表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8


「総員退避せよ。見張りもいらんぞ。どうせ見ていても何も出来ないんだからな」

 敦賀大尉が緊張感のかけらも無い、それでいて妙に的確な指示を飛ばしていた。

 部隊員達が慣れた仕草で持ち場を離れ、密林に身を隠す。坂巻達もまた、脱兎の如く幕舎を飛び出して手近な森林に身を隠していた。

 程無くして根拠地周辺に敵艦砲が着弾し、轟音が響き渡った。

 しかし、その規模はお世辞にも驚異的とは言い難く、また狙いも適当だった。

 最初の内こそ森林内で様子を見ていた敦賀大尉も、

「ふむ。こりゃあせいぜい駆逐艦が一~二隻程度だな。攻撃と言うより嫌がらせみたいなもんだ」

 と呟くと、演技なのかそれが地なのか、ごろんと寝転んで煙草など吸い始めた。

 別の場所に避難していた坂巻達も同じ様な事を思っていたらしく、相田などは、

「まったく、安眠妨害にわざわざ駆逐艦持ち出すたぁ、相変らずアメちゃんは景気がいいですなぁ」

 などと嘯いていた。

「うむ。それにしても今日の連中は射撃が下手だな。こんな仕事で給料もらえるんだから羨ましい奴らだ」

 坂巻も、あえて大きい声で相田に言葉を返す。

 実を言えば二人とも少なからず恐怖感を抱いているが、そんな事はおくびにも出さない。

 何故なら彼等の目の前で、この島に飛ばされて間もない若年の整備兵達が数人、抱き合って恐怖に打ち震えていたからである。

「いいか貴様等。ソロモンに居ればこんな事は日常茶飯事だから、すぐに慣れなきゃいかんぞ? 今日は良い機会だから、先任士官が色々と教えてやる。しっかりと身に付けて生き残る様に」

 彼自身、教官役を努める事で現実から逃避しているのだろうか。相田は、まだ幼さの残る新任整備兵達に空襲時や敵艦襲撃時の心得を教授していた。

「良いか。今こうやって聞こえるように、ヒューンヒューンと風を切る音が長く聞こえている時は、その砲弾は比較的遠くに落ちるから恐れる事は無い。ヒューンという音が途中で途切れるのは本当の至近弾だから、これは危ない」

 そう相田が説明した時、聞こえていた風切音が突然途絶える。

次の瞬間、間近で敵弾が炸裂した。

 爆風を受けて瀕死の形相で固まっている新兵達に、坂巻は泥だらけの顔に無理矢理笑みを貼り付けて、

「な?」 

 と促す。

 新兵達は、蒼白な顔をガクガクと縦に振り、頷いていた。


 結局、その日の敵襲は十五分程で終了した。

 幸いにもムラムラ島根拠地に大した被害は発生しなかった。人的被害も無く、島内各所に分散してあった飛行機にも被害は出ていない。彼等の真の狙いはショートランド基地であり、実際基地には相当な被害が出ていたのだが、ムラムラ島は「行きがけの駄賃」程度にしか思っていなかったのだろう。

 ガダルカナルを奪回されて以来、ソロモン水道は米軍の庭となり、海域の各基地はこの様に水上艦艇の襲撃まで受けるようになっていた。


 そして、この夜の敵艦隊襲撃が帝国海軍上層部に、ついにショートランド撤退を決意させたのであった。



 翌朝。

 敵の襲撃後に開始された復旧作業もひと段落し、徹夜で働いていた作業員達にやっと休息の指示が出されたのも束の間、分隊長より総員招集の命令が出された。

 早朝から整備員と共に機体の整備点検を行っていた坂巻達搭乗員が指揮所に到着すると、珍しく真顔の敦賀分隊長が天幕より現れ、訓示が行われた。

「今朝、司令部より『ショートランド基地を放棄せよ』との指示が出た」

 途端にざわつく部隊員達。普通の上官であれば即座に一喝される場面であるのだが、敦賀は何も言わずに彼等を見詰めていた。その表情はまるで能面の様に何も映し出していない。

