第5話 『勇者を愛する魔王』
穴の底に鎮座する魔王城。
接近しても、反応はありません。
まるで誰も居ないかのような静けさ。
漆黒の城門は固く閉ざされており、どうやって中に入ろうか、考えあぐねていると。
「おや? ようやく来ましたか」
不意に語りかけてきた美声。
横からでも、背後からでもなく。
その声は、上から聞こえました。
「なっ!?」
見上げると、そこには巨大な石像が。
門を守る戦乙女として、意志ある彫像が来客をもてなしました。
もっともそれは、友好的な歓迎ではなく。
「勇者様はともかく、その他の虫けらは通すわけにはいきませんので」
そう断ってから、大きな手で兵士たちを叩き潰す石像。
逃げ惑う彼らを今度は足で踏み潰す。
その悲鳴で我に返った勇者が牛刀で斬りつけると、あっさり石像は倒れました。
しかし、勇者以外には生存者はおらず。
兵士を全滅させた石像は、牛刀で斬られて首だけとなったのにも関わらず、美しく微笑み、勇者の来場を歓迎しました。
「これで、私の役目はおしまい……ようこそ、魔王城へ。魔王様がお待ちです」
それだけ告げて、石像は崩壊。
散乱するのは物言わぬ石と岩。
これで勇者の剣と身体には、鉄壁の防御力なることとなりましたが、それを確認すらせずに、勇者はひとりで城の中を進みます。
敵の潜伏を警戒するものの、敵影なし。
それでも油断せずに慎重に進み、大きな両開きの扉を発見しました。
中の様子を伺おうとしていると。
《入りたまえ》
あの声が響いて、扉がひとりでに開きました。
咄嗟に身を隠すことすら出来ずに、その場に立ち竦む勇者。
あまりのことに、脳が追いつきません。
声は入れと言った。
すると、扉が開いた。
ここは魔王城。
戦乙女の石像もそう呼んでいた。
そして、魔王が待っているとも。
それら全てから導き出される、結論。
いや、しかし、そんな、馬鹿な。
自らの考えを否定するべく、フラフラと部屋の中へと入り、そして出会った。
「やあ、勇者くん。こうして顔を合わせるのは、初めてだね。ボクが、魔王さ」
そこは玉座の間。
真っ暗な室内に、真っ赤な光が二つ。
眼を凝らすと、それが眼光であるとわかる。
その声は、知っている。
勇者に力を授けた謎の声。
予言や甘言や諫言を告げる、勇者にしか聞こえない声だ。
その声の主が、目の前にいて。
そして、事もあろうに。
自らを魔王と称した。
「お前が、魔王……?」
「そうだよ。ボクは魔王。驚いたかい?」
赤い眼光が楽しげに細まる。
勇者は困惑しながらも、質問する。
聞きたいことは、山ほどあった。
「魔王が、どうして人である俺に力を……?」
「好きだから」
勇者の疑問に、魔王は即答。
意味がわからず固まっていると。
魔王はイライラした口調で命じた。
「ああ、もう! 焦れったいな……いいからさっさとボクの元へ来るんだっ!」
くいっと指を曲げる仕草。
すると勇者の意志とは関係なく、引き寄せられて、魔王の間近に急接近。
勇者が照明代わりに纏っていた炎によって、その姿が闇に浮かびあがる。
「逢いたかったよ……勇者くん」
魔王は美しかった。
四天王も皆美しかったが、別格だ。
背は小さく、意外にも小柄。
幼い少女でありながら、扇情的。
透けた薄い闇色の衣を纏っている。
それを突き上げる大きな胸。
あどけない童顔によって、背徳感を生み出していた。
流石の勇者もその美貌に見惚れた。
しかし、見惚れている場合ではない。
身体が金縛りに遭ったように動かないのだ。
このままでは殺されると、思いきや。
「怖がる必要なんてないさ。君はただ、ボクを愛してくれればそれでいい」
などと口にして、いきなり抱きしめてきた。
柔らかな魔王の感触に、意識が飛びそうになるのを堪えて、抗う。
「離せっ!」
元はしがない肉屋の青年。
しかし、今の彼は勇者だ。
その精神は高潔そのもの。
如何に魅力的とはいえ、魔王は魔王。
勇者が魅了されるなどあってはならない。
そんな彼の鋼の精神力を魔王は認めつつも、苛立たしげに怒鳴った。
「君の高潔さは好きだけど、女を待たせておいて、その態度は良くない、な!」
何をされたか、わからなかった。
気がつくと、勇者は床に倒れていた。
まるで何かに押しつぶされたように。
うつ伏せで、顔を横に向けて、気道を確保。
今も背中を圧迫する重みに耐えていると。
「お仕置きだよ」
ペチッと、裸足で勇者の頭を踏む魔王。
痛みはないが、屈辱的だ。
魔王は興奮した様子で、何度も踏んだ。
