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平成貧乏物語(TMK帝国主義が日本を,世界をダメにする!(自伝的エッセー)  作者: ハルヤマ春彦
NHKは最近、上質で公平な報道が増えた。一方NHK職員の平均給与は年間1700万で、民間の給与の年間平均は420万だ。約4倍だ。詳細は第11部分を参照のこと。
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私は親戚の結婚式に出席した際、離婚した百恵と娘の摩子に3年ぶりに再会した。

私は親戚の結婚式に出席した際、離婚した百恵と摩子に3年ぶりに再会した。百恵はすこし、やつれた様に見えた。摩子は女の子らしくなっていた。百恵は、離婚の際に百恵に摩子の養育費を含め、月々、定額の支払いをすることになっていた。当初数ヶ月は約束通り、義務を果たしていたが、喫茶店を閉店してからは、そうもいかず、支払いがストップしてしまった。

収入が絶たれた百恵は谷中の日本食の料理屋で、慣れない仲居の仕事をしていた。百恵は客や仕事仲間に好かれた。私はこの母娘が不憫(ふびん)に思われた。それ故に、私は結婚式が終わって、二人と別れるのがつらかった。とりわけ、百恵は、「どうして、こんなことになってしまったの」と涙ぐんでいた。別れぎわに百恵は「あなたの頭もすっかり、白くなったのね。」と私の頭をそっと撫ぜた。

そばに摩子や親類縁者がいなっかたら、強く、抱きしめてやりたかった。百恵は無理に明るく振舞っていたが、どこか寂しげな表情から、私は彼女に申し訳ない気持ちだった。 

確実に決断したわけではないが、いつものルーズな性格と成り行きにまかせて、百恵に「近い将来、必ず、復縁しよう」と打ち明けた。彼女は、はっきりと、(うなず)かなかったが、その表情から、私は了解したものと、理解した。


夏野行く 子鹿の角の 束の間も 妹が心を 忘れて思えや (万葉集 柿本人麻呂)

(夏の野を行く鹿の短い角、その角のようなわずかな間

でも、妻が私を思う気持ちを忘れることがあろうか、忘れはしない。)


百恵の優しさ・忍耐強さ・奥ゆかしさが私を絶えず悩ましつづけた。

百恵との復縁の話をカンナに告白すると、男勝りで勝気な彼女が号泣した。「百恵さんの気持ちがどうでも、お前とは絶対別れん。」と。このようなカンナの姿をみていると、(いと)おしく思えてきた。カンナはほんの一瞬、健気(けなげ)で、しおらしい顔を(のぞ)かせた。そういう時の彼女は純真な少女のように、輝いてみえた。あたかも、永遠につづく愛を誓い、この健気(けなげ)な彼女を生涯支えたいと、思うほどに。

(ちな)みに、カンナは私のことを「お前」と呼び、私はカンナを「あなた」と呼んだ。多分、生まれ育った環境によるもので、お互いに満足していた。百恵もカンナも、古い昭和のにおいのする女性だった。しかし、タイプがまるで、違っていた。百恵と別れてからも、私は百恵とカンナの間で、悩み苦しんだ。


その後、2年が経ち、カンナとの生活は何もなかったかのように、元の(さや)におさまっていた。しかし、私の心は、百恵と摩子のことが、いつも、気掛かりでいた。すまない気持ちで、胸が痛んだ。


一方、私にとって、はねかえりのカンナの存在は、大きかった。歌の魅力は当然として、彼女の男性的な言動と肉体的な魔力には、未だ充分に未練があった。ところが、常連の稲盛との縁があり、この度は、逆にカンナの方から、私に同棲生活を解消しようと、言い出したのだ。私の仕事の目途(めど)が一向にたたないことと、カンナの預貯金が底をつき始めていたことなどで、止むを得ず下したカンナの決断だった。彼女も私との関係を絶ち難く、悩んだ末に決めたことだった。

又、一方で、このことは、彼女の店を維持するために、私にとって、納得せざるをえないことではあったが。結果として、稲盛に資金面の援助をして貰おうと目論んだのだ。稲盛の容貌は貧相で、ビール腹で、剥げ頭だった。運送業で財をなしていた。


カンナと稲盛との同棲生活が始まった。一方、カンナは、偶々、東京から京都へ出張して、店の客になっていた作詞・作曲家の安田と懇意になり、オリジナル曲をつくってもらった。カンナはポップ系演歌歌手としての淡い夢を安田に吹き込まれていた。勿論、カンナの歌唱力はプロ級だった。この業界では安田は有名だった。勿論、それ相当の報酬を支払った。支払いは稲盛が負担した。

