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第1話 『肉屋の勇者』

昔々、遥か昔。


世界は邪悪な魔王に支配されていました。

魔王とは魔族の王様で、とても強大な力を持っています。

魔族とは、わかりやすく言えば、魔法を扱える種族であり、人ならざる力を持った強者です。


魔法を扱えない人は、弱者であり、魔族とそれを率いる魔王を常に恐れて、世界の片隅で震えながら暮らしていました。


そんな折、世界は転換期を迎えます。

強大な魔王に対抗出来る力を持った、勇者が誕生したのです。


「何だか、街が騒がしいな」


その青年は、人の国の王都でお肉屋さんとして生計を立てていました。

特に身体を鍛えているわけではないので、もちろん身体能力が高いわけもなく、背も低くもなく、かといって高いわけでもなく、顔も整っているとは言えないけど、まあそこそこ見れる程度の、平凡を絵に描いたような、まるでお兄ちゃんのような人でした。


そんな青年は、街の騒がしさに気づき、辺り見渡すと人々が一様に空を見上げていることに疑問を持ちました。

本日は晴天で、何かが降ってくる様子はないのに、どうして皆、空を見ているのか。

気になって、店から出てみると。


「魔王軍の襲撃だぁ!!」


なんと、空から魔獣の大群が降下してくるではありませんか。

獰猛な鷹のような鋭い嘴を持つその魔獣は、大きな翼を広げて上空を旋回した後、急降下。

あっと言う間に街の住人を捕食。

それを見て悲鳴をあげ、慌てて我先にと逃げ惑う人々。

それを嘲笑うかのように、次から次へと怪鳥が飛来して、犠牲者は増え続けるばかり。

そして大きな翼に乗った魔人が降り立ち、魔法を用いて街を壊し始めます。


「な、なんだよこれ……くそっ! 軍隊の連中は何してやがる!?」


すっかり戦場と化した王都。

しかし、住人を守り為の軍隊は一向に姿を見せません。

普段は威張りくさっている癖に、肝心な時にどこで何をしているんだと、思っていると。


「なっ!? お、王宮から煙が……!」


街の中心部にそびえ立つ、王宮から煙が立ち上っているのが見えました。

どうやら魔王の軍勢に攻撃されているようです。

つまりそれは、向こうの防衛に軍隊が動員されていることに他ならず。


「ひぃいいっ!? だ、誰か助けて!」


目の前で恐怖のあまりその場にうずくまる住人。

助けを求めるその声に反応するよりも、早く。


「ギャオオオオッ!!」

「ぴぎゃっ!?」


空から飛来した怪鳥に踏み潰されて、絶命。

物言わね肉塊と成り果てた獲物を、ガツガツと食い散らかす魔獣。

呆然とその凄惨な光景を眺めていると、ふと子供の頃の記憶が蘇りました。


…………………

…………

……


あれはまだ、青年が少年だった頃。

遠く離れた故郷の寒村で暮らしていた彼は、路地裏でゴロツキがたむろしていることに気づきました。


「おら、さっさと金を出せよ」

「ひっ……もう勘弁して下さい」

「うだうだ言ってんじゃねぇ! まだ殴られ足りないのか!?」

「ぐはっ!? も、もうやめ……ぐっ!」


金を出せと脅され、袋叩き。

反撃することも出来ずに、地面に伏せて丸くなる弱者。

王国の中でも辺境のこの土地は、王都よりも治安が悪く、このような光景は日常茶飯事でした。

力を持つ強者が、力を持たない弱者をいたぶるその様子は、まさにこの世の縮図です。

魔法を扱える強者たる魔族に、魔族を扱えぬ弱者たる人が抗えぬのと同様に、なす術ない、現実。


少年はそれを見て、助けようとした。

しかしそうは思っても、ゴロツキに対する恐怖で足はすくみ、一歩も動けず。

声を出して人を呼ぶこともままならず、自らの弱さを痛感しました。


そもそも少年はまだ年端もいかぬ子供であり、屈強な大人のゴロツキ共に敵う道理はありません。


だから、仕方ない。

だから、ここは引き下がるしかない。

そう自分を納得させようとして、その情けなさに涙が止まらなくなりました。


俺は、なんて弱いんだ。

臆病風に吹かれて、逃げようとしている。

そんな自分が嫌で嫌で堪らない。


力さえあれば、正しいことが出来るのに。


《力が欲しいのかい?》


ふと、どこからともなく声が聞こえました。

どこの誰かは知りませんが、少年はその問いかけに頷き、切望します。


「力が、欲しい……!」


なけなしの勇気を振り絞って、懇願すると、声の主はクスリと笑って。


《いいね、気に入ったよ。 それなら、君にボクの力を……》


正体不明の何者かが、そこまで口にした、その時。


「こらーっ! 何をしとるか! バカモン!!」


突如、路地裏に響き渡る、大声。

ぎょっとして声の方向を見やると。


「ば、婆ちゃん……」


そこには杖をついて腰が曲がった老婆が立っており、それは少年の祖母だった。


「寄ってたかって暴力を振るうとは、何事かっ!!」


ゴロツキ共の悪事を一喝。

突然のことに、奴らはタジタジ。


「な、なんだこのババアは?」

「口の利き方もなっとらん! そんな馬鹿共は、この儂が成敗してくれる!!」

「痛っ!? おい、杖で殴るな!!」

「問答無用!!」


バシバシと思いっきり杖で叩きまくる婆ちゃん。

いきなり攻撃されて面食らった様子のゴロツキだったが、すぐに反撃しようとして。


「くそっ! このババア……いい加減に」

「お、おい、不味いって。騒ぎを聞きつけて、人が集まって来やがった」

