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さよならのその前に  作者: 大橋宇宙
12/29

三の1

結局、あれから京香ともそしてりっちゃんとも連絡を取らず、予備校に通いながら黙々と受験勉強に取り組んでいた。何か行動に移さなければいけないはずだった。だが、考えたところで答えは見つかりそうになかった。そんな事をするくらいだったら全てを忘れ、ただひたすら受験勉強に集中する方が気が楽だった。どちらからも連絡が途絶えて数日が経った頃だろうか、りっちゃんからメールが届いた。

「面と向かって話したい事があります。都合の良い日時を伝えてくれれば合わせますのでお返事お願いします。」

 絵文字もないその堅苦しい文章が伝えている事は、これまでのように単に外国語を練習するための外国語による雑談でも、他愛のない世間話でもなかった。彼女が話そうとしている事はこれからの僕とりっちゃんとの関係性を左右するような話であることは明らかだった。そのメールをもらった時、僕は家で参考書の問題を解いている最中であり、問題を一通り済ませてから返事を書こうとしたものの、どうしても気が散って問題に集中する事ができなかった。仕方なく僕は勉強を中断し、スケジュール帳と睨めっこをした上で返事を書く事にした。


 りっちゃんとは彼女が大学に合格して以来会う機会を失い、メールだけのやり取りがここ数か月続いていた。だからこうやって会うのはそれ以来だ。男女が二人きりで会う。そして相手はこちらに気があるのは確かだった。それは傍から見ればデート以外の何物でもないだろう。でもこれはそんな甘ったるいものではない。結末がどんなものであれ物事を白黒はっきりさせる、そんな重たいものだった。だからこそ服装も待ち合わせもそっけないものにする事にした。

服装はいつも予備校に行く際に着ていく使い古しの黒のジャケットとジーンズ。そして、待ち合わせ場所は予備校近くの小さな公園。待ち合わせ時間まで時間があったので、僕はコンビニでカフェオレを買い、それを飲みながら自宅に向かう学生や社会人を公園のベンチから眺めながら彼女が来るのを待った。外は昼間の初夏のような暑さとは違い日が傾いてきたおかげか、春の心地よい風がなびく過ごしやすいものだった。夕方なのか駅の方から歩いてくる人が大勢見受けられた。その中にいる高校生や大学生らしきはしゃいでいる若者を見ながら自分はそんな青春からはじき出された存在なのだと改めて自覚されられるのだった。そうやってしばらく街行く人々を眺めているとこちらに手を振る人影が見えた。その人物はおしゃれに着飾った女子大生の塊の一部でありその群れと別れを告げ1人近づいてきた。それがりっちゃんである事に気が付くのに時間が掛かったのは彼女が高校生の頃の制服ではなくシックな茶色のロングワンピースを着ていた事、そして髪色を茶髪に染めていた事が理由だろう。

「久しぶり、りっちゃん。すっかり垢抜けたね。最初誰だかわからなかったよ」

「そりゃあ、大学生ですからね!」

「そんなセリフ聞くとなんか取り残された気がしちゃうな、こっちは」

「あっすみません先輩!そんなつもりで言ったつもりじゃなかったんですけど…」

「いいよ、気にしなくて。りっちゃんは存分に大学生活を満喫すればいい。こっちは自らの意志で浪人して、そしてこんな見窄らしい恰好を選んできているんだから。ところで大学生活の方はどう?楽しい?」

「もちろん、楽しいですよ!でも海外に行きたいんでこれでもバイトに、大学の講義に、で過密スケジュールなんですよ」

「そっか、りっちゃんは海外に憧れてたからね。留学するんでしょ?」

「ええ、もちろん。そして留学が終わったらそのタイミングで休学して海外少し放浪しようかなって思ってるんです」

「それは何とも逞しいね。吹奏楽の顧問にいつも泣かされてたあの頃からは想像がつかないや」

「ちょっと、先輩。昔の事、掘り下げないでください」

「入った当初は本当に下手くそでただでさえ厳しい顧問の齋藤が頭に血を上らせながらりっちゃんの事怒鳴ってたものな。でも最後はフルートのソロを任されるまでに成長するんだもの、大したものだよ。京香と俺、感動したよ、りっちゃんたちの最後のコンクルールを見て」

