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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
16/29

京香の病室に着くとそこには彼女の両親が既に到着しており彼女のそばに寄り添っていた。ただ僕はその光景にふと違和感覚えた。それが何かはすぐ気が付いた。僕らと彼女を隔てるビニールの壁が取り除かれているのだ。だからこそ彼女の両親は久しぶりに彼女と直に触れ合う事が出来た。でも無菌室が取り払われる理由なんて二つしかなった。一つは彼女の症状が快方に向かい無菌室にいる必要がなくなったから。もう一つは治療する事自体無意味になってしまった時だ。そのどちらかは両親の表情を見れば明らかだった。二人は僕に構う余裕はなかったのだろう、ずっと彼女に語りかけていた。そしてそれに対しもちろん彼女からの返答はなかった。

 茫然と立ち尽くす僕に対して担当医の野々上が深刻な表情を浮かべながら近づいてきた。

「三十分前だったよ、私も突然の事でどうしようもなかった。力になれずにすまない」

 彼はそう言うと彼女から器具を外し終えた看護師と共に静かに病室から去って行った。

 

 昨日まで元気だったはずなのに、昨日まで安定していたはずなのに真戸京香は亡くなってしまった。

 僕が医者になる姿も医学部に合格した姿を見る事なく亡くなってしまった。

 最後に息を引き取るのを僕が看取る事も叶わなかった。

 別れは突然だった。

 正直言えば僕は期待していた。余命よりも少し長く生きてくれると期待していた。少なくとも僕が医学部に合格した所を見せられるものだと期待していた。合格した僕の姿を見せる事で彼女も安心して逝けるように、それを目標に頑張っていた。それが現実を受け止めた僕のせめてもの願いだった。でも世界は残酷だった。そんな儚い願いすらも叶えてくれずに、僕に何の断りもなく、彼女の命を容赦なく奪い去って行ったのだ。

 京香の両親は相変わらず鼻声になりながらも彼女に優しく語りかけていた。僕よりも悲しいはずの二人が涙を堪えながら彼女を優しく撫でているというのに僕は一体どうしたらいいのだろうか?僕は結局その場を離れ、いつかのように屋上で気が済むまで泣いた。まったくあの頃と比べて何も変わっていないじゃないか。そう思えて仕方なかった。ただ、幸いな事に天気は僕の気持ちとは対照的に晴れ渡っていた。泣いている僕をあざ笑うかのように雲一つない綺麗な晴天だった。太陽はただ僕を温かく照らしていた。


 彼女の葬儀は中々すぐには行うことが出来なかった。どういう訳かどこの葬儀屋も忙しく順番待ちで数日待たされたからだ。その分少しは葬儀までの間、心の準備は出来た気がした。ただ、それはただの思い込みに過ぎない事を彼女の遺骨は教えてくれた。そんなものはただの楽観的な思い込み、まやかしでしかなかった。僕は彼女の死を受け入れる事などそう簡単に出来るはずなどなかったのだ。いくらもう冷たくなっているとはいえ、まだ心のどこかでは彼女はただ寝ているだけなのだと願う自分が心のどこかにいた。でももうそんな願望は真っ白な遺骨相手には通じなかった。その時僕は独裁国家において死んだ指導者を防腐処置し永久保存する人々の気持ちが分かった気がした。皆認めたくないのだ。その人の死を認めたくないのだ。たとえ頭で分かっていても生きているものだと心のどこかで思い続けていたいのだ。

 参列している人々はほとんどがその死を当たり前のもののように受け止めているようだった。昔から病弱で入院生活が長かったから死ぬのも当然の流れだと思っているのだろうか?彼女がどれだけ前を向いて必死に生きようとしていた事か、どれだけ周囲の人々を想いながら生きていたのか、彼らはどれだけ知っているのだろうか?彼女の命は「しょうがない」と一言で片づけられるほど安いものじゃないのだ。彼女は間違いなくこれから先も長く生きていくべき人だったのだ!あんなに優しくて恋人の事を大事にする若者なんてほかにいやしない。それをここにいる人のどれだけがわかっているのだろうか?

