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私はいつものように詩織の見舞いに訪れた。あの誕生日会以来ではあったが詩織はいつも以上に上機嫌だった。明らかに顔のニヤニヤが半端ない。その理由はどうやら誕生日会の余韻に浸っているからという安直な理由ではなさそうだった。
「退院♪退院♪次の検査、大丈夫なら、退院♪」
詩織は手拍子を取りながら即興で作った歌をノリノリで歌っていた。
「私の誕生日会のおかげかな、感謝してよね」
「なーに言ってるんだが、もちろん担当医の先生が優秀なおかげです!さすが私が見込んだ男だけある!」
「えーん…せっかく頑張って誕生日会企画したのに…このお姉さん冷たーい…」そう言って私はわざとらしく泣いたふりをした。
「あら、どうしたの御嬢ちゃん、誰かにいじめられたの?可愛そうに…私が慰めてあげるから私の胸に飛び込んできなさい!」
「ありがとうお姉さん、優しいね…退院♪退院♪って変な歌歌ってた人とは大違いだね!」
「あら、世の中にはそんな変な人がいるのねえ…」
「そうなの、お姉さん。そして私の周りには変な人がたくさんいるの。ビンゴ大会でせっかく景品取ったってのにこんな変なバッジもらうんだよ。しかも店で売れずに残ってた、かわいくない、少し気持ち悪いキャラのダサいピンバッジ。なんでこんな変なバッジ景品にするの?売れ残りを景品にするなんてもらっても嬉しくない。やっぱり私の周りはひどい人だらけ。助けて!お姉さん!」
「あっそのバッジ、高寺先生持ってたな、たしか」急に素に戻った詩織はそう言った。
「えっマジで?」
「うん、前に先生のかばんに付いてたよ。こりゃあ運命だね。運命に逆らう訳にはいかない。もうすぐで退院出来そうだし、代わりに高寺先生譲ってあげてもいいよ」
「おいおい、散々私を恋のキューピットとして利用していたのにその程度の想いだったのかい。それならもう手助けなんかしてあげないんだから!」
「嘘!嘘!冗談だって!これからも情報提供お願いしますよ」
「はいはい、わかりましたよ。そうは言っても患者の友達でしかない私が得られる高寺さんの情報なんてたかが知れているけどね」
「そんな事ないって!助かってるよ!これからも頼むね!」
「わかったよ。でもそんな事よりも退院できるように体良くしておいてよ。いくら状態が良いからってただでさえ命に関わる大変な病気なんだからすぐまた入院とかされても困るよ」
「もちろん!」
頼まれた当初は彼女が死んでしまうんではないかという差し迫った恐怖のせいかほとんど気にもしていなかった。だが、今になってどうして接点の薄い私がわざわざ彼女と担当医との恋のキューピットになる必要があるのか不思議でならなかった。看護師に頼んだ方がよっぽど役に立っただろう。それほど私に信頼しているからだろうか?それとも別に理由があるのだろうか?そんな疑問がふと浮かんだものの退院を心待ちにして笑顔を見せる彼女の顔見ていたらそんな事は些細で事足りない事なんだと思い知らされた。
詩織の体調は誕生日会以降も安定して良かった。むしろ改善していたと言っていい。高寺先生曰く個人差はあっても徐々に免疫が下がっていくこの病気において中々珍しい事例らしい。
「こりゃあ、主治医が優秀なんですね」と詩織と同じように私は高寺さんを褒めた。
「そんな事ないよ」高寺さんは少し照れながらそう返事をしていた。そして少し間を置いて真剣な表情で「でも次の検査が山場だよ、それをクリアしない限りまだ楽観視は出来ないよ」と言った。
彼にはそういう所があった。少年のようなはにかんだ表情をみせたかと思えば表情を硬くして誰にも寄りつかせないような表情もする。どういった事をきっかけにそのスイッチを切り替えているのか私は未だに掴みきれない。
そして雑談を切り上げ次の患者の元へと向かった高寺さんの後姿を少し見送った時になって私は「バッジ」の事を思い出した。「後でメールで聞いてみるか」と誕生日会以降使っていない高寺さんのメルアドを眺めながら私はそう思った。
詩織との面談、そして高寺さんとの少しばかりの雑談を終えた私はその足でいつものようにバイトをしにGBAILYに向かった。
「おはよう」と同じ時間から入っていた小早川さんがあいさつしてきた。
