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平成貧乏物語(TMK帝国主義が日本を,世界をダメにする!(自伝的エッセー)  作者: ハルヤマ春彦
NHKは最近、上質で公平な報道が増えた。一方NHK職員の平均給与は年間1700万で、民間の給与の年間平均は420万だ。約4倍だ。詳細は第11部分を参照のこと。
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鴨川嘆きのジンタ

      平成貧乏物語(自伝的エッセー&小説)ハルヤマ春彦著

       鴨川嘆きのジンタ・・・真っ赤に咲けよ!オゴニカの花

      - 懐メロと童謡にささえられて!―


           -まえがきー


TMK帝国主義からの脱却・格差社会の緩和と撲滅そして、その先に

ギリシャの哲学者・エピクロスのいう「アタラクシア・心の平安」を求めて!


(年老いて、見えてくるものがある・・格差社会・反戦・テロ・家族愛・死生観・反原発・環境のこと。)

この作品は、メインバンクによって、破産に追いやられ、底辺を彷徨(さまよ)っている六畳一間の住人・孤独な独居老人が見た格差社会・愛とロマンの物語である。


短編小説の登場人物:百恵・カンナ・摩子は実在しないキャラクターです。実在しないが、私の周辺に幻のように、いつも、優しく寄り添ってくれた人々をモデルにしています。それ以外の登場人物は実在します。ただし、小説の主人公である私・橘兼人は私の分身です。物語上の出来事は創作ですが、信条は私自身です。

         前半は自伝的エッセー・後半は短編小説(94ページから)

    

(この作品を、亡き父・母、心ある人々へ捧げます。また私の破産によって不幸のドン底に追いやってしまった妻と子供たちへ詫びたい気持ちで(つづ)りました。)


(著者の造語の解説:多くの民衆を(たぶら)かし、収奪の仕組みの基礎となる用語)

TMK・TMK帝国主義:Tは経済的特権階級。特に、如何なる状況下でも、影響を受けない経済的特権階級、Mはメディア。Kは国家及びその頭領・官僚・政治家。略してTMKと称する。TMKに影響された思想も単にTMKまたはTMK帝国主義と称する。油断も隙もない人達だけに、憲法が保障する国民主権の立場から、特に国家権力(T)を絶えず監視しよう。TMK・TMK帝国主義克服の考えはラディカルではなく、バランス感覚が肝要だ。

天皇の地位:天皇はこのTMKには含まれない。むしろ、平安時代の藤原氏以来、TMKに翻弄(ほんろう)され、利用されたのだ。象徴天皇は日本国の存立の要だ。象徴天皇を利用しようとするものが現れたら、要注意だ。日本国家の平穏を乱す輩だと思うべし。

SY:TMKが多くの大衆を巧妙に(たぶら)かす手法のこと。Sは「そうだ、それでゆこう!」のSだ。Yは大衆の動向を慎重かつ、巧妙に見極めて、やはりこれでないといけないと。TMKに好都合なシナリオ通りの結論を出す。やはりの「や」をYとする。併せて、SYと称する。Sは「そうだ、それでゆこう」という意味のほかに、最初はいかにも謙虚で、控えめな態度で肯定する雰囲気を装うこともいう。

●政治談義は何時でも、何処でも、しよう!酒場でも・カラオケ喫茶でも。ただ、カラオケ喫茶では他人の歌にも耳を傾けて、小声で話そうね!余計なお世話?人々が出会う所は何処でも。恰好(かっこう)をつけないで、率直に、語り合おう。それは無粋(ぶすい)だという人々が必ず、現れる。NOと言う人々は、TMKに長年、飼い馴らされた日本の負の文化に(おか)されているのだ。そうでなければ、TMKの正体を(あば)かれたくない人達の言い訳だ。嘗て、共産主義社会で共産主義教育に洗脳されたように、TMKによって、マインドコントロールされているだけだ。無粋だという人種に要注意だ。戦後、天皇が象徴となったことをいいことに、TMKの都合の良いように、更に天皇を利用する人達に要注意だ。日本をアグレッシブな方向へ、舵取りしているTMKを監視しよう。

