314 忍び込む者達 ①
「危険だ。この国は危険過ぎる」
アーランド王国の王都のとある宿の一室で男達が密会をしていた。
その彼等の表情は焦燥していた。
彼等は工作員だった。長い時間を掛けて王国の暗部に多くの仲間を捕らえられながらも生き延び、大願の為にアーランド王国内で工作活動を行っていた。
「スラムでの扇動は不可能だ。クソ、王女め……まさ力技で貧困問題を解決するなんて……」
彼等の破壊工作は多岐に亘る。帝国戦で手一杯の王国を内部から腐らせ、最も脅威となる王国民の団結力を奪い崩壊させる。
その為に動いてきた。当然情報収集も彼等の任務だ。
しかし、ここ数年アリスティアの活躍で多くの犠牲と手間を掛けて腐らせた王国経済が力技で改善された。更に王国は長年裏で繋がっていた国と同盟を結んだばかりか、帝国との戦争に勝利してしまった。
ただの勝利ではない。大陸最大の国家であり覇権国家に王手を掛けていたグランスール帝国を打ち砕く勝利だ。
かつて強大な国力を有したグランスール帝国はもはやかつての栄光の欠片も残っていない。屈強な帝国軍は瓦解し、優れた指揮官達は戦犯としてアリスティアにアーランド王国へ連行され皇帝共々処刑された。
今の帝国は帝国と言う死体を内部から貪る皇族や貴族達の内乱で戦後更に国力を喪失している。これは今も、そして今後も続く。どれだけ上手く内乱を収めてももはやアーランド王国へ戦争を起こす力は残らない。
外部の敵を打ち砕き、内部ではかつてない好景気。王国民の不満は地平の彼方へ吹き飛んだ。これでは内部分裂は不可能だ。
故に彼等は内部崩壊から情報収集へと任務が変えられた。特にアリスティア由来の魔導技術の奪取。
アーランド王国は魔法後進国だ。魔法使いの数も多くない上に技術も未熟だ。なのにアーランド王国はこの世界で最も魔法技術の発展してる魔法王国よりも優れた魔導具を安価かつ大量に生産している。何らかの魔導具を用いていると言う所は掴めた。しかし実物が手に入らない。
「副王商会連合の生産施設を襲撃した奴らが返り討ちにされた。副王家警備隊の連中だ。爺だと思って侮れる連中じゃないぞ。
調査の結果、連中は退役した騎士達だ。しかも王女製の魔導具で身を固めている」
副王家警備隊。それは年齢や負傷で軍を退役した職業騎士(騎士爵ではない)を集め再編したアリスティアの私兵だ。
当初こそ数が少なかったが、現在は総数3000名を超える大部隊だ。最も地方の副王商会連合の生産工場の警備などで出向している者も多く、王都には1500人程が常駐している。
彼等は負傷した者はアリスティアの用意した再生薬で失った体を取り戻し、人間工学に基づく合理的な運動と栄養価を考えられた食事。そして体に害が出ない程度の薬物投与により強化された者達だった。返り討ちは当然だろう。
そもそも戦争の絶えないアーランドで負傷なら兎も角、高齢で退役した元騎士が普通の人間の筈も無いのだ。アリスティア式鍛錬術で年齢と言う問題すら克服している戦闘狂でもある。そして異常なまでに鼻の効く獰猛な猟犬である。
「王女の奪取も可能だが本国から怒りの苦情が来たぞ。送った王女が偽物の上に自爆したそうだ」
どこぞの魔法王は目の前で呪詛を混ぜた自爆を受けて髪が紫色のパンチパーマに変わったらしい。まるで、ひと昔前の大阪のおばちゃんである。しかも妙に呪詛が強く解呪出来ないらしい。
まあ、これは良い方である。大半は本国に送られた後に盛大に自爆する。王都に居る時はマダムかシルビアにでも追われていない限り限りなく警戒心が薄い上に護衛も無しで王都を歩いている事も多々あるので捕獲は容易だ。但し、国民に拉致を目撃されると襲撃者は行方不明になるが。