「おはようございます」と私はいつものように着替えながらそう返した。
「上原さんっていつまで休みか聞いてる?」
「社長に聞いたんですけどとりあえず引っ越しが一段落するまでらしいです」
「そっか、流石に別居するったって実家に引っ越すわけにもいかないものね。上原さんの実家ここから結構遠くだって聞いてるし。お子さんにも学校あるから実家まで連れて行くわけにもいかないでしょ」
上原さんがしばらくの休みの希望を出したのはあの誕生日会から数日が経ってからだった。旦那さんと離婚することになり、それに伴い上原さんとお子さんが家を出て新居を探す事になった。すぐにでも家を出るため、しばらく休みを取るという事だった。それでも親権や養育費、そして慰謝料などまだまだ話し合いができていないものが多く、そのための離婚協議がこれからしばらく続くとの事だった。
「やっぱり大変なんですね、離婚は」私は呟くようにそう言った。
「そりゃそうでしょ。仲良く別れる事出来ればいいけど揉めて別れるとかだったら慰謝料やら親権やら養育費やら色々揉めるんじゃない?」
「でもそれでも離婚したいって事ですよね」
「そりゃそうよ。じゃなきゃ離婚しない。私は正直離婚は前々からしそうだなって思ってたな」
「そうなんですか?」と店の制服に着替え終わった私は聞いた。
「飲み会の席で『いい男はいないかな』とか人の恋路にちょっかい出してはしゃいでるところを見てたらこりゃこの人やばいなって前々から思ってた」
「私はあんな事言いつつも旦那さんとうまくやってるものだと思ってました。恋愛ドラマとか見てキャッキャとはしゃいでそれで満たされる程度の憧れだと思ってました」
「恋ちゃんはそう思ってたのか…受け止め方は人それぞれだね。私も恋ちゃんみたいな受け止め方が出来たらもっと気楽だったのかな」
「それって皮肉ですか?」
「ごめん。そう聞こえたのなら謝る。でもこれは本心かな。今回はたまたま私の予測が当たったけど、生きていく上ではさっきの恋ちゃんみたいに楽観的に捉える方が明るく前向きに生きていけるよ。私は基本的には物事悪く捉えがちだからこの前省吾と喧嘩した時自分の力だけじゃ仲直りなんて出来なかった」
「でも今回は小早川さんが当たったんだし、そこまで考えなくてもいいんじゃないですか?」
「当たったとか当たってないとか、真実や真実じゃないとかそういう事に価値はないの。そんなの見方が異なればその数だけ真実があるの。私の推測だってもしかしたら違うかもしれない。恋ちゃんが言ってた通り上原さんは現状に満足していたのかもしれない。でもひょんなことから旦那さんが急に離婚したいと言ってきたから今回離婚することになったのかもしれない。そうなったら合ってたのは恋ちゃんの方でしょ?私が言いたいのは情報が少なくて推測するしかない状況では楽観的に捉えておいた方が得って事」
「それじゃあ小早川さんのその怒ってそうな口調も理解の遅い私に対して怒ってるんじゃなくてお昼食のランチがたまたま美味しくなくてそれを引きずって不機嫌なままなだけって事にしておけばいいんですね」
「まったくその辺の理解は早いのね、恋ちゃん。そういう事でいいよ」
と呆れた表情をしながら小早川さんはそう言った。
ここ数日の上原さんの欠勤の穴を埋めたのはフリーターである橘翔太だった。社長にうまい具合に煽てられる事でシフトの穴を埋めて貰うことに成功はしたようだがここ数日の連続勤務で不満が溜まっているようだった。さっきからため息をつきながら荷卸しをする始末だ。
「あんたはフリーターなんだし、たくさん働けてむしろ本望なんじゃないの?」とそんな橘に嫌気がさした私は本人に直接聞いた。
「違うんすよね、加賀美先輩。俺は別にここで働かなくても稼ぎはあるからこれまで通りの勤務時間でいいんっすよ」
「稼ぎはあるって何やってるの?怪しい商売じゃないでしょうね?」
「何をやってるかはここでは大事じゃないんで置いておいて――」
「言えないって事はやっぱり怪しい仕事やってるんじゃん」
「そこは黙っててもらっていいっすか?話が進まないんで」
「はいはい、わかりましたよ」
「稼ぎはここで働かなくても稼げるし必要ない。余った時間は出来る限り音楽の方に使いたいからここでの勤務は少なくて構わないんっすよ。ならなんでここで働くかって言ったら市場調査なんすよ」
