338 崩国の足音
シャハール王国王弟サイード・ウレ・バレラ・シャハールと言う男は退屈だった。
でっぷりと太ったこの男は栄華の極みに有る。シャハール王国現国王の弟でありながら、継承権には拘っておらず、その為に兄である現国王との関係も悪くない。
寧ろ数の多い兄弟の中でもかなり優遇されている。
彼の治める土地は帝国と皇国との貿易の玄関であるジグラッドと言う王都に次ぐ大都市だ。
最も帝国側からすれば若干遠回りなのだが、砂漠が邪魔で帝国と皇国との貿易はこのジグラッドが玄関なのだ。
彼は座っているだけで巨万の富が転がり込むのだ。
(儂の兄弟は愚か者ばかりだ。何故に兄に歯向かうのか。その点私は賢い選択をした)
元々シャハール王国は継承権争いの激しい国だ。国王はハーレムを作るために、王の血を継ぐ王子は時に数百人にのぼる事もある。
それだけ王子がいれば継承権争いが起こるのも当然の話だ。だが、サイードと言う男は最初から王位に興味は無かった。寧ろ率先して第二王子であった兄を支援して王位に着かせた功労者の一人だ。
そして、その褒美にジグラッドを領地として与えられたのだ。
面倒な仕事は部下や奴隷にさせて、自分は美食と美女に囲まれ好きに生きていける。
但し、その生活に飽きるのも早かった。故にこの男は好奇心旺盛になっていく。
見た事も無い工芸品や美術品を欲し、より美しい美女を求める。そして更なる美食も求める。
そんな男だが、そう簡単に彼の欲を満たせる訳では無かった。
退屈な顔をしながら横たわる彼の前には皇国の神官がへりくだった態度で頭を下げている。
退屈な謁見だ。自分のハーレムに戻りたい。昨日買った奴隷の女を抱きたい。飽きた女を奴隷商に売り払いたい。
だが、これも数少ない仕事だ。
「ふむ、卿の話は我が国から奴隷を買いたいとな? 少し前にも数百人程買ったばかりだろう」
皇国の神官が奴隷の調達に来るのは珍しくも無い。寧ろお得意様だ。
だが、購入期間が早くないか? と思った。
「いえ、王弟殿下、我々は神に見捨てられた罪深き罪人を引き渡して頂きたいのです。具体的には数千人規模で」
神官の男は頭を下げながら告げる。
その言葉にサイードの眉が少し動く。
「ほほう。ほうほう。中々景気の良い話じゃな。大陸は帝国の崩壊で混乱しておるのに、皇国は随分景気の良い事だ。
しかしのぅ~流石に数千規模の奴隷を国外に流しては我が国の奴隷が減ってしまうではないか」
正直奴隷が減ってもどうでも良いサイードだが、ニヤニヤと神官の男を見下す。
その顔を見た神官が若干顔を赤く染める。
この顔が見れるから面倒な謁見と言う仕事をしているのだ。
自らを神に使える神使と名乗る聖教の神官が屈辱の表情を浮かべるこの時の愉悦感が堪らなかった。今にも激動のままに女を抱きたくなる。
この男、かなり嗜虐的なのだ。
「勿論、王弟殿下にも相応の物をご用意しています」
神官の後ろからボロボロの奴隷が木箱を前に出す。無論何が入っているかは知っている。
そして奴隷が箱を開けると、そこにはぎっしりと黄金が入っていた。
サイードの眉が更に動く。
「こちらは我が国からの貴国への【支援金】となります」
5つの木箱にぎっしりと入った黄金の輝きが彼を魅了する。
名目上は支援金だ。シャハール王国に居る聖教徒の為の金だ。
シャハール王国は極めて厳しい環境の国だ。だから、そこに居る信者を助ける為にお金を渡す。
最も支援金と称したワイロである。
何時もの言葉遊びだ。流石に神の使いが堂々と奴隷を買う訳には行かない。故に皇国は奴隷を買うとは言わない。神に見放された罪人――亜人を罰するので引き渡せと言っているのだ。
実際は奴隷を買うと言っているのだが、これも言葉遊びでしかない。
「まあ、儂も神を信じる敬虔な信者じゃ。もう少し利が有れば跪いてしまいそうじゃのう」
「では追加で幾つかご用意しましょう」
若干サイードの眼に疑念の色が浮かぶ。皇国はがめつい国家だ。何時も奴隷の値段を色々理由をつけてケチって来る。
なのに今回はそのまま受け入れたのだ。何かあるかも知れない。
「それは楽しみじゃのう。是非、我が城に滞在するとよい」
「神は常に汝と共にある事でしょう」
神官は頭を下げると謁見の間からゆっくりと出て行く。
神官の姿が消えると、サイードは傍の男に視線を向ける。
「少し気になるのぅ。女と酒で篭絡せよ」
「畏まりました」
その後、晩餐と称して神官は美食と美女を与えられたが、これと言って口を割る事は無かった。
しかし、晩餐が終わり部屋に戻った神官の男は行き成り態度を豹変させる。
「何故私がこんな砂しかない国に買い出し等行わなければならないのだ! 」
