その前にやることーーイデオロギーの時代は終わった
その前にやることーーイデオロギーの時代は終わった
しかし、最近の政治状況は日本を含め、大いに危うい感がある。70年間もの平和に浸ってきた日本に、また暗雲が垂れ込めている。私達の子供たち・孫たちに同じ歴史の轍を踏まないように祈るのみだ。ある意味で、荒木大将・黒木大将・5・15事件・2・26事件の青年将校達は、TMKの犠牲者だったのだろうか。洋の東西を問わず、昔から多くの民衆がTMKおよびTMK帝国主義の犠牲になったのだ。
前述の実践的平和学を世界的課題として、位置づけて、研究と実現に向け真剣に取り組む時に来ている。これまでの戦争と違い、核の脅威は地球そのものの存在すら危うくするからだ。大事なことは、旧ソ連のような社会主義国家で、共産主義教育を洗脳し、そこから、なかなか抜け出せなかった過去がある。前述のように、資本主義社会の大衆も、今までのTMKによって、マインドコントロールされ、馴らされてきた思考を一時停止して、TMKの思考過程が単純であることを確信することだ。そして故意に複雑化されたシステムを解きほぐしていくことだ。そして、格差社会を徐々に、緩和し、改善していくことだ。
世界的な国家間・個人間の格差社会の結果、無法者の手に核が渡ったら、大混乱を引き起こすのだ。TMK自体の存在も危ういものになるのだ
興味深い話として、歴史学者であった三笠宮殿下(昭和天皇の弟)は、「マルクスの思想は一種のメシアのような働きをしたのではないか」と。詳細は私も未だ勉強不足だが、日本の現状を考えるとき、ヒントになるであろう。また、最近、昭和天皇の言行録が明らかになりつつあるが、なにか、これからの日本に、大いに参考になりそうである。
前述したが、念の為に言うと、私は決して、共産主義者でもなく、ましてや、右翼でもない。何者でもない。どうでもよいことなのだ。イデオリギーの時代は終わったのだ。
これから、もっと、第二次大戦を詳細に検証し、総括して、未来志向で、第三次世界大戦が起こらないように、実践的に研究すべきだ。その際、解決の中心にあるのは、民族・宗教・思想上の相違点てはなく、最も大事な視点は経済問題で就中、格差社会が解決されないかぎり、人類は過去と同じ悲惨な轍を踏むということだ。格差社会は自国のそれにかぎらず、国家間の格差を引き起こし、戦争だテロだと、一向に、前に進まず、おなじ轍を踏むことになるのだ。
何度も言うが、例のTMKの弊害による格差社会を徐々に解消し、改善していくことだ。この問題が解決したら、寧ろ、民族・宗教・思想などの違いは、かえって、バラエティに富んだ豊かな実りある人類の宝となるのだ。戦争の火種になっているのは、いつの時代にも各国のTMKが引き起こす経済格差の弊害から起こっているのだ。肝に銘ずべし。
しつこいようだが、実践的、具体的に世界的な研究機関の設置が急務だ。その際、イスラム圏も含めた全世界の人達の参加がなくてはならない。如何なる例外もあってはならない。ここが肝要だ。何度でも言う。全世界の大人と子供たちがゲーム感覚でも良い。定期的に国際会議を開いてみては。会場は、世界で初めて原爆の犠牲となった広島・長崎そして多くのの犠牲者をだした沖縄で。または、中近東やウクライナ東部等世界の紛争地帯で。
本当は、実力のある指導的なTMKが、みずから解決すべきだが、現状をますます、さらに、悪化させているのだ。TMKは相変わらず、本気で解決する気がないのだ。
私は7・8歳の頃から死を意識する子供だった
話は一変して、私といえば、母の話だと(たぶん、私が高校生のころ)私が一歳になる前に、高熱を出して、死線を彷徨ったとのこと。田舎の医師は病名も分からず、もう今晩が峠だと、多分、助からないだろうと父と母に告げた。両親は私の命をなんとか、死の淵から生還させようと、村の祈祷師を呼んで、一晩中、お祓いをしてもらった。翌朝になると、私はお祓いの効果(?)もあって、生還したそうだ。そのせいか、3歳から5歳頃、よく、空を鳥のようになって、飛ぶ夢を見たものだ。
それは、得も言われぬ程楽しい空の旅をしている気持ちだった。何故、3歳から5歳ごろと覚えているのか、未だに、不明だが、私が母に告げたことを、後日母が私に話したのか?