「というと?」
「俺は将来的にミュージシャンで食って行くつもりでよくライブをやっているのは知ってますよね」
「そりゃあもちろん、ファンの女の子たちがあーだこーだって自慢話をしつこいくらい君から聞かされてるからね」
私は皮肉を込めてそう返事をした。
「相変わらず当たりがきついっすね、加賀美先輩は」
「そんなん橘に対してはいつも通り、平常運転よ」
「かー、とりあえず話進めますね。雑貨屋の給料なんてたかが知れていて満足いくようなものじゃないんですよ。でもここの仕事の魅力は正社員でもない俺が商品の発注やコーナーの陳列をさせてもらえる事っすよ。その分野が好きで詳しいって理由だけでね。だから俺は音楽のコーナーにおいて俺好みの陳列したりして客がどんな音楽を求めているのか生の声をここで見定める事が出来るんすよ。試行錯誤してこれがウケる、これがウケないとかね。ついでに俺の音楽の宣伝も出来るしこんなに素晴らしい環境はない。だからこそここで働く価値はあるんすよ。でも今まで以上の勤務は求めていない。今回は社長が言うもんだから渋々引き受けましたけど、本当はライブや作曲に今の時間を割きたいっすよ。だから正直言って迷惑な話なんすよ、今回の上原さんの件は」
「そんな事言ったって旦那さんとの事だし、上原さん一人じゃどうしようもなかったんだからしょうがないじゃん」
「一人じゃどうしようもなかったって、どのみちこうなるのは目に見えてましたよ。しかも今回の件で仕事の方にも支障きたすとか傍迷惑極まりないっすね」
「さすがにひどくない?言い過ぎだよ橘?」と食い掛かるように私は言った。
「そもそもの話として既婚者のくせして恋バナとかに一喜一憂しているようなおばさんは結婚なんかするべきじゃないんですよ」
しかしそんな私を気にせずに橘は話を続けた。
「いいですか、結婚は墓場なんすよ。いくら大恋愛したところでどうせ相手に飽きてくる。その時点で次の相手に乗り換えればいいんすよ。それなのに世の大人たちは結婚なんてことをしてあたかもその恋が永遠に続くかのような幻想の中に自らを落としいれる。それが地獄だという事をわからずにね」
「飽きるから乗り換えるとかそれ相手に対してひどくない?」
「飽きるものは飽きますよ。それじゃあ加賀美先輩は毎食同じ食事でも飽きないとでも言うんですか?同じ食事ばかり取っていては体に良くない事くらい俺だって知ってますよ」
「それとこれとは別だよ」
「同じですよ、どっちも。だから恋愛は卒業して恋愛以外の楽しみを見つけて子作りや子育てに専念するか、いい塩梅で浮気をしてガス抜きするくらいの気持ちがある人が結婚すべきですよ。それ以外は後々離婚とかで揉めるような結婚なんてわざわざするべきじゃないっすよ」
「同じなんかじゃないよ。人と物を同じにしないでよ!そもそもそんな簡単に他人との関係切れるわけないじゃん。あんたには情とか思いやりとかないわけ?」
「飽きないくらい変化がある相手だったら楽しいかもしれないですね。でもそんなカメレオンみたいな人なんかいませんよ。それに不必要になった関係なんてバッサバサ切るべきですね。そんなもの切れない人は『今時の若い者は』とか『伝統がなんたら』とかいう下らない古い価値観背負った老害になるだけなんすよ。俺みたいにそういう下らないしがらみに縛られない男が流行の先端を担うわけです」
「あーむかつく。やっとわかったよ。私があんたを嫌いな理由が。そうやって人を簡単に切れる冷淡な男、私大っ嫌いだわ。あんたは誰かに感謝するとか人からの恩とかどーでもいいんでしょ?そんな無礼な男となんか話したくないわ!」
「言わせておけば酷い言い様っすね。俺だって感謝くらいしますよ。何だよな、俺けっこう加賀美先輩の事タイプだったんですけど、タイプだったのは顔だけだったみたいですね」
「あんたのタイプ何てこちらから願い下げだっつーの!」
「いい加減にしなさい!仕事中に何やってるの!」
そこにはこちらを睨みつけながら仁王立ちしている徳井さんの姿があった。徳井さんが叱るのも無理はない。今、店は営業中だ。いくら客が少ない時間帯とはいえおしゃべりに夢中どころか言い争いをしていたのだ。私はそんな事も忘れて橘に激高していたのだ。それに気が付くと私は感情的になっていた自分を大いに恥じた。




