Track37 40インチの宇宙
「大志悪いなー。俺のところまで来て貰って」
ジュンは手帳に書き込まれたスケジュールを確認しながら俺にそう言った。
「気にすんな! こっちこそ無理言って悪かったよ」
「じゃあマリさんに時間貰ってるからちゃっちゃと済まそうか?」
俺は百華さんから貰った資料のコピーをジュンに渡すと簡単に説明した。
「了解……。スケジュールの件は俺から高橋さんに連絡しとくよ!」
「忙しいのにわりーな」
「お前さぁ、俺にまで謝んなよ! すっかり営業だな……。そうだ! マリさんに会ってけば? 久しぶりにお前にも会いたいって言ってたし!」
ジュンの母親に会うのは久しぶりだった。実は上京してから一度も会っていない。まだ俺たちが茨城にいた頃に食事に連れて行ってもらって以来、彼女に会ってはいなかった。
楽屋に入ると彼女はいた。久しぶりだと言うのに前に会った時と、容姿も雰囲気も変わっていない。職業的なものなのか彼女からは生活感が感じ取れなかった。
「あれー? 大志くーん、ひさしぶりー」
「どうもご無沙汰してます……」
「すっかり大きくなっちゃって! おばさんビックリだよ」
彼女はまるで近所のおばさんが久しぶりに知り合いの子供を見たかのようにそう言うと、俺の姿を上から下に掛けて眺めた。
「ジュン君にはいつも世話になってます。マリさんも元気そうで良かったですよ」
「まぁ、ご丁寧にありがとう! こちらこそいつもジュンがお世話になってます。あの子友達少ないでしょ? だから私も嬉しいのよー。大志君が居てくれるなら私も安心だし!」
積もる話。
ここ数年間で何があったのかを世間話のように話した。
彼女はテレビで見るとキツそうに見えるが、こうして話してみると本当に話しやすい。どっかのバンドのヴォーカルとはエライ違いだ。
「お陰様でバンド活動も上手くいきそうです! 色々と障害もありましたけどなんとかなりそうで良かったですよ」
「そうみたいねー。ジュンから聞いてたけど、良い広告代理店さんと知り合えてよかったよねー。あ! そういえば、月子さんにこの前会ったよ!」
彼女はあっさりそう言うと、ニコニコ笑ってみせた。
「え!? あの女に会ったんすか?」
「コラコラ、年上の女性にあの女とか言っちゃだめでしょ! 彼女、私とも歳が近いから色々と話せたんだよー。関西弁のクセが強くて面白い人だよねー」
マリさんは鴨川月子の話を面白そうに話した。
「そうだったんですね。まぁ確かに彼女はノリ良いですし、話しやすいかもしれませんね……」
俺のその態度にマリさんは察したのか、落ち着いた様子で話し始めた。
「色々あったのはジュンから聞いてるよ……。京極さんのことも大変だったよね。でも私たちもこの業界で生きてる身だからあまり事を荒立てたくはないんだ……。でも釘は刺しといたけどね……」
「わぁー、多賀木さんやー!! めっちゃ美人やん!!」
彼女は意外なことにカジュアルな服装で私の前に現れた。表情を見るととても生き生きしている。まるでまだ20代くらいの若い子に見えるのは彼女が、元来持つ雰囲気のためだろう。
「初めまして! 月子さんですね? こんな活躍されてる方とご一緒できて光栄です」
私は丁寧な言葉を選んで彼女に挨拶した。彼女は私の息子たちの天敵だった。ジュンの話だと1回いざこざがあって、相当揉めたらしい。
「まぁー、ご丁寧にありがとうございますぅー。ウチも会えて光栄ですぅ」
彼女の関西弁はかなり強めだった。京都の人間とはよく仕事するけど、ここまでコテコテなのは珍しい。私は話題に出すかどうか考えたけど、息子たちの話を出すことにした。
「本当にねー。えーと……。そういえば、うちの息子が失礼したようで申し訳ありませんでした。今後このような事がないように、よーく注意しておきましたので……」
私は心にもなかったけど、彼女に深く頭を下げて謝罪した。
彼女は私のその態度に驚いたのか私の下げた頭を上げるように私の両肩に両手を添えた。指にはクロムハーツの指輪が鈍く光っている。
「何ゆーてはりますの!? 頭上げてください!」
「すいません……。本当に申し訳ない……です……」
私は涙で目を潤ませながら彼女の瞳を見つめた。彼女も私の表情を見ると、涙につられたかのように瞳を潤ませる――。
いつからだろうか?
