第四章 霊媒師OJT16
ドンドンドンッ!!
背後から連続で壁を叩く鈍い音した。
続けて、
スパーンッ!!
と、間仕切りの襖を乱暴に開ける音。
そして再びの怒声。
「オラァッ!!テメェら!!さっきからゴチャゴチャゴチャゴチャうるせえぞっ!!ゆっくり寝てもいられねぇじゃねぇか!!」
その声にビクッと身体を震わせて固く抱き合う母娘。
だが一瞬先に田所さんが冷静さを取り戻し、震える声でこう叫んだ。
「ユリ!トイレに入って!それで中から鍵を閉めて!いつも通り、ママがいいって言うまで中にいて!わかった?早く行って!」
ユリちゃんの小さな背中を強く押し、そして背後を振り返る。
「パパ、ごめんなさい!うるさくしてごめんなさい!これからユリと2人で出かけるから!夕方まで戻らないから!もうこれで静かになるから!だから許してください!お願いしま、」
ゴンッ!!
鈍い音と共に田所さんの声が途切れた。
髪も髭も伸び放題の眼の据わった男が、謝る田所さんのこめかみ辺りを無言で殴ったのだ。
鉄の臭気が立ち込める。
田所さんはそのまま床に崩れ落ちた。
「ったく、うぜぇ女だな、これくらいで大袈裟なんだよ!」
男はヨレたTシャツに短パン姿、何日も風呂に入っていなさそうな脂ぎった髪をガシガシと掻き毟り、呻き蹲る田所さんの腹を蹴り上げ仰向けにひっくり返した。
「うぅっ……」
痛みに顔を歪め、倒れた床の上でノロノロと小さく身体を丸める田所さんを一瞥し、男は大きな足音を響かせて冷蔵庫へ向かう。
そして扉を開け中身を凝視し、舌打ちすると乱暴に扉を閉めた。
「オイ貴子ぉ!ビールがねぇぞ!夏なんだからよ、ビール切らすとかマジありえねぇだろ!馬鹿なのか?オマエは!あぁ?」
外で鳴く蝉の声が掻き消される程の怒鳴り声を上げながら、床に転がる田所さんに詰め寄る男の顔はまともじゃなかった。
目は充血し、日に焼けたのとは違う土色の肌、社会との繋がりが感じられないだらしのない格好、なにより田所さんに暴力をふるう時の嬉々とした表情。
男はまだ起き上がれない田所さんの横にしゃがみこむと、
「おい貴子。オマエ、ユリと出かけるって言ってたよな?」
こめかみから血を流す田所さんは、男の問いに答えようと顔だけを僅かにあげるも声が出ない。
「あぁ?聞こえねぇよ!はっきり喋れや!」
わざとなのだろう。
男は動けない田所さんの耳元に口を寄せ、さらに大きく怒鳴り声をあげた。
びくっと身体を硬くする田所さんに男はまた怒鳴る。
「だからよ、声出せっ!さっきから言ってんだろ?聞こえねぇんだよ!俺を怒らせるな!」
「……つりに……」
「あぁ?」
「ユ……ユリと……お祭りに……行こうかって……」
「あ?祭りだ?」
「……夏休みなのに……どこも連れていけないから……せめてお祭りに行こうかって……」
「はっ、くだらねぇ。祭りなんか行ったってつまんねぇだろ。つーかさ、祭りに行く金あるならビール買ってこいよ。冷蔵庫カラじゃん」
「……ごめんなさい、今日だけは……お願いがまんしてください……明日、パートの給料日だから、そしたら買えるから……今日でお祭り終わりなの、だから……」
「は?オマエ何言っちゃってんの?」
でも、と言葉を発した田所さんの、額にかかる前髪を男は無表情で鷲掴んだ。
そしてその髪束を力一杯上に引っぱり、強引に半身を引き起すと目一杯顔を近づけ、
「オマエさ、ほーんとに懲りねぇよな。俺に口答えすんなって何回痛い目みたら覚えんだ?なぁ、教えてくれよ?あと何回殴ったら素直に俺の言う事聞けんのかって、さ!!」
ガチガチと歯を鳴らす田所さんの顔面に男の拳が容赦なく叩きこまれた。
髪を掴まれたまま吊るされた格好の田所さんは、倒れる事も許されない。
「いっぱーつ、にはーつ、さんぱーつ」
男は無抵抗の田所さんに、ふざけた掛け声と共に何度も拳を打ち込んだ。
そのたび細すぎる彼女の身体が力なく前後に揺れる。
こめかみからの流血は元より、鼻から、口から、おびただしい量の血が弾け飛んでいる。
ああ、頼むからやめてくれ!
僕は田所さんを助ける事が出来ない。
変える事のできない過去に干渉できない。
それはもう充分にわかってる。
でも、それでも、この暴力から田所さんを助けたいのに!
どうにかしてやりたいのに!
くそ!くそ!くそ!
なんでなにも出来ないんだ!
本当に辛いのは田所さんなのに僕はただ泣きながら彼女が壊されていくのを見ているしかなかった。
ギャッ!!
という短い悲鳴と共にゴンッという鈍い音がして、暴力を受けていた田所さんが再び床に転がった。
男は「うわ!汚ねっ!」と騒ぎながら手をパタパタと振っている。
男の指先には長い髪が絡みついて__ああ、掴まれていた田所さんの髪がゴッソリと抜けている。
この暑さで汗ばんでいるのか、田所さんの髪は中々指から離れてくれない、それに苛立った男は蹲る田所さんの脇腹を蹴りながら怒声を上げた。
「ふざけんなよ!オマエの汚ねぇ髪が取れねぇよ!ったくよ!おい!貴子!いつまで寝てんだ!これでわかったろ?俺には逆らうな、わかったらさっさと起きてビール買ってこい!」
ピクリとも動かない田所さんに繰り返し怒鳴り続ける男の声に紛れ、僕の背後からカチャリと小さな音がして咄嗟に振り返る。
すると玄関のすぐ近くにあるトイレのドアがゆっくりと開き、その隙間からオレンジ色のワンピースのユリちゃんが怯えた顔を覗かせていた。