私は、そのせいか、7・8歳の頃、人生で初めて、死の恐怖に悩まされることになる。死に対する思いが早熟だったのだろうか?近くに集落の墓地があり死人が出るたびに私の家から100メートルぐらい離れた田舎道を葬儀の行列が太鼓を叩いて、通り過ぎて行った。まだ土葬の頃で更に、恐怖を増幅させた。この恐怖は、私を含む家族の身に将来、否が応でも訪れる死へと広がっていった。なかでも、母の死だけは、避けて通れないものかと本気で考えた。勿論、私自身の死についてはさらに深刻だった。
死とは、底なしの漆黒の闇に永遠に落ち続けていくものだ。永遠に。永遠に。どこまでも、果てることのない、終わりのないもの。この永遠という2文字が理解を超えた化け物に思えた。私の幼い心を悩ました。
全身が火照って、気が遠くなる程に感じた。永遠。永遠。思春期の頃に改めて死について、考えを巡らしてみた。その頃の死生観は、死とは人類が過去から延々と築いてきた文化遺産みたいなものと、自分の子孫を残すことで次の世代、また、次のまた次の世代へと順次、永遠に引き継がれていくもので、それほど、怖れるものでもないと。自分に半ば、強制的に納得させるものだった。
それから、数年経った今でも、この永遠という二文字は依然として、理解不能な化け物だ。そういうことであれば、いっそ、来世は樹齢3500年から7000年と云われる屋久島の縄文杉のような長寿の大木になって、森の守り神になりたいと、願うばかりだが、日頃、行いの悪い私には、森の精霊も近づいてくれないだろう。
6歳上の姉も少女時代から死の恐怖になやまされた
私より6歳上の姉がいる。この姉も16歳の時に、死の恐怖に悩み、母に相談したそうだ。その話を私は10歳の時、母から聞かされた。何故10歳の時、ということを覚えているのかというと、私が小学校のとき、父の転勤に伴って、4回転校したのだ。
それで、何年生の時、何処にいた時、どんな事があったのかという事実を記憶しやすい環境で生活したのだ。
10歳の私に何故、母が姉の悩みを話したのか不明だが、前述したように、私は死について早くから(7・8歳の頃から)意識する子供だった。母もそれを知っていて、姉の死の恐怖について悩んでいることを、10歳の私に何気なく話したのだろう。かすかであるが、その当時、姉の話を聞かされたとき、私も7・8歳のときに感じたあの死の恐怖を姉と母と私で共有することになった。
標準的に人は何歳ごろから死について、意識し始めるのか分からないが、死について、16歳で意識した姉と私はやっぱり同じ血をひく姉と弟なのだと思った。この姉は現在、愛知県に住んでいる。母や一番上の姉が亡くなった今は、精神的に、一番頼りになる存在だ。心の優しい人である。また、長女の姉とこの次女の姉は二人とも、絵心があった。素晴らしい絵をかいていた。美的感性に富んでいた。そして、次女の姉が私に「それは、私達兄弟姉妹があの大自然の中で、育ったせいじゃないのかな。」と言っていた。正に、その通りかも知れない。皮肉にも、父の不倫のため、強いられた密林の中での生活ではあったが、我々子供達にとっては、良いことも、いっぱい詰まった、充実した人生を送れた楽園でもあったのだ。ただ、母にとっては、不幸の地であったのだが。
この姉は足が速かった。姉が中学生で、私が小学校に入学したばかりの頃、姉の通っている中学校の運動会で、姉は、スタートが遅くても、途中で他の走者を悠々(ゆうゆう)と追い抜いて、二番手を大きく、引き離して、一番でゴールしていた。見ている家族は応援で大いに、沸いた。弁当等持参して、楽しい運動会だった。ただ、ここにも、父の姿はなかった。
