91 アイリスの過去①
彼女の不幸の原因は賢過ぎた事だろう。彼女より後に生まれた人間は殆どがそう答える。生まれる時代が早すぎた故に使い潰された稀代の天才だと。彼女をそう評価する人間は多い。実際彼女は数多の偉業を成した。軌道エレベーターの建造費用を半分に抑える素材の簡易化や核融合炉の実用化に多くの兵器産業に彼女は影響を与えた。それは全て彼女の研究費用を稼ぐために。
彼女は禁忌を犯した。多くの人間が彼女を罵倒するが、本人は既にこの世には居ない。多くの人が彼女を称えた。人類を更なる高みへ導く存在だと。彼女は裏で決してやってはならない研究をしていた。彼女は世界を欺いたのだ。
全ては理不尽に奪われた彼女の家族を取り戻す為に。
彼女は幸福の中に生まれた。両親は共に研究者で、父親は兵器開発の世界的権威で、母は遺伝子学のスペシャリストだった。両親は対極の研究をしていたが、元が孤児である事から気が合った。共に似た苦労を重ね、別分野ながら世界に名を連ねる研究者だった。
父親はカールス・フィールド。育児放棄により、スラムで育ったが、その類稀な頭脳で学会を駆けあがった猛者だ。母親は日本の孤児院育ちで、両親や親族は小学生の時には居なかった。彼女は他の人間以上の努力で20代前半の時に渡米し、直ぐに学会で名を知られるようになった。
彼女の両親はとあるフォーラムで出会い、同じ境遇から仲良くなると、1年半後には結婚していた。喧嘩する事はあるが、カールスは兵器開発こそが戦争を無くすと信じてたし、第二次大戦後は核の傘により、大国同士の戦争が無いのも事実だ。微妙なパワーバランスの上に立つ平和を続ける為に日々研究を重ねていた。母親の静・フィールドは、人類が病気を克服する為に遺伝子や新薬の研究をしていた。
そして彼女は結婚2年目の春に生まれる。彼女はアイリス・フィールドと名付けられ、大事に育てられた。両親は忙しい合間を子供の為に使った。アイリスが寂しがらないように家政婦を置いたり、多くの子供と交流出来るように色々な場所に連れて行った。しかし、アイリスは同世代の子供と仲良くなる事は無かった。両親と家政婦以外には何の反応も示さず、テレビや父親が読んでる10か国の新聞に興味を示していたのだ。
流石に両親も驚いた。生まれて半年程でアイリスが新聞を見てるのだ。しかもある程度理解出来てる言動もあった。両親は直ぐに彼女の知能をテストする為にそう言うのを調べる機関に連れて行った。
20XX年では学力社会の波は過激化し、子供でも才能が有れば働く事が出来るように法整備されているし、子供の飛び級はアメリカでも日本でも一般的になっている。13歳でプログラマーとして大企業で働く子供も居るぐらいだ。
結果は普通の子供と出た。しかし、それを疑問に思った両親は再び同じ問題を出す。すると前の診断より結果は上だった。アイリスは学習していたのだ。その日、膨大な嘉数の観測が行われたが、成人と変わらない知性を持っている可能性があると結果が出された。そして同じIQ検査は無意味とも判断された。
最初こそ年相応なのだが、それを理解すると、どれも測定不能が出るのだ。
両親は娘の才能をとても喜んだ。彼等は学者だったのだ。その高い期待がアイリスに何を及ぼすのか考える事が出来なかった。
「アイリス~テレビ見ましょうね」
「うぅ‼」
彼等は、まず教育番組を見せる事にした。学歴社会のこの時代に教育番組もどんどん高度化している。毎日いくつかの番組が24時間放送されているのだ。彼等はまず、幼児用の番組を幾つもアイリスに見せた。
アイリスはその才能を発揮し、2歳には既に字を書く事を覚えた。最も声帯が未発達等の理由で殆ど喋らないが、基本的にアイリスは無表情で余り喋らない。夜泣きもしないし、漏らしても泣かないのだ。彼女の自己主張は基本的に無かった。
文字を書くのも、偶々早く帰った静がテレビの前で子供用のホワイトボード(服などにインクなどが付かず、子供が舐めても無害)にテレビの字幕を写した物だった。
静は驚いた。アイリスが一番最初に書いた文字はアラビア語だったのだ。アイリスの家はアメリカだし、基本的に静も英語で話す。なのにアイリスは最初にアラビア語を覚えたのだ。最も次の日には日本語を書いてたのだが。
両親はこれも喜んだ。素晴らしい才能だと。
「貴方、アイリスはきっと将来凄い子に成長するわ。もっと多くの物を学ばせましょう」
「そうだな。アイリスに家庭教師を雇おう」
次の日には幼児用の家庭教師が雇われた。家政婦は早すぎると反対したが、両親は既にアイリスの才能に熱中し、それ以外に頭が回らなかった。
家庭教師は多くの事をアイリスに教える。アイリスは子供ながら、それを凄まじいスピードで吸収していた。4歳になる頃には小学校に入学していた。本来は6歳だが、飛び級を認められたのだ。日本で言うと入学時から5年生相当だ。
しかし、ここでアイリスは陰りを見せた。彼女には協調性と言う概念が無かった。別に驕ったりする事は無いが、他の生徒に興味を示す事は無かった。
