6-1
あの霊園で高寺さんと星を眺めた翌日私はいつものように詩織の見舞いに出かけた。あんな事があった直後であり本当は気持ちが乗らなかった。でも今日は詩織にとって大事な検査を翌日に控えた日だ。この検査さえパスすれば通院があるにしても退院する事ができるのだ。だからこそ、そんな理由で行かないわけにはいかなかった。
「調子はどう?」と私は聞いた。
「絶好調!と言いたいところだけどちょっとモヤモヤしてる事があるんだよね…」
「えっどこか悪いの?」
深刻な表情で話す彼女に心配した私はそう聞いた。
「高寺先生、どう頑張っても自身の恋愛話、私に話してくれないの…ホントにモヤモヤするわ」
「呆れた…心配した私が馬鹿だったわ」
「酷くない?年頃の女の子なんだよ、こっちは。付き合いで話してくれたっていいと思わない?それなのに『今はもうそういう事よりも患者さんの事を想っていたいから、僕はそういう事あまり関心がないんだよ』って言うわけ。つまんないでしょ?」
「患者想いのいい先生じゃん。そのおかげでもうすぐ退院出来そうなんだから感謝しなきゃ」
「あー何で恋もつまらない事言うの?いい、私にとって恋愛は人生のスパイスなの。それだけ恋愛は私にとって大事な存在なの。だからせっかくの目当てのいい男が落とせそうにない状況は許せないわけ。何とかしてよ、恋」
「私は詩織の為だと思って私なりに高寺さんの情報を集めてあげようとは思ったけど、今恋愛に興味ない人を無理やり誰かとくっつかせようと考えるほど強引な女じゃないよ。いくら詩織の為とはいえそんな身勝手な事は出来ないし、高寺さんにも失礼だよ。詩織だっていつまでも恋愛、恋愛なんて言ってないで他の楽しみ見つけたら?他にやりたい事見つけたからあそこまで必死に勉強して大学受けて上京までしたんじゃないの?」
と私は語気を強めてそう言った。
「そんな事言われたって病院の中じゃ楽しみなんか限られてるもん。だからお願いだよ、恋。一生のお願いだからさ、ね?」
「はあ…こんな事に一生のお願いとか言うんだね。能天気にもほどがあるわ。今まで敢えて言わなかったけど詩織の恋愛はいつも恋愛ごっこだよ。好きな人の事を想って何かをするとかじゃなくて恋をしている自分が好きなだけの自己中でしょ?そんな下らない恋愛に私や高寺さんを巻き込まないで!」
詩織にはもっときつく言わないと伝わらないようだった。
「なんでそんなに怒ってるのさ」
「怒ってなんかないよ」
「あっまさか恋、妬いてる?恋は高寺先生の事が好きだから私のキューピット役がもう耐えられないんでしょ。きっとそうだ!恋可愛いな…」
「ふざけないでよ!」
気が付けば隣の部屋にまで響き渡るほどの大声を出して私は感情一杯に怒鳴っていた。そこまで怒った私を見た事がなかったのか詩織が唖然として黙り込むほどだった。
「ごめん。そういうつもりじゃなかったの…」
しばらくの沈黙の後詩織はそう言った。
「もう知らない!」
私はそう言って病室を抜け出した。そのまま私は廊下を走り去るつもりだったが手を掴まれてしまってはそうはいかなかった。
「ちゃんと話し合った方がいい」
私の腕を掴み、引き止めたのは高寺さんだった。
「何ですか、病室の外からこっそり話を聞いていたんですか?趣味が悪いですね」
「たまたま用事があったからね。そんな事よりも相手は病人なんだ。今はいくら体調が安定していても原因もはっきりしていない難病なんだ。いつ体調が急変してもおかしくない。そんな相手と喧嘩なんかしていたら何かあった時に後悔するのは君だよ?」
「そんなの高寺さんに関係ないじゃないですか!」
「関係ない事はない。君には僕の様に後悔して欲しくないから忠告しているんだよ」
「放っておいて下さい!」
感情的になる私とは違い、彼はずっと落ち着いていた。そして諭すように話しかけていた。だからか、私を見つめるその眼差しは鬼気迫るものがあった。そして私はその眼差しに向き合うことよりもとにかく今すぐこの場を去りたかった。私の為だと諭す彼のその言葉を聞く余裕など私にはなかった。私はその足でそそくさと家に帰った。
「早いわね、どうだった?詩織ちゃんの調子は?」
台所から呑気にそう聞いてくる母親の声が聞こえたものの私は一目散に自分の部屋に駆け込み閉じこもった。そのまま夕食も食べずに何をするわけでもなくただただベッドに横たわっていたものの気が付けば日が変わり朝日が顔を覗かせていた。
人は後悔を「やった事」よりも「やらなかった事」に関して強く感じるらしい。かくいう私もそうだった。
詩織の検査が行われるというその日、講義もバイトもなかった私は遅い朝食を済ませ、目的もなくリビングのソファで横になりながらスマホをいじっていた。テレビでは近所の新型発電所の稼働を祝った式典の様子が映されていた。めでたい事なのかも知れないが今の私にとっては無縁の世界だ。スマホのゲームで気分を紛らわそうとしても一向に良くなる気がしなかった。私は諦めて自分の部屋のベッドに再び引きこもる事にした。そんな私をベッドから引きずり出したのは詩織のお母さんからの電話だった。
「詩織が…詩織が危ないの。早く来てあげて恋ちゃん!」
お母さんの切羽詰まったその様子からただ事でない事はすぐに伝わった。ただ昨日まで詩織が元気だった様子を知っている私からすればすぐにその現実を受け止められるものではなかった。それでも現実は残酷でそんな私を待ってくれはしなかった。私が病院に着いた時には彼女に意識はなく酸素マスクをつけられていた。辛うじて息はしているものの、もってあと少しの状態だと高寺さんから教えられた。