私は自由に涙を流せるようになった。これはある種の職業的なもので、感動していようがしていまいが関係なく涙を流せるのだ。
私のこの涙を嘘泣きだと気づく人間はたぶん居ないだろうと思う。(例外として旦那と息子にはバレバレらしいけど……)
感情に流されたのか彼女はあっさり私に心を許してくれた。
「いやー、正直どないな顔して会おうか考えてたんで助かりましたわぁ。ウチも感情的になりやすいところがありますからぁ。芸歴の長い先輩なんでめっちゃ怒られるかとハラハラしてたんですぅ」
「いえいえ、私も息子にちゃんと口の利き方を躾ていなくて申し訳ありませんでした」
どうやら彼女は自分の尊厳を守ってくれる相手には寛大なようだ。確かに芸歴から言うと私の方が長いし、多少は気を使っているのは確かなのだけれど。
その日、私は珍しくトークバラエティ番組の収録に参加していた。普段、この手のトーク番組の依頼は受けないのだけれど、出演者に彼女がいたことで私は仕事を受けることにした。
息子たちのバンドを干している女の顔をこの目で拝みたかった。
いつもなら穏やかな私もジュンの話を聞いて、内心ではハラワタが煮えくり返っていた。争いになんて無駄な労力を割きたくない……。通常の私ならそういう判断をするところだろう……。
しかし、今回は息子とその大切な友人たちが痛めつけられていた。
ダンジテ、カモガワツキコヲユルスワケニハイカナイ。
「それにしてもほんまに多賀木さん美人さんやわー。ジュン君も綺麗な顔しとるけどやっぱ半端ない! 感動や」
「うふふ……。ありがとうございます」
その後、私たちはスタジオに入って収録を行った。普段バラエティに出ない私が出演しているせいか、スタッフも出演者も私に気を使っているのが手に取るようにわかった。
基本的に番組は和やかなムードだった。芸人さんたちも私をどうイジって良いのかわかならいようだったから、私はとりあえずボケてみた。
『天然風にボケると編集で私が面白くなるだけの簡単なお仕事です』
そんな感じだった。
「はーい! 皆さんお疲れ様でしたー!!」
収録は恙なく終わった。月子さんは私よりはバラエティ慣れしているようで芸人ばりにみんなを笑わせていた。これに関しては関西人が羨ましいと思う。
「多賀木さーん! 今日は楽しいお仕事でしたー。ほんまにありがとうございましたー」
「こちらこそ、色々とフォローして頂いてありがとうございました」
「せや! せっかく仲良くなれたんやから連絡先教えてください!」
「もちろん!」
私は月子さんと連絡先を交換した。彼女は嬉しそうに鼻歌交じりでスマホをバッグにしまう。
「ほんま多賀木さん最高やなー。やっぱ大物は違いますなー」
「いーえ、私なんてまだ若輩ですので……」
「何ゆーてはります!? それゆーたらウチなんか赤ん坊やで!」
私たちは連絡先を交換するとそのまま、スタジオの近所にある喫茶店へと向かった。彼女はすっかり私に慣れたようで「マリさん」とファーストネームで呼び始めていた。
死ねばいいのに。
喫茶店に入る前に彼女は巨大なサングラスを掛けた。あまりにも大きすぎて鼻から下にずれ落ちそうだ。
「マリさんは何で女優になろうと思ったんですぅ?」
彼女はコーヒーに砂糖を入れながら私に聞いてきた。
「ああ、まだ私が小さい頃に子役のオーディションに親が書類出したのがきっかけです。私の実家はあまり裕福な家じゃなかったので、少しでも稼ぎが欲しかったのでしょうね。それで運良く選考通って、それ以来ずっとこの業界にいます……。なんだかんだ……、もう40年はこの業界にいるんですよね」
「芸歴40年て! やっぱ半端ない!! ウチなんかほんまに赤ん坊やん!」
「運が良かっただけです。それに、周りの人たちにも恵まれました。やっぱりどんな業界でも人が一番大事ですね」
「そうですね! ウチらもスタッフに恵まれてる気がしますー。メンバーもそうやけど、ほんまに人って大事やなーって思う!」
月子さんは感慨深そうにそう言うと、ほっこりとした笑顔を浮かべた。目の周りには年齢を称えるような皺が見え、不格好にほうれい線が浮かび上がった。
「私はね月子さん! 本当にスタッフや応援してくれるファンを大事にしたいんです。ほら、私たちの商売って明日には干されるかもしれない商売じゃないですか? そんな不安定な商品をサポートしてくれてるみんなには頭が下がりますからね……」
