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Track10 After dark

「ありゃりゃ、今度は俺がガーターだね」

 ジュンはそう言うと笑いながら舌を出した。

「イエーイ! ジュン君のゲスい恋愛話聞かせてもらうよー」

 ウラはさっきまでの憂さを晴らすかのようにジュンに寄りかかった。

「そうだね……。京極さんにも面白い話聞かせてもらったし今度は俺が話すよ」

 ジュンはレーン前の椅子に腰を下ろすと話し始めた。


『Pure』 garter

 あれは俺が上京して半年ほどたった時の出来事だ。その頃は母親の仕事の手伝いにも慣れて余裕が出てきた頃だった。大志と違って特殊な仕事に就いた俺は完全に夜型になっていた。

 母はバラエティ番組などには出なかったけど、その代わり民放のドラマの仕事が多かった。ロケの時はいつも俺が運転手になって現場に向かっていた。

 多賀木マリは間違えなく俺の母親だ。これは別に他意がある訳ではなく、生物学的にそうだという事実を言っている。それでも俺は彼女が自身の母親だという実感があまり涌かなかった。

 俺はいつも彼女のことは「母さん」と呼ばずに、「マリさん」と呼んでいた。彼女は彼女で俺のことは名前ではなく「高木君」と呼んでいた。妙な距離のある母子関係な気がするが、その方がしっくり来たのだから仕方ない。

 母は俺に対して基本的に寛大だった。

 給料も大学の初任給にしては多い額を貰えたし、希望を出せば休暇を取ることもできた。そう言った意味では理想の上司と部下だった気がする。

 歪んだ母子、理想的な上司と部下。

 前振りが長くなったけど、マリさんのお陰で俺はバンド活動もそれ以外のプライベートも自由にさせてもらえた。そんな状況だったからこそ俺は「彼女」と出会い、そして離れていった……。

 上京して半年たった11月のある日、俺は上野公園のベンチに座ってぼーっとした時間を過ごしていた。鳩が首を前後に振りながら子供たちがこぼしたスナック菓子のカスを摘まんでいるのを唯々眺め続けていた。

 その日はマリさんを現場に送ってから特にやることもなく、有り余った時間を持て余していた。ようは暇だったのだ。

 上野公園の街路樹は紅葉し、一面に落ち葉の絨毯が敷き詰められていた。彼女はそんな褐色の絨毯の上をゆっくりとしたペースで歩いてきて、座っている俺の前に立った。

「あの……。となり空いてますか?」

 彼女は少し傷んだ茶髪をかき上げながら俺に尋ねた。

「空いてますよ」

「お隣よろしいですか?」

 俺は断る理由もなかったので、彼女を隣の席に座らせた。

 彼女はうっすらと笑顔を浮かべながら礼を言うと俺の横の席に座り、書店のブックカバーの付いた文庫本を取り出して読み始めた。

 俺はなんとなく彼女の様子を伺った。彼女はまるで美味しいケーキでも食べているような嬉しそうな笑みを浮かべながら文庫本のページを捲っている。

 相変わらず上野公園は穏やかな午後だった。彼女が隣に座ってから風が出てきたのか、少し肌寒い。北風が吹いて落ち葉が舞い上がり、子供たちが楽しそうに吹き飛ばされた落ち葉を追いかけている。

「風が出てきましたねー」

 彼女は本から顔を上げると穏やかな表情で俺に話しかけてきた。首元のマフラーを少し上げながら彼女は身を震わせて笑う。

「急に寒くなりましたね。さっきまで暖かかったんですけどね」

「そうそう! せっかくの休みだから公園でゆっくり本でも読もうと思ったんですけど、ちょっときついです。あ、ごめんなさい。よく知らない女にこんな話されてもこまりますよね?」

「いえいえ、俺も暇ですから。今、上司を送っていった帰りでやることもなくて暇してたんです」

 それから初対面の俺たちは寒さが増していく上野公園で世間話した。

 彼女は中宮理沙。年齢は28歳。普段は出版社で編集の仕事をしているようだ。昨日まで残業続きだったから今日は1人でのんびり過ごしているとのことだった。

 俺も自身の仕事について軽く話をした。母親の仕事を手伝っていること、バンド活動をしていることなど、彼女に話すと彼女は興味深そうに俺の話を聞いてくれた。

「へー!! 多賀木マリさんの息子さんなんですね! 私、普段月9ドラマよく見るんであの方の演技好きなんですよー。特に嫌な女の役はうまいですよねー」

「ありがとうございます。本当は彼女、あんな風な性格じゃないんですよねー。あまり周りに関心がないっていうか、マイペースっていうか……。でも母親のこと褒めてもらえてい嬉しいです」

