表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
けあらしの朝 27  作者: 翼 大介
1/1

人生迷い道

 翌朝、博之はまばゆい朝陽に呼び掛けられたように目覚め布団から這い出した。時刻を確認すると6時を過ぎたばかりで普段の起床時間とさほど変わらない。昨夜は晩酌する量をちょっとオーバーする程度の飲酒だったゆえ二日酔いもない。佐久間は解散と言いながらも一人で何処かへ向かい今日もまた二日酔いで唸りながら寝てるいるのではないかなどと考えながらカーテンを開けると朝陽がダイレクトに瞼にぶつかった。

 (この様子だと梅雨入りはまだ先になるかな)

 富美恵は9時前後にチェックアウトすると言っていたから時間はたっぷりある。博之はコンビニに行って朝食を買おうとスニーカーをつっかけて外に出た。

 (さてと去年、彼女と神社で会った時には何を買ったんだっけ。同じ物を買いたいが思い出せんな。二日酔い気味だったから仕方ないか)

 無意識のうちに必要とは思えない験担ぎをしている自分がおかしく思えたが去年と違うのはコンビニへ向かう足取りの軽さだ。なにしろ去年は抱え込んでることがいろいろあって心身ともに疲弊していたのだ。結局コンビニで買い求めたのはおにぎりとサンドイッチにヨーグルト、缶コーヒーというありきたりの組み合わせに落ち着いた。帰り道に神社に行ってみようという気になった。別に今日のシミュレーションをしようというわけがあってのことではなく自然と沸き上がってきた説明のしようがない気持ちがそうさせた。

 (やっぱり俺は何かに期待して浮かれてるのかも知れない)

 部屋へ戻ると急いで食事を済ませ、浮かれてる暇にやることがあるだろうと洗面所へ向かった。営業マン時代には毎日欠かすことがなかった朝の髭そりと整髪を行うためだ。それをするのはけせもい市に戻ってからはM食品の面接当日だけだったのではないかと記憶を辿った。久しぶりに手にするシェービングクリームと電気カミソリがしっくり来ないことに苦笑した。

 (頭髪は仕事での幾重にもなる被り物でグチャグチャになるし休日も行き先はコンビニやパチンコ店くらいだ。誰かと会うなんてこともないし他人の目を気にする必要もない)

 だがしかし今日はそれに気を配る必要が生じているのだ。施津河まで富美恵を送るだけとはいえつかの間のデートには違いない。そう考えると夕べは失態を演じていたことに気がついた。仕事が終わってから急いで手櫛だけで髪を整え、髭も伸びたままだった。だから今日だけは違う自分で居たい。無意識に由里子の写真に話しかけていた。

 「おーい、今日はデートっぽいことをしてくるよ。お前に聞くのは筋違いなのは分かってるんだがいくら暑いと言ってもTシャツとジーンズよりポロシャツにチノパンが無難だよな」

 デートっぽいという自らの呟きに博之は思わずハッとして息を呑んだ。富美恵と二人で会うのは今日で終わりかも知れないが、今後もし真剣に交際する相手が現れたらデートのたびに写真の由里子に相談や報告をするのもおかしな事だと気づいた。髭を剃る手が止まり考えたが首を振って思考を止めた。

 (よけいなことを考えるのは後からでいい。今日はとにかく無事に富美恵さんを施津河まで送り届けることが一番重要なんだ)

 一通り身だしなみを整えると言うにはちょっとばかり怪しさの残る作業を終えて時計を見るとまだ8時を過ぎたばかりだった。車の中を掃除しようとしたが休日に乗るくらいなので散らかってもいないし汚れもほとんどない。ただ残念なことに女性を乗せることなど当分ないだろうと車内は後方を見やすくするために取り付けたワイドミラーくらいしかアクセサリーのような物はないという殺風景さだが今さらどうにもならない。せめて外側だけでもうっすら付着している埃や泥んこを拭き取ろうとバケツに水を汲んで雑巾を絞った。






 誰もいない社務所前で待つこと約5分。富美恵が息を切らしながら階段を登って来た。去年と違い手提げバッグ一つだけという身軽な格好に博之は一瞬釘付けになった。

 「おはようございます。夕べは久しぶりに楽しい時間を過ごせました。今朝起きたら当たり前のことですが冬と夏では太陽が昇り始める時間も位置も全く違うんだということを初めて意識しました。そうそう昨日見てもらおうと思いながら出しそびれてしまったんですがこの写真見てください」 

 富美恵は少しはにかみなが手提げバッグを開けると1枚の写真を取り出した。

 「これはけあらしじゃないですか。そうか去年帰り際に何枚か撮ったんでしたね。綺麗に写ってますね。僕は冬になればいつでも見るチャンスがありますから写真など撮ったことがないんです。しかしこれを見たら去年ここで貴女と会った時のことをだんだん思い出して来ましたよ」

