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Track48 Ambitious!

 季節は秋を迎えようとしていた。

 あれほど暑かった夏もようやく下り坂だ。

 最初は苦労していた車椅子にもすっかり慣れ、電車も上手いこと乗り継いで日比谷くらいには行けそうだ――。

 

 半年前、俺は鴨川月子に刺され生死の境を彷徨った。

 数週間の入院生活の後、俺はどうにか退院できたが前と同じように生活を送ることは出来なかった。医師の話だと前と同じように歩くことは困難らしい……。

 ウラは俺のそんな様子を見てすっかり元気をなくしてしまった。俺の前では笑顔で振る舞ってくれてはいたけど、ジュンや七星の話だと落ち込む日も多いらしい。

 俺は前の仕事を退職し今はリハビリをしながら毎日過ごしている。どうにか捉まって歩けるぐらいには回復したが、やはり普通に生活するのは厳しい。社会復帰出来るのか疑問さえ覚える。

 例の事件の後、『アフロディーテ』の他のメンバーたちは俺のところに謝りに来てくれた。特に健次さんは俺の前で土下座までした。俺は別に彼らに対して怒っては居なかった。もっと言えば、鴨川月子にさえ怒りを覚えてはいない。

 鴨川月子の裁判はまだまだ時間が掛かりそうだ。今の彼女の精神状態では裁判をできるような状態ではないのかもしれない。そう言った意味では同情の余地さえあるように思う。

 言うまでも無いが、『アフロディーテ』は事実上解散となった。鴨川月子の夢だった武道館公演もなくなり、他のメンバーたちはそれぞれ別の道に進むようだ。

 俺はこの怪我が原因で『バービナ』を脱退した。どうやら西浦さんが新しいドラムを手配したようで、とりあえずはバンドとしては活動できるようだ。悲しいことだが俺の代わりのドラマーなど腐るほどいる。

 とりあえず会社は無期限休職と言うことで話がまとまっている。ありがたいことに他の社員が俺を庇ってくれたようだ。(真木さんも泣きながら談判してくれたらしい。)

 俺が死にかけてから周りの人間はみんな俺を気遣ってくれている。会社にしてもバンドにしても家族にしても自分の時間を割いてまで俺を大切にしてくれた。

 それでも俺は生きる気力がすっかり失せたように感じる。車椅子に乗って空を見上げるとこれから続く人生に嫌気が差した。

 絶望や苦しみではない。これはあまりにも何もない虚無感――。

     

 そんな俺が日比谷まで来たのには訳があった。

 1ヶ月程前にジュンから連絡があり、『バービナ』のメジャーデビュー後初の単独ライブが開催されると聞かされたからだ。場所は日比谷野外音楽堂。

 野音でのライブはウラにとっての念願だった。話を聞いたとき俺は素直に嬉しかったし、ウラの喜ぶ顔も目に浮かんだ。

 でもウラは俺に直接連絡して来なかった。

 ジュン曰く、「京極さんは大志に合わせる顔がないと思ってるんだよ」とのことだ。別に気にすることないのに。

 それでもウラは俺にはライブに来て欲しいらしく、ジュン伝手で俺にチケットを送ってきてくれたのだ。

 ライブ当日、俺は地下鉄を乗り継いで日比谷へと向かっていた。ありがたいことに手助けしてくれる人もいる。

「大志さん大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう。自分で押せるから問題ないよ」

 俺は車椅子の車輪を押しながらどうにか電車から降りた。

「えーと、あっちにエレベーターあるんで行きましょう」

「悪いなールナちゃん。こんな時まで気を使わせて」

 その日、ウラの計らいで彼女の妹が俺のヘルパーになってくれていた。彼女は以前見たときよりも幸せそうで、ニコニコしながら俺の手助けをしてくれた。

「もー! お姉も言ってたけど、困ってるときはお互い様ですよ! 大志さんまだ全快じゃないんですからもっと頼って下さいね!」

「ありがとう。恩に着るよ。ウラの奴なんか言ってたか?」

「うーん……。やっぱり大志さんが居なくなって寂しいみたいですね……。あの人ああ見えて寂しがり屋だし……。でも元気にはやってるみたいですよ! 新しいドラム君とも仲良くしてるみたいですし」