しかし、これはアリスティアの謀略である。簡単に捕まる動きをしているのは分身なのだ。敵にあえて捕まり爆弾となって敵施設に送られる役が捕まっているだけである。前世でも敵対組織に爆弾のプレゼントをしていたアリスティアらしい嫌な作戦である。
「スラム民の扇動も既に不可能だ」
彼等は当初スラム民の扇動に力を入れていた。王国に守られず日々の苦しい生活を強いられていた彼等は王国への不満が大きく扇動し易いと考えたのだ。
しかし、これも失敗した。ギルバートの手はスラムまで伸びていたのだ。
スラム民に十分な仕事と賃金を与えるのは王国の財政上不可能に等しかった。王国は度重なる戦費で国庫は空状態が続いていたのだ。彼等を支援する政策を考えても実行する資金が無かった。
しかし、ギルバートの政治手腕は恐ろしいと言うレベルだった。王国の予算から可能な限り資金を抽出し、スラムの自治組織を通して僅かだが支援を続けていたのだ。
王国民なら王国政府がどれだけ貧乏かよく理解している。確かに十分とは言えないが、ギリギリ餓死しない程度の物資支援だけは続いていたのだ。
政府が苦境でありながらも僅かとはいえ、自分達を支援している以上は、暴動を起こすに起こせない。そこまで恩知らずのスラム民ではなかった。
悶々としている間にここ数年、徐々にスラムへ流れる支援物資が増えて行った。
アリスティアによる物資支援だ。王国へ魔導具の利権を売ったアリスティアが自己資金を繋がりのある商会を通してスラムに食料品や医薬品を流し始めたのだ。
これに彼等は気がつくのが遅れた。当初こそギルバートの手の者だと錯覚したのだ。その頃のアリスティアは今よりも大人しかったのである。勇名は轟いていたし、国民に対して慈悲深いとは言われていたが、実情が見えなかった。
気が付いた時には全てが終わっていた。
「何がアリスティアパレードだ。クソ! 」
「落ち着け」
イラつく男を隣に居た男が宥める。
「落ち着けだ? 長年かけて築き上げた拠点を既に2つ失ってるんだぞ! それでどうやって落ち着くんだ? 」
彼等の拠点は当初3つあった。一つがギルバート率いる騎士団の強制捜査で潰され、もう一つは深夜に数百匹の猫に強襲され捕縛された。
恐るべき猫共である。一流の工作員が気配すら気づけず、気が付いたのは襲撃されたその時だ。しかも爪に麻痺毒をたっぷりと付けた状態で引っ掻きまくってくる鬼畜の鑑である。
多くの人間は、猫はただの愛玩動物かネズミ捕り程度の認識だ。しかし猫は決して愛玩動物ではない。猫は獰猛で残忍な恐るべきハンターなのだ。
気配に敏感なネズミに音も無く近寄り捕まえる猫のステルス能力はスパイの気配察知能力を凌駕していた。気が付いたときは窓から雪崩れ込む猫を呆然と眺めた時である。
残ったのは彼等だけだ。そして彼等自身何時自分達が捕まるのか怯えていた。もしかしたら既に自分達は補足されていて、泳がされているのかも知れない。とまで思えてくる。
「王城へ侵入するぞ」
「馬鹿な。俺達以外の勢力も何人も侵入したが、ここ最近は見慣れない魔導具まで使った警備が敷かれてて成功した奴は居ない」
「このまま何も成果を得られなくてどうなる? 成果が無ければ俺達は帰国も出来ない。このまま待っていればクソ王子かクソ猫に捕まるだけだ」
残念な事に彼等の立場は弱い。この世界でスパイは基本的に消耗品だ。捕まっても助けないし切り捨てられる。例外はアーランドくらいだろう。最もアーランドでも捕まったスパイを救出出来る余裕は今までは無かった。
彼等は与えられた任務を熟すしか生き残る事は出来ないのだ。役に立たないのならば、待っているのは死だ。
「実は地下水路は警備の人間が殆ど居ないらしい」
「……罠じゃないのか? 」
「入った奴は全員捕まっているな。だが、警備が殆ど居ないのは事実だ。
それに俺達なら侵入出来る可能性もある。でもこのままじゃ手が足りなくなるぞ」