 「私もです。初対面なのにへんてこな会話になっちゃったんですよね」

 「僕は前の晩に飲んだ酒が残っててやや二日酔い気味だったんです。そのためにあんな馬鹿げた話し方が臆面もなく飛び出したのかも知れません」

 博之は半年前の事を二日酔いに転嫁したが富美恵については一度きりの邂逅あるいは旅の恥はかき捨てという思いからあのような会話が成立したのだろうと勝手な解釈をした。ところが二度目の出会いがあった以上は継続したい、そんな思いが沸き上がって来るのを感じた。これから行うことはデートなのだ。暗示をかけておきながら言い訳がましい言葉が出てしまった。

 「こんなショボい車でガッカリしたでしょう。仙台では普通車に乗ってたんだけどけせもいに戻ってからは自分一人だし遠出することもないだろうと軽自動車に変えたんです。施津河までは一時間ほどですから勘弁のほどお願いします」

 博之の一人相撲めいた態度にも富美恵はなんら反応を示すことなく落ち着いた返答をした。

 「決してそんな風には思いません。私は東京での移動はほとんど電車ばかりでしたからこちらに来て自動車であちこち用を足すという生活のスタイルがとても新鮮で刺激的なんです。ですから今日も一時間といえど施津河までの道中がとても楽しみです」

 「そのように言ってもらえると助かります。そうだ富美恵さんは夕べ実家のことを何か話したい素振りが窺えました。差し支えなかったら僕が聞いてあげても構いません。施津河に見晴らしのいいKホテルがあるのはご存知ですよね。そこで食事をしながら話しませんか」

 知り合って間もない相手に持ちかける話としては不適切だと分かっていながらも気になって仕方がなかった。富美恵が拒絶すればそれで終わりにして話題を切り替えれば良いだろうと思いきって踏み込んだ。

 「あの湾内の全景を見渡せるホテルですね。晋作さんの民宿からすれば大き過ぎるライバルだけど私は一度行ってみたかったんです。ぜひそうしましょう。実家のことは愚痴も混じりますが聞いてくれますか。でも車中では触れないことにしますね」

 博之は富美恵の気配りに感謝した。いつもなら気ままに好きな音楽を聴きながらハンドルを握っているが、重い話を振られたらそれに気を取られることもあるかも知れない。

 (まあ、実家だけのことじゃなくて見知らぬ土地で暮らすのは俺が考えてる以上にプレッシャーがいろいろあるに違いない。しかし恋人じゃない位置づけの女性を乗せるのは仕事は別にして母親以外初めてなんだよな)

 博之はちょっとだけ今まで感じたことのない緊張を覚えたがそれは何故かある種の心地良さをもたらしてくれた。



 施津河までの一時間は瞬く間に過ぎた。富美恵は約束通り実家の話を持ち出すことなく東京での生活を中心に当たり障りない話題に終止したので博之も多少の緊張感があったものの運転に集中することが出来た。

 Kホテルは道路沿いの小高い場所にあって湾内で船釣りをしていてもそこだけが切り取られたような風景にさえ思えるような造りである。博之も訪れたことは過去に数回あるが足を踏み入れるのは本当に久しぶりだ。富美恵はロビーからの眺めに感激していたが、博之も同じようにいつもなら船から見ていた景色が陸から見るとこんなだったのかと観光客目線で湾内を眺めた。ひとしきりその眺めを堪能したあとホテル内のレストランへと向かった。無難にランチのオーダーを済ますと富美恵はすぐに実家の話を切り出した。博之は聞き役に徹するつもりでいたが意見を言わなければならないこともあるだろうからと情景を頭に浮かべながら富美恵の話に耳を傾けた。

 「私の実家では機械部品の製造販売を営んでいます。規模はそれほど大きくはありませんが販路を拡大して少しずつですが収益は上がっているようです。今は兄の和明が社長として陣頭指揮をしてますが元々は祖父が始めた鉄工場が母体で父親が現在の土台を築きました。兄は本当はジャーナリストになりたいって言ってたんだけど父からお前には無理だし俺はああいった生産性と無縁な仕事は好きではない、黙ってウチの仕事をしろと言われたらアッサリ承知して家業を継ぐ選択をした。だからジャーナリストになりたいと言ったのはそれほど本気じゃなくていっときでも家業の呪縛から離れたかったんだと思うんです」

 「なんとなくですがお兄さんの気持ちは理解出来ます。僕の場合は努力することなしに海洋調査の仕事を目指すことを簡単に諦めてしまいました。そして営業という仕事からも苦手だからという理由で逃げるように辞めた。お兄さんもあるいは逃げたのかも知れませんが考えた末の選択だったんじゃないかな。家業ならば小さいうちからずっと見ていて分かる業種ゆえ飛び込み易い。同じ立場だったなら僕も迷わず同様の事をしたでしょう」

