五
『キン、キン、キン、〇三五四。我、敵艦隊を発見す。航空母艦一、巡洋艦、駆逐艦推定八、位置ニュージョージア島南方二百四十三度四十二海里、速力およそ十五ノット』
緊急符号である『キン』を冒頭に付けて、相田が打電する。
「良し、これで最低限の仕事はこなしたな。残るは……」
速度差を活かして後方を取り、射撃して来る敵機を寸での所でかわし、そのまま上昇反転。
そして背面飛行に移った瞬間に半回転のロールを打ち、水平に戻す。
そのまま間髪を入れずに機首を落して急降下し、ロールを続けながら、もう半回転。
空戦技術であるインメルマンターンとスプリットSを組み合わせた、それは言ってしまえば縦方向の宙返り。
しかし零観の優れた運動性に加え、坂巻の卓越した技量によってその軌跡は信じられない程に小さな円を描き、瞬く間に敵機の背後を取った。同僚の零観乗りから『坂巻反転』と仇名されている、彼の必殺機動であった。
視界の上方から、敵機がすっと降りて来て眼前に収まる。敵グラマンの不細工な程に太い胴体が照準器一杯に広がった瞬間、坂巻は引き金を引いた。
敵機の右翼から胴体後方にかけて命中弾がはじけ、火花を散らす。
しかし――
「堕ちない!?」
それなりの命中弾を与えたと言うのに敵機はそのまま馬力に物を言わせて急加速し、一旦離脱する。信じ難い防御力だった。
「くそっ! 硬い! 7ミリの豆鉄砲じゃあ、こんなもんか!」
さしたる損傷を受けた様にも見えず離脱していく敵機に、坂巻は思わず歯噛みした。
そもそも戦闘機でも無い零観には、7,7ミリ機銃二丁という貧弱な武装しか装備されていない。これで防御力に定評のある米軍機を撃ち落とすには、脆弱な操縦席の一点を狙うより他は無かった。
(さて、そうそう上手くいくか……それでも!)
攻撃隊に打電をした今となっては、もはや一刻の猶予も無い。刺し違えてでも敵機を墜とす意気込みを胸に、坂巻は敵機を追撃した。
全てが秒単位で決着してしまう航空戦は、巨大な戦艦が隊列を組んで堂々と海原を突き進み大砲を撃ち合って雌雄を決するといった、かつての海戦を根本的に覆した。
『敵艦隊発見』の報を受けた竹中達攻撃隊は、鈍重な雷装機を再び空に舞い上がらせ、敵レーダーを避ける為に島影に沿いながら、あらん限りの速度で急行していた。
程無く夜が明けて、艦載機の発艦が可能になる。なんとしてでもそれまでに到着し、攻撃を敢行せねばならない。
竹中は本来の七割も速度の出ていない零水偵に鞭を入れつつ、現場海域を目指していた。
その、待ち受ける海域では坂巻がメッツ少尉機と、宮本がウェリントン大尉機とそれぞれ死闘を繰り広げている。
彼等も、攻撃隊が到着するまでにどうにかして敵機を墜そうと必死の戦いに挑んでいた。
精々が、あと十分程で終了する。
しかし、『秒』の世界で戦っている彼等にとって、それは永遠にも感じる時間だった。
「中々、良い動きするじゃねえか。新型はッ!」
宮本は全身に掛かるGと激痛に耐えながら苦しそうに、それでもどこか嬉しそうに吼えた。
「かすり傷とは言え、俺に一発食らわせたんだから……大した、もん……だ、よ」
彼を襲う激痛は、旋回によるGがもたらすものだけでは無かった。
先程の攻撃で受けた敵弾は大した数では無かったが、その内の一発が操縦席左後方より宮本のわき腹を掠め、さらに機体の破片がそこを切り裂いていた。
飛行服が、血でじんわりと黒く染まっていく。
それでもなお、宮本は闘志に満ちた視線で敵機を睨み、旋回を続けていた。
彼の視線の上方に、敵グラマンの尾翼が垣間見える。