「少し恥ずかしいけど、そう言われると嬉しいです。でもそれは先輩の励ましのおかげですよ。いつも居残って練習付き合ってくれたし」

「それはたぶん俺が同じように下手くそだったからだよ。俺だって昔はすごく下手だったし。ほら、俺、結構へまするような奴だったじゃん。それで周りにからかわれる事が日常だったし。それでも悔しいものは悔しかった。りっちゃんの、上手く出来なくてだけど齋藤には怒鳴られて…そんな悔しい気持ち、俺も味わってたからどうしても手助けしたくなってね。でもおかげでそんな後輩想いの俺の様子を見て見直してくれたのか京香と付き合えるようになったから人生分からないものよ。長年振られ続けてて俺も諦めようかと思っていたのに」

「ほんと、人生分からないものですよ。そのまま諦めてくれれば良かったのに。おかげでこっちは長年片思いのままですよ」

「えっ?」

彼女の唐突なその言葉に僕は言葉を失った。だがりっちゃんはそれに構う気はさらさらないようだった。

「でも、もうそれも今日で終わりです。私諦める事にしたので。これからは純粋に先輩と京香先輩の事応援しようって心に決めたので。

先輩はどういう気持ちで私の世話をしてくれたのか知りませんけど、親身になって慰めてくれて一緒に練習付き合ってくれる先輩の事が好きでした。あわよくばこのまま京香先輩の事諦めて、私と付き合ってくれたらなって思ってたのにいつの間にか二人は付き合いだしてあの時はすごく凹みました。でも、どうしても諦めきれなくて、もしかしたらあの予備校通ってるかもって思って行ってみたら先輩がいて。一緒の授業を受けるのが楽しみで、楽しみで、先輩に英語教える事で先輩の立場とか京香先輩の事とか忘れて不自然なく傍にいれて楽しかった。だから受験は辛いって事はなかったんです。でも私だけ合格して、自然と会う機会がなくなって改めて自分の事を冷静になって見つめてみたんです。そうしたら考えれば考えるほどホント、『わたしは自分の恋の事しか考えてないどうしようもない自己チュー』だなって思えて仕方なかったんです。それに京香先輩の事は尊敬できる先輩だって思ってはいたけど、どうしても心の奥底では嫉妬してた。だからこの前思い切って一人でお見舞いに行って全部話したんです。先輩との事、私の気持ちとか全部。そうしたら京香先輩なんて言ったと思います?『全部知ってた』って言うんですよ?私ホント何言っているのか理解できなくて頭真っ白になっちゃいましたよ。私が黙っちゃうものだから京香先輩、話し出したんです。『全部知ってて好きなようにさせてた』って。自然と私と先輩がくっつくように仕向けていたって。自分は先は長くないから私が彼を支えてくれって。信じられますか?自分が死ぬかもしれないってのにそんなこと考えられます?自分の心配じゃなくて恋人の心配をしてたんですよ、あの人は!だからその時思ったんです。もう全然敵わないなって。だから決めたんです、身を引こうって。京香先輩には先輩が付いてあげなきゃダメなんです。私の恋心なんて、京香先輩の足元にも及ばないんで」

「京香がそんな事言ったの?」

「ええ、そうですよ。ほんと素敵な彼女持てた事もっと喜ぶべきですよ、先輩は」

真面目に話す彼女に対して僕はそうやって何も返す言葉がなかった。当たり前だ。あまりにも情報量が多すぎた。一度に処理するにはその情報のインパクトが大きすぎた。

「私、これからは大学生活満喫していい男見つけてくるので、先輩はさっさと医学部合格して京香先輩を安心させてください。もう苦手だった外国語も私の手を借りなくても大丈夫でしょ?」

