第四章 霊媒師OJT15
重い静けさの中で、ユリちゃんの背中をさすり続ける田所さんの顔色は、心配になるほど青白い。
こんなふうに言っていいものか迷うけど__まだ、潰されていないその顔はげっそりと頬がこけ、目の下には青黒いクマがあり、目元や口元には深いシワが刻まれて、これが28才の若い女性の姿とはとてもじゃないが思えない。
咲き誇る花のように美しかった少女が、たったの10年でここまで老け込んでしまうものなのか……あの頃の何も知らない無垢な彼女を視てしまったがゆえ、その変わりように切なさと怒りすら湧き上がってくる。
さっき、部屋の奥から聞こえた怒鳴り声。
あの声の主が田所さんの夫であり、彼女をここまで追い詰めた張本人なのだろう。
そして……なんの落ち度もない田所さんを殺してしまうのもヤツなのだ。
僕はこれから始まる惨劇を見届けなくてはならない……どんなに辛くとも、だ。
薄暗い洗面所の鏡の前。
田所さんは骨ばった細い身体に怯えるユリちゃんを抱き締めて、優しく背中をさすっていた。
「ごめんね、ママがこんなところにブラシ置いちゃったからパパに怒られちゃった。ママが悪かったね。だからユリは泣かないでいいんだよ」
囁くような小声で柔らかく笑う田所さんに、涙の痕をつけたユリちゃんが顔を上げた。
そして、
「ちがうでしょ、今のはユリが悪いでしょ、ユリが狭いところで跳ねたから、それでブラシ落としちゃった……」
言いながら、ユリちゃんの大きな瞳に大粒の涙がぶわっと溜まっていく。
田所さんはそんなユリちゃんの目元を拭い、柔らかな前髪を撫でながらこう聞いた。
「じゃあ、なんでユリは跳ねたのかな?」
「……あのね、髪がね、」
「うん」
「ママが青いリボンつけてくれたでしょ?」
「うん」
「髪、すごくかわいくしてくれたから……それが……」
「嬉しかったの?」
「うん、嬉しかったの」
「そっかぁ、ユリが嬉しいとママも嬉しいな」
「本当?」
「本当だよ。だってママ、ユリが大好きなんだもの。だからもう気にしなくていいんだよ」
「うん、そっかぁ、でも……やっぱりごめんなさい。あのね、ママ。ユリもね、ユリもママが大好き!」
再びユリちゃんが田所さんに抱きついた。
幼い少女の腕に収まってしまうほどの細い腰の田所さんは、確かに幸せそうに微笑んでいた。
◆
髪をきれいに結ってもらったユリちゃんは、オレンジ色のワンピースがとてもよく似合っていた。
田所さんの身なりに比べ、ユリちゃんの服装は真新しい物ではないものの、清潔感があり決して学校に行って苛められるようなものではない。
それに細身ではあるが、痩せ細っていたり、顔色が悪いといった事もなく、健康状態も良さそうだ。
おそらく田所さんは自分の分を削ってでもユリちゃんには、きちんと食事を摂らせ、最低限の服装をさせているのだという事がうかがえる。
「ねぇ、ママ。早くお祭りに行きたい!」
相変わらず小声だが、はしゃぎねだるユリちゃんに、田所さんは微笑みながら頷いた。
そしてそそくさとユリちゃんに背を向けて、布のバックから財布を取り出すと、その中身を確認しはじめた。
僕は無粋な事と知りながらも、田所さんの背中から一緒になって中身を覗きこむ。
千円札が1枚と……五百円玉が1枚、それと百円玉が2枚に、あとは一円と五円が数枚。
カードの類いは一切なく、たったそれだけの現金のみが入っていた。
田所さんはユリちゃんにも気付かれないような微かな溜息をつき、子供の小遣いのような中身の財布を大事そうにバックの奥底に押し入れた。
そしてにっこりと笑いながら振り返ると、
「ユリ、お祭りに行ったら好きな物を買ってあげる。だけどユリはまだ1年生だから2つまでね」
「本当?2つもいいの?」
「ええ」
「やったー!」
小さくガッツポーズをとるユリちゃんは本当に嬉しそうだ。
だけど、すぐに慌てたように田所さんに問いかけた。
「ねえママは?ママの分はいくつ買えるの?」
「ママ?ママは大人だからいらないよ」
「うそ!ママだってなにかほしいでしょ?」
「大丈夫よぉ、ホントにママはいらないの」
「………………」
「ユリは?1つはかき氷にしたら?メロン味が好きだったでしょう?それともリンゴアメがいいかな?たこ焼きに綿あめにユリの好きな物がいっぱい売ってるよ?楽しみだねぇ」
田所さんは自分の分は我慢して、ユリちゃんだけに好きな物を買ってあげようとしている。
この暑さじゃ喉だって乾くだろうに、だけど2人分買うだけのお金がないのだ。
胸が締め付けられる……僕は思わずポケットに手を突っ込んで自分の財布ごと田所さんに差し出した。
たいして入ってはいないけど、お祭りで贅沢な気分を味わうくらいはなんとかなるはずだ。
だけど田所さんは財布にも僕にも気が付かない。
ああ、そうだ……そもそもここは過去の世界なのだ。
起きてしまった変えられない過去の中で、僕はただ見ている事しかできない。
くそっ!
なんて自分は無力なんだろう……!
僕の歯ぎしりを横に、ユリちゃんの弾む声が耳に飛び込んできた。
「わかった!ユリいいこと思いついた!あのね!2つともユリの好きな物買う!1つはメロンのかき氷!もう1つはたこ焼き!それでね!2つともママとはんぶんこにするっ!」
自分の案に大満足といったふうに跳ねながら、得意気に母親を見るユリちゃんに田所さんは目を丸くして、そしてすぐに目を細めこう言った。
「ユリ……ユリは優しいね。ユリ、大好きよ。ありがとう、じゃあ、ママ、ユリに甘えてごちそうになっちゃおうかな?」
2人はニコニコと笑いながら手を繋ぐ。
そしてそっと足を忍ばせて、いざ夏祭りに出かけようと玄関へと向かう。
だが、そのささやかな楽しみは叶う事はなかった。




