Track8 吸血鬼と雛罌粟~Energy Vampire~
これは俺たちが鴨川月子に出会う物語だ。
彼女は京都の旧家で生まれ、何不自由なく育てられた。鴨川家はかなり古い家で、家系図もしっかり残っているらしい。月子は幼いころから歌が好きで、地元でののど自慢大会などにも出たらしい。箸を持つよりマイクを持つことを先に覚えたと彼女は言っていた。真偽は定かではないが……。
彼女は15歳の時に幼馴染の岸田健次に誘われて、「アフロディーテ」というバンドを立ち上げた。健次は彼女の才能に可能性を感じ、彼女と一緒なら音楽で食っていけると思ったそうだ。
アフロディーテは地元でインディーズ活動を10年ほどした後、メジャーデビューを果たした。それから彼らが国内トップレベルのパンクバンドになるまでほとんど時間がかからなかった。下積みがどうとか、苦労がどうとか言う話ではない。才能というにはあまりにも非常識な成長だった。
健次は「これはすべて月子のせいやねん。あいつはいろんな意味でおかしいんや! まぁそのおかげで俺も飯食っていけるから感謝もしとるがな」と前に俺にそう話してくれた。
前振りが長くなったが、鴨川月子はいい意味でも悪い意味でも天才だった。
そして俺たちにとって……。いや、京極裏月にとって最大最凶の後ろ盾であり、同時に倒すべき相手になった……。
俺はスティックを握ると思い切りドラムを叩いた。ウラが観客たちに挑発的に声を掛けると客席から歓声が上がった。ジュンはいつも通り自分の仕事を着実にこなしていく。
2曲を一気に駆け抜けるように演奏すると、ウラはギターのボリュームを落として、メンバー紹介を始める。ウラのMCで観客席からは笑い声が零れる。本人は普通に話しているつもりなのだろうけど、俺が聞いていてもウラのMCはおかしいと思う。いい意味で。
メンバー紹介が終わると俺たちは続きの曲を演奏した。ウラの演奏する後姿を眺めながら彼女が楽しそうにしているのを見て、俺は感慨深さに浸っていた。これだけ楽しそうに歌ってもらえるヴォーカルだとドラムの叩き甲斐がある。
終盤の2曲が終わると俺のMCの番になった。俺は裏からマイクを借りると客席に挨拶をした。
「今日はライブ来てくれてありがとうございます! 俺らのバンドの演奏を聴いてもらえてすげー嬉しいです! こうして来てもらえたのも何かの縁だと思うんで、よかったらまた俺らのライブきてください! では最後の曲です! 『Moon gate』」
俺は観客たちに挨拶を済ませると最後の曲振りをした。
俺たちのバンドには珍しいバラードで、ウラも珍しくしっとりと歌い上げていく。観客たちも盛り上がるというより聞き入ってくれているようだ。
「はい! 今日はありがとうねー!」
『Moon gate』の演奏が終わり、ウラが〆ようとすると観客席から「もう一曲」コールが起こった。
「え? 何? もう一曲やれって!?」
ウラがそう聞くと観客席から一段と声が上がる。後から聞いた話だと、「アシッドレイン」のライブではこのコールがお約束になっているらしかった。
「えー!? でもさー。正直ウチら今回は曲用意してないんだよねぇ。大志さぁ? どうする?」
「そーだな……。お前が決めたら? 俺らはそれに合わせるから。なぁジュン?」
「京極さんに任せるよ! 俺らは決めてもらった曲演奏するから!」
ジュンも俺の意見に乗っかる。
「そっかぁ……。じゃあじゃあ! みんな! コピー曲でもいい? 私さぁ、いっぺん遠征とかでこの曲やってみたかったんだよね!」
ウラが観客席に聞くと、観客たちからは「いいよー」とか「うぉぉー」とか色々な声が聞こえた。盛り上がりすぎだろ。
「実はね! ウチら昨日横浜まで「アフロディーテ」のライブ行ってきたんだ! いや、マジよかったよ! 私感動してさぁ! だから「アフロディーテ」のコピーやろうかなーって思うんだけど、みんなどーかなー!?」
やはり観客席からはいい反応が返ってきた。いつも思うけど、俺たちは客に恵まれている気がする。
「よっしゃ! じゃあみんなのお言葉に甘えて「アフロディーテ」のコピーやりたいと思います! では早速聴いてください!『デザイア』」
ウラが急に曲を選んだので俺は一瞬ポカーンとしてしまった。よりによって『デザイア』を選ぶとは……。