「私も嬉しいです! だって彼女がいてくれるお陰で主演の女優さんすごく可愛らしく見えるんですもん! あ……。こういう言い方すると失礼かもしれませんねぇ」

 そう言って彼女は困ったように笑った。

 その後少し話をしてから彼女は本をバックにしまって席を立った。

「それじゃ高木さん! また機会があったら会いましょう! よく公園来るんで、もしかしたらまた会えるかもですね!」

 彼女を見送るとまた穏やかな日差しでまた公園内は暖かくなった気がした。俺はそのまましばらく公園のベンチで時間を潰してから、マリさんを迎えに行くために現場へと戻った。

 それにしても妙に親しみを持てる女性だった。清楚そうに見えて実は結構遊んでいる風であったし、人懐っこい表情はとても魅力的だった。

 柄にもなく俺はまた彼女に会いたいと思っていた。そして結果的に翌週彼女にまた再開することになる。

 翌週の月曜日のことだ。その日は仕事も休みで、大志と京極さんとの打ち合わせまでの時間暇だった。午前中はスタジオを借りて軽くベースの練習をした。ジャズベースのコンディションを確かめながら次にやるライブの楽曲の確認をする。

 練習が終わると俺は、また同じように上野公園に向かった。この前彼女と話をしたベンチに行くと、今度は彼女が先にベンチに座って本を読んでいた。

「また会えましたね」

 俺がそう言って彼女の前に立つと、彼女は上目使いに俺を見上げた。

「こんにちは高木さん! 待ちかねましたよ!」

 約束したわけでもないのに彼女はそう言って、俺にベンチに座るように促した。

「今日は俺も休みなんですよ! 夜にはバンドメンバーと打ち合わせあるんでそれまで暇で……」

「そうなんですね。私、今日は外回りの途中なんです。作家さんの家に行った帰りで、これから本社に戻るところだったんです。今はちょっとサボり中」

 彼女はそう言ってお道化たように笑って舌を軽く出した。

「会社戻らなくて大丈夫なんですか?」

「ほんとはすぐ戻った方がいいんですけどね! たまにはゆっくりしよかなぁーって! 編集長にばれたらどやされちゃいますけどねー。高木さんよかったらお茶でもどうですかー。ちょっとゆっくりお話ししたいし!」

 俺は彼女の誘いを一つ返事で受けて、一緒に公園内の喫茶店に入った。俺はコーヒーを彼女はミルクココアを注文する。

「バンド今どんな感じなんですかー」

 中宮さんは俺にそう聞いてココアに息を吹きかけながら一口飲んだ。

「それなりですかねー。ヴォーカルの子がすごくうまくてどんどんレベルアップするし、やりがいありますねー。もう1人のドラムの幼馴染は商社勤めなんでなかなか時間合わせられないですけど、それでもライブこなしてはいけてますからね」

「すごいなー。仕事と夢の両立できてるなんて尊敬しちゃいますよ! 私なんか仕事に追われて1年あっという間だし。まぁ、作家さんサポートしたりするのはやりがいあるし、楽しいんですけどね」

「俺は中宮さんのほうがすごいって思いますよ? だって誰かの夢を応援できる仕事っていいじゃないですか!」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいです」

 その日、俺たちは連絡先を交換し頻繁に連絡を取り合うようになった。一回り歳が離れているというのに彼女はとても気さくに俺の話を聞いてくれた。そして俺も彼女の話をよく聞かせてもらった。

 彼女にはここ5年間付き合っている男性がいるようだった。どうやら作家のようで、かつて彼女が担当していた時に恋仲になったようだ。彼とは頻繁に会える状況ではないようだ。彼女曰く、かなりの変わり者で彼女と籍を入れるつもりはないらしい。