「ほんまにその通りですね! 支えてくれる人たちへの感謝を忘れたら罰が当たります!」
どの口でそれを言っているのだろうか? あれほど支えていた京極さんを陥れた癖に。
「月子さんが理解がある方で良かったですよ。それに実力もある! これからもっともっと飛躍されるんじゃないかなー」
「ハハハハ!! ウチも頑張りますよー。今度念願の武道館公演も決まったし、これからが大事やから!」
「すごいですよねー。本当に私みたいに地味に仕事してる人間からすると尊敬しちゃいます。まったく『バービナ』ももっと頑張って貰わないといけないですね」
私が不意に出した『バービナ』という言葉に月子さんの顔は一気に引きつった。
「そうですね……。ほんまに彼らにも飛躍して貰いたいですわ……。ウラちゃん……。京極さんもウチらの手を離れたとはいえ、大事な子やからね……」
「月子さんはお優しいですねー。やっぱりそこまで活躍されてると懐も深いんですね! 私だったらそんなに素直に応援できませんよー。失礼なことされたのにそう言えるのは人として成熟している証拠だと思います!」
私は何も知らない風を装って彼女に優しく微笑みかけた。
冷や汗――。
彼女が明らかに冷や汗をかいているようだ。汗でファンデーションが滲んでいる。
「いやいや……。そんなウチは出来た人物じゃないです……」
「いえ! 私の見た限りでは月子さんは優しくて思いやりがある方だと思います!」
彼女は震えていた。震度2くらいかな?
「まぁあの子らはウチが面倒見んでも頑張れるバンドやと思います! 彼らはそれくらいのレベルやから!」
「うふふ、息子のいるバンドを評価してくださってるんですね。すごく感激です。そうですねー。あまり『アフロディーテ』さんに迷惑お掛けしても申し訳ないですし、これはお互いに競い合うようにいけたら良いですねー。お互いフェアプレーに!」
「フェアプレーにね……」
フェアプレーという言葉を吐きながら月子さんは苦しそうにしていた。
美しき針の筵。
「本当に月子さんは一流のアーティストですね。あんなに駆け出しのバンドとちゃんと向き合ってくださるんですもん! まぁ陰ながら彼らを応援してあげてください。私は月子さんが『バービナ』と共に飛躍することを願っておりますので」
そこからは実のある会話はしなかった。ほとんど彼女の退屈な自慢話を聞かされたわけだ。それでも彼女は相当な後ろめたさがあるようで私の目を見ようとはしなかった――。
「……ということがあったんだー。月子さんには可愛そうなことしたけど、多少はお灸を据えてやんないとね。彼女もさすがに察してくれたんじゃない? そこまで馬鹿じゃないだろうし」
マリさんはそう言って俺に微笑みかけた。
「なんか……。女って怖いですね……」
「ハハハ、違うよそれは、女じゃなくて怖いのは母親! 私だってこれでも人の親だからね。ジュンは可愛い。それに大志君に対してはもちろんだけど、京極さんに対して酷いことした彼女を許したり出来ないんだよ。あの子はもしかしたら私の娘になるかもしれない子だしね……」
マリさんは本気なのか冗談なのか分からないことを言うと壁に掛かっている時計を見た。
「あー! ごめん大志君! そろそろ時間だ! じゃあお仕事とバンド頑張ってね!」
「はい! ありがとうございます!」
俺はマリさんに礼を言うと彼女の楽屋を出た。
最近は、怖い協力者が増えている気がする。高橋さんにしても百華さんにしてもマリさんにしても味方でいてくれれば心強いけど敵に回したくない人たちばかりだ。
俺はそんな事を考えながら自宅に帰った。部屋の電気をつけるとソファに腰掛けてなんとなくテレビをつけると俺はギョッとしてしまった。
なんというタイミングだろう。
よりによって、マリさんと鴨川月子とが一緒に出演しているトーク番組を放送していた。
何も知らずに見れば何の変哲もないトーク番組のはずだ……。時々挟まれるボケ、予想外なキャラクター性、感動的なエピソード……。
そんなありふれたテレビ番組だ。
その裏側を垣間見た俺は、その世界の深さに飲み込まれそうになった。
たった40インチのモニターなのにそこに映る映像は極小な宇宙のようだった――。