因みに、私は中学校以来、あまり、絵を描いていない。小学校までは、学校を代表して、県の展覧会に貼り出されたこともあったが。
一方、三人の子供たちが自然の中で、育てられなかったことを、ちょっと、後悔している。街中でしか育っていないのだ。それでも、優しい、素直な子供に育ってくれたので、安心している。
作家・立花隆さんの取材・NHKのEテレ「人の心は死ぬときどうなるのか」について
余談になるが、2014年9月14日にNHKのEテレで「人の心は死ぬときどうなるのか」というタイトルで「死」をテーマにした番組が放映された。興味深いドキュメンタリーだった。作家の立花隆さんの取材だった。詳細は省くが、立花さん自身ぼうこう癌の再発があり、死を身近なものとして捉えていて、説得のある番組だった。
臨死体験した人達(生後一カ月の赤ちゃんから大人まで)の話があった。心肺停止した人の5人に一人は臨死体験するそうだ。興味深かったのは、生後一カ月の赤ん坊も臨死体験するそうだ。この子供が2歳になった時お母さんに話したそうだ。前述のように、私も一歳前に死線を彷徨ったので興味があった。私の場合には、心肺停止の話は聞いていないので、そこまでは、いっていなかったのだろう。臨死体験はしていないと思う。そういう記憶がないので。ただ、三島由紀夫の小説にでてくる体験をかすかに記憶しているといいたいが、確証はない。その小説の書名は忘れたが、産湯に使う盥の淵を三島か、その小説の主人公かが赤ん坊の時、見たことを記憶しているという内容だったと思う。私も三島の本をみたので、そう思うようになったのか、不明だが。なんせ半世紀前に読んだのだ。記憶があるともないともいえないが、確実に、それはなかったとは、言いきれないのである。
立花さんの本題にはいる。臨死体験とは、心肺停止の時、昏睡状態となり、心が身体を抜け出すそうだ。そして、その人は天井付近から、自分をながめている。この状態を体外離脱というそうだ。その後、トンネルを潜り抜けて綺麗に咲いたお花畑にでる。そうするとそのさきに三途の川らしきものがあり、川向うで、光輝く神聖な光景が拡がる。その傍に父とか母などその人の縁の人達が迎えてくれるそうだ。ただ年が若く、まだまだこの世(此岸)にいるべき人はこっち(向こう岸・あの世・彼岸)へはまだ来るなと、手で合図するそうだ。これを神秘体験という。聞いているだけで、楽しくなる話だ。ちょぴり、メルヘンチックな気分にもなる。
立花さんは死んだら心(意識・魂)は消えると考える。レイモンド・ムーティー博士(神経科学の専門家で、数年前に自殺をはかった経験者)は臨死体験をして、死後の生活を信じるようになった。だが、同博士は厳密にいうと、「死」は哲学でも、神経科学でも永遠に解けない問題だと。分からないから、おもしろいと。
立花さんは、ギリシャ哲学者のエピクロスの言葉を引用した。つまりエピクロスは人生の目的というのは、アタラクシア「心の平安」を感じることだと。立花さんは現在、心の平安をもって、自分の死を考えられる気持ちになったと。私もそうありたいと思うのだが、エピクロスのいう「アタラクシア・心の平安」をえるために、ここでも、また、格差社会をなくして欲しいと言わざるを得ない。ちょっと、飛躍だろうか?ご勘弁!
