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徳井さんの仕事が終わったのは夜の十一時近くだった。私たちは駅近くの居酒屋に入ることにした。
「あーお腹減った。私、ビールとフライドポテトでも頼もうかな」
席に座るなりメニューも見ずに徳井さんはそう言った。
「太りますよ、そんなのをこんな遅くなんかに食べたら」
「たまにはいいの。外で食べるんだからぱーっと好きなだけ食べようよ。家だったらもっとちまちま食べてるよ」
「あれ、もしかして徳井さんのお家で食べた方が良かったですか?」
「別にそこまで気を遣わなくていいよ。お店の方がおいしいものすぐ出てくるしこれでいいよ」
「でも、私徳井さんの家好きですよ、あそこでふたりゆっくり食べるのもいいかもしれないです」
「あっ本当に?お世辞じゃなかったんだね」
「私が徳井さんにお世辞言うと思いますか?」
「そうだね、確かに。で、お話は何かな?恋ちゃんの顔からして悪い話じゃないとは思うけど」
「いや、そんな大したことじゃないですよ。久々に徳井さんとゆっくり食事がしたかっただけですし」
「恋ちゃん」はぐらかそうとする私に対しそう言って徳井さんはじっと私を見つめるのだった。
「分かりましたよ、話しますよ。話しますって。徳井さんには感謝してるんです」
「というと?」
「私、実は親友が死ぬ前日に親友と喧嘩したんです。喧嘩じゃないな、私が一方的に怒って突き放しただけ。今思えば些細な事だったんです。でも私はちょっと前に嫌なことがあって、それで彼女を許す事が出来なかったんです。こっちの勝手で酷い事言っちゃったんです。言い過ぎたとは思ったんです。でもその時は気持ちがいっぱいいっぱいで誰かに当たってないとやってられなかった。だから落ち着いたら謝ろうとは思ったんです。明日か明後日か今度会った時でいいって。それで十分間に合うだろうってそう思ってたんです。そしたら急にあの子死んじゃうんですもの。私ショックで、なんであの時は詩織から逃げたんだろうって。なんですぐに謝らなかったんだろうってそんな事考え出したらキリがなくて底なし沼みたいに先が見えなかったから自然と考えないようにしたんです。そうやって気持ちに蓋をしていたのを徳井さんは見抜いてくれてたんですよね」
「今はもう大丈夫なの?」
「担当のお医者さんから彼女が書いた手紙をもらったんです。ちょうど私が彼女を怒鳴ったすぐ後に書いた手紙です。彼女、私の暴言に怒るどころか私に謝ってたんです。ごめんねって。私の心配しか書いてなかった。それどころか私に頼んでいた頼みごとも私の為に彼女なりにやってた事だったんです。私は彼女の事好きだけど、どこか妹のように思ってたんです。でも彼女は私よりもずっと大人で、病気の自分の事よりも残される私の事を想ってくれてたんです。それを知っちゃったら、彼女に暴言吐いた事、後悔してふさぎ込んでいた自分が馬鹿らしくなって…」
「やっぱり、家でゆっくり食べた方が良かったかもね」
「急にどうしたんですか、徳井さん」
「だってこうやって向かい合ってたら恋ちゃんの事抱きしめてあげられないじゃん。そんな涙を流しながら話す乙女を抱きしめてあげないわけないでしょ?こっち来なさい。抱きしめてあげるから」
そう言って徳井さんは笑顔で両手を広げてきた。その胸に飛び込まないという選択肢は私の中にはなかった。
「こうやって抱きしめてくれた人がほかにもいました」
「そう、それは良かった」
「その人に抱きしめられながら思ったんです。徳井さんも同じように心配してくれていた、徳井さんにお礼言わなくっちゃって」
「じゃあ私も恋ちゃんを抱きしめてくれた人に感謝しなきゃね。こんな可愛い女の子を抱きしめてあげることが出来たんだから」
「そうですね」
「恋ちゃんは恵まれてるよ、ほんと。泣きたい時に抱き締めてくれる人が少なくとも二人いるんだ。恋ちゃんは充分恵まれているし、愛されている。それに私思うんだ。死んでしまった人の為に生きている私たちがしてあげられる事はその人の分まで精一杯前を向いて元気に生きる事なんじゃないかなって。だから私はいつも恋ちゃんが元気でいられるようにこうやって励ましてあげるよ」
