Track35 POP SENSE
その朱色は年月を称えるような色をしていた。さらにネックの部分のマホガニーの黒檀色がその朱色を際立たせているようだ。
ウラは新しく手に入れたSGを抱えて、首を傾げながら新曲のアレンジをしている。未だに彼女は手首を上手く動かすことが出来ないようで、不格好なネックの持ち方をしていた。
「うーん……。難しいねー」
「あんまり無理すんなよ? お前まだ全快してるわけじゃねーんだから」
「大丈夫だよー。それにね、リハビリしながら練習しないといつまで経っても復帰できないじゃんよ!」
そう言うとウラはまた嬉しそうにアレンジを始めた……。
高橋さんはどうやら上手くやってくれたらしく、新曲タイアップの話はトントン拍子で進んでいた。百華さんもこまめに連絡くれたし、テレビ局のディレクターからも挨拶の連絡があった。
「しっかし高橋さんてすごい人だねー。本当に問題なく進んでるもん! 気持ち悪いくらいだ……」
「だな……。気持ち悪ぃーよマジで」
俺は事の顛末をウラに話しておいた。彼女は複雑な表情をしながら「そっか……」とだけ言って後は何も言わなかった。
ウラとしては、鴨川月子があまりにもあっさり丸め込まれたのが信じられないようだった。
高橋さんの話だと『アフロディーテ』側からの圧力はあれ以来無いらしい……。これは嵐の前の静けさなのだろうか? 俺はそう思いながらも不安に蓋をして、意図的に意識の底にそれを仕舞い込んだ。
「そういえば! 今回私芸名変えることにしたから!」
ウラは唐突にそう言った。彼女はギターから手を離すこと無く淡々と続ける。
「芸名? お前芸名なんかあったっけ?」
「あーあ、気づいてなかったのかよ……。あのね! 私が音楽活動するときはちゃんと芸名使ってたんだよ? 1回アルバムの作詞欄見てみ?」
そう言われて俺は、彼女の部屋の本棚に入っている俺たちのファーストアルバムを手に取った。CDケースから歌詞カードを取り出すとペラペラと捲ってみる。
歌詞カードの作曲欄には、『大志』と『ジュン』と書かれている。当たり前だが。
作詞欄にはウラの芸名が書かれていた。作詞、『京極ウラ』。
「これって芸名じゃ無くねーか?」
「あのさー。今更だけど私の本名『京極ウラ』じゃねーから! キョウゴクヘカテー!」
「そりゃそうだけどよ……。で、新しい芸名どうすんだよ?」
俺がそう聞くとウラはギターをスタンドに置いて、財布から名刺を取り出して俺に手渡した。
「なんだ? お前名刺なんか作ってたのか? えーと……」
そこには『高嶺裏月』と書かれていた。ローマ字でご丁寧に『Takane Hecate』とルビもふってある。
「これからはこの名前で活動するよ! 戸籍上は今までと変わんねーけど」
「別に変えるのは構わねーけど、なんで高嶺にしたんだ? これって七星んちの名字だろ?」
「私はね……。長いこと親父に縛られてきたんだ――。これは精神的な意味だけどさ……。ずっと京極の家で居場所がわからないままだった」
ウラはそう言うと頭を強く掻いた。
「それで?」
「それでね! まぁ色々あって親父は死んじゃったしさ! でも私はどこかで父親を許せずにいたんだと思う……。別に妹が悪いわけじゃ無いんだけどあの子にもずっと嫉妬してきた気がするんだよね。ほら、あの子は親父に可愛がられてたし、毎日のように比較されてたから余計ね」
彼女は穏やかな表情のまま、まるで晩ご飯の献立でも言うように淡々と話を続けた。
「形はともかく、私も妹も親父に依存してたんだ。妹はいい子でいることで、私は悪い子でいることで父親に認めて貰いたかったんだと思う。でも……。もうそんなことどうでもよくなってさ! 親父が死んだときにそれをすごく考えたんだ……。だからさ……」
「だから?」
「だから、私は反抗の象徴だった『アフロディーテ』から出ることが出来たんだと思う。認めたくなかったけど、私は父親の陰に怯えてたんだと思うんだよね……。でももういいんだ! 仮に父親が私を認めなくたってもう構わない。あの人が私を毛嫌いするのはあの人の自由だし、そのことは私の人生に何の関わりも無いんだ。そう思ったから名前を変えようと思った。今までの自分とも決別する意味でさ」
彼女はそう言うと俺の方に手を回した。普段の彼女より体温が高く感じる。
「そうか……。でも変えるにしたって何で母親の旧姓に?」
「ほら、前に大志と一緒に甲府のじいちゃんち行ったでしょ? 実はあのとき伯父さんに娘にならないかって言われたんだよ? 残念ながら即答で断ったけどね。でも母さんの名字くらいは貰ってもいいかなって思ったんだ。許せなかった父親のことは別として、母さんの思い出は大事だしね。まぁ芸名変えた理由はこんな感じだよ! うまく説明できねーけどね」
俺はウラの体温を感じながら彼女の鼓動が落ち着かず動いているのを肌で感じていた。ウラの肌に触れていると自身の体温も上がっているのを感じた。彼女の匂いを近くで嗅いでいると俺の鼓動が早くなる。
俺はウラを体から話して彼女の家のキッチンにある換気扇までタバコを吸いに行った。逃げるように。
「あ、私も一服付き合う!」
2人で換気扇の下でタバコを吸う。この行為にもすっかり慣れたはずなのだが、今日は落ち着かない。
「で? 新曲の歌詞どうすんだよ? 少しはまとまりそうなのか?」
俺は自身の気持ちを整理する意味も込めて彼女に聞いた。
「うーん。叩き台は作ったけどまだ形にはなってないかなー。でも曲名はもう決めたよ!」
「ふーん。なんて名前だよ?」
「クライアントの意見を反映しつつ、これからの私たちにとって大事になりそうな曲にしたかったんだ! 『アフロディーテ』の『デザイア』に当たるような曲にね。だから曲名は――」
俺はウラから新曲のタイトルを聞いた。
俺たちのバンドにとって最初で最後のPOP曲。
彼女が決めた新曲のタイトルは……
「Ambitious!」