彼女の死に対するどうしようもない憤りを参列者にぶつけているだけなのは自分自身分かってはいたものの、そうでもしない限り溢れて出てくる感情を制御できそうになかった。そうやって黙々と参列する多くの名も無き参列者達を睨み付けながら僕は歯を食いしばり、涙を堪えた。一度この場で泣いてしまったらどうなるかわからなかった。そんな情けない姿を皆の前で見せたくなかった。


 京香のお母さんから声を掛けてもらったのは収骨後の精進落としが終わり、参列者が大方姿を消し自分もまさに家に帰ろうとしている時だった。

「太晴くん、よく泣くのを我慢したわね。私達の事は気にせず泣きたいなら泣いてもいいんだからね」

そう優しく語りかけられた瞬間、僕の緊張の糸が切られた音がした。僕は大粒の涙をこぼし、それはとめどなく流れるのだった。それと同時に京香のあの優しさは母親から受け継いだものなんだとこの時思い知らされた。京香のあの優しさにまた触れたような気がしてこの涙は悲しみの涙なのか優しさに甘える嬉しさの涙なのかわからなかった。散々泣き散らしただろう、しばらくして彼女はタイミングを見計らって一通の手紙を渡してきた。

「これは京香からあなたへの遺言です。気持ちが落ち着いた時にでも読んでちょうだい」

彼女はそう言った。僕は思いもしないこの出来事に狼狽え、なんて返事をしたらいいのかわからなかった。気が付けば僕は家にいた。その後どれだけの時間が過ぎただろうか?遺言の事が頭から離れなかったが僕はそれに手を付ける勇気がどうしても湧かなかった。結局彼女の遺言書に手を伸ばしたのはそれから数日経った就寝する間際のタイミングだった。


太晴へ

お元気ですか?死んだ人から「お元気ですか?」なんて変な感じだろうとは思うけど、私は私が死んだ後でも太晴には元気でいて欲しいからそんな事は気にせずあなたに聞きます。

「太晴、お元気ですか?」

今この手紙を書いてる時は「私とあなたとの別れがどんなものになっているか」なんてもちろんわかるわけがない。

死ぬ寸前まで君がそばにいてくれて私が太晴の体温を感じながら安らかに死んでいくのかもしれない。

それとも急な発作で太晴は私の死に際に間に合わず、そんな中私は苦しみながら死んじゃうかもしれない。

なんで私がそんな事を言うかというとどんな時でも太晴には幸せであってほしいからなの。そりゃあ私の事を大事に思っているからこそ悲しくなるのはありがたいとは思うよ。でもね、君にはどんな時でも前を向いて元気に生き続けて欲しいの。

 私はね、ご存じの通り病弱で皆と同じような生活は中々できなかったし、思い通りいかない自分に対して悔しく感じたり悲しく思ってたりしてた。でもそんな自分じゃますます自分が惨めになるだけだから前向きになれるように私が幸せである理由をその時その時探してたの。「私は病弱で人に手助けされてばかりだ。でもそのおかげでほかの人以上に人からの優しさに触れる機会が多いから幸せだ」みたいにね。そういう事をいつも繰り返しやっていたらいつのまにやら私、気が付いたの。「幸せは結局自分自身の選択次第だ」ってね。探そうと思えば私が幸せな理由なんていくらでも探し出す事ができたの。だから私は周りの人に何を言われようとも幸せなのです!えっへん!

もちろんそんな事を言ったって急に気持ちを変えられるなんて言わないよ。時間がかかるとは思う。でもいつまでも落ち込んでいたい人なんていないでしょ?落ち込んでいるのか幸せでいるのか決めろって言われたらほとんどの人は幸せでいる事を選ぶと思う。だったら出来るだけ早く「自分は幸せだ」って選ぶ方が良くない?

