92 アイリスの過去②
遅れてすみません。
アイリスが6歳になり、中等部すら越えて高校生活を始める時に事件が起きた。学校から迎えに来たリムの待つ駐車場までの短い距離で誘拐未遂が起きたのだ。ボデーガードの奮闘虚しく拉致されたのだが、某俳優のように高速で走る車の窓からアイリスは華麗に飛び降りた。結果は右手の骨折及び全身の擦り傷と言う奇跡的にそこまでの大怪我では無かった。流石の誘拐犯も、これには驚いたようで、ハンドル操作を誤りそのまま壁に正面衝突を起こし、爆発炎上し、全員火だるまになって死亡した。
アイリスは折れた腕を気にせずタクシーで帰宅すると言う剛毅な方法で窮地を脱したのだ。因みに痛かったらしい。
尚、アイリスは財布を所持していない。カールスは財布を贈った事があるが、アイリスが持ち歩かない為に、靴の中に少しのお金と住所の書いた紙を入れてあるのだ。これはカールスの幼少期からの癖でもあり、カールス自身も同じく靴の中にお金を入れている。
「アイリス‼」
「直ぐに救急車を呼ばなくては‼」
「おじょおさま~‼」
直ぐに連絡を受け、警察を呼び、家で誘拐犯の連絡を待ってた家族はアイリスの帰宅に度肝を抜いた。しかし、色々な所から血を流し、右腕はプラプラしているアイリスは明らかに重症である。いや、子供が平然としていられる怪我では無かったが、直ぐに病院に送る事にした。全ては後に考えるべきだと判断したのだ。
病院でかなり精密な検査をされたが、擦り傷は軽傷で右腕の骨折も単純な物だったので、普通に治るとの事だった。頭なども擦り傷はあるが、打撲痕なども無く、検査の結果は異状なしである。体は頑丈なのだろう。
意識もはっきりしてるので、直ぐに警官に事件の内容を話す事になったが、アイリスの話を聞くと皆驚いた。警官も事故の事は知っていたが、目撃者のボディーガードが意識不明の重症で、駐車場に居たので見て無かったから、車のナンバーすら分かって無かったのだ。現在は付近のカメラの映像を集めてる段階だった。
逃亡する車からダイブし、タクシーで帰って来る。アイリスの逞しさに悲しみよりも怒りよりも感謝しか無かった。家族は無事?に帰って来ただけで十分だと判断し、軽いお説教だけでアイリスを許す事にした。
しかしここでも両親の犯人への怒りは凄まじかったが、全員黒焦げだと警官に言われると渋々諦める事になった。しかし、彼等は自分絡みで娘を誘拐しようとしたのでは?と思い、独自に調べ出したのだ。複数の探偵会社やカールスの知り合い――スラム時代に築いた人脈は未だに残って居る。などを使い調査を行ったのだ。
誘拐は裏の組織に繋がってる事も多い。特に彼等はそう言う連中に狙われる可能性もあるのだ。その事から、カールスと静は暫く国を離れる事にした。
「あなた、日本に少しの間避難しましょう。あそこは治安も良いわ」
「そうだね。滞在出来るのは数か月くらいだけど、僕も君の故郷に興味が有ったんだ。こんな事が起きたばかりだから、職場も休みを認めるだろう。全て調べ終えるまで日本に避難しよう…ついでに向こうに家でも買おうか。将来アイリスが別荘として使うかもしれないからね」
「早すぎよ。でも…そうね。別にこの子が、この国に拘る理由も無いのだもの。暫くは向こうで暮らしましょう」
こうしてアイリスの治療が終わると直ぐにリムを連れて日本へ出国した。因みにボディーガードはクビである。アイリスを護れなかった時点で使い道が無いと判断され、他のボディーガードを数人雇ったが、日本では、まだボディーガードの銃装は認められず、特殊警棒しか認められてないのでスタンガン付き(合法)を持たせてアイリスより少し離れた所に配置した。
タクシーに乗ってる時も飛行機に乗ってる時もアイリスはこれと言った反応を示さなかったが、内心ではご機嫌である。
そもそも危険を無視して逃げたのは、唯でさえ忙しい家族との時間を削られたくないからだ。アイリスが朝起きる時には仕事に行ってるし、帰って来るのは11時過ぎだ。稀に休みや、早くに帰って来る事はあるが、アイリスは愛情に飢えてるのだ。それはもう獰猛な虎のような飢え具合だろう。愛情を感じる為ならハリウットスター顔負けのアクションでも平気で行う危険な少女であった。