この業界では、新作ものと称して、安田達のような安っぽい音楽関係者が中高年向けにつまらない歌を競って、量産していた。それは、気の抜けた甘たるいコーラを飲まされているような按配だった。これに応えるかのように、多くの老若男女が、これまた、競ってうたっていた。日本国中、カラオケ業界は低俗になり下がっていた。

3・11の東日本大震災以降、特に、大都市圏に住む人々は、少なからず、原発と近い将来起こるであろう地震の影響について考えていた。しかし、時間が過ぎるにつれ、大方の人々の気持ちが、震災と原発の恐怖をすっかり、忘れかけているように思えた。すぐに冷めやすい国民性は(とこ)しへに変わらないのだろうか。

古来より、地震・台風などの自然災害に絶えず悩まされたせいだろうか。否、そればかりではなさそうだ。何か愚かな力が背後に(うごめ)いているようだ。得たいのしれない巨大な化け物が、人々に立ち止まって十分考えることを放棄させているようだ。退廃的なムードの中で私は(うつ)な気持ちに襲われる。


この店の常連は、相も変わらず、ひたすら前向きに、けたたましく、新作ものを歌いまくっていた。こういうところには、必ずボス的な存在の女性がいた。子分の女性たち数人を従えて、店でも仕切っていた。男性客もかなわないくらいの権力を振るっていた。こういう女ボスは、金持ちで、貸マンション何棟かもっていると、平気で、自慢したがる女だ。 

彼女曰く、金持ちの紳士の条件はまず高級なベルト・靴を身に着け、紙幣は高級な財布から、しっかり出す人だそうだ。ズボンのポケットから直接に、はだか銭を出す奴は貧乏人らしい。取り敢えず、私などは、彼女のいう貧乏人の典型だ。馬鹿らしくて、聞いちゃおれないと思うが、事実なのだ。嘆かわしいかな!貧乏人諸君!

安田についていうと俗物で、若い女の子たちを動員して、即席に養成して、国内ばかりでなく、友好と称して、近隣の後進国向けにつまらない歌を量産し、輸出して、大富豪となった。このような新曲ものはカンナの好みではなかったが,ご時勢と割り切り、生活するための糧として、妥協していた。

カンナは以前と同じように、歌手活動と同時にカラオケスナックの営業をつづけていた。一方、金目当てで、稲盛と同棲はしたものの、経済的には安定しているが、どこか、精神の安定を欠いた生活を送っていた。


そうこうしているうちに、何時しか、カンナの心に、私にたいする恋情をおさえきれず、時計の針を再び過去へまわしはじめいた。カンナは稲盛にばれないように、私と逢瀬(おうせ)をかさねた。彼女は歌手として大成するために、稲盛との生活も大事であり、精神的安堵を得るためには、私との逢瀬(おうせ)も捨てがたく、稲盛と私の間を、揺れ動いた。とりあえず、私との関係を稲盛に知られないように、用心深く、私と会っていた。


しかし、遂に私との関係が稲盛の知るところとなった。稲盛はカンナに絶縁状をたたきつけた。しかし、幸いにも、カンナは歌手活動もそこそこにやり、店を維持できる程度の稼ぎをえていた。それを支えたのは安田だった。

カンナは私を避けて、安田との関係を深めていった。暫くすると、安田との関係はよく、芸能界にあることだが、ある程度、カンナが稼げるようになると、互いに双方から、冷めていき、遠のいていった。

やがて、カンナの店に秋永という男が常連客となった。秋永は、身体は小さく、背は低いが、ずる賢い男で、ちょっとヤクザぽいところがあった。一方で人懐こいところがあり、カンナの店の客に好かれた。幼少時代、家庭的に恵まれない環境に育ち、両親の愛情を受けることがなかった。

カンナと秋永はともに、似たような環境で育ったので、秋永の心情が理解できた。しばらくすると、秋永からカンナに自分を働かせてくれという相談があった。カンナは秋永なら、店の売上を上げてくれるにちがいないと確信していたので、直ぐに、店に入って貰うことにした。秋永はカンナに女を感じ、彼女を愛していた。しかし、カンナは秋永を恋愛の対象にはしていなかった。新曲を愛する女性客に秋永は人気があった。彼女達の目線で会話が弾んだ。新曲嫌いの私が入る余地がなかった。店内が全く中身のない大袈裟な身振りと低俗な雰囲気に染まるなかで、自分自身と客にたいして、諦めと不快感に悩まされた。その感情が客に伝わったのか、予感していた通り、事態は更に、悪化した。

