122 銀月
クート君は王都を疾走する。速度はそれ程出ない。なんせ王都だ。混雑してる。
「姫様我々を置いて行動しないでください! 」
「急いでる」
私の鍛え抜かれた直感が告げているのだ。銀月で新しいオヤツが販売されたと。
ならば行くしかない。進むのだクート君。
暫く進むと、表通りから外れた道に一軒の喫茶店が現れる。資金の関係で表通りと言う神立地を得られなかった不遇の喫茶店。しかし作るお菓子の味は間違いなく王都一だろう。
そう、銀月である。店の前には10人程の客が並んでいるのは何時もの事。狭くは無いのだが、客が多いのだ。しかも、既に資金があるのに広い店に移動しないので行列は無くならない。客も来るから困らないのだとか。それに表通りに移動すると客を捌ききれない可能性があるんだって。
そしてお店の前にある看板には「本日から新リンゴパイ始めました」と言う張り紙。まさに私の直感が告げた通りだった。この世界のリンゴは普通にリンゴと呼ばれてる。
「今日もいっぱいお客が居る」
「ハア…ハア何で何時も新作が出る事が分かるのですか? 」
数秒遅れてアリシアさんが追い付いてきた。親衛隊は居るだろうが、姿は見えない。私が威圧的な人を連れ歩かないのを知ってるので、主に隠れて護衛してるのだ。しかし居るのは分かってる。
「私の直感が告げるのが悪い」
小型犬程度まで小さくなったクート君をお店の前に打ち込まれた棒にリードを付けて繋げる。何故かペットを連れ歩く客が少ないのにあるんだよね……私用か。
20分程並び、前に並んでるのが数人になった時にお店から一人の男性が走ってきた犬の獣人で、元傭兵のロックスさんだ。怪我で片耳が無いのと、灰色の髪色だ。しかし厳つさは無い。一見普通の人だ。最も、今でも鍛えてるらしいので細マッチョなのだとか。
「何時も言ってるが席は用意してるんだから普通に入ってくれ。姫様を待たせるのは外聞が悪いんだ」
「私はズルはしない。ちゃんと並ぶ」
何時も結構な量のお菓子を買って帰るので、下手をすると私の後に食べれない人が出るかもしれないのだ。それでは前に並んでる人に悪いだろう。だから立場を使ってズルはしない。お気に入りのお店に行くときの私ルールだ。
「しかしうちにも外聞って物が……」
「私が自発的に行ってる事は周知の事実。寧ろ美味しいパイを楽しみにしてる」
「そ、そうかい。だけど席はあるんだから普通に入って来ても誰も文句は言わないよ」
「寧ろ私の専用席がある事も問題なんだけど」
別にここが私の席と言う決まりはない。唯、目立たないように奥の壁際に座る事が多いだけだ。いつの間にか椅子とかテーブルが少しグレードの高い物に変わってたけど。
「いや~あれは客が姫様の席には座れないし、俺達と同じ席じゃ問題だろうってクレームが入るんだよ。別にうちのルールじゃないですぜ。客の要望だ。
俺も座るなって言った事は無いんだけどな……まあ、座ると客全員が睨むんで誰も座らないけどな」
う~ん。これは良いのか悪いのか。別にお店に害が無いのなら良いか。何気に私が来る事でお客が増えるらしいし。実際後ろの行列が増えてるのだが、私が視線を向けると皆揃って顔を逸らす。
取りあえず店主が店先に居ると何時までも入れないので、戻って貰った。シッシと押し戻す。私はロックスさんと話に来たのではない。リンゴパイを食べに来たのだ。会話するより改良したパイの味を楽しみたい。
「いらっしゃい! これがうちの新作だ」
ロックスさんの奥さんと娘さんが接客をしてるのだが、今日は奥さんのシャリアさんだけのようだ。
席に着くと同時に紅茶とリンゴパイを持ってきてくれた。何度も通ってると私の目的も分かるのだろう。シャリアさんは今では殆ど注文を聞かない。私が食べたいと思った物を持ってきてくれるのだ。
私はパイを掴むとそのまま少し齧る。
「美味しいまた腕を上げたね」
「いや~何か行商で良いリンゴが有ったらしくてね。どっかの貴族領で生産された物だよ。うちは今後そこからリンゴを注文する事にしたのよ」
貴族領を聞くと、マーサさんと話してた貴族だった。なんだ、あの貴族儲かってるじゃん。
「これなら買う。明日お城に50枚届けて」
「何時も思ってるが個人で食べる量じゃないね~太るわよ」
思わず体の一部を触る。膨らむ気配は無かった。
「……どうやら太らない体質みたい」
ここも脂肪が溜まる筈なのだが。
「そこはまだ姫様には早いかねぇ」
ニヤニヤと笑てるシャリアさん。私は半目で睨む。笑う事無いじゃないか。事情が有ったとはいえ、前世でも成長出来なかったんだぞ。
因みに成長しなかったのは必要な人体実験を自分自身で行っていたから。前の体は事故が無くてもボロボロだった。まあ他にも極度の睡眠不足とか色々あったけどね。年単位で睡眠時間が1日1時間程度だったし。見た目が変わらなかっただけ奇跡だ。コーンフレークの栄養管理能力は素晴らしかった。あれ食べたい。
