238 勝利はメイドの手の中に ②
魔王アイリスが全てを滅ぼす事を決めた事は全員が直ぐに理解した。攻撃の全てに一切の躊躇いが消えたのだ。
魔王アイリスは黒い手袋をつけた腕を振るう。既に詠唱保持している攻撃魔法は残っていない。残りは戦闘用ではない魔法などだ。
詠唱している暇はない上に、邪悪なメイドが詠唱を妨害して来る。ならば接近戦しかない。一歩進むごとに悲鳴を上げる体を一切気にせず魔王アイリスは腕を振るう。先ほどと違い瘴気のように揺らめく魔力でなく、鋭利な刃物のような手に、遂に拓斗は刀を収め、背中に背負っていた精神剣を抜くと、それで受け止める。
衝突した魔王の手と全ての聖剣の頂点に君臨する精神剣。結果は魔王アイリスの瘴気の様な魔力で覆われた手袋を切り裂き、僅かに傷を与える物だった。
「ッツ」
「無駄だよ。その力じゃ俺には勝てない」
精神剣は邪神を滅ぼす為に生まれた剣だ。邪神の欠片で汚染された精霊王――魔王には打ち砕くことは出来ない。何故ならば、精霊王と女神の2柱が鍛えた物だからだ。
更に黒い手袋は引き裂かれたままで修復も遅い。
(祓われた? )
ジワジワと修復はされているが、魔王アイリスの想像よりも遥かに遅い。
祓われたと言うのは正解だ。聖の名を冠する武器には魔を祓う力がある。それじゃ序列によって強さが変わるのだが、拓斗の持つ精神剣は頂点に位置する聖剣だ。
ジリジリと魔王アイリスは拓斗と距離を取る。
後10年。10年有れば精神剣は脅威では無かった。アリスティアの体が成熟し、アリスティアの魂を歪め、自分が取り込めやすい安い土壌を作って体を乗っ取れれば、勝つことは不可能では無かった。それだけのポテンシャルは持っていたのだ。
拓斗の精神剣は自分じゃ防げない。魔王アイリスは不利を承知でグラディウスを握る。当然の如くグラディウスは魔王アイリスを所有者とは認めない。柄から伸びた鎖が魔王アイリスの腕に絡みつく。それだけではない。
「ギャハ、ギャハハハハ! 」
グラディウスは魔王アイリスの魂にまで絡みついた。これは予想外だったが、拓斗の精神剣に抗える武器はグラディウスしかないのだ。グラディウスの妨害を承知で使わざるおえない状況だった。
魔剣グラディウス。かつては精神剣に次ぐ聖剣であった魔剣は格が落ちているにも関わらず拓斗の剣劇を弾く。つまらなそうに叫ぶグラディウス。自身の強度ばかりはグラディウスにもどうしようもない。そしてグラディウスがどれだけの苦痛を魔王アイリスに与えても魔王アイリスは止まらない。
まるでバーサーカーのように剣を振るう。しかし、それは堅実な剣術を収めた動きだった。拓斗もアリシアも驚き、バックステップで下がる。
「えっとメイドさん。アイって剣術出来たっけ? 俺の記憶だと護身術程度の実力なんだけど」
「姫様を見て剣士だと思いますか? 魔法無しだとゴブリンにも負けますよ。それと姫様と呼びなさい殺しますよ?