更に問題なのは彼女の才能は他の生徒に悪い刺激を与えた事だろう。子供は異端を極端に嫌う。かなりの飛び級を成して入学したアイリスを認める生徒は誰も居ない処か、いじめの対象にされたのだ。
「お前生意気だぞ。学者の子供だからって調子に乗るな‼」
「………」
「何黙ってるんだよ。気取ってるんじゃねえ‼」
彼女は殴られる事やノートを破かれる事が多かったが、両親に報告する事は無かった。と言うか彼女の中では報告するべき案件では無かったのだ。殴られれば痛いが、それだけ。ノートを破られようが、彼女は教科書が有れば予習も要らないので何も問題無かったのだ。しかし問題視する人間は居た。
まずは直ぐに気が付いた家政婦だ。彼女の名前はリム。褐色の肌に金髪黒目の女性だ。歳は24歳。カールスを拾った孤児院で後輩にあたる人物で、その見た目から差別され、仕事が無い所をアイリスの両親に拾われた経歴がある。彼女はわざわざ彼女の為に建てられた離れで暮らしていた。
「お嬢様‼何で何も言わないんですか‼」
「言う程の事?」
ある日、アイリスを迎えに行くとずぶ濡れのアイリスが立っていた。彼女は半狂乱になりかけたが、直ぐに車に乗せると屋敷に帰り、アイリスを風呂に入れた。
「何があったのですか?こっちは傷に成ってるじゃないですか」
「何かあったっけ?覚えてないや」
アイリスにしてみれば小学生の苛めは何も思う事の無い些事である。彼女にとって世界は両親とリムだけで構成されており、他の人間は文字通り眼中に無かった。
そしてそれをリムは理解出来なかった。
彼女は直ぐにアイリスの両親に全てを話す。両親の激怒っぷりは凄まじかった。彼等はアメリカで成功し、かなりの資産を持っている。直ぐに学校に直談判するが、教育界の内部隠蔽はこの時代もあり、何も無いとの返答が返された。すると両親は屈強なボディーガードを雇うとアイリスに付けた。因みに完全武装のボディーガードは数年前に免許制で認められたので銃も持っている。文明は進めど、治安の悪さはアメリカらしく、相応の自衛手段が認められてたのだ。流石にここまでされると外聞に関わるどころでは無いので、学校も半泣きで動いた。武装したボディーガードを送られる学校など、この時代では低ランクの学校と思われるからだ。
直ぐにいじめに加担した者は厳重注意を受け、次は退学とまで脅された。彼等もアイリスに復讐を考えたが、銃を持った黒人のマッチョが付いてるので諦めた。そして彼女は半年後に卒業資格を習得し、5歳で卒業していったのだ。
そして、この時もアイリスは他に興味を持っていなかった。その証拠に彼女は僅かとはいえ、同級生にあたる子供の名前も顔も覚えて無かったのだ。誰に見送られる事も無く、特例の卒業式で彼女一人が卒業したのだ。これも、この時代では珍しく無かった。優れた人材を早急に育成する為に教育界は大分変ったのだ。最も負の部分は2000年代と特に変わっていないのだが。
そしてこの頃になると、アイリスの名前も大分アメリカで広まって来た。テレビ番組の取材も少しずつ来るようになったが、アイリスは特に興味が無かった。誰に話しかけられても返答すらしない事も多い。メディアは謎の才女として彼女を広め始めたのだった。
両親も流石にメディアに出すのは早いと思ってたので基本的に出演は拒否したが、この頃のアイリスは論文などに興味を持っており、両親と喫茶店に居る時も読むほどの熱中ぶりだった。両親も好きなだけ読みなさいと完全に認めてたので、片っ端から残らず論文を読み続けていた。アイリスはジャンルや学会が笑い者にする眉唾物やきっちりした論文など関係なく読む。最初は数分おきに両親にこれは何?これは何?と尋ねる程だが、一度聞けば同じ事を二度聞く事も無いので、その才能を更に伸ばす事になった。
「軌道エレベーターって昔から実用化出来るって言ってるんだよね?何で作らないの?」
「それを作るには膨大な資金が必要だし、もしテロに会えば凄まじい被害を出す。それと赤道に作らないといけないなど、条件が厳しいんだよ。後数百年は作れないと言われてるよ」
両親はアイリスが質問する度に嬉しそうにアイリスを撫でる。アイリスは学問には興味は無かった。アイリスはただ両親に褒められたかっただけだった。
アイリスは両親に撫でられるだけで幸せだった。リムが抱きしめてくれるだけで幸せだった。だが人は慣れる生き物だ。アイリスが文字を書いて撫でてくれた期間は短い。彼女が天才たる理由は、唯両親の笑顔と愛情を感じたかっただけだった。両親の期待に応えれば褒められると言う子供の考えだった。
故にアイリスは効率的に努力する。自らが必要としない物は興味も持たない。自分の能力リソースは全て両親の為に注いでいたのだ。当然他の事は何も考慮しない。人と付き合う重要性何て理解出来ないし、欲しい物も全て親の喜ぶ物だった。当然それは技術書であり、論文などの高度な物だ。
歪な成長の結果は暫く先に発覚する。彼女は人として歪に育っていくのだった。