「なんか同じような事、その人も言ってました」
「本当に?じゃあ私とその人気が合うかもね。今度会ってみたいな」
「いいですよ、今度紹介しますよ」
「頼んだよ、恋ちゃん」
「でもそれよりも私はまた徳井さんのお家に遊びに行きたいかも」
「おうおう、いいよ、大歓迎だよ」
「じゃあ、このままお泊りしてもいいですか?」
「言うね、甘えるね!今回だけの特別大サービスだからね」
そんな会話をしながら私たちは笑い合った。そして下らない冗談を言い合いながら、好きなだけ料理を楽しんだ。結局その日は徳井さんの家に泊まることはなかった。だいぶ遅い時間でもあったし、もう充分徳井さんから元気をもらったからだ。徳井さんと別れた後の帰り道、ふと上を向くとそこには星々が輝く夜空があった。「あの時の夜空よりかはあまり星は見えないものだな」と高寺さんと一緒に見た日の事を思い出しながらも「これもこれでいいものだな」と思いながら私は力強くペダルを漕いで風を切って前へ進むのだった。
翌日私は気分よく朝を迎え、講義を聴き、安い学食をこれまでにないほど幸せな気持ちで食べた。そのまま意気揚々と GBAILYに着いたもののせっかく高揚感に浸っていた私は一瞬にして地に落ちた。そこには橘がいた。奴とはあの日喧嘩して以来だった。
「アイツとシフトが被らないように調整してくれたんじゃないんですか?」
私は早速徳井さんに尋ねた。
「こっちだって恋ちゃんに気を使って橘君を二号店の開店準備に回したりしてたんだよ。でもいつまでもシフト被せずにいられないよ。二人ともそれなりにシフトには入ってもらってる身だしね。そろそろこの辺で仲直りすれば?」
「何言っているんですか?嫌ですよ、そんなの絶対」
この前食事してハグした間柄だからって調子乗ってるなと少し徳井さんにムッとしたが仕方ない。仕事なので何とかやり過ごすしかなかった。私は結局その後橘とはまともに目も合わさず最低限の会話すらもせずにやり過ごした。それなりに仕事も覚えた二人だから出来た芸当なのかもしれない。これがまだ彼が入りたての頃だったら何としてでも彼をやめさせる方向に導いていた事だろう。とは言ってもいつまでも会話せずに過ごす事は流石に出来なかった。
「恋ちゃんに橘君、どっちでも良いから手が空いてれば品薄になった商品を補充して欲しいんだけど」
客が誰もいなくなった手の空いた時間に徳井さんは遠くの方で何やらパソコンとにらめっこをしながら聞いてきた。普段であれば倉庫にある大量の段ボールを相手にする作業であるため、男である橘の仕事であり当然彼は一つ返事でこなすものだと思ったが何一つ返答がなかった。
「ちょっとどっちでも良いからやってよ。私は今手が離せないんだから二人で一緒にやるなりどっちか片方やるなり相談して決めてよ」
徳井さんはこの機会を使って何が何でも私達に会話の機会を設けたいようだった。私はそう言ってくる徳井さんに一瞬殺意を抱いたがどうしようもなかった。私は渋々橘の元へと向かった。
「ちょっと、あんた男なんだから力仕事やりなよ」
「ここしばらく社長の手伝いで荷物を山ほど運んだんで、腰痛めてるんですよ。だから嫌っすよ。それにそんな地味な力仕事、寡黙な安達さんとか喜んでやりそうな仕事なのに一体全体誰のせいで俺に振られてきたんすかね。まったく」
「はいはい、分かりましたよ。私が行けば良いんでしょ、私が!」
そう言って私は徳井さんから補充リストを受け取り、わざとらしく足音立てながら倉庫へと向かった。どうせ今は店員しかいないのだ。存分に私の苛立ちを思い知れば良いのだ。そうして埃の溜まった倉庫へ一人で入るのだった。
倉庫内は私の身長を優に超える高さまでオープンラックが設置されそこにびっしりと整理整頓された段ボールが山ほど並べられていた。この中からリストに書かれた商品を取り出すのだから骨の折れる作業だ。出来るなら脚立を使って一番上にある重たい段ボールを運ぶのだけは勘弁したいと思えて止まなかった。