イラつく様に爪を噛むと、ウロウロと部屋を歩く。
「ティディアル大司教め、この私を左遷する等、この恨みは忘れんぞ。必ず中央に戻って見せる。その為に、まずはこの取引を成功させなければ……」
それを隠し部屋から覗く男が居た。そして彼は音も無く部屋から離れる。
そしてサイードの部屋へと訪れる。
部屋に入ると、窓も無いのに酷い匂いがした。
サイードのベットには数人の美女が息もたえたえに横たわっている。そしてサイードは他の女に腰を振っていた。
「……殿下」
「どうであった? 」
「晩餐と美女を抱いても口を割りませんでしたが、部屋に戻るとぶつぶつと口を割ってました。どうにも権力争いで負けた敗北者が左遷されてきた様です」
「大物か? 」
「小物でしょう」
ふむ、とサイードは考える。しかし、相手にする程の者ではないと判断した。
「なら放っておけ」
「畏まりました」
男は音も無く部屋から出て行く。
「儂の勘違い……いや、向こうが功を焦っていただけか」
単に馬鹿がさっさと奴隷を買っていきたかったからこちらの要求を呑んだのだとサイードは考えた。
思えば何時もの仕入れの神官でも無かった。左遷されて、慌てて何か功績をあげれる物とここまで来たのだろう。
最も何時もの神官なら色々付き合いもあるので、もっと安く買えたのだ。あの神官の功績にはならないだろう。
自分は馬鹿な神官をカモにするだけだ。皇国も左遷した奴を破滅させたいのだろう。なら搾り取っても皇国は動かないだろう。
「クックック。ならば出来る限り搾り取らねばな」
そう言うと、サイードは更に激しく動き出した。
そして次の日、サイードは不機嫌そうな顔で再び謁見の間に居た。
彼は王弟。滅多な相手には謁見に応じない。偶に来た客からワイロを貰いながら見下して悦に浸るだけだが、こう連日謁見が続くと不機嫌になるのだ。
しかし相手は長年の付き合いのあるベルベット辺境伯の使いだ。面倒でも会うべきだと考えた。
しかし、事前に聞いた名前に見覚えは無かった。
不思議に思いながらも謁見に応じた彼は更に機嫌を悪くする。
「お初に目にかかります王弟殿下。私はベルベット辺境伯旗下のベストンと申します。グランスール帝国にて男爵位を頂いております」
「知らん名じゃな」
「少し前にベルベット辺境伯閣下の下に仕え始めましたので」
チラリと見れば確かにベルベット辺境伯の紋章の入ったボタンをつけている。見慣れているので間違いなかった。
しかし、自分に事前連絡も無しに人を送って来た事。そして、何時もと違う小物を送って来た事に不機嫌になる。
「ご、ご不快は承知しております。しかし辺境伯閣下は隣領のハバス公爵家との戦の為に私が代理で派遣されました」
「ふむ……で、一体何用か? 」
ふんっと鼻を鳴らすと、頭を下げていたベストンの肩が動く。若干愉悦感でストレスが和らいだ。
「実は我が国では奴隷不足が深刻な状況にございます」
「アーランドに奪われたのだったな」
「あの蛮族共には戦争のルールも美学も無い様でして……」
帝国とアーランドの戦争は帝国の完全敗北で終わった。
帝国は莫大な賠償金を無理やり奪われ、多くの奴隷も奪われた。
そして、それが終わると今度は空いた帝位を巡って内乱が起こっている。その内乱は占領地の独立運動と合わさって最早大火の如く帝国を焼き続けていた。
そうなれば帝国貴族も困る。ただでさえアーランド戦で多くの兵を失っているのだ。せめて数を増やさなければ他の領地に攻め滅ぼされる。各貴族は大規模な徴兵を行った。
その結果、帝国各地で深刻な労働力不足が発生した。土地は有るのに、耕す人間が居ない。実りは有るのに、採集する人がいない。
だから手っ取り早く問題を解決する為に奴隷を買いに来たのだ。
しかし、サイードの機嫌は悪くなるばかりだった。
彼の認識では帝国貴族は最も付き合い安い相手だ。見栄っぱりで、奴隷を買うにもかなりの金を惜しまない。寧ろ大金で奴隷を買うのがステータスだったのだ。
しかし、彼の目の前には幾つかの宝石や金塊等が有るが、先日の皇国の神官と比べると遥かに見劣りする。少し前までは逆だったのにだ。
「まあ、多少は融通しても良いだろう」
「辺境伯閣下には是非とも殿下の御協力を頂きたいと」
「そう言われてものう~儂も国外に流れる奴隷の数には決まりが有ってだな」
「辺境伯閣下は殿下に秘蔵の宝物をと」
帝国貴族が小さい木箱を前に出す。サイードの部下が受け取ると、その場で蓋を開けた。
「ワインです」
「ワイン如きで儂を動かせると思っているのか? 」
流石に秘蔵の宝がワイン1本だと言われてサイードの額に青筋が浮かぶ。最早馬鹿にしているのではないか? と思った。
