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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
18/29

5-2

「彼の言葉に怒る気持ちはわかるけど、あそこで場所もわきまえずにキレている様じゃ社会人失格だよ」

徳井さんと二人きりで店じまいをしている最中徳井さんは冷たく私にそう告げた。それに対して私は素直に「すみません」と謝るしかなかった。そんな落ち込んだ私を見かねたのか少し考えるそぶり見せた後、徳井さんは話し始めた。

「まあ、まだ若いし、しょうがないかな。大事なのは感情に振り回されない事。感情が湧き出てくるのはどうしようもない。理性がその感情をちゃんとコントロールさえ出来ればいい。逆に感情があなたをコントロールする様じゃいいことなんて何も起きはしないよ。大概は後で後悔する結果を招くだけ。聞き流してもらっても結構だけど、これは色々な回り道をしてきた私からの数少ないアドバイスだからね」

仕事を終え着替えをしながら私はなぜあそこまで橘に対して感情的になってしまったのか考えた。もちろん橘の事は嫌いだった。でもそれだけがあそこまで激高した理由にはならなかった。上原さんの事を悪く言われたからだろうか?しばらく考えたものの答えは導き出せなかった。感情的になるのが良くない事くらい私にだってわかる。でもついつい湧いて出てきてしまったんだ。それもなぜなのか私にはわからない。しょうがないじゃないか。店から出た私はため息をついて家に帰ることにした。こんな時、葛城さんがいたらどうだったろうかとふと思うのだった。彼がいたら…いや彼がいても徳井さんと同じように振る舞っていただろう。私は葛城さんに一体何を期待しているんだろうか?そんな事を考えていたからだろう、目の前からやってくる男性がどうしても葛城さんにしか見えなかった。そしてどれだけ私は妄想の世界に入り込んでしまったのだろうと自分自身を嘆いた。だが、その男性が笑顔でこちらに手を振って近づくのを見て、妄想でもなんでもなくその人物が久しぶりに顔を合わす葛城さんなんだという事に気が付いた。


「まさかあそこで顔会わすとは思いもしなかったんで驚きましたよ!」

「店が開いている時間に間に合うかどうか微妙だったけど明日は休日で時間があったから久々にここまで足を運んでみたんだ。閉店時間になっちゃったけど恋ちゃんに会えて良かったよ」

「徳井さんがまだ店内にいるんでなんなら今から戻って呼びましょうか?」

「いいよ、まだ閉店作業が残っているだろうし、わざわざそこまでしなくても。それよりもたしか恋ちゃんももう二〇歳だろ?社会人の僕が奢ってあげるから飲みに行こうよ」

「いいんですか?じゃあお言葉に甘えますね」

 私は意気揚々と葛城さんに付いていき、葛城さんは慣れた足取りで駅前の商店街を少し逸れると物静かな裏道にあったバーの中へと入っていた。こぢんまりとしたお店で間接照明でうっすらと店内を照らしていた。その雰囲気が気分を落ち着かせる気がした。グラスを拭いていたマスターらしき店員が「いらっしゃい」と低い声で出迎えてくれた。客は私たち以外に店員と談笑している個人客一人くらいだった。これならゆっくり二人でおしゃべりを楽しめそうだった。

「お酒の方は慣れた?」

「どうでしょうね、ただ上原さんと飲み比べして勝ちましたよ」

「上原さんを潰したか。まあまあ強いんだね、恋ちゃん」

「父が酒豪でその遺伝子を受け継いだみたいです」

「それじゃあ飲みがいがあるね。今日は社会人として色々なお酒を紹介するから」

「楽しみにしています」

「ここは何度も利用してきたお店だから恋ちゃんに合うものをこちらが考えて頼んであげるね」

「気が利きますね。お願いします。まだカクテルの名前もほとんど知らないんで助かります。でもここに何度も来たことがあるって意外ですね」

「そうかい?」

「私の勝手なイメージですけど、こういうお店は慣れた大人の男性が女性を口説くために使うか、もっと年の取ったおじさんが静かにちびちびとお酒を飲むために来る場所だと思ってましたから」

「確かにそういうお客さんもいるね。ただ僕の場合は社長に連れられて良く飲んでいたってのが本当の所だね」

「たしかに社長だったらこういう店よく来そうですね」

「社長によく連れ回されたものだよ。今は現場に立ってないみたいだけど元気にしてる?」

「この前、詩織の誕生日会でお肉をせっせと焼いてビンゴ大会の進行もしてましたよ」

「社長が進行か、全然イメージ湧かないな。そういえば詩織ちゃんの体調の方はどうなのさ」

 お酒やつまみとして出されたナッツにチーズ、そしてアヒージョをつまみながら元従業員だった詩織も含め小早川・柳瀬カップル、上原さんの離婚問題、葛城さんと入れ替わりで入った橘に対する愚痴などGBAILY仲間の近況を思いつく限り私は話した。