 「でも兄は言い訳めいたことも口にしました。確かに俺は親父の敷いたレールに乗ったかも知れないが違う視点からそうしたんだ。いいかレールってのはいわば鉄道だろう。ならば駅の改装、新しい車両の導入とか鉄道の仕事に置き換えて考えるんだ。やることはいくらでもある。普通なら敷かれたレールに乗った人間てのは安心して面倒くさいことには手を付けず淡々と無難にやろうとするもんだ。そこには親の意向を無視出来ないという縛りもあるんだが、俺はそんなものは関係なくもちろん重要性のあることは親父と相談するが惰性でやるつもりはない。そこまで聞いたところで兄はなんとまあ大風呂敷広げたと思った。それでも好景気の時は勢いがあったけどだんだん行き詰まりを感じたんでしょう。私に、いえ正確には恭一さんに助けを求めるようなことを言い出した。畑違いの業種の人だがあんな人材が欲しいって。私は冗談じゃないって断りました。私と恭一さんにはこの施津河でスクーバダイビングや釣り、サンセットクルーズ等を取り入れた民宿を営む夢があったんです」

聞き終えて博之は少しばかり間を置き富美恵に推理めいた返答をした。

「僕の想像なんですが恭一さんが不慮の死をとげたことによってその夢は頓挫した上に貴女は仕事も手につかないくらいの精神的ダメージを受けてしまった。それならば実家へ戻って養生して気持ちが落ち着いたら税理士の知識を活かして経理部の一員として働いてもいいんだというような事をお兄さんから言われたけれども断った末に施津河で暮らすことを考えた」

 「そうですね。ほぼ笹山さんのおっしゃる通りです。あらなんだか初対面の時に探偵さんがどうのとか言ったことを不意に思い出しました」

 昨日からの流れで二人ともかなり砕けて来たようで特に博之はかなり肩から力が抜けたようであるが続けて富美恵の口から出た言葉はまだ恭一を失った悲しみと今後の自分はどうすべきかといった悩みがごちゃ混ぜになっていた。

 「兄からは経理はもちろんですがマネージメントの方にも力を貸してくれと言われましたが私にはそれは無理な相談です。とにかく仕事からいったん離れたかった。そして施津河に来たのはいいんですがその先のことは全く白紙なんです」

「それは時間が解決してくれます。答えはおのずと出てきますよ。いずれ何らかのアクションを起こさなければならない時が来ます。僕の場合はけせもい市に戻ってほどなくM食品の面接を受けたのがアクションでしたが運よく採用されて今に至ってますけど仕事自体は仙台に居た頃の方が楽だったかなと思います。工場という仕事を甘く見てました。転職しても結局は壁にぶつかりっぱなしですよ。富美恵さんは僕なんか逆立ちしても取得出来ない税理士という資格があってそれに伴うスキルもたくさん持ってますから1年と言わず3年くらいのスパンで考えても大丈夫じゃないかな。でもそれ以上になると綻びや錆が出てくるように思います」

「私はやはり施津河に来て正解だったようです。あのまま東京で仕事を続けていたらミスを連発していただろうし実家へ帰っていたら兄と衝突する毎日が待っていたでしょう。ここには同じ境遇の先輩がいて話を聞いてもらえたし後押しもしてくれた。あらいやだ、私ったら同じ境遇の先輩だなんて失礼な言い方ですね。すみませんでした」

「気にしないでください。先輩も何もありませんよ。富美恵さんは同い年ですよね。だから話もしやすいしそれに聡明で毅然とした方で良かった。そうでなければ僕の方から愚痴や傷を舐め合うようなことを言い出していたかも知れません」

 梅雨入り前の太陽に照らされた海は淡さと眩しさの中間くらいの輝きを放っていた。二人の視線がそれに向いた時、博之はスケーターがターンをするように話題を変えた。

 「今日は暖かいですがこれから梅雨に入るとここは海から湿った風が吹いて肌寒い日もあるんですよ。だから長袖の衣類はまだ仕舞わないでください。炬燵が必要になることさえありますから」

 富美恵は眼下に広がる光景を見て博之が今言ったことが信じられないと思ったが確かに晋作の家ではまだ炬燵は出しっぱなしだ。

 (日本は狭いようでやっぱり広いんだということがよく分かった。東京じゃ今頃は半袖で何の心配なく過ごせるもの)

 そして博之に郷に入れば郷に従えってことですねと言ってにっこりと笑った。博之はその横顔を空と海が共演して作り出した青い眺めよりずっと美しいと思ったが気取られないようにそろそろ行きましょうかと声をかけた。送り届けた後の帰り道はもちろん一人きりだがいつものように好きな音楽を流さなかったのは余韻に浸りたかったからだ。車内から再び空と海の青さと富美恵の笑った横顔を対比してみた。山の木々もそれに同調するように一際鮮やかに博之の目に映った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