【第1話】気付いたら森の中
「あれ?」
ついさっきの話だ。
いつもの通り残業をこなし会社の外に出てみると、外はすっかり真っ暗で、
なんて言っても、家までは街灯や家の明かりなどで光が途切れることはないので
本当に真っ暗というわけではないのだが、まあそんな暗くなった道を自転車で帰っていたんだ。
でも今、自分は明るい森の中にいる。
帰ってから何をするかとか、他愛もない事を考えて、
ふと気づいたら、「あれ?」という感じだった。
実際に「あれ?」って言ったし。
見渡すとそこまで太くもない木が、広めの間隔で生えており、明るい空が見える。
なんとなく、空気も冷たいし朝方の印象だ。
潜めるようにしていた息遣いに、息苦しくなってようやく気付いた。
そのことをきっかけに思考停止は解けたが、今度は、どっちの方角に移動したら?
なんて考え始めてしまい、結局一歩も歩けていない。
1分くらい経って、周りに人影も野生の動物もいない事を確認して、
やっと自分の姿にも気が向けられた。
うちの会社は去年からスーツ着用は義務ではなくなって、派手すぎない私服という曖昧なルールになっている。
俺は今パーカー、ジーパンにスニーカーといういで立ちで、それはついさっき会社から出てきたそのままの恰好だった。汗のにおいもしている。
ただ、不思議なことに疲れは無くなっているような気がした。
「あ」
リュック、自転車がない事に気づいて周りを見回してみるが、見える範囲にはそういった人工物はなかった。
スマホは充電機につないでリュックの中に入れていた。
なので今は手ぶらだ。
ポケットを漁ってみるが、ジーパンにハンカチ、ティッシュが入っていたぐらいだった。
しかしさっきから俺にはある感情が湧き上がっており、それどころではなかった。
(もしこれが転生だったら、ふふふ)
「ステー・・・うわ恥ずかし」
転生の話は大好物だった。
職場の人たちともよく話をしたなあ。
だからこんな状況でも少し余裕があったのかもしれない。
「ケイタさんには是非、転生して貰いたいですね」
とは、職場の同僚から実際に言われたセリフだ。
でも残念ながら、自分のステータスをみる呪文を高らかに詠唱するのは、俺にはまだ早いようだった。
(どちらにしろ、とりあえず、この森を抜けよう)
とりあえず、ノーヒントで歩く方向を決めることにしたのだが・・・
(だめだ、全然わからない)
周りを見回しても、特に変わったところは見受けられない。
なので少しだけ考えた後、えいと最初から向いていた方向に歩きだすことにした。
風はあまりなく、自分の歩く音だけが聞こえる。
そして自分の足音を聞きながら、革靴でなかったのが救いだと思った。
(ちょいちょい草が生えているけど、日本では見たことがない形をしているな)
成人する前、実家にいる頃は親と一緒に野草図鑑を片手にソフトな登山をしていたので、思わず草に目が行く。
(・・・もしこれが転生だったら、若返ってから、でお願いしたかったが)
今年でもう37歳。
さっき確認した限りでは、出たお腹もそのままだった。
歩く分には問題はないが、小走りでもすぐにばててしまう状態。
1時間も歩けば腰とか痛くなる。
なので、少し座れるような場所がないか探しながらの移動に切り替える。
ちょっとした倒木があったので、少しずらして他のまだ立っている木を背もたれにできるように調整し腰を下ろす。
「くあ~・・・」
もう完全に年だなあと思いながら少し目を閉じる。
少し遠い場所でギーギーと鳥の鳴く声が聞こえる。
目を閉じるまでは意識もしなかった鳥の声だ。
3分だけ・・・と目を閉じているのは、会社で疲れが出てき始めた段階でやるようにしていた休憩法だ。
完全に疲れてしまう前に、小さな休憩をとると長く働けるという先人の知恵だ。
家に帰るとすぐに寝ちゃうのを、何とかやめたくって、サプリを試したり本を買って調べていた中にあった知識で、結構よかったので続いている。
ふと前の方から、カサ、カサという音が近づいて来ることに気が付いた。
俺は方向を見失わないように、進行方向を向いて座っていた。
なので音は俺が向かっていた方向から来ていることになる。
今更、身を隠すような木も、茂みもないので、俺はその音の主が現れるのを身構えながら待つことにした。
音のする方向には1メートルほどの高さの茂みがある。
葉の間から、白い何かがまっすぐ俺の方向に向かって4足歩行で歩いてくるのがわかった。
(というか、ネコだな)
白い姿を見つけてから10秒ほどで茂みのすぐ後ろまできて止まった。
(そこまで大きくない、子猫ちゃんの大きさかな)
「にゃー」
挨拶された?
「こんにちは」
とっさに、でもできる限りの優しめの声でそう返す。
すると猫がガサガサと茂みを突っ切ってこちら側に来た。
(あ、くる感じ?)
そして見えたのは、真っ白い毛に、緑色の目。
とても美しい子猫だった。
「こんにちは・・」
「にゃー」
猫はまっすぐこちらを見つめてくる。
少し見つめ合って、そしてネコはこう言った。
「転移者の方ですかにゃ?」
テンションが上がり、一気に血圧が上がったのを感じたが、表に出ないようになんとか抑える。
声は完全に猫から聞こえている。
口も動いているように見える。
くびを少しかしげていてかわいい。
「うん、気が付いたら森の中にいて、でも転移したかまでは。」
猫がしゃべっている所はあえてスルーして返事をする。
なんかすごいフワフワとするぞ! これはワクワクしているんだ、
気持ちがフワフワし過ぎないように抑えつつ、猫からの返事を待つ。
「うに。
その恰好はこの世界のものじゃないにゃ、転移者にゃ」
「おおお! そうかあ。」
なるべく声を抑えながらも感激を表す。
「なんだか、うれしがっているのにゃ?」
目の前の猫は、またちいさく首をかしげてそう言った。
誤字報告ありがとうございます。
反映させて頂きました!