「最後かもしれないから私達だけじゃなくて一番の親友だったあなたを呼んだの」
と詩織のお母さんは涙を堪えながらそう言った。今思えばこんな急な状況で私を呼ぶほどの気を使う事が出来た彼女のお母さんに驚きと感謝の念を抱く。でもこの時の私はそんな気遣いに気づくことはおろかあまりにも急過ぎて、全てが夢の中の世界に思えて仕方がなかった。これがただの夢であれば冷や汗と共に目を覚まし「なんだただの夢か。何とも居心地の悪い悪夢だったな」と忘れる事が出来ただろう。しかしそんな事は決して訪れる事はなかった。それでも「早く目覚めろ」と願う私は今、目の前の現実から逃避した。そしてそんな事をしているうちに彼女は息を引き取った。
それからの時の流れはあっという間だった。通夜が行われ、葬儀が行われた。
それは記憶に留めるほどの事ではなかった。悲しい表情をした人、堅苦しい表情をした人そんな人だらけが集まり静かにそして形式的に催しをこなす、そんなつまらないものだった。そんな空間の中で私は淡々と時が流れるのを待つのだった。そしてまたいつもの日常がやってきた。つまらない講義を聞き、レポートをなんとか仕上げバイトをこなした。唯一の違いは見舞いに行く事がなくなった事だろう。それさえなければいつもどおりの日常だ。私は今日も普段通りにバイト先でいつものようにレジで会計を行なっていた。そしていつも通りの接客対応を客に対して行ったのだ。
「お客様、当店のポイントカードはお持ちですか」
私は客に対していつも唱える呪文の様にスラスラとその台詞を言い放った。しかし、客はなぜか困惑した表情を浮かべた。
「ポイントカードさっき渡したんですけど…」と客は言った。
「すみません!」
バイト中、レジで会計の作業を行っていた私はハッとして自分のミスに驚き慌てて客に謝った。そんな私に声を掛けたのは徳井さんだった。
「恋ちゃん後でいいかな?」
徳井さんは私にそう声を掛けた。私は軽率なミスを叱られると思ったものの徳井さんが考えていた事はそれとは違った。
「さっきの話なんだけどさ」閉店作業も終わり、帰宅するタイミングになって徳井さんは話を振ってきた。
「はい」
「実は恋ちゃん、最近大丈夫かなって心配してるんだよね。いっそのことしばらくお休みする?」
徳井さんは心配そうにそう尋ねてきた。
「全然大丈夫ですよ。さっきはあんなミスしちゃいましたけど次から注意します」
「そういう事じゃないの。そもそもここ最近変だよ、恋ちゃん。さっきだって普段だったらあり得ないミスだし」
「私だって人間ですからそういうミスをする事もありますよ。全然大丈夫ですよ、いつも通りですよ」私はそう返した。
「そう?私さ、ここ最近の恋ちゃんの仕事中の様子見てて思うの。体だけここで動いてはいるけど心はずっと遠いどこかにいってしまっている、そんな感じ。そもそも親友さんが死んだのに平然となんて出来ないよ。親友さんの事で何か引きずっている事でもあるんじゃないの?って思うんだけど」
「大丈夫ですって徳井さん。それじゃあ私はこの辺でお先に失礼しますね」
そう言って私は店を後にした。家に帰り、レポートをさっさと済まし、私はすぐさまケータイをいじりゲームをする事にした。高寺さんから連絡が来たのはそんな時だった。彼から連絡をもらうのは詩織が亡くなったまさにあの日以来だった。私はその連絡を無視してゲームをそのまま続けようとしたものの、どうしてもゲームに集中する事が出来なかった。仕方なく私は彼からのメールを開いた。
「久しぶり、見せたいものがあるから連絡をください」
メッセージはとてもシンプルで短いものだった。それからすぐに高寺さんに返事を返したのは私にとって当然であり自然な流れのように思えた。待ち合わせ場所は駅近くの公園だった。十分ほど前に着いた私に少し遅れるように高寺さんはやってきた。
「お久しぶりです。今日は白衣じゃないんですね。初めて見ました、そういうラフな格好。今日は休みか何かですか?」
Tシャツにジーンズというラフな格好で来た高寺さんに対して私は少し驚きながらそう言った。
「いや、実はもう僕はあの病院の医者じゃないんだ。この前辞めてきてばかりなんだ」
「なんで、辞めたんですか?」
「一、二ヵ月後、準備が整い次第、海外の病院で働く予定なんだ」
「それは何とも急な話ですね」
「前からこっちで研究をしないかって上司だった人から誘いはあったんだ。ただどうしても踏ん切りがつかなかった。それがやっと決心つける事が出来たってところだね」
と高寺さんは言った。
「それは詩織の事が関係しているんですか?」
「関係あると言えばそうだね。関係している。でも今ははっきりしたことは言えないんだ。申し訳ない」
「謝らないで下さいよ。高寺さんは詩織の為に一生懸命頑張ってくれた。それだけで良いじゃないですか。それに私は高寺さんが詩織の担当で良かったと思っているし高寺さんに出会えて良かったって思ってるんですから」
「そうか…」そう返事した高寺さんはどこか引っかかるのか表情は決して晴れやかではなかった。だが、だからと言ってこれ以上この話題について話すつもりもないようだった。
「それともう一つ隠していたことがあるんだ」
しばしの沈黙の後高寺さんはそう言った。
「なんですか?」
「この前、連絡した事だけど、実は詩織ちゃんから君への手紙を預かっていたんだ」
そういって高寺さんは一通の手紙を私に渡した。