客の前で、客に聞こえるように、私にリンゴをうさぎ型に切るように、命じたのだ。リンゴ等うさぎ型に切ったこともない私に切り方の指導まで始めた。下卑(げび)た客等はそれを見て楽しんでいた。この気取った男が、気さくで、低俗な秋永に(いじ)められているのが、たまらなく、面白くて、心地好かったのだ。また、いろんな出し物を適宜、客にだすように、命じたのだ。彼と私の間には上下関係はなかったが、いつの間にか、彼が優位にたっていた。 

客の前で、仏頂面(ぶっちょうづら)するわけにもいかないので、その場を(つくろ)っていた。そして、このまま惰性にながされ、ここから、這い上がることが出来そうにないのではないのかという恐怖すら感じた。腹立たしさと嫌悪感におそわれた。1930年にドイツで製作された「嘆きの天使」を思い出していた。ローラ・ローラという悪い女(女優はマレーネ・ディートリッヒ)が大学の教授(男優はエミール・ヤニングス)を誘惑して、さんざん・さんざんいじめる話だ。

勿論、カンナはローラ・ローラのように、悪女ではなく、ましてや、カンナ自身がいじめる訳ではなく、いじめるのは秋永だ。私もエミール・ヤ二ングス演じる大学教授とは、程遠い存在だが、この秋永の登場によって、私の役回りがこの大学教授に近づきつつあると予感したので、そこで、私に代わって秋永にマスターをさせるようにカンナに進言した。

意外にもスンナリと彼女はこれに同意した。ちょっと、拍子抜けすると同時に、軽い失望感に変わった。私よりも、はるかに、秋永がカンナの店の売上げに貢献できることは、明らかだった。この秋永に一種の嫉妬を感じたものだ。と同時に、低俗な秋永に嫉妬するほど、落ちぶれ果てていく自分に情けなく、かつ、自分にたいする救い難い嫌悪感に襲われた。

悔しいけれど、私は秋永に完敗だった。脱帽せざるをえなかった。ただ、妙に解放感があった。

余談だが、この年になって、ようやく分かったことだが、年をとればとるほど、嫉妬深くなり、群れを成して、子供のように、弱い人を平気でいじめる者がいることだ。特に、金持ちの女ほど、始末が悪い。自慢話は日常茶飯事。社会情勢や私のこの小説等には全く関心のない人種。

厄介なことに、こういう(やから)にかぎって、例のTMKに騙されやすいのだ。処置なしだ。衆愚(しゅうぐ)政治(せいじ)の温床になっている。これも余談の余談だが、若年(じゃくねん)の女性層から中高年の女性まで、男性化している者が多くなってきている。同じ男性的といっても、土佐の八金とか、鹿児島のサツマオゴジョなどは、魅力があってよいが。言動・表情に全く女性を感じない女性たちが巷に溢れているといえば、大袈裟だろうか?更に言えば、礼儀を知らない、失礼な女性が増殖している。私達の母親世代で大和撫子(なでしこ)も終わりか?嘆かわしいことよ!その一方で()れなくて、独居老人として、余生を工夫しながら、楽しんでいるひともいる。勿論、少数だが。

私は9月頃、京都御所の近くの東側にある梨木(なしのき)神社(じんじゃ)(はぎ)が生い茂った小路(こみち)を散歩していた時、品のいい50代とおぼしき着物姿のご婦人とすれ違った際、しっかりと、一礼された。                                      また、そのうえに京美人だった。その日は久しぶりに、天にも登る心地して、いい思い出になった。

ほんの一瞬のことだったが。末長く、永遠に、大事に記憶にとどめて置こうと思った。萩の花の咲く頃で句会の季節だった。句会の会員と勘違いしたのか、また、狭い人通りの少ない小道ですれ違う人との普通の儀礼的なものだったのかもしれないが。

どっちでもないことを願うばかりだ。私が四条大橋で路上ライブしている時、薄笑いして通り過ぎたあの下卑(げび)た女とは大違いだ。(ちな)みに、私といえば、俳句など、ほとんど、詠んだことのない人だった。