あと少し摘める事が出来れば射程に収める事が出来るのだが、敵もさる者、その一歩を中々許さなかった。
宮本とウェリントンは月光の下、見様によっては優雅な、まるでワルツを踊っているかの如く廻り続けていた。
戦闘機同士の格闘戦を、アメリカではドッグファイトと呼んでいる。
二匹の犬が、お互いの尻尾を噛み合う様に回り続けて戦う所から付けられた名称であるが、やはり彼国の品性の無さが如実に現れた言葉に思える。
ちなみに日本では『巴戦』と呼び、こちらはどこか優雅な趣きすら感じるのは、ひいきのし過ぎだろうか。
二機の戦闘機は互いの背後を取ろうと、縦に横にひたすら廻り続ける。
激しいGに全身を押し付けられている宮本の口元から赤い雫が一筋、滴り落ちた。
「畜生……こいつぁ、早いとこ仕留めねえと……いけねぇな」
「くそっ、こいつはとんでもないホンチョだ。あんなバカでかいフロートを付けて、どうしてこんな機動が出来る?」
ウェリントン大尉はコクピットの中で自分の失策を呪っていた。
いかに相手が熟練者とはいえ、所詮は鈍重な水上機。アメリカが誇る最新鋭戦闘機であるF6Fを持ってすれば、ドッグファイトにもつれ込んでも充分に勝算は有る。
そう、思っていた。
だからこそ、僚機であるメッツ少尉をもう一機の追撃に回し、敵の思惑通り格闘戦に持ち込んだのだ。
ところが――
敵機はまるで燕の様に俊敏で、そして悪魔の様に狡猾だった。
海面すれすれを飛んで射撃を避ける敵機を追いかける内に、気が付けば大馬力の優位を殺される超低空でのドックファイトに引きずり込まれ、いつの間にかバックを取られた後はひたすら追いまくられていた。
ウェリントンも腕に覚えのある身であるから、それでも機会を見て上昇離脱し、反撃に転じようとしているのだが、後部上方に陣取った敵はそれを許さず、かと言って旋回で振り切ろうにも振り切れず、もはや手詰まり状態に陥っていた。
それでも決定的な状態に陥らないのは、これまでのF4Fとは桁違いに高いエンジン出力と運動性を持っているF6Fのお陰であった。
(しかし、このままでは埒が明かない。何とかしてきっかけを)
そう考えつつ、機体を左にバンクさせ急旋回を打った時、つと敵機の追尾が逸れた。
「しめた!」
それを好機と判断したウェリントンはそのまま機を水平に戻すと上昇に転じ、大馬力にモノを言わせて振り切ろうと試みた。
しかし、それこそが宮本の放った罠なのであった。
急上昇を開始したウェリントンが後方を確認した、その時。下方を右方向に飛び去ろうとしていた敵機が信じ難い勢いで自身に機首を向け、上昇した。
「ジーザス!?」
二式水戦の母体である零戦には、一つの特徴が有る。
左への旋回が、異様な程に速いのである。プロペラの回転モーメントを利用しているとか、設計時に出た微妙なバランス誤差がそうさせているとか諸説があるが、その左への捻り込みの速さは当然二式水戦にも受け継がれていた。
そして――
宮本はこの空戦において、あえて左の捻り込みを封印していた。鈍重な水上機(それでもその機動は米軍の戦闘機に引けを取らないのだが)を演じる事により、敵に認識を狂わせ、ここぞと言う時に必殺の捻り込みを入れて、決着をつける。
宮本の思惑は、正に的中した。わざとオーバーランした様に見せかけると、敵は誘いに乗って急上昇を掛けた。
それを読んでいた宮本は、左方向への捻り込みを加え機首を上方に向ける。そこにはウェリントン機の無防備な機体背面が一直線上に交差していた。
次の瞬間、宮本機の機銃が火を噴いた。
火弾は、信じられないものを見た形相で固まっているウェリントンの体を貫き、その意識を永遠に消し去った。




