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「何とも面白くなってきましたなあ」

 桟橋のたもとで釣り糸を垂らしながら、相田が暢気な口調で言った。

「ああ。あの昼行灯め、上手い事俺達をくすぐりやがって」

 同じく桟橋で釣竿を片手に、坂巻が答える。しかしその目付きと態度は、相田とは真逆に剣呑なものだった。

「竹中さんなんか、魚雷を撃てるってだけでご満悦ですからね、っと。ほいもう一匹」

 軽やかな竿さばきで、相田が極彩色の熱帯魚を釣り上げる。その朗らかな表情は、坂巻の目付きを更に悪くさせた。

「……どうしてお前ばっかり。おい、ちょっとその竿寄こせ。俺のと交換しろ」

「はっはっは、弘法筆を選ばず。かまいませんよ?」

 互いの釣具を交換し、釣りを再開する。しかし、いくら続けても結局魚を釣り上げているのは相田だけであった。

 釣りに興じる坂巻と相田を尻目に、宮本は邀撃待機のつもりなのだろうか、係留している二式水戦の翼の下で大鼾をかいて寝ていた。枕にしているのはなんと、信管を外した三十キロ爆弾である。

「ふん、やってられるか! 何が悲しくて、作戦行動中に魚釣りなんぞせにゃあならんのだ」

 ついに癇癪を起こした坂巻は釣竿を投げ捨て、苛立たしげに立ち上がる。

「休養して英気を養うのも、搭乗員の大事な仕事ですよ。それに、食料調達もこれはこれで大切な仕事です。腹が減っちゃあ戦もできぬ。っと、もう一匹」

 釣果の無い坂巻にあてこする様に、相田が釣り上げた魚を手にしてにやっと笑う。

「機長はせっかち過ぎるんですよ。魚もね、敵艦隊探すのと一緒で落ち着いてじっくりと掛からにゃあ、いかんのです。魚も敵さんも、こっちの都合じゃ動いちゃくれんのですよ」

 今作戦で最も重要な役目を仰せ付かった相田は、きっとその緊張をほぐす為なのだろうか、嫌がる坂巻を無理矢理誘って釣りに赴いていた。かれこれ二時間は続けているだろう。持参したバケツには、(その色彩はともかく)搭乗員全員の夕餉を豪華にできる程の魚が詰っていた。

