3・降り積もる
見知らぬ部屋で目覚めて、3日が過ぎた。
1日目は、ただ、呆然と。
2日目は、周囲を観察した。
3日目は、ようやく歩いて見ようかと思えた。
瞬く間に時間は過ぎて、4日目の今日はベッドを降りて歩くことにした。
部屋主は、ベッドを長々と占領されていても文句ひとつ言うでもなく、彼女の好きにさせてくれた。
それがひどく有り難かった。
彼女はここに至るまでの記憶を、すっかりなくしていた。
医者の見立てでは、頭を打ったからだろうとのことで、確かに右側頭部に見事なこぶが出来ていた。
記憶が戻るかは分からないと言う。
自分の生きてきた証を失うということが、これほどまでに衝撃を与えるものだとは思わなかった。
どんなに記憶を探っても、途切れたその先を示すものが見つからない。その事がこんなに怖いなんて。
彼女は誘われるように窓辺へと歩み寄った。
この部屋に来て初めて見た外は、一面の銀世界だった。
さらさらと降り積もる真っ白な砂糖のような雪が、後から後から大地を塗り替えていく。
部屋の窓はガラスが二重になっていたが、触れると指先がキンと凍える。
どんなに手をのばしても、透明なガラスに弾かれる。雪には手が届かない。
……私は、どこから来たのだろう。
この辺りは村などなく、いるのは衛士達ばかりだと聞いた。
着の身着のまま倒れていたと言うから、どこの誰なのか知る術はなく。
立ち尽くしていると、不意に部屋の扉が開いた。
振り返ると、ここ数日で見慣れた顔があって、少しだけ安堵する。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
最初にこのやり取りをしたとき、彼はなんとも言い難い表情をしていた。
ウィオルと名乗った彼女の拾い主は、見つめる彼女に、慣れていないのだと弁明した。
けれどこの少しだけぎこちないやり取りを、律儀に続けてくれる。
その優しさが好ましいと思う。
「リサ、調子はどう」
荷物を下ろしたウィオルは、真っ先に彼女を気遣ってくれる。
あまり口数は多くない、寡黙な青年というのが、彼女の見た彼の姿である。
リサ、というのは、ウィオルが昔飼っていた犬の名だと言う。呼び名がないと困るな、と言った彼が彼女に付けてくれた名前。
何処か懐かしいような気もするその名を、彼女は受け入れていた。
少しばかりぎこちなく、奇妙しな共同生活。
リサの拾い主は、とてもおかしい。
どこの馬の骨、という女を同じ部屋に住まわせているのだから。
リサ自身でさえ、自分のことが怖くなると言うのに、当たり前のように受け入れた。
その事実に、救われたような思いを抱く。
ーーねぇ、ウィオルさん。もし私に記憶が戻ったら、戻ってしまったら、それでも受け入れてくれる?
聞きたくて、聞けなくて、だから彼女は曖昧に微笑む。
「ありがとう、大丈夫」
「そうか」
短いやり取りが心地好い。
けれどその心地好さが、彼女の胸に寂しさを連れてくる。
リサは、ぽかりと浮かんだ言葉を飲み込んだ。
記憶なんて、戻らなければいいのに。