当初30人居た仲間は既に4人にまで減った。半数はアリスティアを誘拐しようとした際に国民に目撃され、それ以降連絡が取れない。
最も捕まったのは下っ端だ。残った4人は熟練のスパイである。スキルも相応だ。
しかし、黙って時を過ごせば数はどんどん減る一方だろう。
今動かなければならない。
「王城の何処かで飛空船を建造していると言う噂だ。恐らく地下だろう。地上で作るスペースは無い」
「この国の王城は砦みたいな小さい城だしな。確かに地上じゃ無理だ。しかし地下か? そんな事が有るとは思えないが……」
「運び込まれる物資から見て王城で作られてるのは間違いないだろう。それに、それ以外にもナニカを作っていると俺の直感が告げている。
飛空船を作るには不自然な程の物資が王城に集められている。これらの情報。あるいは飛空船の建造技術を盗めれば国に帰れる筈だ」
「それはそうだが……」
余り気乗りしない。事前情報が足りなすぎる。行き当たりの計画だ。穴が多すぎる。しかし、これ以上時間を掛けててもこれ以上の情報は手に入らない。
本国は焦れている。アーランド王国如き魔法後進国が飛空船を魔導炉を作る事が許せない。認めれない。だから情報を奪い正当な所有者であるべき自分達の物にするべきだと考えている。
勝手な事を言うなと言いたい。男は心の中で呟いた。それを盗って来るのは自分達なのだ。
「行くしかないか。確かにこのままじゃジリ貧だ」
こうして恐怖の地下水道への侵入が決まった。彼等の運命も決まった。
ガコっと言う小さい音と共に地下水道の入り口の鉄格子が外れる。
「クソ硬ェな……なんだこの鉄格子」
「恐らく魔法で強化されてるな。油断するなよ」
地下水道は地下にあるにも関わらず意外と明るかった。
赤い明かりが各所に設置されており、松明無しでも歩ける。
「かなり手が加えられているな」
「おかしいぞ。入手した地図と合ってない。ここに右に行く水路なんて無い筈だ」
地図を見ながら歩いていた男が地図と実物が違う事を告げる。当然だ。王城自体は今まで通りだが、施設自体はアップグレードされている。そして地下水道は現在最もホットなアリスティアの遊び場だ。ついでに使いやすい様に改修されていた。彼等が手に入れたのは既に古くなった地図である。出なければ手に入る事なんてないのだ。
しかし、時すでに遅い。突如天井近くの壁がクルリと回り、赤いパトランプが出現する。そして同時に警報が鳴り響いた。
『地下水道に侵入者発見。現時点を持って地下水道を閉鎖する。内部に居る者は所定の避難所へ避難せよ』
「クソ見つかった! 」
「何で見つかったんだよ」
誰にも見られていなかった。周囲に人の気配すらない。何故見つかったのか彼等は理解出来ない。
何故なら彼等は知らないからだ。地下水道には隠蔽された監視カメラや赤外線探知機が設置されている事を。
そして今まで警報が作動しなかったのは出口から逃げないように奥へ誘導する為で有る。
恐るべき速度で鉄格子で後方が塞がれた。男達は持っていたショートソードを抜くと、闘気を纏わせ鉄格子を切断しようとする。しかし、入り口の鉄格子とは違い僅かな傷がつくだけだ。
その鉄格子は鉄製では無かった。オリハルコンとアリス鋼の合金製であり、強度は尋常じゃなく高い。
何度か斬りつけるが、壊せる事は無かった。
「どうする? この場所は露見しているはずだ。直ぐに移動しないと捕まるぞ」
「地図が当てにならないんだ。何処に逃げれば……何だこの音は? 」
高周波の様な甲高い音が地下水道に響き渡る。余りの爆音に耳を塞ぎたくなるが、両手が塞がる事を恐れて男達は耳を塞げない。
水路の前方から何かが見えた。そう思った時、地下水道の地図を持っていた仲間が鉄格子に叩きつけられた。