「チッ……お、覚えてやがれよ!」


婆ちゃんの大声に、何事かと周囲に人が集まり始めたのを見て、不利を悟ったゴロツキ共は逃げ出しました。

それを見て、婆ちゃんは高笑いして。


「はっはっはっ! 正義は勝つ!!」


その時、少年は正義とは何かを知りました。

彼にとって、正義とは祖母であり、今回の振る舞いこそが正しいのだと、子供ながらに理解しました。


一方的な暴力は絶対に許さない。

強きを挫き、弱きを助ける。

それこそが、正義であり、正しい振る舞いだと。


《やれやれ……邪魔が入っちゃったね》


不意に、また先程聞こえた声が聞こえて、少年が誰何する前に。


《仕方ない。次の機会を待つとしよう。それじゃあまたね、勇者の卵くん》


そう言って、それっきり声は消えた。

何だったのかと不思議に思っていると。


「ほれ、さっさと立たんかい!」

「ひぇっ!?」


勝ち誇っていた婆ちゃんがまた怒り出して、今度は被害者を杖で叩いた。

堪らず立ち上がった弱者に、婆ちゃんは檄を飛ばした。


「お前さんは、ずっと殴られっぱなしで悔しくないのか!?」

「そ、そんなことを言われても……」

「つべこべ言わずに戦え! 弱いなら力をつけて、立ち向かえっ!!」


そんな滅茶苦茶なことを言われて、被害者は涙目。

暴行された上に叱られるなんて、なんとも気の毒だ。

見ていられなくて、少年はくどくど説教を始めた婆ちゃんに声をかけます。


「婆ちゃん、帰ろ?」

「ん? なんじゃ、見とったのか?」

「うん……意気地なしで、ごめん」


怒られる前に、自分の非を認めて謝る。

そうすると、必ず婆ちゃんは許してくれた。


どこかのお兄ちゃんとは違って、本当の正義の味方は寛大なのです。


「反省しとるなら、いい」

「うん……次は、頑張る」

「大丈夫。なにせあんたは儂の孫じゃからな」


そう言って笑い、頭を撫でてくれた、婆ちゃん。

その時の言葉は、今もしっかりと胸に残っている。


……

…………

………………


その後、天寿を全うした祖母。

丁重に弔って、村を出た。

葬儀には、村人全員が駆けつけた。

人は死の際に、生前の徳が示される。

婆ちゃんは正しい生き方をした。

だから皆、涙を流して、悼むのだ。


早くに両親を亡くして、祖母に育てられ、正義とは何かを知った少年は、青年となって、今まさに試されようとしていました。


そこら中から聞こえる悲鳴。

街の住民が、助けを求めている。

勇気を示すならば、今しかない。


肉屋の牛刀を握りしめて、青年は目の前で遺体を損壊している怪鳥を睨みつけます。


今ならば、殺れるかも知れない。

獲物に夢中になっている、今ならば。

背中もガラ空きで、隙だらけ。


しかし、チャンスは1回限り。

一撃で仕留めなければ、反撃される。

そうなったら、今度は自分が肉塊に成り果てる。


まさに、死に直結する行為。

いかに毎日丁寧に研いでいる牛刀とて、あの巨大な鳥の首を両断出来るかどうかはわからない。

自分にそこまで膂力があるかも不明。


それでも、今殺らないと、あの鳥はまた人を殺す。


それは明白な悪であり、見過ごせない。


俺は婆ちゃんの孫。

正義の味方の血を引いているんだ。

肉屋で働いているのも、いつかこんな日が来るのではと予感していたからだ。

肉を断つのには、慣れている。

だから、動け、行動しろ。


「はっ、はっ、はっ、はっ……」


息を殺して、浅い呼吸で脳に酸素を送り、怪鳥の背後に回り込む。


大丈夫。

気づいてない。

殺れる。


そう自分に言い聞かせて、息を止め。


「だぁああああああっ!!!!」


その太い首目掛けて、一気に牛刀を振り下ろす。


「ギャオオオオッ!?!!」


突然の死角からの攻撃で怪鳥は混乱。

しかし、鳴いている。

つまり、両断出来ていない。


失敗、した。


「ギャオオオオッ!!!!」

「ッ!?」


駄目だ。

こっちを振り向く。

次の瞬間には、俺は死ぬ。


頭に浮かぶのは、祖母の姿。

こんなに早くにあの世で再会すれば、間違いなく叱られるだろう。

そんな不孝者にはなりたくない。


まだ首に牛刀は食い込んでいる。

あと少し、もう少し俺に力があれば。

この化け物の頸動脈を切り裂ける。


《力が欲しいのかい?》


切迫した状況下で、またあの声が聞こえた。

それは子供の頃と同じ問いかけ。

あの時は、途中で婆ちゃんに助けられた。

けれど、今はもう、祖母はいない。


青年は願います。

あの時よりも、強く。

命を賭けて、渇望します。


「俺に力をくれっ!!」


その声の主が誰なのか。

そんなことはどうでも良かった。

ただ今を生きる力を。

正しいと思ったことを遂行出来るだけの力を望み。


《ならば、ボクの力を授けよう》


瞬間。

全身に力が漲り。

あれほど苦戦していた怪鳥の首が。


「ギャオッ………」


断末魔の悲鳴すらも残さず、落ちた。


「は、ははっ……マジかよ」


力む必要すらなかった。

まるでバターのように、切れた。

思わず笑ってしまうくらい、呆気なく。


画して、世界に勇者が誕生しました。

そしてこの日を境に、強者と弱者の関係性は、入れ替わることとなります。


その先に待つ結末は、わからぬまま。

運命の歯車が今、動き始めたのです。

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