「聞いてくださいよ、葛城さん。今日バイト先のその後輩と口論になって恋愛なんてすぐ飽きがくるものだからすぐに別の相手に乗り換えるべき。結婚とか死ぬまで同じ人を愛するなんて不可能だって言うんですよ?でも今なら私はこう反論しますね。『そんな事ない。私の身近で部下にやさしくて、それ以上に彼女の事を大事にする素敵な人がいたって。一途に恋人を想う人が身近にいたんだからそんな薄情な人はあんたみたいな一部の未熟者くらいなんだ』ってね」

「言うね、恋ちゃん。でも僕はそこまで素敵な男じゃないよ」

「何言っているんですか、先輩は素敵ですよ。私は先輩みたいな人、彼氏に欲しいですよ。彼女さん、ホント幸せ者だな」

 ただそれに対して葛城さんは苦笑いをするだけだった。だから私はすかさず話題を変えることにした。

「それにしても葛城さんがここまでお酒に詳しいとは思ってなかったです。どれも飲みやすくて美味しいです」

「社長やここのマスターのお陰だよ。社長はすごくお酒に詳しい人だし、ここのカクテルはどれも美味しいから。社長にいつも遅くまで付き合わされてうんざりした時もあったけど恋ちゃんにこうやって褒められたのならそんな日々も無駄じゃなかったね」

「社長とはどんな話をしていたんですか?」

「下らない世間話からお店の事、時には経営について熱く語られたものだよ。最近は上司と飲みに行くのをサービス残業みたいに捉えて断る人が多いみたいだけど、僕は全く逆に思うんだ。そうやって一旦仕事から離れた場でしっかりと交流する事で相手の考えを知り、普段の業務においての認識のズレを修正したり、そうやってお互いを知って信頼関係を築く事で信頼しながら業務に当たる事が可能になると思うんだ。いわば飲みの場は仕事に対する潤滑油だ。GBAILYも年に何度も飲み会やバーベキューとか集まりをやっていたからこそ職場内での連携もうまく取ることが出来たし、一つの方向性に向かって一致団結して動く事が出来たと思うんだ。そう考えるとバイトとしてやらせてもらっていたけどいい職場だったよ」

「今の職場はそうじゃないんですか?」

「今の職場は競争が激しいのか中々仕事仲間で飲みに行く感じじゃなくてね。少し寂しい感じはするね」

「でも葛城さんは凄いじゃないですか、みんなが羨むような大企業に就職したんですから。私は葛城さんみたいになれたらなって密かに目標にしてるんですから」

「僕を目標にしてくれるのは嬉しいけど、僕が進んだ道だけが正解ってわけじゃない。その人毎に合った選択肢をするべきだから色々な人を見た上で自分に合った道を選ぶ方が良いよ。特にまだ若いうちは早々に一つに絞らず、色々な選択肢を見ておいた方がいい」

「相変わらず葛城さんは謙虚ですね。流石、私が尊敬する先輩です」

「いやいやこれが本音だよ。そんな事よりも恋ちゃんは全然酔う気配がないね。結構飲んだと思うんだけどね」

「これでも酔ってる方ですよ」

「本当かい?こっちなんかだいぶ酔いがきてるんだけどな。これじゃあ僕の方が酔い潰れそうだ」

「そしたら私肩貸しますよ」

「女性に、その上後輩に介抱してもらうような事は恥ずかしくて出来ないよ」

「あっ今さりげなく上原さんをディスりましたよ、葛城さん」

「おっとそんなつもりはなかったんだけどな。これはこれは、ついうっかり口が滑ってしまったね」

そう言って笑顔を見せた葛城さんは空いたグラスを下げてもらうと当たり前の様に次のお酒を頼んでいた。それからどれだけ話し込んだんだろう。同じ大学、同じ学部という事もあり大学の教授の愚痴や名物教授の話題、レポートに関してのアドバイスをもらったりと話題が尽きる事はなかった。

「おっと、もうこんな時間か」

 そう言う葛城さんに促されるように私も自身の腕時計を見ると時刻は既に零時をとっくに回っていた。確かに時間が経つのはあっという間だ。葛城さんと店に入ったのが十時頃だったからもう二時間以上もいる事になる。

「葛城さん、電車の方は大丈夫ですか?数駅先でしたよね」

「大丈夫、大丈夫!タクシーがあるから大丈夫!せっかくだし、ついでに送ってあげるよ?」

「私は駐輪所に自転車があるので大丈夫です。奢ってもらったのにそれでいて送ってもらうなんて流石に気が引けますよ。というかそもそも方角が正反対じゃないですか」

「そうか、遠慮はいらないんだがな…そうだ!自転車は明日取りに行けばいい。深夜に若い女性が一人出歩くべきじゃないよ。とにかく会計は済ませてあるから一旦店を出るよ!お家へレッツゴーだ!」

そう言って葛城さんは立ち上がったものの足取りは明らかに悪かった。咄嗟に私が支えたものの明らかに歩ける状態じゃない。話に夢中になり過ぎて葛城さんが酔い潰れている事に気がつかなかった。