地図を持っていた男は悲鳴をあげる事無く白目を剥いて口から泡を吐き倒れている。股間は血で染まり、男の大事な部分が潰れていた。
「な、なにが起こった……」
「これは一体」
行き成りの自体に残った3人は困惑する。反応出来なかったのだ。
大事な物を失った男の傍には赤いボクシンググローブが落ちていた。
超小型ロケットエンジン搭載ボクシンググローブである。コイツが高速で飛んできて男を元男に変えてしまったのだ。
状況を理解した瞬間3人は走り出す。目的なんてない。直ぐにその場を離れなければならないと本能で確信したのだ。
同時に水路の壁の一部が消え、中からマナ・ロイドが現れた。
拠点防衛用マナ・ロイドだ。元は某赤い機体の様に厳選した部品と整備性を犠牲に高性能なマナ・ロイドを作ろうとしたが、同時期に考案された親衛隊モデルのマナ・ロイドの性能の方が優れていた為に拠点防衛用に少数生産された特殊なゴーレムだ。まあ、ゴーレムと言うよりロボだが。
男の一人がマナ・ロイドを斬りかかる。しかし軽々と持っていた剣で防がれた上に拠点防衛用マナ・ロイドの蹴りを受けて壁に叩きつけられる。
「グハ、クソが! ゴーレムの動きじゃないぞ」
彼等の知っているゴーレムは力は強いが鈍重で動きは鈍い。しかし目の前のゴーレムの動きは速い上に力も強い。正面から戦って勝てる相手じゃない。
いや、一対一なら闘気を使えないゴーレムに勝てる自信は有るが、目の前の拠点防衛用マナ・ロイドはどんどん数を増やしている。確実に力尽きるのは自分達が先だ。他の2人をそれを理解したのか、即座に逃げに徹する。
一流のスパイである彼等の逃げ足はマナ・ロイドより早かった。ギリギリ包囲を逃れ、距離を取る事に成功したが、いつの間にか一人が逸れ、2人になっていた。
現在地も何処なのか分からない。遠くからこちらに近寄る拠点防衛用マナ・ロイドの足音が聞こえてくる。
「クソが、振り切れない」
「振り切っているのに何でここに居るのが分かるんだよ! 」
2人は走り続けた。死神の足音は決して途切れる事無く徐々に近づいている。
そしてついに彼等は走る体力を喪失し、壁にもたれ掛かった。その時、壁がグルリと回転し、彼等は隠し通路に転がり込んだ。
一方逸れた男はマナ・ロイドの執拗な追撃を受けていた。
「ハアハア……クソ皆何処に行ったんだ! 」
追いかけてくるマナ・ロイドは数をどんどん増やしていく。
体力はジリジリ削れる。
「邪魔だ! 」
通路に設置された簡易的な柵を体当たりで破壊し、駆け抜ける。柵の横に『罠未調整区域』と書かれたプラカードを見ている暇は無かった。
走り続ける男。しかし、突如壁が轟音と共に前に突き出され、水路に弾き飛ばされる。
「ぐっ、ゴハあああああ! 」
壁が衝突した腕から骨が砕ける音が響く。それ程の勢いで壁が飛び出して来たのだ。
地下水道は中央に水路があり、両サイドは保守点検用の通路だ。その水路に男が落とされようとした時、水路の先から再び超小型ロケットエンジン搭載のボクシンググローブが飛んできて男の顔に激突する。
鼻が砕け、水路の上を転がる様に吹き飛ばされる。そして水路に沈みそうになった丁度その時、再び水路の中からボクシンググローブが飛び出して来て男を宙に打ち上げた。
地下水道は王城へ水を供給する大事な水道だ。水路にゴミが入る事は許可されない。
この一撃で男は完全に意識を失った。
そして打ち上げられた男が水路に堕ちる前に天井から網が放たれ、男を捕らえる。よく見ると天井の一部が開き、レールが見える。そして、網はレールへと繋がれていた。
そう捕まえた上に連行まで準備万端なのだ。完璧な罠である。唯一の欠点は男が重傷を負った事だろう。威力の調整はまだこれからである。
こうして逸れた男は何処かに連行されて行くのだった。