「お、おう…」

「ちょっと!なんですか、そのつまらない返事は」

「うるせえ!急にそんな真面目な話されるなんて思ってもなかったんだから仕方ないだろ!」

 動揺して大した返事も出来ない僕に対して彼女は何か吹っ切れたように僕を笑顔で茶化すのだった。

そんな状況下で僕は少しずつ冷静さを取り戻すとともに、ただただ自分が惨めに思えて仕方なかった。京香もりっちゃんも自分自身の感情から逃げずに前を向いて歩を進めていたのだ。そんな中で僕だけが恋人を亡くす恐怖から逃げるように恋人との連絡を避けていた。さらに行動には移さぬともその逃げ場のない思いを自分を想ってくれている女性に対し慰めて欲しいと心の底で都合よく思っていたのだ。こんな情けない男がいるだろうか?

「ちょっと先輩!何泣いてるんですか!」

 いつのまにやら目から涙が出ていた事を彼女のその言葉で気が付かされた。自分でもなぜ涙が出たのかよく分からなかった。

「あーかっこ悪いな…俺」

「ホント、こんな所で泣くのやめてくださいよ、先輩。こんな人に私は惚れていたのかって思いたくないですから」

「きついこと言うね、りっちゃん」

「そりゃあ、先輩はこれから頑張ってもらわないといけないんで、鞭打ちますよ!」

「そりゃどうも。後輩に心配されるようじゃもう何も言い返せないな、まったく」

「何言ってるんですか、後輩に勉強手伝ってもらってた時点でそんなプライドさっさと捨てないと!そんなんだから二浪するんですよ、先輩は。しっかりしてくださいね、本当に」

「そうだな…」

 そう呟くように返事をした僕は湧き上がる感情を抑えることが出来なかった。こんな惨めな姿を見せてもりっちゃんは僕の事を笑顔で鼓舞し、京香は病にめげることなく、僕の幸せを切に願っているのだ。溢れ出てきた涙は次から次へとこぼれ落ち、泣き止むのは無理だと僕は悟った。

「俺、頑張るよ」

「はい」

 僕の様子を見てりっちゃんはただ一言そう言うと同じように公園の外に広がる街の様子を漠然と眺めるのだった。

「私、そろそろ行きますね」

 どれだけ経ったのだろうか、涙も乾き虫達たちの鳴き声を十分なほど聴いて落ち着いた頃になって彼女はそう言って腰を上げてベンチから立ち上がった。

「そうだな」

 そう言って僕も立ち上がったものの、その腰はとても重く感じた。

「今日はありがとう。おかげでモヤモヤしてた気持ちがすっきりしたよ。俺、頑張るよ。彼女の為にも、応援してくれてるりっちゃんのためにも。今の俺には医学部に合格することくらいしか出来る事はないようだし。迷ったり、逃げたりしないで一生懸命頑張るよ。だからりっちゃんもさっさとこんな俺の事は忘れていい男を見つけて大学生活楽しんで」

「言われなくても、いい男さっさと捕まえますからご心配なく!」

 そんなやり取りをしてお互い笑いあったものの、僕らはお互いを見つめたままその場を去ろうとはしなかった。

「それじゃあね」

互いに沈黙したまま気まずい間が二人の間に流れ込む頃になって僕は意を決してそう言って別れを告げその場を後にしようとした。

「最後に一つだけいいですか?」

「何?」

 彼女に背を向け立ち去ろうとしたものの、彼女はそう言って僕を呼び止めた。僕はとっさに彼女の方に向き直すと彼女は僕の胸に飛び込み抱きついたのだった。

「最初で最後の我がままですから。少しだけこのままでいさせてください」

 そう言ってくる彼女に対して一瞬戸惑ったものの、迷った挙句、僕は彼女を優しく抱きしめることにした。

「ありがとう」

 彼女の耳元で囁くようにそう言うと僕は彼女をゆっくりそして優しく引き剥がした。

「それじゃあ」

「じゃあ…」

 彼女も気持ちの整理が付いたのだろう、目に涙を溜めてはいたものの互いに最後、言葉を交わすと共に手を少し振り、背を向け互いの帰路に向け歩を進めるのだった。

空を見上げると満月がとても綺麗で、僕を優しく照らしている事に気が付いた。


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