我に返ると俺は『デザイア』のイントロのドラムロールを打ち鳴らした。ライブハウスの中は俺たちのオリジナル曲をやっているとき以上に盛り上がっている。ウラもジュンも今日一番のテンションで演奏を始めた。特にウラはテンションが上がりすぎて飛び跳ねながら演奏している。
ウラは本当に楽しそうに『デザイア』を歌った。いつも楽しそうに歌っている彼女を見ているが、ここまで笑顔で歌うウラを見たのはその時が初めてのような気がした。
俺たちは観客たちと一体になりながら5分に満たない曲を全力でやり切った。そこまでたくさんの曲を演奏したわけではないのに俺たちは汗まみれだ。
「みんなー! 今日はありがとうございました!! また神奈川絶対絶対! 来るからまた会おうねー!」
ウラの挨拶を最後に俺たちは手を振りながら舞台袖へと下がっていった。
「お疲れ! 今日はお前調子よかったなー」
「お疲れ大志! うん。マジ最高だった! いやーマジで過去最高じゃね?」
「そうだね。京極さんが最後に『デザイア』ぶち込んで来るとは思わなかったからちょっと驚いたけどさ」
「そうだぞお前。よりによってなんで『アフロディーテ』の曲なんだよ? 俺らのオリジナルだってあったろうに……」
「えー!? だってさ! せっかく昨日生歌聴けたんだし、やらない手ないじゃん? それにうまくいったんだからよくね?」
まったく。と俺は思った。いつものことながらウラは自由人だ。たしかに彼女の言う通りうまくいったから問題はないけど、難易度の高い楽曲をぶち込まれると正直焦る。
それから俺たちは楽屋に戻って、衣装からラフな服装に着替えた。汗をかきすぎたので早くホテルに戻ってシャワーを浴びたい。
「あのー、『バービナ』さんちょっとよろしいですか?」
俺たちが楽屋でくつろいでいるとライブハウスのスタッフがドアから顔を覗かせた。
「はーい! お疲れ様です! なんかありました?」
ウラは寝転がったままスタッフに返事をする。行儀の悪い女だ。
「くつろいでるところ申し訳ないです。あの、お客様でどうしても『バービナ』さんと話させろってうるさい方がいまして……。どうします? 別に追い返してもいいんすけど?」
「へ? そうなんすか? まぁいいっすよ! 会いたいってんなら会います。別に減るもんじゃないし」
ウラが適当に返事をすると、スタッフに案内されてライブハウスの別室に向かった。それにしても茨城の田舎のバンドに会いたいというもの好きはどんな奴なんだろうか?
その部屋に入ると40代前後の髭を生やしてニット帽を被った男と、馬鹿みたいにでかいサングラスをかけて胸元のあいた服を着た金髪の女が向かい合って座っていた。女の方は年齢がはっきりしない。10代に見えなくもないし、見ようによっては30過ぎにも見えた。
「あ! 来てくれたんや。嬉しいわぁ。追い返されたらどないしようかと思たわ」
「お前はいつも急なこと言うから悪いんや! 『バービナ』さんええ人たちでよかったなぁ」
2人は特徴的な関西弁でそう言うと立ち上がって俺たちの方に歩み寄ってきた。
「あのー。さっき聴いてくれたお客さんですよね! ありがとうございます! なんか話あるって聞いたん……」
ウラはそこまで言うと急に固まった。俺が固まったウラを見てみると、彼女は顔を赤くして震えている。
「そーやねん! いやな! 川崎ぶらぶらしとったら今日ライブあるゆーの見かけてな。これは行かなあかん! って思い立ったんや! そしたら君らのバンド『デザイア』やってくれたやん! もう嬉しかったわぁ。これはヴォーカルの子と話さなあかんて思ったで!」
俺もその女の話し方と声を聞いてウラの動揺の意味を理解した。最近聞いたような声だ。いや、たしかに昨日聞いた声だ。
「月子ぉ! ほんまええかげんにしーや。ほら、急に来たからこの子ら固まってるで」
男がそう言うと女は少しバツが悪そうに後ろ髪を掻いて、馬鹿でかいサングラスを外した。それまで半信半疑だった俺たちもその顔を見てさすがに言葉を失った。
「初めまして、ウチは『アフロディーテ』ゆうバンドやってる鴨川月子って言います。てか、昨日ウチらのライブ来てくれたんなら知ってるやろ?」
月子さんはそう言うと、氷のように冷たい笑顔を浮かべた。その笑顔は恐ろしく綺麗に見えた。そして俺はその表情に背筋が凍るものを感じた。なんで寄りによって『アフロディーテ』のThukikoが俺らのライブに来たのだろう? 何かの間違いだ。
