神社と私
思えば今年は、神社で何かを感じることが多いように思う。その始まりはと振り返ってみると、両親と共に行ったS神社ではないだろうか。
私は今実家を出て下宿をしている。春休みの間実家に帰り、こちらに戻ってくる時に親の運転で車で送ってもらうことになった。折角来たのだからということで、母の提案でパワースポットで有名だというS神社に行くことになったのである。私も2年間住んでて一度も行けていなかったので否やは無かった。カーナビを使って若干迷いながらも、何とか駐車場に辿り着く。
思い返せばこの時点から、私の左腕のみが怠いというか、若干重くなったような感覚があった。前日一日中読書三昧で、左肘を立てて寝転ぶ姿勢をとり続けていたことは確かである。だがその疲労は、朝起きた時にはそこまで残っていなかった。しかもその姿勢による疲れの感覚は熟知している。だが明らかに馴染みある感覚ではなかったのだ。
とはいえこの時点では特に確証があるわけでもなかったので、私は何も言わなかった。両親と共に車を降り、境内を歩いていく。案の定母が言った。
「全体的に体が軽くなったような感じ」
その言葉に、父が何となく同意していた。かくいう私も、何となくそんな気がするという感じではあったのだが、気のせいと言われればそれまでとも言えるラインだった。
母の言葉が正しいと感じたのはその後、同じくパワースポットとされるS神社境内の森の中を歩いている時だった。
「ここはパワーがまばら。浮き沈みがある」
その真偽を判断する基準になったのが、左腕だった。歩いている中で少し楽になったり、元に戻ったりしていくのを感じ取ったのである。
最終的に左腕は、S神社を離れて大分マシになったと記憶している。因みに新年明けて以降一度も神社仏閣に行っていなかったので、この日が今年の初詣となった。
その次は5月のゴールデンウィーク。友人二人と共にK山に行くこととなった。K山といえば、Y神社やK寺といった有名な神社仏閣がある場所である。自分も友人も一度は訪れてみたいということで行くことになったのだ。電車に乗って、青い紅葉のトンネルを抜けて山中の駅に降り立つ。そして山道をテクテクと三人で歩いていった。
しばらくして、不意に若干雰囲気が軽くなったような感覚があった。そして五月晴れのカンカン照りにもかかわらず割と涼しさを感じていた。これも、パワーというか霊力というか、そういうものを感じていた事例であろう。
その次は6月中頃だ。その日は有志達と寄り集まって、夜中に遊んでいた。文にしてみると中々に聞こえが悪いが、内容は鬼ごっこや逃走中、ドロケイといったようなものである。深夜1時頃に解散となった後、参加していた人の一人が言った。
「近くのK神社境内の小川に、蛍を見に行かないか?」
その神社はどの道帰路の途中にある場所だ。その人と私、そして友人の三人でK神社境内を歩いた。
鳥居を潜り、砂利が敷かれた道を進んでいく。正面にある社の方は閉門となっていたが、その横に小川を渡るちょっとした石橋がある。我々の目当てはそちらであった。
橋の上から奥を覗くと、淡い緑色の光がちらほらと見える。時期としては少し遅いくらいだったが、ちゃんと見ることが出来て良かったと思う。
だがこの時感じたのは、風流だけではなかった。
石橋の上に上がった瞬間、軽い頭痛がやってきた。試しに橋から降りたり上がったりをやってみた。川の上に来た時が一番強く感じた。流石にこうも頻繁にあると慣れてくるもので、「ああ、そうか」と納得したような感じでいたのを覚えている。
どうも今年は、神社が絡むと何かがあるようだ。怖いもの見たさでまたどこか行ってみようかと思わないでもない。いわゆる心霊スポットと呼ばれるような場所に行ったこともなかった気がする。今度友人を誘ってみようか?
もしそういったところを訪れる機会があり、そこで何かが起きたならば。その時はまたここでお披露目させて頂くとしよう。