ただ、どうもアーランド剣術の流れを感じます……型が大分違うような……主流のアーランド剣術ではないでしょう。使い手を姫様が知ってるとは思えません 」
アーランド剣術とはアーランドの正規兵が使う剣術であり、一般的な剣術とは違い実戦一辺倒の剣術だ。故にルール等無いに等しい。しかし型は存在する。
魔王アイリスが使うのはアーランド剣術ではなく、その原型となったアバロン王国剣術である。基本的に系統は同じで剛剣の流派だ。
魔王アイリスは先代魔王の知識も吸収していた。
だが、剣士ではないアリスティアの体では本来の剛剣は振るえず、時間稼ぎにしかならない。
魔王アイリスは考える。先代の知識。そして精霊王の知識まで己の物にして対抗策を思考する。
精霊王の膨大な知識が更に体に負担を与えるが、気にしない。潰れる前に新しい体を作れば問題ないのだ。故に鼻から血を流しながら膨大な知識を漁る。
(ミツケタ)
そして遂に魔王アイリスは現状を切り抜ける方法を発見する。
この場の全員を殺す決意をした魔王アイリスだが、それは現状難しい。ならば後で行えば良い。
転移で逃げる事も考えたが、精霊王の知識から勇者は決めた対象のもとに転移する魔法を持っている事からこの世界の何処に逃げても追って来るだろう。最もこの魔法にはかなりの魔力が必要であり、拓斗でも一人で一回程度しか使えないが、危険は排除するべきだと魔王アイリスは考えていた。
しかし、次元転移で別の世界に逃げれば拓斗は追って来れない。勇者の転移は世界を越える力は無いのだ。
最も次元転移の魔法は精霊王の知識にも次元転移その物が存在しない。精霊王は転移こそ出来るが、それは生来の能力であり、人のように体系化されていないのだ。完全に精霊王の力を使いこなせれば可能だが、それは人には不可能だった。
だが、ヒントは有った。古代魔法王朝は次元転移を用いた魔導具である異界門を生み出した。
それは最悪の方法を使って生まれた魔法だ。
嘗て大陸全土を支配した古代魔法王朝。しかし人口の増加による食料問題や、国民の団結を維持する為には他の国を支配する必要がある。外部に敵を作り、それを支配すれば豊かな生活が出来ると言い続けて大きくなった国だからだ。
更に既に人の居る土地を支配すれば、一から土地を開拓するよりも早く食料問題が解決出来る。
故に古代魔法王朝は故意に戦乱を引き起こした。多くの人が死に、その魂を回収する天界門を人為的に呼び出し、それを解析する事で別世界に転移する魔法を生み出したのだ。
それは結果として別世界に居た邪神がこの世界に侵攻すると言う最悪の結果を招いて古代魔法王朝は滅びたのだが、天界門は多くの死者を出せばいい。
魔王アイリスが空を見上げる。そこには常人には見えざる門が扉を開き、戦場で死んだ帝国兵の魂を回収していた。
(これなら)
魔王アイリスがグラディウスに炎の魔法をかけ、横に振るう。炎の斬撃が拓斗とアリシアを襲うが、彼等は余裕を持って躱す。しかし、その瞬間魔王アイリスは【飛翔】を唱えると、全力で空を飛ぶ。
呆気にとられる拓斗とアリシア。しかし、拓斗も同じように【飛翔】で飛び上がる。アリシアは飛べないので取り敢えず魔王アイリスの下に駆けた。
拓斗の【飛翔】は魔王アイリスよりも練度が低く、半分以下の速度しか出ない。
「無駄だ。逃がさないよアイ」
拓斗は仮に振り切られても追いかける術がある。まだ余裕があった。
魔王アイリスはクスリと笑うと、瘴気の様な魔力を右腕から全力で放出する。グラディウスの鎖が魔力で体から引きはがされるが、鎖は瘴気の様な魔力を覆う形となった。絶対に鎖は離さないと言うグラディウスの決意が示すように、少しずつ鎖は瘴気の様な魔力を抑え込んで右腕にからもうとする。
グラディウスは全力で魔王アイリスを抑え込もうとしていたのだ。もはや蘇った魔王を封じる力は無い。元より封印の力などないのだ。しかし、精神に干渉する魔剣としての力を限界を超えて行使する事で、魔王アイリスが人を捨てる事だけはさせないグラディウスは限界を超えた力の行使を行い、剣全体にヒビが入る。
「世界を越える天界門よ。その英知の全てを私に寄越せ! 」