 ゴールのない恋愛をしているというのに彼女はとても嬉しそうに彼の話を俺に聞かせてくれた。まるで初恋でもしているかのように彼の話をする中宮さんの声は輝いて聞こえた。

 俺と中宮さんのそんな関係が半年ほど続いたある日。夜中に彼女から連絡が入った。

「高木くん、夜中にごめんね! 今から会えないかな?」

「え……。今からですか? 別にかまいませんけど、珍しいですね。こんな夜中に」

「うん……。本当にごめんね。どうしても高木くんに会いたくてさ」

 不思議に思いながらも俺は彼女に言われるまま、指定された24時間営業のファミレスへと向かった。

 ファミレスに着くと彼女はすでに来ていて、俯きながら席に座っていた。

「ごめんね。こんな夜更けに呼び出されて迷惑だったよね……」

「大丈夫ですよ。俺も曲書いてて起きてたし、そんなことよりなんかあったんですか?」

 中宮さんは普段とは違い、目が虚ろで頬が真っ赤になっていた。どうやら泣きはらしているらしく、声もどことなく擦れている。

「実はね。さっきまで彼のところいたんだけど、別れようって言われちゃったんだ。理由は言ってくれなかった……」

「え? だって先週普通に会ったって言ってたじゃないですか? なんでそんな急に?」

「私にもわからないんだー。もうどうしていいかわからないよぉ」

 そう言って彼女は泣き出してしまった。

 俺は彼女を慰めながら、彼女の話を聞いた。自分の支えとしてる人が急にいなくなったのがよほど辛いのか、彼女自身も自分で何を話しているのか理解できないようだ。泣いたり、怒ったりを繰り返しながら彼女は少しずつ落ち着きを取り戻していった。

「ねえ高木くん? もうどうでもよくなっちゃったから、これから一緒にホテル行かない?」

 意外な誘いだった。彼女とはそんな関係になるつもりなんてなかったから俺は呆気に取られてしまった。たしかに彼女は魅力的な女性ではあったけど、オンナとして意識したことなんてない。

「え? え? なんでそうなるんです?」

「もうさー。本気でどうでもよくなっちゃったんだ。だから、私を理解してくれてる人に抱いてほしいんだよ! 高木くんが迷惑じゃなければ私は君に抱いてほしい」

「迷惑とかじゃないですけど……。いいんですか? そんな思い付きで……」

 結局俺たちはファミレスを出て、近くのホテルへと行くことになった。ルームキーを受付で受け取ると2階の部屋へと向かった。部屋に入るといかにもラブホテルといった感じの照明とベッドが設置してある。ご丁寧にベッド横のキャビネットにはコンドームとローションが備え付けられていた。

「高木くんちょっとまっててね。今シャワー浴びてくるからね!」

 中宮さんがシャワールームに行ってしまうと、俺はとても変な気持ちになった。いくら失恋したてとは言っても失恋した直後に他の男とラブホテルに来るなんて常軌を逸している気がした。

 何となくキャビネット上のコンドームを手に取って書いてあるパッケージを眺めながら彼女がシャワールームから出てくるのを待った。普段の中宮さんならこんな思い付きで行動したりしない。そう思うと、彼女が彼に対してどれだけ愛情を寄せていたのかがうかがえる気がした。

「お待たせ。シャワー浴びたら少しスッキリした!」

「それはよかったです。あの、中宮さん……。本当にいいんですか? 俺はかまいませんけど、失恋した直後にいきなりセックスしようなんて中宮さんらしくない気がします」

 俺がそう言うと、中宮さんの表情には不安の色が一気に浮かんでいった。

「高木くん! お願いだから何も言わずに私を抱いて! もう、本当にそれでいいから! 高木くんにまでそんなこと言われたら私……。もう私じゃいられなくなっちゃうよ……」

 中宮さんはそう言いながらその場に泣き崩れてしまった。彼女は一糸纏わぬ姿で、部屋のカーペットの上で顔をぐしゃぐしゃにして泣いている。俺は彼女どうにか抱き起して、ベッドの上に座らせた。

 やれやれだ。いつものことだけど、こうなると女は面倒くさい。どんなに清楚そうでも、逆に遊んでいても、好きだった男に捨てられるとこんな風になってしまう。京極さんを除く全ての女は最終的にこうなるものだというのが俺の持論だった。

「ねえ中宮さん。本当は俺とヤリたいわけじゃないですよね? ただ、今の寂しさをどうにか埋めたいってことだと思うんです。普通の男ならきっとこのままヤルと思うんですけど、正直俺は中宮さんみたいにいい人とこんな形でセックスしたくはないです」

 彼女は俺の言葉に声にならない相槌を打ちながら聞いていた。

「とにかく、今晩は一緒にいてあげます。でもセックスはなしです! きっとヤッてしまったら中宮さん後悔するはずだから。もし、それでも気持ちが変わらないときはいつでも

相手させてもらいますから」

 俺の言葉が通じたのか中宮さんは、ゆっくりと肯いて俺の胸元に顔を埋めた。それから朝まで俺は中宮さんの話をずっと聞いていた。幼い日に幼馴染を失って悲しかった話。2011年の震災の時に福島にある彼女の実家が受けた被害について。付き合っていた彼との思い出……。