しかし結果はどうだろう。確かに痛い思いをしたが、数か月は両親が一緒に居てくれると言うのだ。流石に何度も同じ事をする気は無いが、この数か月間が楽しみで仕方ないのだ。
実際アイリスの薄い表情でも微笑みが幾度か出てるので、2人もアイリスがご機嫌なのは察していた。流石に家族のスキンシップが足りないのは自覚してたのだ。
日本につくと、静の生まれた町に住む事にした。彼等は仕事仕事の生活だったので、資産にはかなり余裕がある。カールスは既にこの町に家を買う事を決めていた。妻の故郷に、家族が誰も居ないから帰れないのはおかしいと思ってたのだ。生まれ故郷には好きに戻れるようにしたいと思っていた。そしてその為に丁度いい物件も見つけていた。
「素敵な家……と言うか何で西洋風の屋敷があるのかな?ここって私の記憶だと空き地の筈…ってあっちのケーキ屋がアイス屋に変わってるってどうでも良い。凄い浮いてるわよ」
カールスが自信満々に紹介したのは、左右対称の西洋風の洋館だ。物凄い浮いていた。高級住宅街にある屋敷なのだが、ここだけ数倍の敷地があった。と言うかこの辺は純和風の家も多い。この町はここ数十年で急速に発展した町なので歴史ある家も多いのだ。
カールスは困惑する妻を押すように屋敷に入れる。既に現金一括で買い取ってるのだ。
この屋敷は結構な広さの庭もあり、庭の中央には噴水もある。噴水にある石像は300年前の物を空輸したと物らしいと自慢げに言う。間違いなく、人生最大の買い物だろう。十数億もした屋敷である。
「アイリスもどうだい?気に入ったかな」
「見た事無い家…何か左右対称」
「そうだろう。この屋敷もヨーロッパで有名な建築士の設計なのだが、買い取った富豪がちょっと有って住めなくなったらしいんだ。だから僕達以外には誰も住んだ事の無い事実上の新築だ。良い家を見つけられてよかったよ。リムも好きな部屋を選ぶと良い。維持も業者を使うから最低限の掃除で済むからね」
「私は…その、ちょっと何も言えないです」
孤児から、まさか豪邸の使用人になるとは思ってなかったのだ。確かにアメリカの屋敷も大きいと思ってたが、向こうの家が広いのはそこまで珍しく無い。しかし、ここまでの豪邸は滅多に無かった。だからリムはそこに住むと言う事を理解出来ずにいた。思考が停止してたのだ。
アイリスは庭をクルクル回る。どうやら興味を持ったようだ。アイリスの人生には芸術が存在しなかったので好奇心のままに、石像等を観察している。
暫くすると庭の美術品や、家の外観を見ている。どれも見た事の無い物だった。アイリスは基本的に教育番組しか見ないし、新聞の写真などには、そこまで興味を持たなかったので、どれも新鮮な光景だった。
暫く外を眺め、中に入る。豪華な玄関ホールでシャンデリアもある。典型的な西洋の屋敷と言えるだろう。ここでアイリスの興味も終わりを告げた。入ってみれば普通の家である。
「さて、じゃあ私は先生に挨拶に行ってくるわ」
「じゃあ僕達も行くよ、君の恩人だから挨拶がしたい」
静はこの町に暮らしてた時の児童施設に出資してた、獅子堂家に向かう事にした。好々爺な老人が昔からそう言う施設を運営しており、施設に居た時には大変世話になった人である。他にも獅子堂と言えば、この町では結構な影響力を持っている。無論国家レベルでは無いが、この町の半分は元獅子堂家の領地なのだ。
と言っても歩いて5分程の距離に獅子堂家の屋敷は立っている。この高級住宅街も獅子堂家の本家が有る故の物だからだ。3人は散歩ついでに歩いて行くことにした。両親と手を繋いで歩くアイリスは高校生だとは思えない程に見た目相応である。
「すみません。昔お世話になった静と言います。先生はご在宅ですか?」
「え?静ちゃん。やだ、凄い久しぶりじゃ無い。ちょっと待ってて直ぐに聞いてくるから」
静が幼少期からの知り合いである家政婦は静を見ると嬉しそうな顔をして、門の奥に小走りで進んでいく。暫くして「何時もの場所に居るからね」と品の良い笑顔でアイリス達を招き入れた。
日本庭園とも言える庭を少し進むと道場が見えて来た。どうやら剣道を教えてるようで中も外も道着を来た男達が木刀を振ったり、外の水道で汗を流している。
