パンデモニックプラネット2
母は生粋のバンドマンだ。彼女は40を超えた今でも現役でライブを熟している。身内なのであまり実感は湧かないけれど、母のやっているバンドはかなり人気なようだ。
父はその業界の人間ではないけれど、母の活動に一定の理解を示していた。まぁ、理解といっても余計なことを言わないだけで特に協力するわけではない。
詳しくは知らないけれど、渋谷家の経済基盤の8割近くは母が支えているのだと思う。決して父が薄給というわけではない。単純に母の収入が多すぎるのだ。
父はそれに関して何も言わなかった。配偶者が自分の4倍くらい収入があっても気にはならないらしい。まぁ、父はお金には無頓着な人間なので当然と言えば当然かもしれないけれど。
「今日はお父さん遅うなるらしいで」
「仕事忙しいの?」
「そうみたいやね。まったく困りもんやで。あの人お人好しすぎるからな-」
お人好し。まさに父にぴったりの言葉だと思う。変な言い方だけれど、父は「いい人」だった。善良な人。お人好しの凡夫。それが私の父親だ。
この夫婦の娘を長年しているけれど、彼らが喧嘩しているのを見たことがない気がする。どちらかと言えば母だって穏やかだし、父はまず怒らないような人だ。私が反抗期の頃は母に多少は怒られたけれど、それを除けば、私はかなり甘やかされて育ったと思う。
温室育ち。ヒロさん曰く「箱入り娘」だそうだ。
「お父さんもねー。もう部長なんだから少しはゆっくりしたらいいのに……」
「そうもいかんのやろな。あの人、部下に働かせて怠けるような人でもないからな」
そんな会話をしながら料理を作る。今日の夕食は回鍋肉と中華スープだ。
「えらいええ匂いするな」
「でしょー。セルフ自炊の成果だよね」
「アハハ、ごめんなー。落ち着いたら私も作るからな」
母は少し申し訳なさそうにしたけれど、私はあまり気にしてはいなかった。むしろ料理や洗濯を好きだし、役割分担できるのは嬉しいと思う。
テーブルに料理が並ぶ。中華のおいしそうな匂いがリビングに広がった。
「逢夜……。めっちゃ美味いやん」
「そう? ありがとう」
「いや、ほんまに美味いで! 誰に似たんかなー。私はこんな風には作れんよ?」
本当に誰に似たのだろう? 母の言うとおり、彼女の味付けは私とはまるで違うと思う。父も料理はしないし、どこから遺伝したのか意味不明だった。
「普通に作ればこんな風になるよ? クックパッドに書いてあるとおりに作るだけ」
「そうなん? いや、あんたは料理の才能あるで」
母はそんなことを言いながら回鍋肉を平らげていった。よほどお腹が空いていたのか、ご飯までおかわりする。
「ふぅー。ごちそうさん。あ、片付けはするで! さすがにそれぐらいせんと母親失格やし」
「気にしないで良いよ。そんなことより仕事片付けたら? 茂樹さんの楽譜打ち込んでる最中でしょ?」
「……。ありがとう。あとでなんかおごるわ」
もう慣れたけれど、不思議な親子関係だと思う。私がまだ小さい頃はもっと母親らしかった気がするけれど、今は立場が逆転してしまったように感じる。
夕食が終わると母は再びMacBookにかじりついた。キーボードの音だけがリビングにこだましている。
「そういえば、今度『バービナ』の竹井くんに会うよ」
「なんや? ヒロに誘われたんか?」
「そうだよ。ヒロさんと仲良いらしいね」
「せやね。まぁ、ヒロも竹井くんも同じドラマーやからな。気が合うんやろ」
母は手を止めることなく続ける。
「せや。竹井くん結婚したんやったね。お祝い渡し損ねてたで」
「そうらしいね。私と同い年なのに早いよねー。しかも授かり婚じゃいらしいしさ」
「ああ、竹井くんはデキ婚するようなタイプでもないからな。まっとうな方法でまっとうな結婚やと思う……。したら逢夜、悪いんやけど竹井くんにお祝い渡して貰ってもええか? ほら、この通り仕事で手が離せんからさ」
「いいよ。ヒロさんから連絡きたら行くからそのときにでも渡しとくよ」
「ありがとう。したらあとでな」
母のキーボードをたたく音が早くなる。そろそろ、会話ができなくなるかもしれない……。
1週間後。ヒロさんから私の家にやってきた。あいにく母は外出している。
「逢子そんなに忙しいんか?」
「そうなんですよ。昨日も寝てないみたいだしちょっと心配かも……」
「そら大変やな……。忙しいなら声かけてくれたらええのに」
「本当ですよね。あの人全部1人でやりたがるから……」
これは母の悪い癖だけれど、仕事を1人で抱え込んでしまうようだ。バンドメンバーに仕事を振ればいいのに大体のことは母1人で熟してしまうらしい。
「ほんまにね。まぁええわ。あとで連絡しとくから……。それより予定立ったで。急やけど明日とかどうや? 逢夜ちゃんさえ良ければ迎え行くから」
「大丈夫ですよ。あの……。どこ行くんですか?」
「ん? ああ、湘南行こうかと思うててな」
湘南……。たしか昔、ヒロさんが住んでいた場所だ。
「はい! じゃあそれでお願いします」
「したら決まりやね……。一応逢子にも言っといてな」
こうして私の湘南旅行が急遽決まった。
どんな服を着ていこう。そんな他愛のないことを思った――。