「ちょっとだいぶ酔ってるじゃないですか。これじゃあ送ってあげるどころか送ってもらう側ですよ」

「なーに、問題ない。さあ行くよ!」

葛城さんはそう言って聞く耳を持たない。

結局大通りでタクシーを拾うまで本当に私が葛城さんに肩を貸す羽目になってしまった。ここまで酔っぱらった葛城さんを見るの初めてだった。いくらさっきまでおしゃべりに夢中だったとしても葛城さんがここまで酔っていた事にどうして気がつかなかったんだろう。よくこの状態で会計を済ます事が出来たものだと不思議でならなかった。

「葛城さん、自分の住所をドライバーさんにちゃんと伝えられますか?」

「うん?住所?何言ってるの。僕は恋ちゃんの住所なんか知らないよ。君がちゃんと伝えなきゃ」

何とか後部座席に乗せた葛城さんに問いかけるも言葉がちゃんと頭に伝わっていない様だった。私は仕方なくタクシーに乗り込み彼のポケットを探り財布の中に入っていた免許証を取り出した。

「運転手さん、ここに書いてある住所までお願いします」

「お嬢さんも行くのかい?」

運転手のおじさんは目を細めながら老眼鏡で免許証に書かれた住所を確認し、そして私の方を振り返りそう聞いてきた。

「はい」私は少し迷った挙句そう答えた。

 この状態で葛城さんがちゃんとベッドまでたどり着くとは思えなかった。

「ならエチケット袋とか持ってるかい?コンビニのビニール袋とかでいいけど。万が一座席に吐かれでもしちゃ、たまったものじゃないからね」

「あります」バックの中からビニール袋を見つけだした後私はそう答えた。

「なら良かった。それじゃあ出発するよ」

 しばらくすると葛城さんは私の肩を借りて寝始めたようだった。彼の鼻息と共にアルコールの匂いが漂ってきた。こんな光景を葛城さんの彼女さんにでも見られたらとても面倒だなと私は思った。もし彼女が彼の家にでもいたらなんて弁明すればいいのだろう?それに私は彼女の事を写真や話から知ってはいるものの、一度として会った事すらないのだ。どう弁明しても間に入って説明するべき葛城さんがこんな状態では意味がないだろう。

 しかし、良く考えてみれば葛城さんは今日一度として彼女の事を話してはいなかった。こちらがその話題を振った時もニコニコするだけでその話題に踏み込もうとはしなかった。普段だったら話のどこかで自然と話しだしてもおかしくないのだ。葛城さんと彼女さんは高校からの付き合いでお互いが生活の一部のようになっているような関係であるはずだからだ。

 それでもいちいちそんな事を考えていても埒が明かなかった。どのみち私はこのまま葛城さんを部屋まで送り届けないといけないのだから。私は考えるのをやめて夜も更け真っ暗になった景色を窓から意味もなく眺めるのだった。繁華街を過ぎて辺りは街灯の光くらいしかない真っ暗な住宅街が続いていた。タクシーはその中をひたすら突き進んでいった。

 十五分ほど経っただろうか、タクシーは停車し、葛城さんが住むマンション前に着いたようだった。私は自分の財布からお金をドライバーに渡すと意識のぼやけた葛城さんを支えながら何とか玄関まで誘導した。念のため鍵でドアを開ける前にチャイムを鳴らしてみたが幸い彼女さんは来てはいないようだった。安心した私はそのまま葛城さんの鞄の中から鍵を見つけ出し、ドアを開け葛城さんを支えながら二人で中へと入った。

「さあ家に着きましたよ。葛城さん靴を脱いで下さい」

「ああ…はいはい、靴ね…靴…」

玄関は靴が乱雑に置かれ、いつかまとめて出すのであろうダンボールの束が空いた隙間に縦に詰め込められていた。部屋は私がイメージしていたものとは違い、ゴミがあちこちに散らかっていた。リビングに至ってはゴミ箱からゴミが溢れ出ていた。あまり掃除をしていないのは一目でよく分かった。あまり動かさない家具や本棚は綺麗に整理されている事からここしばらく忙しいせいで掃除が出来ていないのかと私はふと思った。

  私は何とか葛城さんを運び、奥のベッドに横たわらせた。勢いをつけて横たわらせた事もあり葛城さんはそのまま大の字に仰向けになった。葛城さんの顔を見るとこのままスヤスヤ寝てしまいそうだ。

「それじゃあ葛城さん、私はこれで帰りますから風邪引かない様に、それと二日酔いに気をつけて下さいね」

私は彼の寝顔をしばらく眺めた。そして私は聞いているか聞いていないか定かではない中そう言って玄関に向かおうとした。しかしそのまま玄関に向かう事は出来なかった。私の右腕を葛城さんが掴んだからだ。

「ちょっと、葛城さん、ふざけないでください。私は帰りますよ」

 そう言って私は彼の腕を振り払おうとしたものの掴んだ腕は私を頑なに放そうとはしなかった。むしろその力は力強く私を彼の方へとぐっと引き寄せるのだった。目の前には既に彼の顔がそこにあり、微かに微笑んだかと思えば彼は躊躇なく私の唇を奪った。そして何の迷いもなく舌を入れてきた。そうかと思えば彼は私の首筋を執拗に舐め回したのだった。


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