114 授爵①
走る走る走る。私は何かを追いかけていた。
「待って…行かないで!」
それでも……それでもそこには辿りつけなかった。走っても遠ざかる。止まると見えなくなってしまう。だから走り続ける。
だけど走り続けても『それ』は遠ざかり見えなくなってしまう。
真っ白な世界に一人残され、歩いて来た道を確認しようとしたら……何も無かった。走るのに夢中になった『ワタシ』には何も残って居なかった。
いっぱい大切な物を持ってた筈なのに、何も残って居なかった。そこで私は目が覚めた。
「………どれくらい寝てた」
――大体3時間程だ。かなりうなされていたぞ――
「普通に話せるようになったんだ」
闇の精霊は私の周りをクルクルと回る。
――人の言語は我々には不要な物なのでな。どうしても覚え直すのに時間が掛かった。アリスと出会わなければ、後数百年は思い出さなかっただろうよ――
「そうなんだ」
確かに精霊は独自の言語を持ってる…と言うか意思だけで大体の会話が出来るので人間の言語を覚えない精霊も多いらしい。更に言えば、基本的に自由だから覚える意思すら持たない事もある。めんどくさがりなのだ。
――そんな事よりも顔色が悪いな。体調が悪いのか?もう少し寝るべきだ――
「目が覚めたからもう寝ないよ。シャワー浴びて仕事でもするから朝まで時間は潰せるし」
――無茶はするなよ。『思い出した』のなら自分が如何に不安定な存在だと理解出来てる筈だ。
アリスの魂は安定しない。過去に囚われると未来を失う事になる――
「分かってる。全く面倒な物を押し付けてくれたよ。普通に『転生』出来た筈なのに未練が残ってるんだよね。だから私も引き寄せられる」
元々アイリスの人格を残す理由も当初は無かった筈だ。それなのに確かに残ってる…らしい。私にはどうあがいても知覚出来ないけど精霊は直接私の魂が見れるから残ってる事は教えてくれる。但し、消える寸前のようだ。
元々魂は一つだ。私とアイリスは同時に存在出来ない。起こり得る事は魂の引っ張り合いだ。弱い方を勝手に吸収して元に戻ろうとしてる。
まあ、魂が正常な証だ。他に材料にした謎の魂は今じゃ殆ど崩壊して、吸収すらされない。元々魂すら崩壊して意味不明な言葉を呟く程度らしい。ああなると引っ張り合いすら起きないのだとか。
アイリスにトドメを刺されたようだ。アレが魂の不自然な死なのだとか。封印されたせいで天界にも地獄にも行けない。消滅すら出来ないのだとか。何をしてあんな目にあったのだか。
――アリシアなら、まだ寝てるようだぞ。風が遊んでる――
「アリシアさんが風邪ひくから程々にね」
どうやら風の精霊はアリシアさんの部屋に遊びに行ったらしい。
取りあえずシャワーでさっぱりすると仕事を開始する。私の主な仕事は書類位だ。空軍は方針と予算と開発。実務はパッシュ隊長に任せる。私は専門外だ。
「姫様!……此処に居たのですか…少しはお休みください」
「目が覚めたからね」
数時間程するとアリシアさんが駈け込んで来た。どうやら起こしに行った時に居なかったので慌てて探してたのだろう。
私は山積みの書類を転送の魔法で王城に送る。すると送った書類の倍の数の書類が送り返されて来る。
時刻は朝の6時過ぎだ。この時間に仕事をしてるのは宰相さんだろう。何時寝てるのかは誰も知らない。仕事をしないと数日で老けて耄碌してしまう仕事ジャンキーだからね。
「仕事を送り過ぎですよ」
「まだ組織の編成中だからね。どうしても書類が多くなるのは仕方ないよ。城に戻る頃には大分処理しておくから」
予算編成や人員の管理に空軍の宿舎や騎士団…今後は兵士団と統合して陸軍になる事が決定したそうだ。
陸軍にも利権をある程度流して、友好的な関係も構築しないといけない。どうしても予算で揉めるからね。今は飛空船の利益で誤魔化してるけど、それも何時までも続ける訳にもいかないから。
それと技術開発局の人達が面会を求めてるらしい。多くの疑問に答えて欲しいのだろう。熱意があるのは宜しい。但し、私と会うにはお風呂に入れと言いたいけどね。多分城のメイド達が何とかするだろう。
「姫様、本日の予定ですが、マーサ村長を乗せ、昼には出航します。村からは護衛として10人程が同行するようです」
8時になるとパッシュ隊長が今日の予定を報告しに来た。
「護衛と必要な物資の降ろし作業の進捗は?まさかやって無いって事は無いよね。それと村で保管してた魔玉は全部私が買い取るからマーサ村長を呼んで来て。積み込みも並行で作業でね」
「物資は昨日の内に降ろしてあります。予備の武具に食料・医薬品・テントなど万全です。魔玉の件でしたら昨日の夜にマーサ村長の許可を得たので積み込みを開始している最中です…しかし、数が数なのと、適当に納屋に転がしてたようで空き箱に詰める等の作業で少々手間取ってます」
マーサさんを直ぐに呼んで来るとパッシュ隊長は部屋を出て行く。この部屋…書類で狭い。パッシュ隊長も書類の多さにドン引きしているようだ。若干哀れみの視線で書類を見てるのは、その視線を私に向けたくないだけで、本質は私に同情してるのだろう。だが、書類仕事程度なら問題は無い。議会の無茶ぶり要求が混ざってる方が嫌がらせだ。
