちらも綺麗に盛り付けられ見た目からして美味しそうだった。
野菜はどれも採れたての旬のものらしく、こんな味がする野菜だっただろうかと驚くほどしっかりと甘味があり、味付けが最低限で済ましているのも納得するほどだった。お肉にしても柔らかく、だからといってしつこくなく後味は不思議とさっぱりして上品だった。私は初めて味わうその味に夢中になった。
「感想を聞かなくても良いくらい味の感想が顔に出ているね。恋ちゃんが味の違いが分かる子で良かった。連れてきたかいがあるよ」
と高寺さんは言った。
「こんな美味しい料理だったら誰だって同じ顔をしますよ」と私は言った。
「そこまで違いが分かる人なんて限られているよ。雰囲気と値段で美味いものだと勘違いする人なんてごまんといる。店だって一度評判さえ手にすればどんな料理を出したって客は美味いと言う客に甘えてさらなる高みを目指さずに時代に取り残されたような料理を出す店をいくつも見てきたよ。だから恋ちゃんはもっと自分を誇っていい」
「なんか急に高寺さんが貴族か何かに見えてきましたよ。高寺さんはいつもこんな食事を食べているんですか?贅沢すぎませんか?」
「さすがにこれくらいのお店にいつもは来れないよ、休日たまに来る程度だよ」
「それじゃあ女性とデートの時によく使ってるんですね」
「使った事もあるかな…でももう一年前かな」
「高寺さんの恋愛事情って結局具体的に聞いた事ないですけどどうなってるんですか?」
「どうって彼女がいるかどうかとかかい?もちろんいないけど」
「それは分かりますよ。いたら恋のキューピットなんてやる前にお断りが入ってるじゃないですか。それともあんまり話したくないんですか?」
「中々痛いところを突いてくるね」
「どれくらい彼女がいないんですか?」
「攻めるね…」
「はぐらかさずに答えて下さいよ」
「はぐらかすもなにもあまり盛り上がるような話はないよ。大学に入ってからは医者になる為に勉強一筋、医者になったらなったらで患者の治療や研究ばかり。ほら、たいしたことないだろ」
「じゃあ恋愛には興味ないんですか?」
「素敵な相手がいればそれはそれで楽しいとは思うよ。ただいなくてもそれはそれで別に構わないというだけなんだ」
「なんとも盛り上がりに欠ける回答ですね」
「だから言ったじゃないか。いやね、僕だって恋愛もしてきたし、つらい別れも経験してきたつもりだ。でもね、あまりにも恋愛から疎遠な時間を過ごしすぎたし、それに対して何も不満がなかったからそういう回答が出てくると思うんだ。でも君はそれでは不満のようだね。少し前まで『恋愛は結構』と言っていたはずなのに」
「好きな人が出来てしまったら、しょうがないですよ」
「やれやれ」
「そんな事よりその過去の恋愛を教えて下さいよ」
「そこを敢えて聞くとは君も勇気があるね」
「そんなこと言わずにさっさと話してください」
「分かったよ、僕の負けだ。話すよ。僕は昔、恋人を詩織ちゃんと同じ病気で亡くしたのは話したね」
「はい」
「でも当時、実はほかに僕に好意を寄せる女性がいた」
「その人と浮気でもしたんですか?」
「しないよ、そんな事。最後まで病気だった彼女一筋で貫いたよ。でもその子はその子で僕に尽くしてくれていたから感謝はしていたんだ。彼女が死んでもその子とは友達として交友関係は続いていた。今考えればそのままその子とくっつけばよかったんだと思う。でもどうしても亡くなった彼女の事が頭をよぎったんだ。今までずっと彼女の事を思い続けていたからね。結果的にそうやって悩んでいる間にその子とは連絡が付かなくなった。理由はわからない。でも今ならはっきり言える。その子は彼女の代わりにはならない。でもその子はその子で彼女の代わりとかそんな事は失礼なくらいその子にしかない魅力を持った素敵な女性だった。