 そんな取り止めのない話を外が明るくなるまで聞き続けた。

「ありがとう高木くん。高木くんが色々聞いてくれたお陰で少し気持ちが楽になった気がする」

「ならよかった。中宮さん、あんまり軽はずみに男に身を任せたりしない方がいいと思います。男は中宮さんが思っているよりずっとバカでゲスでイカレタ奴が多いんですから!」

 自分で言ってはみたものの、実際一番のゲスは俺かもしれないと思った。昔、まだ京極さんに出会って間もない頃、彼女に「あんた以上のゲス野郎知らない」と言われたことをふと思い出した。懐かしく酷い思い出。

 朝方、俺はホテルを出ると中宮さんを最寄り駅まで送っていった。駅で見た彼女は無理をした笑顔で「ありがとう。また近いうちに会おうね!」と言ってくれた。

 それから中宮さんに会うことも連絡すること二度となかった。結果的にあの強がりな笑顔が最後に見た彼女になってしまったようだ。

 今でもふと思い出すと彼女が懐かしくなる。でもきっと二度と彼女に会うことはないだろうと思った……。


 ジュンは話が終わると、ため息をついた。俺とウラは彼の話を黙って集中して聞いてしまったせいか、場の空気が重い。

「ふーん……。なんかさぁー、私のヤッちまった話に比べると純愛っぽいね。もっとゲスい話聞きたかったのになぁ」

「ハハハ、京極さんほど俺は女の子と遊んでるわけじゃないんだよ! 実際それ以降は仕事も忙しいしなかなかね。たぶん大志の方が俺より女の子と遊んでるんじゃないかな?」

「バカ言え! 俺だってそんなにプラプラしてねーよ! つーか、その中宮さんにその後連絡しなかったのか?」

「そうだよ! せっかく出会えたんだし、友達だとしても連絡とってあげるべきじゃね?」

 俺とウラは思っていた疑問をジュンにぶつけた。

 俺たちの質問にジュンは少し俯いて考えているようだ。

「実はね。この話にはちょっとした後日談があるんだよ」

「へー? どんな?」

 ウラに聞かれてジュンはスマホを取り出してネット検索で何かを探してから俺たちに見せてきた。画面には2018年のニュースが表示されている。


『人気作家、○山〇貴。自宅で若い女性と遺体で発見される。無理心中か!?』


 ニュースにはそう書いてあった。

「さっき話した作家さんはこの人でね。それで、一緒に死んでいた女性っていうのが中宮さんなんだよ」

「マジかよ……」

 俺もウラも言葉を失ってしまった。ジュンは顔色を変えることなく話を続ける。

「うん。どうやら俺と別れた後、中宮さんもう一度彼のところ行ったらしくてね。それから勢いで殺しちゃったんだろうね。何も命まで奪うことないのにさ。それから耐えられなくなって自分まで……。救いのない話さ」

 ジュンはそこまで話すと何事もなかったかのように、スコアボードの点数を確認し始めた。もう俺もウラもそれどころじゃない。

 その日のボウリングはスコア的にはジュンの圧勝で、2位が俺、3位がウラだった。

 でもその日はジュンの話のせいで、飯は後日ということになってしまった。

 ジュンはそのまま母親のところに行くということだったので、俺はウラを駅まで送っていった。

「ねえ大志さぁ、さっきのジュン君の話どう思った?」

「ああ、救いのねー話だな」

「私、思ったんだけど、きっとジュンくん後悔してるんじゃないかな? あの時、彼女と寝てあげてればこんなことにならなかったのにってさ!」

 俺はウラに言われて初めて気が付いた。たしかにジュンがその場で中宮さんと行為に及んでいたなら少し状況は変わっていたのかもしれない。

「あのね、大志。ジュン君って実はここ3年間恋人つくってないんだよね……。そりゃー、体だけの関係の相手はいるだろうけどさ。それってもしかして今の話が原因なんじゃないの?」

 俺はウラの考察をただ黙って聞いていた。幼馴染だというのにそんな話一つも知らなかった。

 もしかしたら俺よりもウラの方がジュンのことを理解しているのかもしれない。そう思うと俺は少し情けない気持ちになった。


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