へカテーダーク9
僕は彼女の言葉を理解することが出来なかった。
前提条件が間違っていたのだろう。
どうやら松田大志の代替品として自分が採用された訳ではないらしい。
「気を悪くしないでね? 別に竹井くんだからそう言ってる訳じゃないよ。おそらく宇宙いっぱい探し回っても大志の代わりが務まる奴なんか見つからないと思う……」
高嶺さんは再びタバコの煙を思い切り吸い込んだ。
吸う息も吐く息も濃密で、煙が蜂蜜のように粘度が高いように感じた。
「そうですか……。じゃあ僕の採用基準は単純に技術面だけってことなんですね?」
「そ! 君のドラムの腕は確かだからね! はっきり言って大志なんかよりずっと良いと思うよ? だから君は君らしくただ参加さえしてくれれば良い! それ以上は何も望んじゃいないからさ」
どうも歯切れが悪い。
確かに『バービナ』はドラマーが欠員したから補充しただけなのだろう。
しかし彼女の言い方には妥協したというニュアンスが込められているように聞こえた。
決して満たされることのない願い。
それに対する妥協のような響きが込もっているようだ。
「わかりました。僕としても高嶺さんのヴォーカルをもり立てられるように精一杯やらせていただきます!」
「うん! ありがとう。それはそうと……。マジで歓迎パーティー開くかんね! 君お酒はいける口かな?」
「すいません……。ギリギリ未成年なんです……」
「そっかー……。じゃあ飲み会はまだ先になっちゃうねー」
高嶺さんは不思議な人だ。
冷たい印象と情熱的な印象が綺麗に混ざり合っている。
彼女のそれはまるで南極にある架空の火山のようだった。
強烈な熱量とそれを押さえ込んで余りある永久凍土。
「高嶺さんはけっこう飲まれるんですか?」
僕はごく平凡な質問を彼女にした。
前情報でかなり飲むのは知っていたけれど、これもコミュニケーションだ。
「うーん……。ぼちぼちかなー、そこまでは飲まなくなったよ? 前に『アフロディーテ』と関わってた頃は相当飲んだけどね! あとさぁー……、ちょっと竹井くんにお願いがあるんだよね……」
彼女はタバコの火をもみ消しながらダルそうにため息を吐いた。
「なんですか?」
「あーね、別に大したことじゃないんだけどさー。『高嶺さん』って呼び方変えてほしいんだよね……。我ながら慣れなくてさ。バンド外ならそれでいいんだけど、バンド内は『京極』か『ウラ』かにしてほしいんだよねー。そう呼ばれりゃ一瞬で反応できっからさ」
高嶺さん……。もとい京極さんは慣れた呼び方をご所望のようだ。
「わかりました。では『京極』さんと呼ばせていただきます」
「さんきゅ! 助かるよ!」
その後、僕たちは他愛のない話をした。
大学がどうだとか、家族がどうだとかそんなフツーな話だ。
彼女自身も自分の生い立ちや友人関係を本当にフツーに話してくれた。ある一点を除いては……。
彼女は松田さんの話には触れたがらなかった。
僕が最初に話したこと以外で彼の名前を出そうとはしなかった。
僕もあえて出さなかったけれど……。
「さぁーて、したら今日はありがとうねー。私はこれから君のおばさんとこ行くからそろそろ失礼するよー」
「そうですね……。僕も自宅戻って課題の続きやります!」
「そうそう! 学生は勉強が本分だからね! って私中卒だけど」
京極さんは所々に自虐的なボケを挟んできた。おそらくこれが彼女のコミュニケーション手段なのだろうと思う。
「ここの勘定は私が持つからいーよー」
レジ前で財布を出そうとした僕を遮るように京極さんは万券を店員に渡した。
「すいません。ごちそうさまです……」
「いいって! いいって! 先輩が後輩にご馳走すんのは当たり前だからさ! 竹井くんも七星にはたまに奢ってやってね!」
「はい! そういえば七星くんて僕のいっこ下ですもんねー」
「そだよー。ま、先輩風吹かせていいからさ! あの子すぐ調子乗るから頼んだよー」
京極さんは嬉しそうな笑顔を浮かべて僕の肩を軽く小突いた。
喫茶店を出るとJR池袋駅東口前まで彼女と肩を並べて歩いた。
座っていた時は気がつかなかったけれど、彼女は思いのほか背が小さいようだ。
「じゃーね竹井くん! 明日からよろしくー」
僕は手を軽く上げて京極さんを見送った。
さて、いよいよ明日からバンド活動に参加する。
僕は不安とは違う、妙な違和感に抱かれながらまだ見えない明日を想像した。
全く見通しの利かない。まるで霞掛かったような明日を——。