しかし美味しい。これは広めなくては。一人でご飯食べるのとか、一人で食べるオヤツは美味しく無い。嫌という程前世で味わった。だから私は皆で食べる為には権力を行使してでも広めるぞ。
皆で楽しく食べるのが一番だ。それに危険域まで在庫が減ってるのだ。マーサさん所の領民や職人衆に分けて減った分は補充しなければならない。アリシアさんは暫く厨房に籠って貰うべきだろう。お菓子の在庫が少なくなると私の精神の安定が損なわれる。
「と言う訳でアリシアさんは厨房で量産ね」
「………私一人ですよね」
アリシアさん作のお菓子はアリシアさんだけで作ってる。無論城の料理人も作るけど、別物扱いだ。
「アリシアさんの手作りお菓子も食べたいな~最近作ってくれないな~ 」
リンゴパイを食べてからの帰り道でおねだりしてみた。
「私も忙しいんですが」
「私のメイドでしょ? 」
「本来はそうなのですが、護衛とか警備関係の仕事もあるので…時間を取るので暫く待ってくださいね。足りないって言っても数か月分はまだ溜めこんでますよね? 」
そこに気が付くとは天才か。いや、誤魔化せなかったと言う事か。地味に私の在庫を把握されてる。仕方ないまだかな~っと楽しみに待つのも醍醐味だ。しつこく食い下がって困らせると普段の心労も相まって胃に穴が開いてしまうだろうし。
夕暮れ時の王都は面白さで溢れてる。色々な人があっちこっちに歩いてたり、昼とは違い街灯も点き始めた。最も魔力補充の関係で最低限だけど。
トコトコ歩くクート君もふんふんとあたりの匂いを嗅いでる。既に王都はクート君の縄張りになってるらしい。野良犬がクート君と遭遇すると、お腹を見せて死んだふりをするくらいだ。
あれは面白った。向こうは今にも死にそうな顔をしてたけど。犬もあんな顔するんだ。
「今日は城に戻ったらお風呂に入って寝ましょうね。最近働き過ぎです」
「仕事あるんだけど」
「宰相様に譲りましょう。あの方なら喜ぶと思います」
本当に喜びそうだよね。仕事と食事と睡眠欲しかなさそうだし。実際屋敷に帰ってるのかすら怪しい。多分帰ってるだろうけど、朝から晩まで働いてる。部下を巻き込んで。
まあ止めるのは不可能だろう。宰相さん居ないと国の財政破綻するんじゃないか?とも言われるくらいだし。と言うか戦時体制数百年も続いてるのが異常だ。
まあちょくちょく停戦してるけど、向こうはアーランドが欲しくてたまらないらしいからね。希少な種族に技術に資源と奪えなかった肥沃で広大な農地。
私からしたら大きいんだから自国を開発しろよって思うけどね。面倒だとか考えてそうだな。奪えば良い。強い者に従うのが帝国である。迷惑極まりない。
「あの人寝てるのかな」
「さあ?でも休ませると一気に老け込んで老人になる不思議な御方ですから」
難儀な人だ。少しは付き合う部下の人達を気遣ってよ。何時も死にそうな顔してるよ。
あの人達は有能だし、過労で不穏分子にもならない。仕事が忙しいので暗躍するような暇が無いのだ。寧ろ何も知らずに接触する馬鹿が定期的に逮捕される。
有給制度も作らないと駄目だな……まずは休日か。基本的に休日って祝日以外に存在しないし、公務員たる彼等には祝日出勤も当たり前なのだ。年末年始でも働かされるのは酷だろう。何とかしなければ。
閑話休題
さて、まず私がすべき事はスラムに手を付ける事だ。お父様もお兄様も本格的に動けない。忙しいのもあるが、王国の予算は有限で、余裕が無い。増え続ける亡命者がそのままスラムに住み着いているのだ。
未だにアーランド以外では普人主義が横行し、多種族が普通に暮らせるのがアーランドだけなので、他種族はアーランドを目指して移動してるらしい。
今までは帝国が厳しい規制を掛けていたのでそれ程問題も無かった。それにアーランドに住む人間はアーランドの規律に従うのが住む条件だし、数自体も膨大と言える程では無かった。
しかし今は、他の国とも同盟を結んでいる。この事は既に大陸中に広まった。帝国を抜けなくてもオストランド等を経由する人達が増えだしたのだ。
同盟国も国法で種族差別は禁止する方針だが、最低でも数十年は後を引く問題だし、移住した他種族の在り方次第では永遠に問題が解決しないのが移民問題である。
スラム問題の解消には彼等を知るしかない。何を望んでいるのか。まあ、ある程度は想像がつく。しかし、自分の目で見ないと彼等の考えとズレが出来るだろう。
だから私はスラムを視察したいのだが、まず行けない。家族は反対するし、アリシアさんや護衛の騎士達も絶対に認めない。既に何回か偶然を装って行こうとしたが止められた。最近では王都の住民まで止めだす始末だ。過保護過ぎるよ。
よし、偶には正面から言ってみよう。
「アリシアさん。スラムを視察に行きたい」
「危険なので絶対に駄目です」
これである。
そして、次の日から私には監視が付けられた。解せぬ。