●この作品は、TMKの皆さんの為にもなるように配慮した。

●TMK・SYの概念は現段階では荒削りのレベルで、大改革のグランドデザインだ。皆さんの協力を得て完成させたいと思っています。善意で、真摯なご意見を期待しています。

●肝心なことは、重箱の隅をつつくような議論をしないことだ。何故なら、些事にこだわっていると、問題解決の糸口がつかめず、それこそTMK帝国主義の思うつぼになりかねないからだ。とりあえず、大雑把(おおざっぱ)でよい。貴重な過去の経験から学ぼう。しかる後に、今何が問われているのか考え、具体化することだ。


(自伝的エッセーのエントランス)


京都四条大橋のほとり、出雲の阿国の碑の前・私の路上ライブ

京都四条大橋のほとり、出雲の阿国(おくに)の碑の前で、懐メロ・童謡の路上ライブをしているしがない男。この男、ピエロの面をかぶり、悲しげに、憂いをこめて、なおかつ奇妙なことに、楽しげに歌っている。三月三日だったので、「嬉しいひな祭り」を歌っている。また京都なので、菊地(きくち)章子(あきこ)の懐メロ「春の舞妓」も歌っている。確かに、好奇心旺盛な御仁(ごじん)にはちがいない。

この路上ライブをしている男が私である。70過のロートルが路上ライブかよと(いぶか)る人の気持ちも理解できるが、このような稀有(けう)なことが、高齢化が進んでいる現代社会では、充分ありうることだ。

通行人はこのライブにほとんど、無関心で、ただ外国の観光客が物珍しそうに、立ち止まり、古都・京都見物のついでに、たいして面白くもないけど、ちょっと、珍しい光景で、自国では、聴いたこともないエキゾチックな歌だから、チョットした記念にとカメラをむける。その中に、オッチョコチョイの明るいアメリカの若者が日本人の彼女を伴って、しばらく、聞いてくれた。

彼女はメガネをかけた真面目そうな人だった。カセットテープが2個売れた。とりあえず、「日本の唄、すばらしい」とたどたどしい日本語で、彼女と一緒に拍手してくれた。嬉しかった。家に持ち帰って、そのテープをしっかり、聴いてくれたら、尚、嬉しいのだが。 

その日の売上は1,000円だ。楽しくもあり、虚しいパフォーマンスで終わった。私の狙いはこのテープが一つでも多く売れることである。私はド素人にもかかわらず、厚かましくも、プロ並みに有料で販売しているのである。生活費を稼ぐためだ。僅かな年金では、最低生活もままならない。

そこで、多少の小遣いを捻出するため、この哀れ、かつ奇妙奇天烈なパフォーマンスを演じることとなったのだ。ピエロの面は恥ずかしさやら度胸のなさをカバーすることと、多少は通行人の気をひくためだ。通行人は、遠巻きにクスクス笑って通る。 

なかでも、ショックだったのは、いかにも上品そうな地元京都育ちの人らしき五十代半ばのご婦人が薄笑いを浮かべて、立ち去って行ったことだ。京都の人であれば、私の唄に多少は興味を持ってくれるのではと思った誤算の結果だ。また、20歳ぐらいのヤンキー風の光の三原色のように頭を染めた男の子が三人・私の真ん前に現れ、「この爺さん面白い。何やってるんや!」と言いながら、私の唄に合わせて、ふざけた合唱をはじめた。

「お前ら!いいかげんにして、あっちへ行きな!」と追い散らす始末。それも、恐る恐る。いかにも、みすぼらしい文化アパートの我が家に帰ってくるなり、疲れとみじめさがドット全身をおそう。ドン底生活を実感する瞬間だ。


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