「……ふん」

 つまらなそうに鼻を鳴らして、坂巻は釣竿を拾い桟橋にどっかと腰を降ろした。


 穏やかな海風が頬をくすぐる。

 熱帯特有の強い日差しをヤシの葉が遮り、彼等に一抹の涼を与える。

 紺碧の海は静かに凪ぎ、眠気を誘う優し気な波音を寄せている。

 この瞬間だけを切り取れば最前線の、しかも作戦行動中の部隊とはとても思えない。

「正味な話、機長は今回の作戦どう思います?」

 相変らずに暢気な口調で、相田が言った。

「まあ、上手くいってもいかなくても、生きては帰れまいね」

 これも気軽な口調で、坂巻が答える。

「しかし相田よ。もしもこれが上手い事行ったら、そりゃあ痛快だぞ」

「ええ。ショートランドの連中、地団駄踏んで悔しがるに違い無いですねえ」

「まったく。あの昼行灯さまさまだ」

 坂巻が『昼行灯』と揶揄する敦賀分隊長が考案した作戦は、確かに痛快と言える内容だった。



「横溝の指摘する通り、通常、輪形陣の中央に位置する空母に鈍足の水偵で攻撃を仕掛けるのは無謀だ。いっそ不可能と言っても良いだろう。しかし――」

 敦賀は居並ぶ搭乗員を見据えて、言葉を続けた。

「空母はその性質上、艦載機を発艦させる際に輪形陣を解き、風上に向けて直進する必要がある。その無防備な瞬間を狙って攻撃すれば、勝算は充分に有る」

「しかしですね、そんな都合良く事が運びますか? 僅か数十分しかない機会を、どうやって探るんです?」

 今や失礼を通り越して無礼とすら言える横溝の反論に、それでも敦賀は顔色を変ようとはしない。

「それを可能にするのが、諸君のゲタバキである。これは、諸君ら水上機にのみ、可能な作戦と言い切れよう。只今より、概要を説明する」

 自分を訝しげに見つめる搭乗員達の顔をひとしきり眺め、敦賀は話を続けた。

「今夜半、当基地を出立した諸君はニュージョージア島近海にて一旦着水。雷装した竹中と横溝の零水偵は島影にて待機。坂巻機と宮本機はそのまま該当海域を索敵し、敵艦隊の発見に努める。首尾良く発見したら雷装機は離水し、好機を見計らって突撃。竹中、横溝両機は雷撃を敢行し、坂巻機と宮本機は上空援護に回る――これが、当作戦の概要である」

 一通りを説明した敦賀は、再び搭乗員達の顔を眺める。

 そこには、彼が予想した通りに『開いた口が塞がらない』面々があった。



「まあ、不安要素を数えたらキリが無いですがねえ。逆に考えると、こんな殴り込みみたいな事する他に手は無いんですよねぇ」

「はは。こんなもの、まともな作戦とは言えんよ。それこそ『窮鼠猫を噛む』という奴だ」

 相田の言葉に、坂巻も苦笑を返す。

「しかし、だからこそ俺達に相応しい。もはやこの海域の我が軍は、どこから見ても窮鼠でしか無いからなあ」

 実際、敦賀の立案した作戦はとても褒められたものでは無い。どこまでも希望的観測に満ちていた。

 まず第一に、敵艦隊が彼の予想通りにソロモン水道を直進して来る保証はどこにも無い。

最悪、当ても無く索敵している所を水道の北方、あるいは南方に迂回した艦隊から発進した敵航空機に邀撃され、遭えなく全滅という事も充分に考えられる。

 第二に、搭乗員に、あまりにも無茶を強いている。

 通常、爆装や雷装をした航空機をそのまま着地させる様な事は(今回の場合は着水だが)、まず有り得ない。

 万が一、着地したショックで懸架装置が外れでもしたら、嘆く間も無く木っ端微塵である。なので通常作戦時には、未使用の爆弾や魚雷は着地前に海上等に投棄する事が義務付けられているのだ。

 只でさえ難易度の高い夜間の離発着をさせる上に、重量過多の魚雷を装備。彼等の様なベテラン搭乗員に取っても、文字通りに荷の重い作業である。

 第三に、そもそも敵空母への雷撃そのものが絶望的に困難である。

 今や、戦艦を凌いで最重要攻撃目標とされている空母は常に艦隊の中心に位置し、多数の護衛艦艇に護られている。

 そして、もしも敦賀の思惑通りに首尾良く単艦で直進している瞬間を狙う事が出来たとしても、防空能力を重視している米艦艇はたとえ空母と言えども侮れない対空火力を有している。ただでさえ鈍足な上に、雷装までして速度の落ちたゲタバキ機がはたして近付く事が出来るのか、全く持って心許ない。

 ……しかし、そんな最低な作戦にもかかわらず、坂巻達搭乗員の戦意は異常と言える程に高まっていた。

 そこには見敵必戦の海軍魂に加え、彼等が奮起する事によりショートランドの友軍を救う事が出来ると言う責任感。さらには『海軍のはみ出し者』である彼等が大きな戦果を挙げる事により、上層部を見返す事が出来るかもしれないと言う痛快感が存在していた。


遂に、男子一命を賭すに値する戦いが出来る――


先刻から、垂らしていた釣り糸の浮きがしきりに沈んでいる事にも気付かず、坂巻は静かに闘志を燃やしていた。

 

 