 違和感を覚えた部隊員達がやがて静まり、静寂が辺りを再び支配した時、敦賀の口が再び動いた。


「それに伴い、第八九三分隊には『最後までこの地に留まり、敵情を報告し、可能ならこれを攻撃し、撤退を援護せよ』との命令が下った」


 今度は誰も騒がなかった。数人の、息を呑む声が聞こえるのみである。

「尚、ラバウルの艦偵隊から、ガ島周辺海域に空母を含む有力な艦隊が展開しているとの情報が入っている。状況から察するに、撤退する我が軍を追撃するものと考えられる」

 まるで葬式で弔文を読んでいる様な態度と表情で語られる分隊長の言葉に、一同は返す言葉も無く項垂れていた。

 ……数人の搭乗員達を除いて。


「我々だけで戦争できる訳ですか。こりゃあ痛快だ!」


 静寂を破って、そう声をあげたのは相田二飛曹だった。

「いやあ私ぁねえ、一度『敵空母発見。これより突撃を敢行す』なんて勇壮な打電をしてみたいと思っとったんですよ!」

 いっそ楽しげとすら言える朗らかな声で、相田はそう話す。しかし、その心の根底には珊瑚海での手痛い経験が有るという事を、坂巻は知っていた。

「獲物の方から来てくれるなんざ、有り難い話じゃないですか」

『敵空母』と聞いた途端に目の色が変わった宮本が、凄みのある笑顔で相田に追従する。彼もまた、『加賀』を守れなかった心の呵責をこういった形で慰めようとしているのだろう。

たとえ本人がその事に気付いていないとしても。

「使い捨てにされるのは少々癪ですが、我々が頑張ればショートランドの連中が生き残れる公算が立つ。上層部の鼻を開かしてやる事も出来るし、こりゃあ、張り切らん訳にはいかんでしょう、分隊長どの」

 坂巻が、敦賀を正面から見据えておどけた、それでいて全てを達観した様な表情で語り掛け、まるで陸軍兵の様なわざとらしい敬礼をした。

 他の搭乗員達も、整備員や作業員、その他全ての分隊員が、坂巻達の毒気に当てられたのか、妙に爛々とした眼差しで敦賀の言葉を待っていた。

「……諸君」

 敦賀は居並ぶ兵達を見据えると、今までの怠惰な姿が幻であったかの様な精悍な瞳で、言葉を発した。

「諸君の言葉、大変に嬉しい。小官は、事ここに及び斯様に頼もしい部下達を持てた事を誇りに思う。生還を期せぬ厳しい任務であるが……」

 そこまで話して一言区切ると、

「いっちょ、ブァ~っとやってやるか!」

 瞬時に従来のだらしない笑顔に戻り、そう言い放つ。

 部隊員達の喚声が島中に響き渡った。



 帝国海軍にて水上飛行機ゲタバキが発達したのは、極論してしまえば苦肉の策である。

 平坦な滑走路が必要な陸上機と違い、穏やかな水面さえあれば即座に展開できる水上飛行機は長大な海岸線と幾多の港湾を有する日本海軍に取って、実に使い勝手の良い機材だった。

 後に、第一次世界大戦の戦勝国として南洋諸島を領域に治めるに至り、水上機の重要性はさらに増大し、結果として日本海軍は世界に類を見ない高性能の水上作戦機を次々と生み出す事となったのである。

 戦争が勃発した後も、広大な太平洋戦域を島伝いに作戦行動せねばならない前線部隊にとって、飛行場の整備をしなくても即座に運用できる水上機の存在意義は非常に大きかった。

 ゆえに、海軍はオーソドックスな偵察機の他にも、他国に類を見ない水上戦闘機や水上爆撃機等を次々と開発し、さらには潜水艦にまで水上機を持ち込んで本格的に運用していた。