カンナは私に仕事はしなくていいから、彼女のマンションでの同棲生活を続けるようにすすめた。物心両面で支えるものを失っていた私にとって、カンナは私にとって女神以上の存在だった。私は例の曖昧な惰性で、そのまま居つくことにした。

しかし、これもカンナの一時的な気まぐれと承知しながら同居したのだ。安田との関係が冷め、再び、凋落(ちょうらく)しそうになっているカンナを、意外なことに、秋永が資金面で助けようと決心する。但し、その資金は、秋永が昔、付き合いのあったヤクザの金だった。 

秋永はこの事を、カンナを愛していたので、彼女にかくしていた。あくまでも、秋永自身の借金として、処理した。カンナには、そのことを告げていなかった。勿論、そのヤクザは、カンナと秋永の接点は知らなかった。


しばらくぶりに、珍しく、百恵からの電話があった。喜んで電話に出てみると、摩子の突然の交通事故死を告げられた。腰が抜けそうになった。ばかなそんなことがあっていいはずはないと、打ち消したものの、現実は変わらなかった。

泥酔していて、無免許運転の18歳の未成年の男による事故だった。舗道を下校している時に背後から激突されたのだ。身体は、酷く傷つき、無残な状態だった。ただ、顔は奇跡的に原型をとどめていた。顔は天使のように、みえた。百恵も私も狂わんばかりに摩子の死を悲しんだ。

親子3人で観た「()()るの墓」で涙を流していた心優しい摩子の死を現実のこととして、とらえることが出来なっかった。あの世へ逝って、土くれになり、私と百恵の前に二度と姿を見せてくれない摩子の死を理解できなかった。

摩子の死を信じることができなかった。摩子よ!私の(いと)しい摩子よ!もう一度、この世に戻ってきてくれ!黄泉(よみ)の国から帰ってきてくれ!号泣するしかなかった。座敷(ざしき)(わらし)のように、私の六畳一間の住家に住み着いてくれればとも願った。ただ座敷童は富農の広い民家に住み着くと言われている。私の六畳一間に住み着いてくれるだろうか。摩子だったら、きっと、住み着いてくれるだろう。

また、あの「永遠」という化け物が、私の身体(からだ)全身に浸透していくようで、絶望的になっていた。

この無軌道な男を切り刻んでやりたかった。この未成年の男の実家はこの地域の有力者で、昔からこの地域で選出されている例の世襲制の政治屋だったのだ。子供の教育やまともな政治活動等一切興味のない人間で、愛人宅で実家の家族とは別居していた。虚しい、苦しい日々がすぎた。摩子の死は私の所為(せい)だと百恵の両親から、激しく(ののし)られた。復縁どころではなかった。百恵は私との復縁をあきらめて、私の前から立ち去った。


若ければ 道行き知らず (まひ)はせむ 黄泉(よみ)の使 負ひて通らせ・・・万葉集―山上憶良

(まだ幼いから、道がわからないだろう、贈り物いたしますから、黄泉(よみ)の使者よ、どうぞこの子をおぶってやってください。)


夕焼け小焼けで日が暮れて山のお寺の鐘が鳴る・・・


日本人に一番愛された童謡だ。大正12年の関東大震災で大ヒットした。②番の歌詞で、「子供が帰ったあとからは・・」のところを、子供を亡くした親たちが短い命のまま泣き叫びながら、天に召された子供たちを、悲しみの中で(よみがえ)らせて泣いた。この歌詞中に「お月様」という言葉がでてくるが、この当時、「お月様」は黄泉(よみ)の国にたとえられていた。そして、亡くなった子供たちは、この黄泉(よみ)の国・お月さまへ旅立ったのだ。この歌は関東震災の、ちょっと前に作られたが、まるで、関東大震災の人々のための歌のように、聴こえて、震災直後はよく歌われたそうだ。また、この度の3・11の東日本大震災を経験した私達日本人の心を(いや)してくれる歌になることでしょう。


 私は何時しか、鴨川べりの小道を、この「ゆうやけこやけ」を歌いながら、歩いていた。

 

秋永はヤクザへの返済が滞り、夜逃げした。

その後、秋永の行方について、誰も、知る者もいなかった。又、噂にもならなかった。一方、カンナはあいもかわらず、歌手活動と店の営業を頑張っていた。誰よりも、前向きに、土佐の女らしく、南の地方に咲くという彼女の名前そのものの真っ赤なカンナの花のように、陽気で、天真爛漫(てんしんらんまん)に歌い続けていた。