もしそれでも難しいようだったら遠慮なく身近な人に甘えればいいよ。私が幸せな理由はこれだけじゃない、もう一つあるの。私が幸せだって断言出来るのは私が幸せな理由を探せたのと同じくらい周りの人からの愛情を迷う事なく受け取ってこれた、気がつくことができたからなの。「この人はこんな言い方だけこの人なりに私の事を大事に思ってくれてるんだ」とか、たとえ分かりづらかったり微かな思いやりだろうともその優しさに気がつくだけでもすごくハッピーだと思わない?私はそうやっていろんな人からの微かな優しさを感じ取る事が出来たからひとりぼっちでも決してひとりぼっちじゃないと思えたの。だから私は太晴が私の元を離れても寂しくない。むしろ私は十分幸せだから他に幸せを見つけたらそこに飛び込んでいって欲しいって思うの。そうやって色々な愛情を受け取っていくことで微かな優しさにも気が付く事ができるようになると思うから。

これは全部太晴のためだからね。

だから前にも話したけど私の事は気にせずにりっちゃんと寄り添いたいと望むのであればそうすればいいんだよ。それが太晴の幸せなら私は百パーセント応援する。あそこまで想ってくれる人は中々いないんだから感謝しないと。でもどーしてもというのであればずっと私の事だけを想い続けてもいいよ。それは最終的には太晴が決めることだから。

とにかく、私が死んだからっていつまでも泣きべそかいてたら私が許さないからね!私の分まで精一杯元気に生きるんだぞ!

 いつまでも元気でね。                              京香より 愛を込めて


りっちゃんに連絡をしたのはそれから二週間ほど経っての事だった。京香の願いでもあったためいつまでも悲しんでいる訳にもいかなかった。しかしいくら京香の願いだとしても流石に言われるままにりっちゃんに会おうという気持ちになれるわけもなかった。ただ、結局のところ気兼ねなく京香の事、この手紙の事を話せる相手は僕が思いつく限りではりっちゃんしかいなかった。それに気がつくのにニ週間かかったというわけだ。

「まったく自分勝手な人ですよ。私がどんな気持ちで諦めたのかわかってるんですかね。いや、わかった上でやってるのかな、あの人は」

二人して公園のベンチに座ったのち、りっちゃんは曇り空を眺めながらそう呟くように言った。

「ほんと、あいつに振り回されてばかりだよ」僕も同調するようにそう言った。

「先輩、実は私も真戸先輩から手紙もらったんです。真戸先輩のお母さんからあなたへの遺言だって。私が諦めた後だっていうのに『私はもう長くないから、もしまだ彼に気持ちがあるのならそばにいてあげてほしい』って手紙で書いてあって。これがもっと時間が経った後なら新しい良い男見つけて、他にいい男見つけたのでお断りしますって断る事出来たのに。こんなに早くいなくなるんですもん。いくら真戸先輩が言った事でも『はい、そうですか、それでは先輩お付き合いお願いします』なんて言えるわけないじゃないですか」

「本当に自分勝手だな、あいつは。死ぬ間際まで自分勝手だって思うくらい世話を掛けてきやがって。結局急に症状悪くして死んだものだから死に際に立ち会えなかったけどさ、それでも俺、思うんだ。あいつ笑顔で死んでいったんじゃないかって。あの病気に罹ってしばらくしてさすがのあいつも落ち込んだみたいだけどさ、持ち前の明るさで最後は笑って死んでいったんじゃないかって思うんだ。それくらい周りの人を照らすような奴だったなって今は思うんだよ。結局自分なんか彼女の足元にも及ばなかったけどさ、その明るさは見習いたいなって今は素直に思う。だからもっと強くなりたいってそう思ったんだ。自分も彼女までじゃなくても周りの人を照らせるようなそんな存在になりたいなって最近やっとそういう風に前向きに考えられるようになったんだ」

「本当に素敵な人でしたね、真戸先輩は」

 彼女のその言葉に対し僕はつい涙をこぼさずにはいられなかった。そうだ、真戸京香は本当に素敵な女性だった。たとえ短い生涯だとしても長年想いを寄せる価値のある唯一無二のかけがえのない存在だったのだ。そして僕は彼女の事が大好きだった。それを認めてもらえた、そんな気がした。そして、僕はこうも思ったのだ、こうやって涙するほどいつも自分は一人で頑張り過ぎていたんだと。京香の言う通り一人で無理をし過ぎないで少し誰かに甘えるべきなのかもしれない。僕はふとそう思うのだった。


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