パンデモニックプラネット10
旅館に着くと楠田さんは深いため息を吐いた。
「やれやれ……。やっと着いたね」
「そうだね。出かけるのちょっと休んでからにする?」
「うん。俺はその方がありがたいかな」
お世辞にも楠田さんは体育会系ではない。前に那須高原に旅行した時だって、息が上がっていた気がする。
「じゃあお茶でも煎れるね」
「ああ、ありがとう……。渋谷さんは元気だね」
「まぁね……」
心の中で「あんたよりは若いからね」と呟く。当然、言葉にはしない。もし言葉にしたらきっと彼は気にするだろう。
旅館の部屋からは太平洋が一望できた。下を見るとヨットが何隻も泊まっている。左側に由比ヶ浜、右側に海。そんな風景だ。
「良い眺めだねー」
私は窓を開けながら楠田さんに目をやった。
「うん……」
生返事。声から察するに半分くらい夢の中にいるらしい。
「ちょっと眠ったら? 私1人で少し散歩してくるからさ」
「ああ……。そ……。だね」
そう言うと彼はゆっくりと瞼を閉じた――。
窓から柔らかく潮くさい風が入ってきた。人々の雑踏が遠くに聞こえる。その雑踏と波の音を聞いていると非日常に来たと実感できる気がする。
「じゃあ……。ちょっと行ってくるね……」
私は完全に眠ってしまった楠田さんに小さく声を掛けた。返事はない。ただの楠田のようだ。
旅館から出るとそのまま海岸線に向かった。部屋で感じたより潮の香りがする。波打ち際の砂は濡れたと思った瞬間に乾いていく。
私はそんな海辺の景色を眺めるのが好きだった。子供の頃は綺麗な貝殻を集めるのが楽しみで、波打ち際に立って脚さらわれるような感覚も飽きることなく楽しんでいた。
大人になった今でも砂浜を裸足で歩きたいとたまに思う。まぁ、都内には砂浜なんて呼べる場所はあまりないけれど……。
小一時間ぐらい手すりに寄りかかってそんな景色を眺めた。ただ見ているだけでいい。景色から何か貰おうだとかお返しをするなんて考える必要はない。ギブもテイクもない関係。毒にも薬にもならない。そんな関係。
たしか母も海辺の景色が好きだと言っていた。母の実家は神戸の港町だったので海はきっと懐かしい気持ちになるのだろう。
「戻ろう」
独り言のように呟く。そろそろ楠田さんも目を覚ましているかもしれない。