 そうこうしている内にやがて日は沈み、夜の帳が辺りを包み込んだ頃。ショートランド本島より魚雷を積んだ大発が到着した。

 整備員達が突貫工事で水偵に魚雷を装備し、各機体を入念に調整する。彼等もまた様々な理由でこの島に飛ばされて来たはみ出し者達であるのだが、それだけに今回の作戦には坂巻達搭乗員と同様、裂帛の意気込みがあった。

 機体を万全な状態に整備して搭乗員に引渡し、その性能を最大限に振るってもらう。それが、彼等の戦いなのである。

 そんな整備員等の奮闘を天幕の隙間から覗いていた敦賀は、振り返って召集していた搭乗員達に視線を戻した。

「済まないな。諸君等の命を、小官にくれ」

 各員に水杯を回し、そう呟いた敦賀は普段の昼行灯を決め込んでいる時とも、部隊を鼓舞する為に馬鹿笑いをしていた時とも違う真摯な瞳で、搭乗員一人一人の顔を見据えた。

「そう言わんで下さい。分隊長のお陰で、こんな痛快な任務にありつけたのですから」

 最先任士官である竹中が、一同を代表してそう答えた。

 見れば、坂巻も、相田も、宮本も。そして文句しか言ってなかった横溝すらも、闘志に満ちた瞳で敦賀に視線を返していた。

 たとえ、そこに死が約束されていたとしても――

 自己の全力を尽くし、任務の達成に向けて邁進するのが帝国軍人である。彼等の瞳には、微塵の迷いも見出せなかった。

「うむ。誠に困難な作戦であるが、各員奮励努力し、遂行に努めてほしい」

 誠実な態度で語る敦賀に、坂巻は、

(これが、大尉の本当の姿なのだろうな) 

 と、場違いな事を考えていた。



 同時刻。米海軍ツラギ泊地――


「まったく。僅か一年でこんな艦を建造できるんだから、我が国は大したものだ」

 ウェリントン大尉は、乗艦である新造空母『インディペンデンス』の格納甲板から、発進準備を急ぐ艦隊を眺めながら呟いた。

「本国じゃあ、もっとバカでかいエセックス型空母を次々と量産しているらしいですからね。F6コイツの配備も始まりましたし、これでもうジャップに遅れを取りませんよ」

 僚機のメッツ少尉が陽気に追従する。

「ああ。これで、あの小憎たらしいジャップ共にようやく復讐できる。パールハーバーでの屈辱を百倍にして返してやろうじゃないか」

 凄味のある目付きで、大尉はそう言い放つ。

 開戦当日。ハワイのヒッカム飛行場に配備されていた彼は、日本軍の奇襲により眼前にて多くの仲間を失っていた。また自らも迎撃に上がったものの、あの恐るべきゼロファイターの餌食となって海上に不時着し、死の瀬戸際を彷徨うという屈辱を味わっている。

 以来、日本軍に対する敵意を暖め続けていた大尉だが、中々実戦に参加する機会は訪れなかった。

 彼が傷を癒している内に、珊瑚海海戦や、敵の失策で辛うじて勝利を掴んだミッドウェーの海戦、そしてソロモンを巡る幾多の戦いでさしものアメリカ海軍も疲弊し、一時は稼動できる空母が一隻も無い時期さえあった。

 しかし、世界に冠たるアメリカの国力と工業力は伊達ではない。

 今年に入ってからは、開戦直後に建造を開始された二十隻以上に及ぶエセックス型正規空母、そして小型ながらも充分な性能を有するインディペンデンス型軽空母等、新世代の艦艇が続々と竣工し、戦力化されていた。

(見てろよ、ジャップめ。生まれ変わったアメリカ海軍は一味違うぞ)

 振り返って格納庫を見渡すと、真新しい戦闘機や爆撃機、雷撃機が所狭しと並んでいる。彼は、その中でも一際異彩を放つ、マットブラックに塗装された愛機を見詰め、獣の様な笑みを浮かべた。

 足元で機関音が鳴り響き、ゆっくりと船が動き出した。


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