第六章 霊媒師-大福1
幼い頃の私は本当に単純だった。
この世のすべては、”好き”と”嫌い”で分けるだけ。
ごはんは、好き。
遊びも、好き。
ふかふかの布団も、好き。
嫌いなのは病院。
あとは……うーん、ないかな。
好きはもっとある。
たまにもらえるオヤツが、好き。
ダンボール箱も、好き。
スーパーのビニール袋も、ネズミのオモチャも、毛糸のボールも、好き。
でも一番好きなのは、お姉ちゃん。
優しくて、あったかくて、おいしいごはんをくれて遊んでくれる。
幼い頃の私が母猫とはぐれ、カラスに襲われているところを助けてくれたのも、家に連れて帰ってくれたのも、反対する家族に泣きながら頼んで私を迎えてくれたのも、みんなみんな、お姉ちゃん。
お姉ちゃんがいなかったらきっと私はもっと早くに死んでいた。
楽しい事もなく、おいしいごはんも食べられず、車やカラスに怯え、常に死と隣り合わせだった私に深い愛をくれた人。
私はお姉ちゃんが大好きだった。
後から知ったのだが、猫の成長は人の子の何倍も早いのだそうだ。
私をカラスから守ってくれたお姉ちゃんは当時小学生。
私は生まれて2カ月にも満たない幼子で、私達は共に成長していった。
お姉ちゃんは私にとって、母であり、姉妹であり、時に子供だった。
お姉ちゃんは身体は大きいのに動きは鈍く、虫一匹でこの世の終わりのような悲鳴を上げて泣いてしまう。
普段は軽々と私を抱き上げる頼もしさを見せるのに、虫ごときでなんたる情けなさ。
よし、ここはひとつ私がお姉ちゃんを助けてあげよう。
ほんの片手間で虫を瞬殺する私に、お姉ちゃんは『ありがとう、ありがとう』と言って抱き締めてくれた。
『ありがとう』の意味はわからないけど、嬉しそうにしているから、きっと喜んでいるのだろう。
お姉ちゃんが大学というところを卒業して就職というものをした頃、人の時間では15年の時が経っていて、当時7才だったお姉ちゃんは22才に、私は15才になっていた。
その頃の私は一日のほとんどを寝て過ごしていた。
眠くて眠くてたまらない。
大好きだったオモチャも、ダンボール箱も、あまり興味が湧かなくなった。
ごはんは食べるけど、少し食べればおなかいっぱい。
たまにもらえるオヤツだって半分でもう充分。
おかしいなぁ、お姉ちゃんは変わらず元気なのに、私はどうしてこんなに眠いのだろう?
お姉ちゃんと初めて会った頃の私はまだ幼子だったのに、一緒に暮らして同じ時間を過ごしたはずなのに、どうしてなんだろう?
さらに5年の月日が流れ、お姉ちゃんは27才、私は20歳になった。
猫の20才いうのは人の子の年にすると96才になるのだそうだ。
お姉ちゃんのお母さんも年を取って動きがより鈍くなっている。
そんなお母さんよりも年上になってしまったのだから、私の身体が思うように動かなのも納得がいく。
ところで、私は20才を過ぎてから唐突に人の言葉が理解できるようになった。
なぜ解るのかはわからない。
まぁ、長いこと人の家族と暮らしているのだから、自然に覚えたとしても不思議ではないのかもしれないが、理解できるようになると共に私は単純ではいられなくなった。
“好き”と”嫌い”たったそれだけで成り立っていた私自身に新たな感情が加わった。
お姉ちゃんが仕事でいない昼間。
私は彼女の匂いでいっぱいのベッドで眠るのが日課だった。
ここは安心できる。
いないのにいるような、柔らかであたたかい胸に包まれているような”安心感”。
それでいて、やっぱり本物のお姉ちゃんに撫でられたい、抱っこされたいという”寂しさ”。
夜遅くに帰ってきたお姉ちゃんに、やっと逢えたという”喜び”。
それらも大きく分ければ”好き”と”嫌い”なのだろうが、この2つの感情は細分化され、より細かな感情が生まれたのだ。