「お呼びでしょうか姫様」
10分程でマーサさんがやって来た。
「呼んだのは魔玉の件。まず私は査定できないから、支払いは王都に着いてからになる事は理解してほしい。必ず支払いはする」
「はぁ…お金になる物なのですか?」
マーサさんはあのお宝の山の価値に気がついて無いようだね。
「巨額の富になると思うよ。実際サイズも問題ない処か上物みたいだし。よくあそこまで溜めこんだね」
私個人で買い取ろう。魔導炉のコア精製に多数の魔玉を使ってるので在庫が殆ど無い。多くの魔玉を一つにしてるので、どうしても数が必要だ。
もし、普通の魔玉をコアにするなら、ヘリオスクラスの魔玉を手に入れないといけないから、現実的じゃないね。そんなに古代竜クラスの魔物は人里に出てこないから。
「それと、新しい領地の開発には私も加わる。直ぐに家と畑は用意するけど、住民以外にも移民を募る事になると思う」
「姫様のお手を借りるなど許されるのでしょうか?私は王国の臣下になるのでしょう?一家臣に手を貸すと悪い風評が流されると思うのですが」
「そこは私の肩書でどうにでもなる。技術開発局の局長として、マーサ村長の新しい領地には最新の設備を供給する。農工機や、多くの魔道具を渡すから、それの実地試験をして欲しい。無論何か問題が起これば私が責任を取る」
「分かりました。それと移民ですが、村人と摩擦を起こさないでしょうか?それに私はどうやって集めれば良いのか分かりません。伝手もありませんし」
まあ数百年もこの秘境に居れば伝手も無くなってるだろうね。
「基本的にはスラムからの募集かな。市民は生活基盤があるから移民を募集しても集まりにくいし。それと、摩擦が気になるなら他に新しい村を作ってそっちに移民を暮らさせれば大丈夫。どうせ行き成り混ぜても問題しか起こらないからね。建物関係は王都に私の知り合いが多いから人手は直ぐに集まるよ」
親方衆ともそれなりに仲が良い。仕事しないと、一日中お酒飲んでるから丁度良いだろう。
それに、用意出来るのは村程度までだ。そこから発展させるのはマーサさん次第だ。石油もあるからアスファルトも生産出来る。いい加減デコボコだらけの道は改めるべきだろう。しっかり舗装した道路が必要だ。
「ならば私に異論はありません」
「そう、じゃあ荷物の積み込みを初めて。同行者もね」
「あ、その…」
私が書類に視線を戻そうとしたら、マーサさんが何か言いずらそうにモジモジしだした。男の人がしても可愛くないよ?
「何?」
「その…妻と子供も連れて行っても良いでしょうか?生まれてから一度も外の世界を見た事が無いので見せてあげたいのです」
「結婚してたんだ…それはご愁傷さま。貴族からの介入が始まるから気合い入れてね。自分の娘と結婚させて自分達の陣営に入れるのも貴族の手法だから」
多分今の奥さんは側室にして、自分の娘を妻にしろとか言い出す貴族が出て来るね。
「そんな…私は妻一筋です…浮気したら殺されます」
別に浮気じゃないけどね。まあ、こっちも私の方から手を回すべきかな。
「じゃあ、それもこっちである程度抑える様にしておくよ。お父様に頼めば貴族の人達を抑えてくれると思うから。でも、気を付ける事だよ。色々な手段で既成事実を作ってくるから。
基本的に奥さんと一緒に居て。もし、自分じゃ対処出来なかったら私がマーサ村長の後見者と言えば何とかなるかな?」
私は、そう言いながらアリシアさんを見ると、アリシアさんは頷いた。
「状況的にマーサ村長は姫様の派閥と思われる可能性が高いので大丈夫でしょう。
ただ、姫様に会わせてほしいとか色々言われると思いますが」
「え?」
確かに。私は貴族との付き合いは余りしないからね。公的には未だに引き籠りに近い。
「姫様はご自身の派閥を持っていません。王家が後見してるだけです。無論5侯の方々や、一部の貴族とは付き合いがありますが、多くの貴族と交友を持つ御方ではありませんから。私も同じ状況ですが、しつこいですよ連中は」
人のメイドに嫌がらせをしてくる貴族は大嫌いだ。絶対に会わない。お兄様にこっそり言いつけてる。
「外交と貴族との付き合いはお父様とお兄様の仕事。私は管轄外」
「何気に王族の仕事は放棄してるんですよね…今や表立って文句言えませんけど」
ハッハッハ。他の仕事で活躍すれば表立って何か言われる事は無いのだ。王族の仕事はしないけど、替えの効かない人材に成れば問題は無い。そして、この大陸で飛空船のコア部分を作れるのは私だけだ。表立って批判は出来まい。
「つまり……私がしっかりしていれば何も問題は無いと言う事ですか?」
「その通りです」
貴族議会は本当にしつこいからな~。あの人達って基本的にニートに近いから。
役職も領地も無い貴族を国民に非難させないように一応仕事してますよって奴だし。
そこで実力を認められれば役職なり、領地なり任されるのに何で他の人の邪魔ばっかりしてるんだろうね。
私はアリシアさんからマーサさんがアドバイスを受けるのよ聞き流しながら書類を処理していた。
その日の昼過ぎに飛空船はタロル村から出発した。




