ヒルコ
イザナキとイザナミの間に生まれた子です。
しかし、両神はヒルコを自分達の子供とはせず、小舟を作って海に流してしまいます。
なぜイザナキとイザナミはこのような行動をとったのか、それには理由があります。
イザナキとイザナミは神代七代の最後の男女神として成ります。
神代七代はユニット名だという解釈で結構です。
そして両神は神々の総意によって、地球を治めることを言い渡されます。
(ここの神の総意は、日本の成り立ち、ひいては日本人精神にとって重要なところだと、専門書に書いてあることがあります。興味のある方は是非、お近くの書店へ)
イザナキとイザナミはアメノヌボコという槍を渡され、地球へ行きます。
その時の地球は出来立てホヤホヤ、陸はなく、水と油がプカプカ浮いてるだけの星でした。
そこで両神はアメノヌボコを液面に差し「こおろこおろ」と混ぜ槍を抜くと、矛先から砂が滴り陸になったのです。
両神はその陸に降り立ち、大きな柱を立て立派な社を作りました。
はじめての共同作業を終えていい雰囲気になるお二柱。
結婚の儀式を始めました。
(この二柱、実は兄妹なのですが、神話ではよくあることなで、軽くスルーします。それから結婚の儀式の前にあった性を意識しだす場面もここではカットします)
結婚の儀式は男女がそれぞれ別方向から柱を一周しであったとこで声をかけるというもの。
先ずはイザナミが声を掛けました。
「あら、素敵な殿方だわ」
次いでイザナキ。
「ああ、なんて美しい女神なんだ」
これでめでたく夫婦になりました。
しかしこの儀式、手順が違いました。正しくは男から声をかけなければなりません。
(ここは男尊女卑にあたるあたらない議論が勃発するところです。人によって考えが違いますが、個人的には竹田恒泰氏の「古事記完全抗議」にある説が一番好きです)
儀式を間違えたと思いながらを二柱は初夜を迎えます。
その時に出来た子供が、ヒルコです。
しかしヒルコには四肢がありませんでした。奇形児だったのです。
これは力の強い神が神聖な儀式を間違えたことで、子が穢れてしまったのです。
ヒルコは三歳になるまで育てられましたが、一向に四肢が生えず、蛭のように身をくねらせて今した。
両神はこの子を自分達の子供に数えないとして海に流しました。
以降、ヒルコが古事記に登場することはありません。
このエピソードは、日本の成り立ちを記す古事記に必要な話だったか、専門家の方々は色々な考えを本にしています。
そのたくさんある説がどれも面白く、物語の主人公向きだったのです。
「願わくは」ではヒルコは主人公として生き生きと冒険しています。
本当は神力についてもかきたいのですが、ここでは控えさせて下さい。追々、明らかにします。
古事記を一つの小説と捉えたときに、最大の魅力になるのが、好きなキャラクターに現実に会いに行けることです。
なのでここでは最後に会いに行けるスポットを紹介したいと思います。ただ、私は鹿児島人なので、どうしても地元に偏りが生まれます。その点はご了承下さい。
西宮神社 兵庫県
海に流されたヒルコが流れ着いたという逸話があります。
蛭児神社 鹿児島県
こちらもヒルコが流れ着いたとされています。
境内近くには、ヒルコが乗っていた楠の小舟が芽を出して、辺り一面の森になったという奈毛気の杜があります。
私はこっちが正しいと思ったいます。完全に身内贔屓ですが。