再び父の村長選挙落選の話
前述したように、父が46歳のとき、同郷の村長が老齢で、病床にあった時、次の村長は父になって欲しいと懇願され、中学校の校長を辞職した。父は次期の校長職はこの群で一番大きい校長を県の教育委員会から約束されていたが、それを断って、あっさり、辞めてしまったのだ。その翌年に村長選挙(現在は町)に立候補したが、僅か3票差で落選した。確実に当選するはずの選挙だった。近所づきあいして、親しくしていた人々に裏切られた。これら多数の村人が、他の候補者の金品による買収に屈したのだ。
終戦直後の貧しさはひどかった。物資が極端に不足して、食べる物もほとんどない頃だった。主食は明けても暮れても、サツマイモで時々、トビウオが追加されて、御馳走に思えた。村人が他の候補者によってばら撒かれたソーメンやタバコそれに若干のカネに群がって、投票したことは、致し方のないことだった。
しかし、人一倍、正義感の強い父はこれら村人を許せなかった。現在であれば、選挙無効の行政訴訟で、無効になっていたはずの選挙だった。戦後のドサクサの中で、行われたお粗末な選挙だった。
当選した父より20歳年上の老獪な新村長に次の村長選挙は父を応援するので、役場に助役としてとどまってくれという申出でを断った。父は家族を連れて、この村を去った。このころから、私は田舎に住む人々を信用できなくなっていた。いくら自然に恵まれていようと、そこに住む人々までが、自然と同様に穢れのない人々ではなかった。それどころか、無法者といってもいいくらいの荒くれ者もいた。その後父がいうところの日本一孤島である竹島と黒島へ再び教師として赴任した。一家を養うために、母も再び教職についた。これは前述のとおりだ。
因みに、父は47歳の時、3票差で選挙に落ち、私は67歳の時、メイン銀行との詐欺まがいの威圧的な会話・30分で、人生が、180度変わった。父と私が不幸のドン底に突き落とされた年齢差は30歳だ。(父が47歳で私が67歳だ。)私と父の年齢差は30歳だ。又、私が自営業の期間も30年だ。「3」という数字が不幸の数字になったのだ、と言えば大袈裟かな?いまでも、ちょっと、嫌な数字だ。また、この親子は粘れば粘れたのに、我慢できずに、大失敗し、人生を狂わせたのだ。
余談になるが、私の兄弟姉妹の年齢差は上から下まで、つまり、長女から末の妹まで、きっちり、三歳違いなのだ。偶然なのか、計画的だったのか。
それから7年後に家族(私は東京で就職していた。)は名古屋市に移り住み、父は母の弟の経営する会社で顧問兼事務員として働いた。移り住んだもう一つのきっかけは、戦前から交友のあった右寄りの人々との関わりがあったからだ。
再び荒木貞夫大将のこと
その中に余生を静かに送っていた前述の荒木貞夫大将もいた。同大将の評価は様々だが、私は門外漢でよく分からないが、物の本によると、気さくで、結構、気分で行動する人で、1936年の2.26事件を起こした青年将校に人気があったそうだ。青年将校達を自宅に招待して、宴を催したりして、同将校達を甘やかしていたそうだ。しかし、実際の行動となると、実践力に欠け、手を引く傾向があったと聞く。その証拠に同事件で決定的な責任を問われていないのだ。やはり、エリート軍人だったのか。
責任をとらされたのは、前述した北一輝だった。しかも、直接に指示もしていないのに。北の著述に、いまでは常識の国民主権の軍隊の記述があったというだけで。更に、北は天皇崇拝者だったとか。さぞ、北一輝は無念だったことだろう。北一輝も明らかに、TMKの犠牲者だったのか?それにしても前述した北一輝の辞世の句が私の脳裏に浮かぶ。因みに北一輝に関する書籍も多数。私は専門家でもない。またこれ以上、興味もない。私が興味があるのは、前述したように、青年将校の部下の妹たちが吉原に売られたりした現実があったことだけだ。
荒木貞夫は、その後3年後の1939年に平沼内閣の文相に返り咲いているのだ。結構、要領のよいエリート軍人だったのか?