愛すべき相手だった。愛する事を迷うべきではなかった。そして一人の相手に固執することを無意味に感じるようになったのはそう思えるようになってからだと思う。もちろん病気で亡くなった彼女や連絡が取れなくなった彼女の事は今でも大切に思っている。でも世の中には数多くの人がいるんだ。そして、その一人一人を知らないだけで素敵な魅力をその個人個人が持っている。だからこそ『この人じゃなきゃダメだ』と固執する意味がないんだ。僕だっていくら勉強や仕事に精を出していたといっても恋はいくらかしたし、デートも何度かしてきた。でも世の中には素敵な人がたくさんいる。そう思えば思うほどその時の相手に固執する事も構う事もなくなった。それに今の僕にとっては患者の病気を治す事が何よりなんだ。この病気は多くの人が苦しんでいる病気だ。それと人一人比べたらどちらを取るか、答えは明白だ。だから僕は今恋愛に構っている暇はないんだ、残念ながらね」
「それじゃあ恋人はいらないんですね?」
「いや、それでも構わないという相手がいれば話は別だ。それだけ我慢強い人がどれだけいるのかわからないがね」
「なんですか、その曖昧な返事は。振るんだったらきっぱりと分かりやすく振ってくれればいいのに、高寺さんはズルいですよ」
「ごめん…そこまで本気だとは思ってなかったんだ。だって僕は少なくとも数カ月以内にこの街を出て海外に行く。いつ戻ってくるかも分からない。そのまま住み着くかもしれない。かたや君は大学生だ。出会いは山ほどある。青春真っ盛りだ。そんな女性がいつ会えるかわからない相手を想い続けていられるのかい?辛いことの方が多いだろう。君にその覚悟があるかい?僕が君に出来るのは一緒に食事を楽しむ事くらいだ。それ以上は君の気持ちに応える事は出来ない。大丈夫、素敵な人は世の中には無数にいる。君が探そうと思えばすぐ見つかるさ」
「そういう返事が聞きたいんじゃないんです!私の事が好きかどうか聞いているんです!」
静かな店内において私の怒鳴り声は響くには十分な大きさだった。何人かの客は私達の方をチラチラと伺ってきたがそれを気にしてなどいられなかった。私は高寺さんをしっかりと見つめ言葉を続けた。
「さっきから話を逸らしているようにしか見えないですよ。私は高寺さんの気持ちが知りたいんです」
「素敵な女性だと思うよ。僕だって好意がないと食事を二人だけで取らないよ。恋ちゃんの事は好きだよ」
「ならそれだけで十分じゃないですか。好きだから一緒に時間を過ごす。好きだから連絡を取り合う。その先に何が待っているのかなんてどうだっていいじゃないですか。私、詩織の事があったから心に決めたんです。自分の気持ちから絶対に逃げないって。いつ会えなくなるか分からないから自分の気持ちに素直に、そしてその気持ちを会った時にちゃんと伝えようって。じゃないと詩織の時の様な事がまた起きるって。私そんな事でもう後悔なんてしたくないんです。だから今の気持ちを正直に高寺さんに伝えます。あなたが好きです。たとえあと少しで遠くに行っていつ会えるのか分からなくても、それでもあなたの事が好きです」
言い終わると私は手汗をかき、心臓が高鳴っている事に気が付いた。彼がどんな返事を返すのか気になって仕方がなかった。沈黙が続けば続くほど緊張は高まる気がしてならなかった。それもそうだろう、こんなにも正直に自分の好意を相手に伝えた事などなかったのだから。どれだけの時間が経っただろうか。彼は一呼吸深く息を吐いてから口を開いた。
「少し時間をくれないか。時間があまりないのは分かっているし、恋ちゃんが早く答えを聞きたいのも分かってる。でも僕自身整理がつかないんだ。だから今どんな返事を返せばいいのかわからない。次会う時までには必ず返事をするよ。だからすまないがそれまで待ってくれないか?」




