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平成貧乏物語(TMK帝国主義が日本を,世界をダメにする!(自伝的エッセー)  作者: ハルヤマ春彦
NHKは最近、上質で公平な報道が増えた。一方NHK職員の平均給与は年間1700万で、民間の給与の年間平均は420万だ。約4倍だ。詳細は第11部分を参照のこと。
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神風特攻隊員だった叔父がひそかに、故郷へ生還

神風特攻隊員だった叔父がひそかに、故郷へ生還

私の母方の叔父は神風特攻隊員として、敵艦を目指して、鹿児島の知覧飛行場を飛び立ったが、屋久島近くの海上に故意に不時着した。戦後2年経って、ひそかに、九州の故郷へ帰還した。

当時、叔父の選択を非難する者は誰もいなかった。むしろ、家族も村のひとたちも、皆抱き合って喜んだ。とりわけ叔父の母の喜びように村の人たちも涙したとのこと。父も母も(私の祖父母)も叔父の死を確信して、墓までたてていたのだ。

帰還するまでの2年間、叔父は何処かで、悩み、苦しみ彷徨(さまよ)った果てに、否、悩まずにしっかりと帰還の計画を立てていたのかもしれないが、そんなことはどうでもよいことで、兎にも角にも、父母の待つ故郷の我が家に無事、帰ってきたのだ。

叔父は生前、この2年間のことを誰にも話すことはなかった。また叔父に聞く者もいなかった。叔父は不器用な人だったので、妻や子供たちにも話すことはなかった。その代わり、帰還後しばらくは、酒を浴びデカダンに生きた。「デカダンにも主張があり、後悔はない」と、自分に言い聞かせて、終戦のドサクサを紛らすしかなかったのだ。

 当時、私は3歳だったので、後にこの話を母から聞き、叔父は冷静で勇敢な行動をとれた人であり、人生をおもいっきり生き抜く資質のある人だと思った。さらに、当時、流布(るふ)していた右に左にブレまくった浅はかな(やから)をしり目に、自分なりの戦後の生き方を真剣に模索(もさく)していたのだろう。

それで、平凡で、幸せな人生をいきたのだ。そのいかにも実直な風貌のなかに、穏やかな表情をみて、私は叔父の人生は後悔のない充実したものだったのだと確信した。叔父は数年前、他界した。私はそういう叔父をひそかに、慕いつつ、自分の(ねぐら)を探し求めている。


独居老人一人の挑戦

 私はこの作品を、ドン底生活からぬけだすために、書こうと思う。何でもありのごった煮の無粋(ぶすい)なものになってしまった。書きあがって、我ながら、その乱雑さに呆れている。場所と時代はあっちこっちへ飛ぶ。主題もどんどん変わる。雑記帳みたいなものになった。ここまで書きたかったのだ。この手法でないと、真実が伝わらないと思った。この道の専門家に言わせると、何でもありの手法と自伝的要素のものは評価に値しないと言われるのだが。

ちょっと、興奮気味に書いたので、精神的に、病んでいるのかと気になり、心療内科へ行ってみたら、やはり、独居老人特有の不安症とのことだった。

 しかし、妙なもので、こうしてものを書いていることが一番、精神的に、安定している。一種の安定剤になっているのだ。徒然草(つれづれぐさ)ではないが、徒然(つれづれ)なるままに、日暮し、(すずり)にむかいて書いていることが、その間だけでも、孤独感を和らげてくれるのだ。また、一方で、書き続けてばかりいると、その分だけ、疲労が身体(からだ)全身にいきわたり、脱力感に襲われるものだ。人生はややこしいものだよ!


私はメインバンクの策略によって、破産に追いやられたのだ。(詳しくは後述)そして、ドン底生活を強いられた。今年73歳になる。東京での独居生活にどこまで耐えられるか。常態化した熱中症と不安症(年相応の疾病もかかえている。)に悩まされながら。                                                                                                                                      

去年は3回、今年の夏は、既に3回救急車で病院へ搬送された。まさに、孤軍奮闘とは、このことだ。この作品が完成するまでに、どこまで、身が持つのか自信がない。

また、平凡だったけど、素晴らしい人生を送った先祖(私の父・母を中心に)がいたのだということを私の家族に伝えたかったのだ。

6年前にメインバンクによって、破産に追いやられ、社会の底辺を漂っている人間(私)の物語で、文豪の林芙美子女史に事寄せて述べるのもおこがましいが、女史は、私以上にジリ貧のドン底生活を経験した方で、25歳にして、「放浪記」で文壇にデビューした人だ。

(ちな)みに、女史は当初、「貧乏を売り物にする小説家」、「成り上がり小説家」。つぎは、「政府お抱えの小説家」と批判されたようだが、戦後の6年間は、普通の日本人の悲しみを、正面から向き合って、ひたすら、書き続けたそうだ。1903年生まれで1951年に48歳で亡くなられた。幸せの絶頂期に。

私は、女史の歿後、数年後に西武新宿線の中井駅の女史の邸宅近くの古民家に大学時代、下宿していた。今は、女史の旧邸宅は「林芙美子文学館」になっている。私は、女史の(こび)を売らない、不条理な世に迎合しない姿勢を学びたいと思っている。

政府お抱えの危険極まりない芸能人作家の登場                 注目されるのは、女史が「政府お抱えの小説家」と初期の頃にいわれたそうだが、現在、も、相変わらず、「政府お抱えの小説家」がいるのだ。私が言わなくとも、その方で、有名人になっている人物だ。

しかも、厄介なことに、読み手のおおくが、(たぶら)かされてベストセラー作家にのし上がって、成り上がり小説家になっているのだ。TMK・そのヨイショ組で有名な芸能人絡(がら)みの小説をアニメ感覚で、書き散らしている。名もない一般大衆の目線で、普通の人の日常を書けない芸能人作家と言ったほうが適切だ。平凡な人々を対象にし、その視点から、鋭く、ペンを走らせ、豊かな、人生を描いてこそ、真の作家・文学者と呼ばれるのだ。それとは逆に、一般大衆が気軽に読みそうなアニメ感覚の描写と題材で、しかも映画界を総動員してTMK及びその同調者にヨイショするような危険なものを、映像化したりして、70年前の戦時下の様子によく似ていることだ。肝心なことは、しばしば、テレビのゴールデンタイム等で、能天気で、低俗な芸能人等を総動員して、例の(たぶら)かしの手法・SY手法で、巧みな会話を駆使して、自作の本等を宣伝でしている。映像化も期待しながら。しかも、更に事態を悪化させていることは、この作家は某公的メディアの経営委員にもなっている。例のTMKにヨイショしているようだ。


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