へカテーダーク10
7月7日。
僕は池袋駅東口にあるMr.ドーナツでゼミの課題に取り組んでいた。
このミスドは僕の大学の近くにあったため、他にも学生がチラホラいる。
「それしてもウラちゃん遅いっすねー」
「京極さんはあれでなかなか忙しい人だから仕方ないよ」
七星くんは飽きてしまったのかブーブー言いながらドーナツに齧りついた。
僕が『バービナ』に入ってから早くも1ヶ月が過ぎた。
まぁ入ったと言っても、そこまで極端に僕の日常に変化がもたらされた訳ではない。
変わったことといえば、七星くんとよく出かけるようになったことぐらいだろうか?
「ちょっと連絡してみます?」
七星くんはスマホを取り出した。
「しないでいいよ……。君が掛けたらまた『忙しいのに!』って怒られると思うよ?」
「そっすねー。あーあ、なんでウラちゃんあんなにうっさいんだろ? そう思いません?」
七星くんはいつも京極さんに叱られていた。
でも京極さんの気持ちもわかる気がする。実際彼は面倒臭いタイプだ。
「でもさー。京極さんの気持ちもわかんなくないよ? だって七星くんてあの人の話あんまり真剣に聞いてないじゃん?」
「うっわーひでー。竹井さんまでそんなこと言うんすか?」
彼は不満をぶちまけるような言い方をするとやる気がないような目をして項垂れた。
「じゃあさー。一昨日京極さんになんて注意されたか覚えてる?」
「えっと……」
やっぱりだ。
この子は京極さんの話を適当に流しながら聞いている。
「『8月から予定びっしりだから体調管理と練習を欠かさないこと』って言ってたんだよ。しかも最後にわざわざ『特に七星』って付けてたしね」
「そ、それっす! 今言おうと思ったのに!」
「……。はぁ……。松田さんの苦労が目に見えるようだよ……。京極さんは優しいから本気で怒ったりしないだろうけどね……」
僕は二郎系ラーメンくらいマシマシにした皮肉を七星くんに言った。彼は欠片も気にした素振りを見せない。
七星くんとこんなやり取りを『バービナ』に入ってから毎週のようにしていた。
まだ1ヶ月程度しか経っていないけれど、このバンドの癖の強さが身に染みてわかった気がする。
あの穏やかそうな高木さんでさえかなり癖が強い。
彼は本心を言おうとはしないけれど、気に入らないことがあるとすぐに居なくなってしまう。
その居なくなる原因の9割以上は京極さんと七星くんの口論な訳だが……。
「ごめん! 待たせた!」
息を切らせながら京極さんが僕たちの席にやってきた。両手に持ったプレートの上には七夕限定のドーナツとコーヒーが乗っている。
「お疲れさまです!」
「お疲れねー! 竹井くん急に呼び出してごめんねー。私の方もスケジュール調整キツくてさ……」
「大丈夫ですよ! じゃあミーティング始めましょうか?」
僕はバッグからバンド用のスケジュール帳とボールペンを取り出した。
「ん? さっすがー! 竹井くんはメモちゃんととってくれるんで助かるよー」
京極さんは七星くんのほうを向きながら嫌味っぽく言った。
「悪かったよー。次からちゃんとメモ帳用意するから……」
「あーね。あんたはやんなくて良いよ別に」
京極さん……。さすがに七星くんが可哀想です……。僕は内心そう思った。
口には出さない。
彼女は8月のスケジュールについて詳しく教えてくれた。
『バービナ』は9月上旬に2枚目のシングルリリースを控えていた。
もう曲自体は出来上がって、その他の細かなプロモーション等の段取りは終わっている。京極さんは最後の詰めに追われているようだ。
「代理店さんが今回もうまくまとめてくれたんだよねー。『ニンヒア』とも業務提携スムーズにやってくれたみたいだし良かったよ」
「本当にスムーズですよね……。『西浦さん』もやりやすいって担当さんのこと褒めてましたよ」
僕は『西浦さん』という名称に違和感を感じながらそう言った。
でもさすがに大叔母とかおばちゃんとかこの場では言いたくない。
「ウラちゃんさー。高橋さん元気してたー? 俺もう何ヶ月も会ってないんだよね」
「んー? 元気……かは知らないけど生きてたよ」
彼女の口ぶりから察するに広告代理店の担当者は激務に追われているようだ。
「……というわけで、2人とも来月は厳しいから準備よろしくね! ジュンにも夜、会うから伝えとくよ!」
彼女はそう言うと最後に『特に七星』と付け加えた。もういっそのこと、語尾にそれを付けて話した方が楽かもしれない……。
「あー! そうだ! 今日のサークル仲間と懇親会だったんだ!」
七星くんはそう言うと持ってきたディバックに慌ただしく荷物を詰め込んで立ち上がった。
「したらお先失礼しますー」
そう言うと彼は大急ぎでMr.ドーナツから出て行ってしまった……。
「本当にあの子は……。マジでどうにかしてほしいよ……」
京極さんは心底うんざりした様子で呟くと定評のある苦笑いをした。
「そうですねー。でも細かい事気にしないのが彼の良いところでもあると思いますよ?」
「いやいや、ざっぱすぎるっしょ!!」
やはり京極さんにとって一番のストレスは彼なのかもしれない……。
僕は気を取り直して課題を再開した。
京極さんは帰ろうとはせず、オカワリ自由のコーヒーを堪能している。
少しして彼女は机に突っ伏して眠り始めたが、僕は気にすることなく課題を進めた。
来月から忙しくなる以上、今サボっている暇はない。
1時間ぐらい集中するとレポートはある程度完成した。
あとは校正をかけてエクセルに打ち込めば終了だ。
「はぁーあ、ごめん。すっかり寝てたよ……」
京極さんは大きな欠伸をすると猫のように柔らかく背伸びした。欠伸の声もどことなく猫っぽい。
「お疲れなんですね……。ずっと休みないんですか?」
「そだねー。てかフリーランスみたいなもんだから休みとか基本ないよ? 毎日仕事&毎日休みみたいな感じかなー」
「大変ですねー」
僕はレポートに目を通しながら彼女と会話していた。
彼女も適当そうに返答する。
「好きでやってるから仕方ないさ……。でもこれから山手線で新宿とかマジたるいよ」
「良かったら僕送りますか? 課題も終わりましたしドライブがてら……」
僕の提案に彼女はとても意外そうな顔をした。
「え? 竹井くん車持ってんの?」
「持ってます。元々僕の実家が国立の方なのでこっちに車持ってきてあるんですよ」
京極さんは「はぁーん」と関心とも軽蔑ともとれるような妙な声を出した。
「ブルジョワじゃん! いーなー……。じゃあせっかくだし送っていってもらおうかな?」
京極さんはこんな風に突っかかるような言い方を時々した。
でも不思議と嫌な感じはしなかった。
これは彼女が持つ特有の空気感がなせる技なのだろうと思う。
「じゃ! 竹井くんお願いねー!」
やれやれだ。京極さんはいつも通り、現金な笑顔を浮かべている。
どうやら僕もこの笑顔をすっかり見慣れてしまったようだが……。




