第四章 霊媒師OJT30
楕円形に開いた異空間の出口から、先代、お母さん、田所さんの順で現世に渡り、最後尾の僕も続いて一歩足を踏み出した……のだが、僕の足は地を捉える事はなかった。
ガクン!と、階段を踏み外したような感覚と、急に明るい場所に出た事による目の眩み。
僕は大きくバランスを崩し、前のめりに転んでしまった。
「イテテ……なんでこんな所に段差があるんだよ」
先代も女性陣もなんの問題も無く通り抜けていたのに、僕だけ転ぶなんてカッコ悪いな。
自分で呆れながら起きる為に床に手を着くと、明け方の冷気のせいかフローリングの床がひんやりとしてひどく冷く感じた。
「そうそう、フローリングは底冷えするんだよな。僕の部屋だって、」
言いかけた独り言がここでとまる。
着いた手のひらに伝うのは、異空間にはなかった人工的で懐かしい感触。
僕はそれを確かめるべく、何度も何度も床を撫ぜると、ああ……と擦れた声を漏らし、ゆっくりと顔をあげた。
そこにあるのは見覚えのある間取り。
板張りの居間とその奥にある畳の部屋、キッチンとその並びにはここから見えないけど洗面台があるはずだ。
ここは確かに田所さんの住んでいたアパートだ。
ただ違うのは、今ここに一切の家具は無くガランとしている事。
カーテンのついてない窓から見えるのは、社長のソウルカー、ランサーエボリューションⅤ__銀色の車体が朝の光をこれでもかと跳ね返していた。
「戻ってきたんだ……」
僕は安堵の溜息をついた。
続けて、ぶぇっくしょん!!と我ながら豪快なくしゃみ。
「うぅ、寒……って、なにこれ!?」
僕は僕の有り得ない格好に激しく狼狽えた。
寒いに決まってる。
そりゃそうだ。
僕の上半身は半裸だった。
剥ぎ取られたと思われるジャケットは部屋の隅でクシャクシャになってるし、ワイシャツとインナーシャツは真ん中から左右に引き裂かれ、貧相な胸が剥き出しになっている。
そして胸のその左側、ちょうど心臓の上あたりに大きな手形のようなアザが赤黒い跡をくっきりと残していた。
「ちょ……待って……なにがあったの?」
とりあえず、こんな格好ではいられない。
慌ててワイシャツのボタンをとめようと試みるも、弾け飛んでしまったのか1つも残っていない。
中に着ていたインナーも伸縮性がある素材にもかかわらず、ギザギザな切り口で激しい損傷を見せていた。
圧倒的な力だ。
野獣レベルの強い力が僕の衣服に加えられたようだ。
一体誰が!?……って、犯人は彼に決まってる。
一体どんな理由があってこんな乱暴な事を、、ここで僕はハッとした。
半日前、ここに来る車の中での彼の言葉がリフレインする。
__なぁ、エイミー。俺に抱かれる気はあるか?
あ、あれは冗談じゃなかったの?
えーーーー!?
まさか……社長……?
と、その時、背後からカチャリとドアの開く音がした。
咄嗟に振り向くとガッチムチのデカすぎる逆三角形のシルエット。
手にはビニール袋をぶら下げて、
「お、エイミー戻ってきたか、おつかれさん。コンビニでメシ買ってきたぞ、食え」
そういってドカドカと部屋の中に入ってきたのだった。
◆
空いたビニール袋を床に敷き、その上にズラッと並ぶは、梅、昆布、シーチキン、高菜、鮭、等々の大量のおにぎりと、カルボナーラパスタに塩焼肉弁当とチキン南蛮。
アメリカンドックにフライドポテト。
飲み物はペットボトルのお茶にコーヒー、炭酸飲料。
さらにはデザートなのだろう、プリンまで買ってある。
「社長……2人でこんなに食べられないですよ」
「なに言ってんだ、野郎2人でこの量なら軽いだろ。いいから食え、早くしないとなくなるぞ」
社長の食べる勢いは留まる事を知らない。
20はあったおにぎりのうち、既に半分は彼の腹に収まっている。
すごいスピードだ、1つのおにぎりを二口で食べている。
僕は呆気に取られながらシーチキンおにぎりの包みをむいた。
「え?なにこれ美味しそう」
途端、漂ってきた海苔の匂いに、僕の腹がぎゅるるるると豪快な音を上げた。
食べ慣れたただのシーチキンおにぎりのはずなのに、とてつもなく美味しそうに感じるのはなぜだ。
「だろ?」
社長は次のステージ、塩焼肉弁当をやっつけながら、そう僕に同意を求める。
が、意味がわからない。
だろ?ってなにが?