「そっか……。ならよかったよ! たしか新しいドラムは……。竹居君……? だっけか?」

「そうです! 七星君のいっこ上の子です! でもしっかり者らしいので私としては安心ですけどねー」

 新しいドラマーは良い腕をしているらしい。ジュンの話だと少し生意気なところはあるが、実力は問題ないようだ。七星とはいつも意見が割れて喧嘩するらしいが、少しずつ馴染んでは来ているようだ。

 日比谷駅から人の波に飲まれ、どうにか野音の入り口までたどり着くことが出来た。ルナちゃんは人混みがあまり得意ではないのか少しあたふたしている。

「うわぁー。すごい人ですねー! これがみんなお姉たちのバンド見に来てくれたと思うと感激ですー」

「だなー。ありがたい話だよ。たしかルナちゃんの友達も今日来てるんだろ?」

「ですよ! 中学の時の同級生が来ているはずです!」

「俺も事は良いからその子たちのところ行って良いよ? どっちにしても車椅子じゃそんなに動けねーし、ルナちゃんは自分のやりたいようにやりな」

「いやいや、そういう訳にはいかないですよ! 今日はお姉から大志さんのお世話をしっかりするように頼まれてるんですから!」

 結局ルナちゃんは俺に付き添ったままライブ鑑賞をするようだ。

 会場は熱気を帯びていた。屋外ステージでの演奏は『バービナ』としてはかなり珍しい。単独イベントとしての屋外ライブはこれが初めてのはずだ。

 開演直前になると場内アナウンスにウラの声が聞こえてきた。

「あ、あ! えーとマイク入ってるよね? えー、皆様本日はお忙しい中『バービナ』ライブツアー2021ファイナルにお越し頂きありがとうございます。」

 聞き慣れたウラの声だ。マイペースな声で彼女はその日の挨拶と注意事項を話し始めた。明らかにカンペ読みしている。

「……。というわけでもうすぐ開演です! 今しばらくお待ちください! では!」

 俺は案内を読み上げているウラの姿を想像しながら聞いていた。どことなく声が緊張しているようだ。

「お姉っぽいですね。なんか適当そうで」

「ほんとにな。あいつメジャーデビューしたってのに全然変わんねーのな!」

 俺とルナちゃんはウラの声を聞いて互いに顔を見合わせて笑った。

 ウラの挨拶があってから数分後、『バービナ』がステージ上に現れた。最初にジュン、次に七星、新メンバーの竹井。

 ヴォーカル以外のメンバーたちは所定の位置に付くと、観客席に大きく手を振った。七星も緊張しているようで変な笑いを浮かべている。ジュンはいつも通りだ。まぁジュンに関してはいつものことなので俺も特には気に留めなかった。

 意外だったのは俺の後任のドラマーだった。彼は落ち着いた様子でドラムセットの前に座ると何事もなかったかのように正面を向いて穏やかな表情で笑った。まるで緊張している様子はない。もしかしたらこういう場に慣れているのかもしれない。

 そして――。

 遂にヴォーカルがステージに上がる。彼女がステージ中央に向かって歩いて行くと、客席からは大きな歓声が上がった。ウラは堂々とした姿でステージ中央まで歩いていくと、マイクの前に立って客席全体を見渡した。

 ウラがステージにたった瞬間、野音の空気が凜としたモノに変わった。その一瞬にして変わった空気をゆっくりと打ち破るようにウラは左手を天に掲げる。

 会場にドラムロールが響き渡り、それに続くようにジュンと七星も弦を弾き始めた。

 その曲は俺のよく知っている曲だった。

 俺が曲を書き、ウラが詞を書いた曲――。

 ウラはステージ上から客席に身を乗り出して激しく歌う。ギターがない分彼女の動きは以前より激しい。七星もこの半年で相当ウラに鍛え上げられたのか、『バービナ』の楽曲を完全に弾きこなしていた。

 新生『バービナ』は俺が居たときよりもクオリティが高くなったように思えた。ウラのステージパフォーマンスは格段に向上したし、ジュンも以前より安定している。問題視していた七星もすっかり馴染んでいた……。

