1・舞い散る雪花
ナツ様の共通プロローグ企画に参加させていただきました!
飛び入りですみません。
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
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ふわりと鼻先を漂う美味しそうな匂いで目が覚めた。
現金な胃袋が空腹を訴える。ひどくお腹が空いていた。
「ここは……」
何処だろう。
身動きすれば、体にかけられた薄い毛布が滑り落ちる。随分薄っぺらなそれは使い込んだ物らしく、端がほつれている。
半身を起こせば、そこは部屋の中であった。
机と、ベッド。それに木製のタンス以外は何もない、殺風景な部屋だ。
辛うじて、赤々と火の燃える暖炉だけが人の気配を感じさせる。
「……」
自分の部屋ではないと思う。
しかし、ここが何処なのか全く心当たりがない。
側頭部が鈍く傷んだ。
何だろう。何か大事なことを忘れている気がする。
頭痛と戦っていると、不意に部屋の扉ががちゃりと開いた。
顔を出したのは、見知らぬ男であった。
眉尻に残る傷痕が目を引く、それ以外は特に目立ったところのない容姿。強いてあげるなら、服の上からでも分かるガッチリとした体型だろうか。
「……目が覚めたか」
灰色の瞳が彼女を眺める。
その淡々とした視線に思わずすくむと、男は視線を手元に落とした。
そこにはほのかな湯気の上がる、スープの皿があった。
正直な体は空腹を訴え続けている。
彼女の腹がきゅうと鳴ったが、男は驚いた様子もなく、ベッドの脇まで歩いてくる。
「何か食べた方がいい。体が暖まる」
言われて誘惑に勝てず、彼女は手をのばした。
匙を掴もうとしたが取り上げられ、何故と見上げれば、男は手に持った匙でスープをすくい、息を吹き掛けてから彼女の口許に差し出した。
……至れり尽くせりである。
ええい、ままよと口を開き匙を受け入れる。
温かいスープは、よく煮込んだ野菜の味がした。
何処か懐かしい味のそれは、じんわりとお腹に染み渡った。
黙々と差し出される匙を受け入れて、皿が空になった頃、ようやく人心地ついた彼女は、ほぅと息をついた。
腹が満たされた感覚が幸せな気分を連れてくる。
いや、のんびり浸っている場合ではなかった。
「ご馳走さまでした。……申し訳ないんですが、ここはいったい何処でしょう」
自分でも間抜けな問いだと思う。
しかし、他にどう言えばよいというのだ。
わからないことはそのままにしておきたくないのだ。
「ここはクレイドル。ウィルスの北の果てだ」
クレイドル。ウィルス。
どうしよう。聞いても全くわからなかった。
困惑する彼女に、男が問う。
「貴方は雪山に倒れていた。あのままでは危険なので、私の家に連れてきた。名はなんと言う?」
「私の、名」
名前。自分が何者であるかを示すもの。
たったそれだけのことを思い出すために、彼女は頭を抱えた。
頭痛がひどい。
「私の……名前」
彼女は混乱した。
自らのことを忘れるはずがないのに。
「わから、ない」
呆然と呟く。
何も思い出せなかった。
「頭を打っているのかもしれないな。後で医者を呼ぶ。しばらくここでで休んでいくといい」
そんな風に男は言った。
その言葉にすがる以外に、彼女に何ができただろう。
ただ呆然と、頷くしかできなかった。