父からは、ついに、荒木大将の実像を聞くことができなかった。父が生存中は私の方でも、関心がなかったからだ。父もそのような時代のことを、息子の私に話しても、どれ程の意味のあることなのかと疑問に思ったのかも知れない。そして、時代がこの様な人々を置去りにしていった。父も無気力な人間になっていった。私は、そういう父の背中を見て育った。
父の村長選挙落選後の我が家
前述の回想記にあるように、村長選挙に落選したあと、我が家は、環境が一変して、父がいうように日本一の孤島に父は、教員生活を始めることになった。家族を支えるために、母も教員に復職した。姉3人と私は県庁所在地の市街地に妹2人と弟は、父母と一緒に暮らすことになった。
父はこの頃のことを、回想記に淡々と述べているが、老獪な老村長の選挙違反等のことを敢えて、批判することもなく、その後、数年して、寧ろ、同村長の県庁職員だった長男の方と兄弟のような親交があった。この方は父を兄と慕って、父もまた弟のように、可愛がった。そしてまた、この方は私を甥っ子のように、私の面倒をみてくれた。奥さんは自宅で歯科医師として、医院を開業していたが、この方よりも先に、病死された。独居生活の淋しさもあったのか、時々、私の家にも遊びに来てくれたものだ。私が仕事で資金に困っているときなど、金を融通してくれた。情の深い人だった。もう、既に、他界された。
この二人はやはり、往年の大らかな時代を生きた人達だったのだ。今の時代を生きている私達からすれば、この頃の人々は、人情味があり、かつ輝いていたのだ、羨ましきかな!
―あとがきー
私はTMK・TMK帝国主義、つまり、特権階級・メディア・国家について、多少露骨に且つ、過激に書きすぎたかも知れない。しかし、私自身がジリ貧生活を体験し現在も進行形であり、また70歳を過ぎたからこそ、見えてくるものがあった。それは、特に格差社会の問題と原発・環境問題。これらの問題はTMKにとっても、解決しなければ、TMK自身が墓穴を掘ることになるのだ。
最近、ちょっと気になることがある。それは人々を無差別に殺戮する傾向に走る人々の存在だ。事件後必ず、彼等の言うことは「殺す対象は誰でもよかった。」と。その都度、その道の専門家のコメントがある。さまざまだ。私はTMK帝国主義とデジタル社会がが生んだ副産物だと思っている。一見、これらは関係ないように思えるが、TMK帝国主義により、本来、単純なはずの大衆の思想までが、訳の分からない、意図的な複雑性を帯びた迷宮に入り込み、人々に判断能力を喪失させているのだ。それに加え、デジタル的思考が短絡的思考に歯どめを掛けられないでいるのだ。このことが、 また、世に流布している低俗な文化に拍車をかることにより、ますます、TMK帝国主義の正体をぼかしてしまうのだ。
現在、地球上で、偶然に、おなじ時代を生きている我々世界の人々は100年すると、殆ど全ての人々が、この世を去るのだ。戦争しないで、仲良く、幸せに暮らしたいものだ。TMKさん!貴方達だけ幸せになって、本当に満足ですか?