 もっとも、所詮これらは先述した通り苦肉の策に過ぎない。

 例えば、米国などはその強大な物量と機械力に依ってどんな僻地にも瞬時に航空拠点を設営できるので、そもそも機体性能に制約の出る水上飛行機の開発なぞに力を入れる必要など無い。

 事実、いかに最新最精鋭と言われている零式観測機や二式水戦と言えども米軍の戦闘機相手には分が悪く、ソロモンに展開しているR方面部隊は『水上機乗りの墓場』と揶揄される程の消耗率を出している。

 持たざる国ゆえの、苦悩が生んだ徒花。それが、帝国海軍水上機部隊であった。


 そんな徒花の中でも最右翼である第八九三分隊には、都合四機の作戦機が残されていた。

 坂巻と相田の搭乗する零式観測機が一機。

 宮本の駆る二式水上戦闘機が一機。

 そして、昨夜坂巻達と入れ違いに夜間攻撃に出ていた零式水上偵察機が二機。

 以上が、第八九三分隊に残された全戦力である。

 尚、この零式水上偵察機。

 零式と銘打つのは、すなわち皇紀二六〇〇年(西暦一九四〇年)に採用された機体であり、零戦や零式観測機と同時期に開発された新世代の飛行機である。

 俗に『三座水偵』と呼ばれている三人乗りの長距離水上偵察機であるのだが、これがまた当時の水準を凌駕する高性能機であり、本来の偵察任務の他にも、夜間爆撃や対潜哨戒、無理をすれば雷撃までも出来るという、実に優秀な機体であった。

 最も、いくら高性能と言えども結局は例によって『水上機としては』の話であり、敵戦闘機の追撃を受ければ当然、ひとたまりもない。特に、色々と無茶な使われ方をされているソロモン戦線では一番消耗率の高い機体でもあった。昨日未帰還となった清水一飛曹達が搭乗していたのも、この機体である。

 その虎の子である四機を横目に、桟橋の横で車座になって食事を取りながら坂巻達搭乗員は思案に耽っていた。

「稼動四機か。これで実際に何が出来るかと言えば……」

「まあ、現実的な線では夜間の嫌がらせ爆撃が関の山でしょうねえ」

 坂巻の言葉を引き継いだ相田の意見に、全員が力無く頷いた。

「しかし、どうにかして空母だけでも足止めしたい所であるなあ。何とか魚雷の一本も見舞ってやりたい所だが」

 零式水偵の搭乗員である竹中飛曹長が、得体の知れない熱帯魚の干物をかじりながらモソモソと呟いた。

 柔道三段、銃剣道二段を誇る、巌の様な風貌をした巨漢である。この基地には上官殴打の罪で流されてきたという、とんでもない猛者だった。

「とは言え零水偵に魚雷積んだら、そりゃもう飛び立つだけで精一杯の体たらくですからねえ。アメちゃんもバカじゃないから、そんな鈍足の敵を見逃してはくれんでしょう。第一、この根拠地には航空魚雷なんて洒落たモンありませんよ」