 カンナはこの界隈(かいわい)の夏祭りのカラオケ大会などにプロ歌手として招待されていた。ゲスト歌手は数人いたが、今ごろ流行(はや)りの歌唱力のない三流の金持歌手が殆どで、カンナは大会の()りをかざった。彼女は自分のオリジナリティ曲を見事に歌いきって、祭りを盛り上げた。そのことで、この地域で大人気となり、店も繁盛した。

 しかし、最近、私が気になることは、カンナのアタマのてっぺんに白いものが、目立ちはじめたことだ。毛染めの時間が長くなり、それに比例して、私ほどではないが、老いが少しずつ、忍び寄ってきている気配を感じる。(なべ)(ぶた)(とじ)(ぶた)の関係がいつまで続くのだろうか。



後日譚であるが、オゴニカの花は幻の花であるという。一説にはカンナ科の花という。オゴニカは北、カンナは南の花だ。現実にありえないことだ。現実にはありえないから、幻の花なのだろう。幻の花であればあるほど、この花を(いと)しく想う。

 オゴニカの花は、その語源はキタイスキー・オゴニョーカというロシア語が由来で、「中国の小さい(ともしび)」という意味だそうだ。これは、札幌のロシア総領事で教えて頂いた。中国とロシアの国境沿いから離れた中国側の向こう岸に咲く花で、その辺りに咲く真っ赤な花の総称だとのこと。特定できない花なのだ。やはり幻の花か?

 それにしても、「小さい(ともしび)」とは、郷愁をそそる何と素晴らしいロシア語であることよ!さすがプーシキンなどの詩人をうんだ国の言葉なのだ。

百恵もカンナも社会の底辺にいる貧しい人々の気持ちがわかる女性だった。そして、この二人は、たとえ1,000円の服を(まと)っても似合うし、一緒にいると、(いや)された。


私はテレビで、ある晩秋の夕暮れ時、多摩川の河川敷で暮らすホームレスの人々の生活実態を記録した映像を見た。その中の一人に、1960年代の青春時代に歌声喫茶に通っていた老人がいた。ロシア民謡のカチューシャをロシア語で歌っていた。歌いながら、電気のつかない薄暗い小屋ともいえない(ねぐら)から、(うつ)ろな目で、多摩川を渡る電車をながめていた。


ラスツベターリ ヤーブロニグルーシ‣・・・・(ロシア民謡…カチューシャ)

とロシア語で歌っていた。


彼の目には、その電車は冷たい、動く鉄の(かたまり)が、自分とは関係のないところで存在している怪物のように、思われたにちがいない。また、多摩川に沿って高級マンションや住家が建ちならんでいたが、その中で、善良な市民が幸せに暮らしているなどということを、思うゆとりもなく、遠くに眺められる富士山の景観も、彼にはほとんど感動の対象ではなかった。

しばらくすると、彼は無常にも、誰かに、捨てられた子猫を優しく抱いて、寒さをやっと(しの)げる粗末な小屋に潜り込んでいった。彼もまた、戦後間もない頃の幼児期、両親に先立たれて、仔猫と、同様に一人ぼっちになっていたのだ。


貧窮問答歌(後半の答)―万葉集…山上憶良

天地(あまつち)は広しといえど 我がためは ()くやなりぬる 日月(ひつき)は 明しといへど 我がためは照りやたまはぬ 人皆か ()のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 

我れも作るを 綿もなき 布肩衣の (うみ)(まつ)のごと わわけさがれる かかふのみ  

肩にうち掛け 伏蘆(ふせいほ)の 曲蘆(まげいほ)の内に直土(ひたつち)に 藁解き敷きて 父母は 枕の(かた)