グラディウスの妨害を一時的に抑え込んだ魔王アイリスは背中の竜杖を抜く。竜杖はあっさりと黒く染まり、天界門に突き刺さる。
「【クラック】」
魔王アイリスが解析の魔法を使った瞬間、目と鼻から更に血が流れる。天界門を構築する膨大な術式が魔王アイリスの中に流れ込む。
悲鳴を上げる体。それは抑え込まれているアリスティアすら悲鳴を上げる程の知識の津波となる。
「見つけた! 」
魔王アイリスは反転すると、拓斗に蹴りを入れる。
「っぐ、アイ! 」
「暫くお別れだよ拓斗。でもね絶対に戻ってくる。その時こそあの幸せな世界が帰ってくるんだ。出来れば……それまで待って欲しい【グラビティープレス】」
拓斗の体が急速に落下を始め、地面に叩きつける。とっさに風魔法のクッションを作り、最小限の被害で押さえたが、落下の衝撃で精神剣を手放してしまう。
和仁と舞が近寄ろうとする。
「来るな! この魔法は範囲に入るとお前達も対象になる。それよりアイを止めてくれ! 」
【グラビティープレス】は一定の範囲を重力で押しつぶす魔法だ。これを解除するのは難しい。
しかし、拓斗はゆっくりと立ち上がる。しかし、立ち上がると同時に膝を着く。
その間、魔王アイリスは詠唱を始めた。煌めく巨大な魔法陣が幾つも浮かぶ。その魔法陣から強大な魔法を行使しようとしている事を理解したアリシアが叫ぶ。
「姫様おやめください。そんな魔法を使えば体が耐えきれません! 」
アリシアの言葉を聞いた魔王アイリスは視線すら向けずに詠唱を続ける。その瞳は反転した刻印が黒く煌めき、周囲の魔力が渦を巻くように魔王アイリスの元に流れ込む。
瞳の刻印は精霊王の証であり、その力の根源だ。魔王アイリスはそれを過剰に使い、自然の魔力を掌握し始めた。出なければこの魔法は発動できない。
この場には魔導炉の爆散で尋常じゃない魔力が漂っており、それらは全て魔王アイリスの力となる。しかし、自然の魔力は人の体とは馴染まない。寧ろ魔導炉の爆散で荒れ狂った魔力は体を蝕むだろう。
だが、それを使い、魔王アイリスは世界に風穴を開ける。
次元転移。急ごしらえの極めて危険な魔法だ。次元を超えて他の世界に行くには、まず座標の指定が必要だ。それには他の世界を観察する魔法が必要だ。しかし、魔王アイリスの作った次元転移は自分を異世界に飛ばす危険極まりない魔法であった。何故なら異世界の何処に飛ばされるのか分からないのだ。
地中か水中。酷いときは宇宙空間に飛ばされる可能性が高い。それで、これしか方法は無い。別世界で人類の抹殺を行う。この世界は最後に滅ぼすそれが魔王アイリスの決めた事だ。
和仁と舞が空中に浮かぶ魔王アイリスに攻撃を始める。しかし、どちらも遠距離攻撃は得意とは言えず、魔王アイリスの前に浮かぶ魔法陣の一つに弾かれる。
そして、世界に穴が開く。空間が歪み、渦を巻いている。
「さあ旅に出よう」
魔王アイリスは最後の呪文を唱えよう口を開いた瞬間。この時を待っていたアリシア。これ程の大魔法の行使。失敗すればもうアリスティアの体は動けなくなる。
腰の収納袋からアリシアは一つの物を出し、それを魔王アイリスに向けて叫ぶ。
「姫様、プリン・ア・ラ・モードで御座います! 」
その瞬間魔王アイリスの中に抑え込まれていたアリスティアが強く動く。
「プリン」
最後の詠唱に失敗した事で魔法陣はバチバチを不具合が出始める。
「んな! 」
まさか、まさかこの状況で詠唱失敗するとは思っていなかった魔王アイリスが崩壊を始める魔法を何とか食い止めようと制御を試みるが、その魔法の強大さから一度制御を失敗し、崩壊が始まった次元転移の崩壊は止めれなかった。
巨大な幾つもの魔法陣が消えていくと、魔王アイリスは落下を始める。漸く【グラビティープレス】から逃れた拓斗がそれを受け止めた。
「ふう、頑張って買って良かったです」
「えぇ……」
まさかプリン一つで戦況をひっくり返すとは思ってなかった拓斗達も渋い顔をしていた。
プリン・ア・ラ・モードは拓斗が経営する獅子堂製菓で1日5個限定の特別品だ。アリシアはアリスティアの為に午前3時から並んで手に入れた物であった。