「王弟殿下。こちらは辺境伯閣下秘蔵の皇帝のワインと言えばお分かりになりますか? 」
「なに!? 」
思わず横たわっていたサイードが立ち上がる。そのまま小走りで歩き、部下の男から木箱をひったくる。
「こ、これが皇帝のワインだと言うのか! 」
「はい」
サイードは震える腕を気合で抑え、再び1本のワインを見つめる。
この男は美食を極めている。世界中のありとあらゆる珍味を金に物を言わせ食してきた美食家だ。
しかし、この男にも手に入らなかった物は存在した。
美食家であり、大の酒好きの男が、この皇帝のワインだけは手に入らなかったのだ。
皇帝のワインはアリスティアに捕まり、アーランドで処刑され、遺灰は海に捨てられた前皇帝がこよなく愛し、独占した物だ。
平民が所持すれば問答無用で処刑されるし、貴族が所持しても、下手をすれば御家取り潰し。献上すれば皇帝ニッコニコの上機嫌の代物だ。
当然帝国内から外国に流れる筈もない。そんな事をすれば恐ろしい未来が待っているからだ。
そして、このワインは災害で生産地が壊滅しているので、新たに生産される事も無い。
如何に美食家で酒好きのサイードであろうとも、大陸最大国家の最高権力者を敵に回せず、泣く泣く諦めていた代物であった。最も裏で何度も手に入れようとして兄であるシャハール王に殴られていたが。
「素晴らしい……素晴らしい贈り物だ! 」
サイードはこの幸運に感謝した。目の前の小物が、今は神の御使いに見える。
「奴隷の購入か。好きにせよ。幾らでも買っていくが良い! 」
奴隷の流出? そんな物は如何でも良い。奴隷なんて下等生物は幾らでも湧くし、足りなければ適当に他国から拉致すれば良いだけの話だ。
多少兄に怒られるかもしれないが、自分は兄の忠臣だ。この程度の事くらい許される。
そして、実はシャハール王国は現在国王の失策で水不足に陥っている。奴隷を少し減らせば水不足も多少はマシになると言い訳も出来るだろうと考えていた。
元々兄が水の大精霊に喧嘩を売ったのが原因なので、怒られる事も無いだろう。寧ろ褒美を貰えそうだ。
「今日は宴じゃ! 皆の者宴の用意をせよ! 」
サイードは楽しい宴を開いた。その宴の最中、サイードは皇帝のワインには手をつけなかったが、ジッと皇帝のワインを見つめていたのだった。
彼は気がつかなかった。前日来た神官も、今日来た帝国貴族も偽物で、自国を破滅に導く尖兵だと言う事に。
彼等はその財力で他種族の奴隷を買い漁るが、王弟公認を盾に、そして支払いの剛毅さに誰も止める事は無かった。
「oh……」
アリスティアは目の前の光景に崩れ落ちていた。
「アリス? 」
「拓斗……アレ見える? 」
拓斗は物凄く嫌そうな顔で目の前の都市を見る。
「バッチシ見えてる。アレどう思う? 」
「シャハール王国……何て場所に首都を建てたんだ……」
「だよね……」
拓斗とアリスティアの眼は、シャハール王国王都ハワスを見つめる。他の護衛は何かを感じてはいるが、それが何か解らず首を傾げてる。ほんの少し違和感を感じる程度なのだろう。
しかし、女神の選定した勇者である拓斗と、精霊女王である私の眼には別の物が見えている。
それは地下から噴き出す膨大な魔力だ。そして、その魔力は汚染されている。つまり……
「何でこの国稼働してる魔導兵器の真上に首都作ってるの? 馬鹿なの? 」
「「「!? 」」」」
護衛とアリシアさんが驚愕の表情を浮かべる。
「どうするアリス? 君あそこに入ると更に制限入るよね? と言うか大丈夫なのか? 」
「こりゃ腕輪型じゃ無理だよ。見てよ既にヒビが入ってる。
それに……竜穴と魔導兵器が癒着してる可能性も有るね」
「それって大問題じゃない? 」
「ぶっちゃけその内首都諸共吹き飛ぶと思う」
「解体する? 」
「メルトダウンを起こした直後のチェルノブイリを一人で解体しろって言われた方が遥かにマシ。第一、結果は解るけど、過程が分からない物はどうしようもない。解決策は吹き飛ばすだけだよ? 」
アリスティアの知識にも精霊王の知識にも魔力汚染と言う現象の具体的なメカニズムは無い。つまり、自然ではあり得ない現象だ。
恐らく精霊の忌諱物質が何かしらの作用をしているのだろうが、それはアリスティアにも効く。無策で近づけば待っているのは死だ。
そして数万年も稼働している魔導兵器がマトモな状態の筈も無く制御出来るのか不明だ。と言うか出来ない可能性の方が遥かに高い。
結論すると、戦術級魔法を打ち込んで魔導兵器を暴走させて吹き飛ばすのが最も効率的な解決法である。そんな面倒事はご免だった。
アリスティア「ヤベェよヤベェよ……」