ウラは顔を真っ赤にしながら必死に月子さんに握手を求めた。
「は、わわわわ。初めまして!! 月子さんなんでこんなとこ来てんすか!? マジ私、大、大、大ファンなんです!」
「あらー。嬉しいなぁ。そうなんや! ウチらのバンド好きでいてくれるなんて感激やわ。なぁケンちゃん? やっぱウチの言う通りライブハウス入って正解やったやろ?」
「ほんまやな。お前の直感はたいしたもんや。なぁ、ウラちゃんやったっけ? 君のギター見せてもらってもええか? ちょっと気になることがあんねん」
ウラは健次さんに言われるまま、自身のSGを小走りで取に行った。俺とジュンはそんな彼らを呆然と眺める。夢でも見ているような気分だった。
「やっぱりな。思った通りや! ウラちゃんこれ、YAMAHAの廃版のSGやろ? 俺が最初に使ってたギターやからすぐにわかったわ。今状態の良いこのギターほとんど見かけへんから、珍しいと思ったんや!」
「そうなんです!! 健次さんに憧れて昔手に入れました。すごく綺麗な赤ですぐに気に入ってバイト代はたいて買ったんです!」
「そうやろ? 俺もなー、この赤が好きやったんや! きれーな雛罌粟色やから俺はギターにアマポーラゆう名前つけて大事にしとったんや。どっかの阿保がライブんときにネック折りやがってもう今は使えへんけどな……」
健次さんはそう言うと、月子さんの方を睨んだ。どうやらSGを壊した犯人は彼女のようだ。
「まだ根に持っとるんやな。ごめんなさいー。ウチかてわざとやったわけやないんやからもう堪忍してや!」
「許すわけないやろ? 俺があのギターどんだけ大事にしとったかお前が一番よーく知っとっるやろ?
それから俺たちは『アフロディーテ』の2人と軽く談笑した。最初緊張していたウラも慣れたのか、嬉しそうに健次さんと話していた。ジュンはいつもと変わらぬテンションで横でニコニコしている。
「なぁウラちゃん? 明日もこっち居るんか? もし居るんやったらちょっと真面目な話があるから時間とってもらえへん?」
月子さんはさっきまでのおどけた表情から急に真面目な表情なった。
「え? 一応居ますけど……。なんすか? 真面目な話って?」
「ちょっと相談したいことがあんねん。今日会ったばかりでこんな話して申し訳ないけど、ウラちゃんに頼みたいことがあんねん……」
「月子ぉ!! やめとけや! ユキちゃん時にもう懲りたやろ!?」
健次さんが月子さんの話を遮るように口をはさんだ。それまで穏やかだった健次さんの口調が急に厳しいものになる。
「ケンちゃんは黙っとき!! ウチのことはウチが決める!」
それから場の空気が急に重くなった。月子さんと健次さんはお互いに視線をずらさずに睨み合っている。
「あの……。私は大丈夫ですよ! つーか月子さんの相談聞きたいです!」
ウラは2人の間に入るようにそう言った。2人の空気は相変わらず張りつめていたが、ウラは臆することなく続ける。
「月子さん! 私も自分のことは自分で決めます! だから話を是非聞かせてください」
「ウラちゃん、ありがとうなぁー。と、いう訳やケンちゃん! 悪いけどウチらはウチらのやりたいようにやらせてもらうで! な! ウラちゃん!」
「……。なぁウラちゃん。俺はな、月子が何話したいかわかるねん。きっとそれは君のこと追い込むことになると思うんや。話聞くのはかまへんけど、月子の言う通りにする必要はないで! こいつと一緒にいて無事やった女の子はおらんから……」
その時は健次さんが言っている意味を俺は理解することができなかった。というより、話の流れがつかめなかった。月子さんが何かしらウラに話したいということはわかったけど、それがなんでウラを追い込むことになるのだろう? 俺はその時はそんな風に考えていた。
その後、月子さんと健次さんは帰って行った。俺たちは対バンしたバンドたちと軽く打ち上げをしたあとホテルに戻ってすぐに就寝した。
翌日、俺はジュンと茜ちゃんを車に乗せ地元に帰る。ウラは月子さんと話があるので自分で帰るようだ。
「大志、ごめんねー。茜ちゃんのことよろしくね!」
「了解、お前も気をつけて帰れよ! つーか今でも信じらんねーな。なんでお前、月子さんに誘われてんだよ」