 竹中飛曹長にそう言い返したのは、もう一機の零水偵の搭乗員である横溝一飛曹である。握り飯を口に運びながら、横溝は居並ぶ面々を見据え、話を続けた。

「母艦の雷撃屋の連中が束になって掛かっても、空母なんてのは中々沈められんのです。ゲタバキ四機でできる事を考えましょう。あたしゃ犬死にはごめんですからね」

「ううむ……」

 結局、上手い手段も見出せず、彼等は再び思案に暮れる。

 いかに戦意に満ち、一命を賭して戦う覚悟があると言えども、何も考えずただ闇雲に突撃するだけでは犬死にと何ら変わらない。

 戦意旺盛な兵士であると共に、最先端兵器である航空機を操る技術者でもある彼等は、もはや精神論だけでは強大な米軍に対抗し得ない事を嫌という程に思い知らされていた。

皆の思案が暗礁に乗り上げかけた、その時――


「ならばゲタバキならではの戦術で戦えばよろしい。作戦が決まったので、搭乗員は集合しなさい」


 唐突に顔を出した敦賀大尉が、彼等搭乗員を指揮所に招じた。

 坂巻達が天幕に入ると、敦賀が机に広げられたソロモン諸島の地図に指揮棒を当て、早速作戦の説明を開始した。

 ソロモン諸島は、地図上の北西に位置するブカ島を基点に、南東方面に向かってブーゲンビル島、ショートランド島、チョイセウル島、ベララベラ島、ニュージョージア島、イサベル島、フロリダ島、ガダルカナル島、サボ島、マライタ島などが二列に並ぶ形で点在し、その突き当りにサンクリスバトル島が鎮座している。

 この二列に並ぶ島と島の間を通る海域こそが、彼等の戦場である最前線の地、ソロモン水道である。

幾多の海戦、空戦が行われ、おびただしい数の艦船や航空機の沈んだその海域は米軍に鉄底海峡アイアンボトムサウンドと揶揄され、実際にコンパスが狂う程の鉄量を海底に眠らせている。

「ガ島を完全に制圧し、ソロモン海域の制海権を掌握した米軍が今更小細工をするとは思えぬ。迂回進路なぞ取らずに、堂々と水道を直進して来るだろう。そして――」

 地図上の右下に位置するガダルカナル島を指揮棒で差し、

「航空偵察の結果と奴等の戦術から察するに、敵艦隊は本日夜半頃にガ島周辺海域より発進しソロモン水道を直進。翌早朝に、ショートランドに攻撃を掛けるものと推定される」

 地図中央にあるショートランド島(と、その東側に位置するムラムラ島)まで一直線に線を引いた。そして、今度はショートランドの右下方に並ぶニュージョージア島とイサベル島の間の海域に、

「なので、我々はこの海域に網を張り、敵艦隊に黎明攻撃を敢行する」

 指揮棒を叩き付ける様に、差した。

「航行中の敵艦隊を攻撃するよりも夜の内に敵泊地に乗り込んで爆撃する方が、公算が高い様に思えますが」

 坂巻が上申。しかし、敦賀は首を横に振り、

「零水偵に魚雷を積んだら、とてもガ島まで飛べんよ。それに、たどり着けたとしても敵の濃密な対空砲火に晒されて叩き落されるのがオチだ」

 と、一言に退けた。

「しかし、航行中の敵艦に攻撃しても結果は変わりませんぞ? それこそ魚雷をぶら下げて敵艦隊の輪形陣を突破できるとは思えませんし、それ以前に、そもそもここには魚雷なぞありません」

 今度は零水偵搭乗員である横溝が、訝しそうに意見する。とても上官に対する態度では無いのだが、この地ではだれもそんな事は気にしない。

 当然、敦賀もまるで気にせぬ素振りで話を続ける。

「魚雷は都合してある。日が沈んだらショートランドより搬送するよう、手配したので問題無い。敵艦に対する攻撃に関しては、これより説明する。大変に困難な作戦だが、諸君の技量なら成功の公算もあると小官は考えている」

 そして、敦賀は改めて作戦の詳細を説明し始めた。

 最初の内こそ胡散臭さ気に聞いていた坂巻達も、話される内容を聞く内に、やがて食い入る様に彼の立案に聞き入っていった。

 そして彼等の意見も加えて二、三の細かい修正を入れ、行動概要が決定した。

「では、只今を以って今作戦を開始する。各員は仕様機材の調整を入念に行い、かつ充分に休養を取って万全の態勢で望む様に」

「はッ!」

 敦賀の訓示に、坂巻達搭乗員はおそらくこの島に流されてより初めて、海軍人らしい気合いの入った敬礼を送った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