妻子(めこ)どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気(ほけ)吹き立てず

甑には 蜘蛛の巣かきて (いひ)(かし)く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ()るに

いとのきて 短き物を 端切ると いへりがごとく しもと取る 里長が声は   

寝屋処(ねやど)まで ()()ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世中(よのなか)の道


世中(よのなか)を ()しと 思へど 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねど


(天地は広いといっても、自分のためには狭くなったのか。お天道さんやお月さん

は明るいというが、自分のためには照ってはくださらないのか。誰でも皆こうなのか、自分だけがこうなのか。たまたま人間として生を受け、人並みに自分も耕作しているものを、綿もない袖無し衣で、()()みたいによれよれの垂れ下がったぼろきれを肩にひっかけ、つぶれたような歪んだ家の中に、地べたに直に藁をばらばら敷いて、父母は枕の方へ、妻子は足元に自分を取り囲んで、嘆きうめき、かまどには火の気もなく、甑には蜘蛛の巣がかかって、飯を炊くことも忘れ、ぬえ鳥のような細々と弱弱しい声をあげていると、「特別に短い木の端をさらに切る」というたとえのように、むちをかざす里長の声が、寝所(しんじょ)の戸口までやってきて呼び立てる。こんなにもどうしょうもないものなのか、世の中を生きていくということは。)


世の中を辛い、見も細るようだと思うけれども、飛び立つこともできない、鳥ではないのだから)      


しばらくすると、京都にいるはずの私も多摩川の川べりの藪の中にあるみすぼらしい小屋で深い眠りについていた。私の休んでいる(かたわ)らで、いつのまにか、百恵と死んだはずの摩子が、この上もない幸せそうな笑みをたたえて、談笑していた。その脇にあの独りぼっちの子猫がその老人に抱かれて、気持ちよさそうに寝ていた。老人は例のカチューシャを憂いを帯びた声で歌っていた。ラスベターリ ヤブロニ グルージ ・・・・・


多麻川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだかなしき(万葉集 東歌)

(多摩川にさらす手織りの布よ。さらにさらになんでこの子がこんなに可愛いのだろう)


 ある日、堀川通りのおんぼろアパートに帰宅してみると、百恵が狭い台所に立って、楽しそうに、夕飯の準備をしていた。久しぶりに聞く包丁の音が私の身体(からだ)に心地よく、響いた。そこに、黄泉(よみ)の国へいったはずの摩子もいて、ちゃぶ台の前に行儀よく正座して、幸せそうに微笑(ほほえ)んでいた。台所はシンプルでおそまつだが、その台所から、百恵の得意な鯖フライと肉じゃがの美味しそうな匂いが六畳一間の部屋いっぱいにひろがった。懐かしい味に、(かつ)ての幸せだった頃の思い出が(よみがえ)った。


夢も佳境に入った頃、鴨川べりのベンチで昼寝をしていた私は、ドーベルマンの鳴き声に、ひとときの楽しい夢をやぶられた。その獰猛(どうもう)なワン公は、太っちょで高慢ちきな顔をした中年女を引っ張っていた。いや、この女が、ワン公を引っ張り回していたのだ。いかにもセレブのお出ましといわんばかりに、下卑た、けばけばした身形(みなり)をしていた。


私は静かに、懐メロの「国境の春」を歌っていた。


咲けよオゴ二カ 真っ赤に咲けよ 燃ゆる血潮の この胸に 明日の希望の 花よ咲け!


しばらくして、意を決し、私は摩子を失った悲しみにくれる百恵を捜し求めて、さすらいの旅に出た。何処というあてもない旅に出た。自然に、米原駅(まいばらえき)から北陸本線へ飛び乗り、北陸へ向かっていた。私には、やはり、デラシネ人生(根無し草人生)がむいているのか。

その先にはアムール川沿いに、(たくま)しく、真っ赤に咲くというオゴニカの花のような百恵が待っていてくれることを信じて。やはり百恵のアタマのてっぺんにも、カンナのように、白いものが目立つようになっているのだろうか?

私も最近、お腹がデッパテきているようだ。それでも、私はこの花をこよなく愛してやまない。万一再会することがあっても、百恵のアタマのてっぺんがたとえ、カンナ同様、白くなっていても、百恵には黙っておこう。


新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや()吉事(よごと) 

(万葉集最後の歌 大伴家持)

(新年の年の初めの初春の今日に降る雪のように、良いこともますます重なってほしいものだよ)

願わくは之を語りて、平地人を戦慄せしめよ!