「私が聞きたいくらいだよ!」
ウラは不安半分期待半分の表情でそう言うと、月子さんの所へ出かけて行った……。
「あー、新鮮な魚は美味しいですねー。クレームも解決したし、松田先輩の話も聞けたし、今日はスッキリしました」
真木さんは食事を済ませるとお茶を飲みながらほっこりしている。
「だなー。静岡は食い物がうめーよ! 俺も出張で来たときたまに食ったけど、やっぱりいいな」
「うんうん! えーと、それでウラさんはその後どうなったんですか?」
真木さんはさっきの話の続きを俺にせがんだ。
「ああ……。結論から言うと、月子さんはウラを自分の付き人にしたかったらしい。なんでもその当時、関西から関東に住み替えるとかで新生活を手伝う相手探してたんだとさ」
「ふーん。ということは、今ウラさんは月子さんの付き人してるんですか!?」
「一応はな。ウラも誘われて一つ返事でOKしたみたいだからなー。当然といえば当然か、だって憧れのバンドの付き人になれるチャンスなんて普通はねーよ! それこそ天文学的確率だ」
「天文学的確率……」
真木さんはその言葉を噛みしめるように繰り返した。本当に夜空の星から1つ選ぶような確率だ。
「それでな。俺とジュンもバンド続けながら働くことにしたんだ。まぁ、ジュンは実際母親のところに身を寄せてって形だからまだ融通も効くわけだけど、俺はそうもいかなくてな。完全にウラに人生曲げられたよ」
俺はそう言って思わずため息をついた。その様子を見て真木さんは可笑しそうにクスクスと笑う。
「でも、松田先輩楽しそうですよ? ウラさんってきっと先輩にとって大事な人なんですね!」
「……。ま、否定はしねーよ。実際、ウラのお陰で俺らのバンドもそれなりに知名度を得たし、今の仕事だって決して嫌いじゃない。でも肝心のウラは今大変そうなんだよなー」
「え? だってウラさん憧れの人のそばに居れて、バンドも続けられてるんですよね?」
「そうなんだけよ。なかなか鴨川月子って女は曲者でな……」
鴨川月子は色んな意味で酷い女だった。基本的にマイペースでおっとりしているようだが、激昂するとウラ以上に手に負えない女だった。好き嫌いが激しく、好きなものはとことん大切にし、嫌いなものには最大限の嫌がらせをする。そんな女だった。
付き人になったウラはいつもそんな彼女に振り回され続けた。下らない用事でパシられ、さらに不機嫌な時はその感情をウラにぶつけた。健次さんの危惧していたことはこれだったのだろうと思う。
「へー、なんか思い通りにいかないもんですねー」
「まぁなぁ、月並みな言い方だけど、どこの世界も甘くはねーってことだよな。それでもウラは頑張ってるみたいだから俺も余計なことは言わねーけど」
真木さんは自分の境遇とウラの境遇を比較しているのか妙に考え込んでいた。
俺はその時、健次さんが言っていた言葉を思い出していた。2年ほど前、健次さんと俺の2人で飲みに行った時のことだ。彼はウラを心配するような口調でこう言った。
『なぁ大志君! ウラちゃんほんまに頑張ってるで! 俺がギター教えるとからっからのスポンジ並みに吸収してくれるしな! あの子は才能あると思うで。でもな月子が良くないねん。アイツは根はいい奴なんやけど、どうしてもそばに居る子をダメにしてしまうんや』
健次さんはジャックダニエルのストレートを煽りながら続けた。
『せやから大志君! 今からでも遅くない! ウラちゃんを月子から離してやってほしいんや。月子はまるで吸血鬼のように若い子の生気を吸い取ってしまうんや。本人は若々しくいられるけど、一緒にいる子が朽ちていくようで俺は見てられへん。頼むで』
彼は寂しそうな表情を浮かべながら俺の肩を力強く叩いた。
食事を済ませると、俺と真木さんは新幹線で東京へと戻った。品川駅で真木さんは何回も何回も頭を下げてお礼を言ってくれた。彼女はやはり実直で真面目なようだ。
俺は真木さんと別れると自宅のアパートに向かうために電車に乗り込んだ。
その時、ウラからLINEがタイミングよく入る。
『お疲れ大志!! 明日ジュン君とボウリング行くんだけど大志も行かない? たまには息抜きも大事よー』
やれやれだ。俺や健次さんの心配をよそにウラは元気なようだ。健次さんの不安が的中しなければいいと思いながら、俺は彼女の誘いに応じることにした。