アイリスは武術を知らない。興味を持たない事に関しては同年代より世間知らずである。彼女が初めて武術を目にした瞬間なのだが、アイリスはこれと言った興味も無かった。運動もそこそこ出来るし、体も頑丈なのだが、アイリスは運動自体に興味を持つ事は無かったのだ。
取りあえず見知らぬ集団に、アイリスは父親の影に隠れる事にした。普段見せない仕草にカールスは嬉しそうにアイリスの頭を撫でながら「大丈夫だよ」と言う。
「よく来たな。もう日本には戻らんと思って居っておったわ。お主にはこの国は狭すぎるからの」
「そうですね。世界を見たくてアメリカに渡りましたが、偶には母国に戻るのも良いと思います。町の発展とかを見ると懐かしく思いますから」
道場の上座に座り、アイリス達を迎えたのは白髪の老人だった。獅子堂玄斎御年75才である。
しかしこの老人顔だけ見れば老人だが、顔から下は現役のボディービルダー顔負けのマッチョである。未だに現役の武術家であり、生涯不敗の男だ。実際彼は多くの流派の人間と戦ってるので現代の塚原卜伝とも言われている。
そして獅子堂流は戦国時代に生まれた総合武術だ。基本理念は全ての武術の長所を取り入れると言う物で、剣でも槍でも格闘でも銃でも何でもOKの実践的武術である。この町の警官はこの武術を習う事もあるほどだ。実際に実戦で使える数少ない武術である。
「ふむ、お主ももう母親か…似とらんのう……喝‼」
玄斎は行き成りアイリスに怒声を浴びせた。その堂々たる迫力に周りの門下生処かカールスも後ずさったが、アイリスは玄斎すら見て無かった。面白そうに後ずさったカールスを見ていた。
「…先生、いい加減その癖を辞めてくださいよ」
「老人の楽しみじゃわい。しかし肝が据わった子じゃのう。お主すら泣かせた一喝を見向きもせんわい」
「この子は色々変わってるので。それに先生にも興味を持ってないようです。アイリスちゃん挨拶をしなさい」
「Добрый день.(こんにちわ)」
アイリスの使う言語は摩訶不思議だ。幼い頃から多数の言語を操れた結果、混ざるのだ。今回はロシア語だが、複数の言語が混ざったアイリス特有の言語になる事がある。
そしてアイリスの頭の中では○○語と言う情報では無く、言語で全て統一されてるので、何処で別の言語になるか本人も分からなかった。彼女にとってどの言語も同じような物である。
「………お主アメリカに渡ったんじゃろう。何故にロシア語になっておる」
「…すみません。この子10か国語使うんですけど、覚えるのが早すぎたようで混ざってるんです」
「面白いのう。さて、今日は儂のような年寄りが生きてるか確認する為に来たわけじゃないのだろう?」
「ええ、少しこの町で暮らす事になりました。それに先生に相談も有って来たのです。アイリスちゃんは少し周りを見てないさい」
静は玄斎の影響力を知っている。まず、この町では顔役である。それに国にもそこそこのパイプを持っている。この国での誘拐などの犯罪情報を聞きに来たのだ。アイリスがここで暮らせる状況などを調べる為に。それに玄斎に頼めば、それと無くアイリスを狙う人間が来た時には知らせてくれる。この町限定なら、路地裏の情報まで調べられる老人であった。
一方アイリスは少し不機嫌だった。大人の話に子供が付き合うのはよく無いが、ここにアイリスの興味を惹く物や者が無いのだ。つまり暇なのである。
こんな事になるのなら、新聞や読んでない論文がバッグの中に有るのだが、それも新しい屋敷に置いてきてしまった。彼女は壁際で座るとボ~~っと門弟達を見る。
「君って爺ちゃんの知り合いなの?」
暫く見てると、横から声を掛けられた。短めの黒髪を濡らせながら、タオルで顔や髪を拭きながら、同じくらいの少年が声を掛けて来たのだ。
「さあ?」
「日本語話せるんだ」
「話す分には問題ない」
無機質な会話だ。アイリスの第一印象はこれと言って無い。しかし、彼との出会いはアイリスに変化を与えるのだった。
「君の名前は?俺は獅子堂拓斗って言うんだ」
拓斗はそう言いながらアイリスに笑顔を向けるのだった。そしてそれにアイリスは少しだけ戸惑った。何かは分からないが少しの変化が彼女にも起きていたのだった。
 