この書を外国に在る人々に呈す。    (柳田国男…遠野物語より)


●私はこの作品を書き上げるのに、厳しい台所事情もあって、できるだけ安く、環境の良い所と思い、カフェレスト・サイゼリアさんへ、殆ど、毎日通っていました。店長さんやスタッフの方々には、長時間の利用をお許しいただき、ありがとうございました。親切で、礼儀正しい対応に感謝しています。本物の「オモテナシ」を実感しました。

この作品は今日で終了です。

私が主張したかったことは、格差社会が諸悪の根源だということです。

それは、文明の草創期から、この現代までに、この世界に貧困・テロ・戦争・環境破壊(原発を含む。)といった理不尽な汚泥を撒き散らし、大多数の人々を犠牲にしてきました。

格差は必要だという傲慢な人々も存在します。特に、政権ヨイショ組の人たちです。

その人達もざまざまです。特権階級・ヨイショ学者・ヨイショ政治屋・政権におもねる人種とそのシンパです。

悲しいかな!人間は、ニンジンを見せつけないと、動かない動物です。特に権力とお金には本能的に弱い生き物です。

その現実をふまえて、その努力に見合った成果を受け取ることと、不当に人の成果を横取りすることとは、違います。

この問題は深刻です。簡単には解決しません。世界に住む人々のそれぞれの覚悟が要求されます。一朝一夕には解決しません。

最近話題になっているフランスの経済学者・ピケティがいうように、株式・預金・不動産などの資産と労働等の所得によって稼ぎ出す成果に格差があり、これが、格差社会を助長していると。これも一理です。(労働などの所得間にも格差の要因がある。)兎に角、経済的な格差が大問題です。その結果、人々が、精神的にも大混乱を引き起こしています。なにが、不正で、なにが人々の進むべき道に適ったものなのか、明確でなく、カオスにぶち込まれた人々が右往左往している。これが、現実です。

このことを各人が意識し行動しない限り、世界はまた70年まえの不幸な世界戦争という轍を踏むことになりかねないと確信しています。核戦争という最悪の状態にならないように!出来るだけ多くの人々がこの議論に参加してください。

ご意見をお待ちしています。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。

                      

                     平成27年3月31日

                     著者 春山ハルヒコ

●追記


今なぜ懐メロ・童謡・FADO・フォルクローレ・ロシア民謡なのか?


懐メロ・童謡は日本人の原点です。人々はカオスの中で、出口を探し求めています。

本当はシンプルなはずの社会の仕組みが良からぬ者達によって、意図的に複雑化されることで、真実がオブラートに包まれています。

音楽の世界も然りです。あまりにも特徴のない、類似した歌が多くの人々によって、歌われています。

二・三ケ月もすれば、忘れ去られてしまう歌を、何故か追いかけている人々の姿は、哀れとしか言いようがありません。誰のための音楽でしょうか?

それは、この業界の売り上げ実績にのみに貢献しているようです。軽薄な内容のものが量産され、使い捨てされています。

野外コンサート・ドームなどでの演出は、音響や照明を優先させ、ただただうるさいだけの無味乾燥なものに変質していく。

そういう時だからこそ、原点に戻り、日本人好みの音楽に触れたいものです。

同時に世界に恥じない日本人の心を世界に発信しようではありませんか。

懐メロ・童謡は、明治の末期・大正・昭和初期のものが特に、優れています。

日本人の原風景です。日本人の原点・万葉の時代(AD410-759)へ想いを馳せ、日本人の心を思う存分、歌いましょう。

併せて、FADO・フォルクローレ・ロシア民謡など土の匂いのする音楽を堪能しましょう。

私はFADOの女王・アマリア・ロドリゲスやフォルクローレのアルゼンチンの至宝・アタウアルパ・ユパンキの大のファンです。私の父母の世代の偉大なミュージシャンであり、アーティストです。既に、他界されていますが、民衆に寄り添った革命家でした。

FADOはポルトガルの民衆音楽です。何とも言えない郷愁をそそる歌です。また、感傷的でメランコリックな曲調で、テーマは主に愛・愛する者の不在や別れの歌詞です。

懐メロ・FADO・童謡を歌うプロの女性歌手さんがオーナーの「カラオケサロン」を紹介します。このカラオケ喫茶は懐メロ好きの常連で賑わっています。私のWEBサイトへご連絡ください。

勿論、他のジャンルの歌も、英語・中国語・韓国語等で歌えます。


外国の皆さん!日本へ来られたら、この店でお待ちしています。

いろいろな国の人々と仲良くしたいと思っています。


私は山田春彦のハンドルネームでライブしています。下記URLで視聴できます。

童謡懐メロの音声

https://www.youtube.com/watch?v=v9n7dYN76L4

京都四条大橋阿国銅像前でのライブ活動(大飯原発再稼働に反対して)

https://www.youtube.com/watch?v=sG_uIvgj6vk






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