 そして何より、新しいドラマーの技術は俺とは比較にならないくらい高いモノだった。

 正直に言おう。俺はその新しいドラマーに嫉妬していた。

 実に女々しいが、俺が居れた場所に別の人間が居ると言うのは本当に悲しいものだ。

 1曲目の演奏が走り抜けると休む間もなく2曲目の演奏が始まる。

  横を見るとルナちゃんも楽しそうに手を振り上げていた。彼女らしいのだけれど、上げ方が他の観客より控えめだ。

 2曲目の演奏が終わるとウラは仕切り直すようにステージの中央に戻った。彼女は息を切らしながら汗を流して笑顔を浮かべている。

「改めましてこんにちは! 『The Birth of Venus』です! 今日はねー。ウチらとしては初めての野外単独ライブなんだよねー」

 ウラはそう言いながら汗を拭うような仕草をし笑みを浮かべた。

「本当にツアーファイナルにこんなにたくさんの人に来てもらえるなんて思っても居なかったからすんごい嬉しいです! いやマジで最高だよね!」

 観客席からはウラの名前を呼ぶ声がたくさん聞こえた。「ウラちゃん」と「ヘカテーさん」と2種類で呼ばれているのはファンになった時期の問題だろう。(実際は「ウラちゃん」と呼ぶ観客が大半だが)

「したらねー。次の曲行っちゃうよ! みんな準備はいいー?」

 観客たちはウラの声に応え、そしてライブは次の曲へ移行していった――。


 ライブは例によって大盛況で進んでいった。まだ明るい時間に始まったのに気がつけば辺りは夜に飲み込まれている。

 『バービナ』の演奏はノンストップで続いていった。ジュンも今回ばかりは疲労感が出ている。七星と武居君は若いせいかまだまだ元気を持て余しているようだった。

「はい! いやー楽しいねー。半端なく気持ちよかったよー!」

 ウラは汗をかいた顔でステージから観客席全体を見渡すようにそう言った。

「この度、『Ambitious!』という私たちにとってとても大切なアルバムが出来ました。そのアルバムを引き下げてこのツアーが出来てすごくすごーく嬉しいです。本当に! ありがとうございます!」

 ウラは耳に付けているイヤホンを直しながら続ける。

「このアルバムを作るに当たって、私たちは色んなモノを得て、そして失ってしまいました。得たモノは今回こうしてツアーが出来たこと、そして私たちの曲を聴いてもらえるファンの皆様に出会えたことです! ありがとうございます!」

 ウラはそこまで言って客席に深々と頭を下げた。他のメンバーも同じように頭を下げる。「そして……。失ったモノもたくさんありました。なくしてしまったモノにいつまでも執着していたくはないですが、私はその失ったモノを一生忘れずにいようと思います! やっぱり痛い思いとかもしないと学べないこともあるしね!」

 ファンの大半はその失ったモノが何なのか理解しているようだ。

「そして、今回! 私たちにとってとても大切な曲が出来ました。これはバンド始まって以来初めて私が作詞作曲した曲です。みんなを笑顔にしたくて、もっとみんなに楽しい気持ちになって欲しいと思って曲を作ったんです。……。でも気がついたら私たちをずっと応援してほしいって楽曲になってしまいました」

 実にウラらしい。観客席からも笑い声が溢れる。

「でも……。この曲がみんなを少しでも幸せにしたり、笑顔に出来たら良いなって思います! 今日はこの曲を歌うために来ました! それでは聴いて下さい! 最後の曲です! 『Ambitious!』」

 『Ambitious!』のPOPなメロディが会場内を包みこんだ――。

 普段の激しい『バービナ』の曲と違い、『Ambitious!』は優しく穏やかに会場に響き渡っている。

 新しい『バービナ』の姿を見た俺の瞳からは一筋の涙が流れていた。この涙の意味がなんなのか上手く説明することは出来ない……。

 ウラの声が響き渡る野音で、俺は永遠に失われたモノについて考えていた。

 あと少しで手が届いたはずなのに2度と届かなくなってしまった――。

 高嶺裏月は俺にとって大切な人だった。

 俺は歌うウラに手を伸ばそうとして、伸ばした手を下ろした。

 夜空には大きな満月が浮かび、裏月のこれからを祝福しているようだった――。


 END

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