「せっかく! こうして! ようやく! 逢えたのに! どうして! ボクの気持ちが! わからないんだ! この! 朴念仁っ!!」
「ぐっ……!」
ペチペチ頭を踏みながら、溜まっていた鬱憤を吐き出した魔王はスッキリしたらしく、そこでふと我に返り。
「ああっ! ごめんよ……こんなつもりはなかったんだ。ただ愛し合おうと思っただけなのに、こんな仕打ちをしてごめんね」
悪気はなかったと説明して、謝罪を繰り返し、弁明する魔王。
「誤解しないでね? ボクは君を踏みつけて楽しんでなんかいないよ。その証拠にほら、今度はボクの頭を踏んでいいから! さあ、早く! 踏んでくれ!」
魔王が何を言っているのか、わからない。
いきなり勇者の隣に仰向けに寝転がって、踏めと騒ぐ魔王。
困惑して、未だに腰を上げられずにいる勇者を見て、またも魔王は苛立ち。
「踏めって、言ってるのにっ!!」
「あがっ!?」
ばね仕掛けの如く身を起こた魔王に髪を掴まれ、勇者は罵声を浴びせられた。
「どうしてボクを愛してくれないの!?」
どうやら、お互いに踏み合うのが魔王にとっての愛らしい。
しかし、そんな倒錯的な嗜好はどうでもいい。
どうしてと聞かれたら、答えは決まっている。
「お前が、魔王だからだ……!」
魔王は人の敵。
こうして対峙してみて、わかる。
やはり魔王こそ、世界最強。
気まぐれに人に力を授けて愉しんでいた。
強きは、挫かなければならない。
それが正義だ。
この魔王に立ち向かうのことこそが、正しさだ。
見失いかけていた正しさを取り戻した勇者を見て、魔王は満足げに笑い、髪を掴んだまま、苦悶に呻く勇者を自らの玉座へと座らせて、その膝に飛び乗る。
向かい合わせに膝に乗り、愛おしそうに額を勇者の胸に擦り付けながら、魔王は彼を褒めた。
「やっぱり君は特別だね」
「な、なんのことだ……?」
「ボクの目を見て」
またも態度が豹変した魔王に戸惑う勇者の顔を押さえて、じっと赤い瞳を向ける。
目と目があったことに嬉しげに笑いつつ、魔王は勇者に確認をした。
「ボクの目は、赤いだろう?」
「あ、ああ……それがどうした?」
「この目はね、魔眼って言って、世界の果てまで見通すことが出来るのさ」
そう言いつつ、遠い目をする魔王。
どうやらここではない場所を見てるれしい。
それで合点がいった。
「つまり、その魔眼とやらを使って、俺のことを監視してたんだな?」
「だって、気になるんだもん」
カラクリを一つ解いた勇者に、魔王は次なる仕掛けの種を明かす。
《君はこの世界で一番、素敵だった》
いつも聞こえていた、脳内に響く声。
これもまた、魔王に備わった力の一つらしい。
そしてトドメに。
「ボクはそんな君に力を授けた。そしてその力は、こうして奪うことも出来る」
途端に、身体から力が失われる。
「ぐっ!? がぁあああっ!!?!」
残ったのは疲労と激痛。
思えばこれまで、かなりの無理をしていた。
度重なる戦闘と遠征の長旅により、身体は限界をとっくに超えていた。
苦痛に喘ぐ勇者の膝の上で魔王はクスクスと笑ってから、力を返してくれた。
「これで身の程がわかったかい?」
「……どういう、意味だ?」
「君にボクを倒すことは出来ない」
それは、揺るぎない事実。
なにせ、力を与えたのが魔王本人。
歯向かえば、力を奪われる。
ただの人に戻れば、勝ち目はない。
それを踏まえて、魔王は命じる。
「ボクを愛して」
それが魔王の願い。
それだけの為に、力を授けた。
ずっと魔眼で見続けた勇者。
気がつくと、心底愛していた。
だから同じように愛して欲しい。
その切実な願いに対して、勇者が何か言う前に、外堀を埋めておく。
「愛してくれたら、世界をあげる」
「せ、世界、だと……?」
「ああ、そうさ。ボクは寛大だからね。半分と言わずに、世界を丸ごと君にプレゼントしてあげよう」
そう嘯く魔王は、とても正気には思えない。
しかし同時に、まるっきり嘘とも思えない。
この強大な魔王は、世界の支配者だ。
勇者だってなす術ない。
ならば、世界をどうにでも出来る。
そんな魔王が、世界をくれると言った。
「世界を手にしたら、あとは好きにすればいい。君が望む通りに、好きなだけ、正しいことが出来るよ。そう考えれば、悪い提案じゃないだろう?」
「何を企んでいる……?」
「だからその代わりに、愛して欲しいんだよ。ボクの望みはそれだけさ」
勇者は正しさを求めていて。
そして魔王は、愛を求めていた。
魔王の願いを叶えることで、勇者の望みは叶い、そして逆もまた然り。