「尋常じゃなく腹減るだろ」
「ああ、確かに。急激にお腹がすいてきました。昨日朝ご飯を食べて以来、なにも食べてなかったからなぁ」
「それだけじゃない。アッチの世界でオマエ、放電しまくっただろう?放電すると腹が減るんだ。カロリーをすごく消費する。ウチの女の霊媒師なんか、太ると通常の3倍放電してダイエットがわりにしてるんだ。あっという間に痩せるぞ」
「あははは、放電ダイエットか。それ霊媒師しかできないですよね」
「まあな。でもそれだけ消耗するんだ。だから食え、俺のおごりだ。失った分補給しろ」
「はい、いただきます」
ひとたび食べ物を口にすると、それが呼び水となり次から次へと食べ続けた。
とてもじゃないが食べきれないと思っていたその量をあっという間に平らげて、2本目のペットボトルをグイグイと飲みながら食後のプリンに手を出した。
「ああ、プリン最高!それにコンビニのごはんがこんなに美味しいなんて思ってもみなかった」
「空腹は最高の調味料って言うしな。あー俺もやっと一息ついた。今なら軽く20キロは走れるな」
「20キロって……僕はせいぜい5キロが限界ですが、途中までなら付き合いますよ?」
「いや、やめとこう。上着で隠れてるとはいえ、シャツを裂かれたエイミーの後ろを走ったら、音速で職質されそうだからな」
「あははは、ジャケットのボタンをしっかり閉めれば中はわかりませんよ」
「そうか?じゃあ行くか!」
「行きません。よく考えたらまだ仕事中ですからね」
「なんだよ!付き合うって言ったくせに。まぁ、いいや。この現場終わったら一緒に走ろう」
僕は食べ散らかしたゴミを片づけながら是非と答えた。
社長といえば3本目のペットボトルをゴクゴクと流し込み、そんなに飲んで身体が冷えないかと心配になってしまう。
そう……本当に心配だ。
軽口を叩く社長の目元には青黒いクマがくっきりと浮かび、心なしか頬がこけ、笑っているけど、激しい体力の消耗が見て取れる。
あの程度の食事では全回復は難しい。
僕が異空間で使った霊力。
田所さんと電気の糸で繋がって、溢れんばかりの電気桜で暗闇を飾り付け、そして彼女の過去にダイブして、その惨劇の一部始終を見届けてきた。
自分でも驚くような力を発揮した。
後から合流した先代に、
__さすがは私が見込んだ子だっ!すごいねぇ!天才だねぇ!
なんて言われて得意になっていた。
ああ、だけど、あれは僕だけの力じゃなかったんだ。
はじめにこの部屋に来た僕は、初めて認識した幽霊、田所さんの姿を見て気を失った。
そして意識体だけが異空間へと引っ張られ、肉体はこの部屋に残った。
残された僕の身体を守り、異空間へ飛んだ僕の為、自分の霊力を限界まで注ぎ込んでくれたのは他の誰でもない社長だった。
「エイミーがぶっ倒れてさ、こりゃ田所さんに引っ張られたって思ったんだ。それでシャツを引き裂いた。ワリィ」
倒れた僕は、時折顔を歪め、身を捩り、苦しさに唸り声を上げていたらしい。
意識のない僕は時間が経つにつれ、ぎゅるるるるる、ぎゅるるるるる、と大音量で腹の虫を鳴らしてて、
「今、きっとこの瞬間。向こうで放電してるんだなってわかったんだ。この腹の鳴りっぷりじゃあ、すっげー霊力消費してんだろって思ってさ」
霊の領域内で霊媒師が霊力負け(ちからまけ)した場合、下手をすれば現世に戻れなくなる。
僕の状況が危険と判断した社長は、迷うことなく僕のシャツを引き裂いた。
「エイミー!これを使え!俺の霊力みんな持ってけ!」
社長は僕の身体を媒体に、異空間で右往左往する僕に霊力を送り続けてくれた。
僕の左胸に残る赤黒いアザ。
これは社長がそれだけの霊力を送ってくれた、その跡なのだ。
彼の霊力がなかったら電気桜も咲かないし、霊視もできなかったと予想される。
それどころか今頃、真逆の結果になっていたかもしれない。