この惑星に暮らすわれわれ、一人一人が皆で、真剣に取り組むべき喫緊の課題だ。
ギリシャの哲学者・エピクロスのいう「アタラクシア・心の平安」をすべての人びとが等しく、享受できるように、しようよ!ね! 平成27年1月吉日 脱稿
●平成26年10月30日付けにて、NHKのクローズアップ現代で「人間の為の経済学・知の巨人・宇沢弘文」と題して、放送された。
私は勉強不足で、宇沢先生の名前を知らなかった。見ているうち、全てを理解できた訳ではないが、感覚的に、これだと思った。先生は平成26年9月18日に86歳で亡くなられた。私みたいに、ある日、突然、底辺に追いやられた人間が、新自由主義に荒れ狂う世相に怒りを感じ、人間としての「心のよりどころ」を捜し求めていた最中に、実践と理論で、熱く、かつ、真摯に研究している先生の姿に接し、感動しました。先生は経済学部門のノーベル賞候補にもあがった研究者だった。
今日、早速、先生の著書「社会的共通遺産」を買ってきました。これを、きっかけにして、先生の社会改造のための人生学を勉強したいと思っています。
また、出来るだけ多くのTMKの皆さんにも是非読んで頂いて、格差のない社会、空気の澄み切った社会作りに貢献されるよう願っています。TMKの皆さんのためにも。
テレビを見ていたら、この番組のコメンテーターが渋谷の交差点で行き交う人々に「政治と金」について、インタビューしていた。殆どの人々が無関心だった。愕然としたが、これしきで、諦められない。TMKの言うなりになるのだ。危険極まりない予兆さえする。老骨に鞭をうって、先へ進もうと決めた。
皆さんにお願い!特に若い人に政治に関心を持ってもらいたい。そのために、テレビでもよい番組があります。かたよらない中立・公正な番組も結構あります。ネット上でも適切な情報が得られます。
良い情報は皆で共有しましょう。そして、偏った情報を糺していきましょう。
従来のTMK帝国主義とDY方式を緩和・解消する観点から、世界中の多くの人々が、現生でギリシャの哲学者・エピクロスのいう「アタラクシア・心の平安」をえるために、私は残された人生を全うしたい。宇沢先生に感謝しています。先生のご冥福をお祈りします。
参考文献
●宇沢弘文著「社会的共通資本」岩波新書
●水野和夫著「資本主義の終焉と歴史の危機」集英社新書
●トマ・ピケティ著、訳者山形浩生、守岡桜、森本正史「21世紀の資本」みすず書房
●マルクス・エンゲルス共著大内兵衛・向坂逸郎訳「共産党宣言」岩波文庫
●河上肇著「貧乏物語」岩波文庫
●ギュスターヴ・ル・ボン著、櫻井成夫訳「群集心理」岩波文庫
●佐伯啓志著、「西田幾多郎」新潮新書
●アレックス・ギブニー監督のドキュメンタリー映画「エンロン」
●アル・ゴア著「不都合な真実」「アル・ゴア未来を語る」ドキュメンタリー映画「不都合な真実」
●フーベルト・ザウパー監督「ダーウィンの悪夢」
●林慎吾著「青山栄次郎伝―EUの礎を築いた男」角川書店
●井原西鶴著・増村保造監督・邦画「好色一代男」
●クリスティア・フリーランド著、中島由華訳「グローバル・スーパーリッチ超格差の時代」
早川書房
●アンドリュー・ロス‣ソーキン著、加賀卓朗訳「リーマンショック・コンフィデンシャル」早川書房
●海音寺潮五郎著「西郷と大久保」新潮文庫
●佐高信著「西郷隆盛伝説」光文社
●エピクロス著、出隆・岩崎允胤訳「エピクロス教説と手紙」岩波文庫
●有馬哲夫著「原発・正力・CIA」新潮新書
●NHKEテレ・ドキュメンタリー「ヒロシマ・爆心地の原子力平和利用博覧会」
●NHKEテレ「知の巨人・思想の科学と鶴見俊輔」
●田原総一郎著「日本人と天皇」中央公論新社
●高橋治著「派兵―シベリアの虹」朝日新聞社
●荒木貞夫大将・平沼騏一郎元総理・齊藤邦彦(著者の父)・赤尾敏他著「黒木親慶君追悼伝記」
●齊藤邦彦(著者の父)他多数「回顧」宮師昭二会編
●映画監督黒木和夫の映画「美しき夏・霧島」「紙屋悦子の青春」「TOMORROW 明日」他
●永井荷風著「濹東綺譚」新潮文庫他
●林芙美子著「浮雲」「放浪記」新潮文庫・青空文庫他
●有吉佐和子著「私は忘れない」「紀の川」「恍惚の人」「複合汚染」新潮文庫他
●立花隆の取材ドキュメント「人の心は死ぬときどうなるのか」NHK Eテレ
●柳田國男著「遠野物語」
●万葉集