しかし、魔王と取引きなど。
それは正しい行いとは言えない。
そもそも、勇者は愛を知らなかった。
ずっと、高潔なまま、生きてきた。
彼が答えられずにいると、またしても魔王は焦れたらしく、勇者を咎めた。
「優柔不断は正義の敵だよ?」
「ぐっ……魔王が正義を語るな」
「やれやれ……とはいえ、この未来は視えていたからね。対策は万全さ」
そう言って、魔王はおもむろに床に転がっていた牛刀を呼び寄せて、それを自らの胸を突き刺した。
「な、何をっ!?」
真っ黒な鮮血を浴び、驚く勇者。
しかし、それは血ではなく、影。
影を操る魔王は、折衷案を解説した。
「君は魔王を倒して、ボクは死んだことにする」
影となって、牛刀吸い込まれていく魔王。
「もちろん、本当に死ぬわけじゃない。この牛刀に取り憑いて、君の傍に居続ける」
徐々に薄れていく魔王は、それで満足だと言わんばかりだが、勇者は堪らない。
「要するに、死んだふりをするつもりか?」
「そう。君は人の国に帰って、ボクを殺したと王に説明すればいい」
「俺に、虚偽の報告をしろと……?」
「嫌ならいいよ。君の傍に居られないなら、こんな世界には価値はない。真っ先に人の国を滅ぼして、世界をぶっ壊す」
尻込みする勇者を脅す魔王。
それが本気であることを示すように、ぶわっと影を勢いよく噴出して、勇者にまとわりつく。
「初めから、君に選択肢なんてなかったのさ」
ボクに見初められたその日から、ね。
そう続ける、魔王の執念。
勇者は抵抗を諦め、条件を確認する。
「俺はお前が宿った魔剣を常に所持してればいいんだな?」
「その通り。そうすればボクは悪さをしないし、君は世界を手にすることが出来る」
俄かには信じ難い取引き内容。
魔王が宿った魔剣を携えるだけ。
それだけで、世界をくれると言う。
あまりに上手い話だ。
念には念を入れて、ルールを確認。
「ちなみに、魔剣を手放したらどうなる?」
「当然ボクが復活して、世界を滅ぼす」
「その他には制約はないのか?」
「そうだね……強いて言うなら、他の女との接触は厳禁かな。言葉を交わすだけならともかく、肌に触れたらその女な八つ裂き確定だから、気を付けてね」
冗談めかしているものの、目が本気だ。
警告のつもりなのか、勇者の指先に静電気のような痛みが走った。
この感覚には、覚えがある。
どうやら王都にて王女の手を取ろうとした際に妨害したのは、魔王だったらしい。
しかし、どうにも腑に落ちない。
「配下を殺した俺に、不満はないのか?」
「四天王のことかい? 彼らは気の毒だった。特に風の四天王くんは、つがいを人に打ち取られ、その毛皮を奪われたことで怒り狂っていたから、本当に可哀相だった」
絶句した。
風の四天王は一番最初に倒した。
そう言えば、王女から奪った極彩色のローブを大事に胸に抱いて死んだ。
あれがつがいのものだったとしたら、それを取り戻す為に王都を襲撃したことになる。
その場合、悪はどちらなのか。
青い顔で悩む勇者に、魔王は優しく微笑んで慰めた。
「君が気にすることはない」
「しかし、俺が……」
「君が風の四天王くんを倒すことが出来たのは、ボクの力の賜物さ。つまり、ボクが殺したようなものだ。だから、気にやむことはない」
「どうして、お前は同族を……?」
「君が好きだから」
君に会う為に、犠牲にしたと。
魔王は悪びれずにそう語る。
自らの目的の為ならば、同族を殺すことも厭わない、悪の権化。
しかし、ふっと自嘲して。
「それに……つがいを亡くし、絶望したまま生きていく風の四天王くんを、見てられなかったからさ」
そんな情に深い一面もある。
捉え所のない魔王に困惑していると、暗い話はおしまいとばかりに手を打って、話題を打ち切った。
「さて、質問は以上かな?」
勇者が沈黙で返すと、魔王は消えて、代わりに魔剣からあの声が響いた。
《それじゃあこれからよろしくね、勇者くん。この先、ボクはずっと君の傍に居て、守ってあげるからね》
勇者はその挨拶に答えません。
魔王と取引きしたとは言え、彼は正しさを求め続けているからです。
馴れ合うつもりはないとばかりに魔王城を後にする勇者に、腰に下がる魔剣が、不吉な予言を囁きます。
《いずれ、君はボクを愛することになる……必ず、ね》
画して、形の上で魔王討伐は為され、勇者は王都へと帰還しました。
世界を手にした彼はこの先、自らの望みを叶える為に、正しさを貫きます。
それが悲劇的な結末を生むとは、知らずに。




