小さな決意
何度も看板を見て確かめる赤い髪の少女。その赤い瞳は扉の向こうの店の中まで見通すように、まっすぐに見つめていた。思い切って扉を開けると、おそるおそる口を開く。
「失礼します、ここはキャスリング、でよろしいでしょうか?」
その日、その時凛とルナは不在で、芽楼が接客をしていた。先客はシェリア一人。
「いらっしゃいませなのです。ここが喫茶店『キャスリング』なのです。注文があればいつでもどうぞなのです」
赤い髪の少女マダー・ハーカー(jb3939)は店内を珍しそうに見渡していった。
「ここが……兄さんの言っていたお店なんですね。確かに落ち着きそうです。なら、紅茶のダージリンを頂けますか?」
ダージリンと聞いてセンサーでも発動したのか、顔色の悪い凛が店の裏からぬーっと出てきた。
「ダージリンは他の人には任せられないわ。芽楼、運ぶのは頼みました」
手際良くお茶を入れるとまたぬーっと奥へと消えていく。この日凛は体調不良で休んでいたというのに、それでもなおダージリン愛に突き動かされるように、無理に茶をいれにやってきた。もはや別の意味で病気である。
「あ、ありがとうございます」
躊躇いがちにマダーは感謝して、一口紅茶を飲む。思わず息を飲んだ。
「……わぁ、美味しい……」
「メイド長こだわりの一杯なのです」
芽楼が自信をもってそう答える。マダーが紅茶の美味しさに感動していると、新しい客がやってくる。
「お邪魔しまーすぅ。ここのメイドさんに紹介してもらったんですけどぉ……。ここが噂の『キャスリング』でしょうかぁ……?」
黒髪ツインテールの落月咲(jb3943)がおっとりと微笑みを浮かべて入ってくる。初めて入る店に興味津々という感じだ。芽楼が新しい客の方へ向かおうとしたその時、マダーはやっとここに来た本題を思い出した。
「あの、ところで、双羽蒼をご存知でしょうか 」
メイドの芽楼は振り向いて答える。
「蒼でしたら、ここでよく合うのです。……そういえば、今日は来ていないですね」
蒼と名前を呼び捨てにする芽楼の親しさがマダーは気になった。この背の高いモデルのような美女は友達だろうか? もしかして彼女とか……。
「そうですか……ここに来ることは知っているのですが……。失礼ですが、双羽蒼とはど、どのようなご関係で……」
突然聞かれて戸惑う芽楼。わずかに沈黙し考える。蒼は芽楼にとってどんな存在だろう。
「お友達として、とても仲良くさせてもらっているのです」
なぜか『お友達』の所だけはっきりと響いた。すでにこの時ただの友達以上の感情を抱き始めていたのかもしれない。
咲がおすすめメニューを注文するのを横目で見つつ、マダーは芽楼に注目していた。人が集まって賑やかになりつつあった。
「そ、そうですか。もし変なことをしだしたら教えてください。……も、申し遅れました、私、双羽蒼の妹のマダー・ハーカー、そして人間界の名前は双羽茜と申します、以後宜しくお願いします!」
茜……。それが彼女に付けられた新しい名前。はぐれ悪魔だった茜は、その名前を付けてくれた義理の両親に感謝してるし、家族を愛していた。だからマダーと呼ばれるより、茜と呼ばれる方を好んだ。
「まあ! アオイさんの妹君でしたの。わたくしはシェリアですわ。アオイさんとはお友達として宜しくさせていただいております」
お嬢様然とおっとりとした口調でシェリアが驚く。友達という言葉に不自然さはない。やはりあのメイドの彼女は何かあるのではないか……。
ついつい芽楼の姿を目で追ってしまう。そんな中ルナもちょうど用事を済ませて帰ってきた。
「いらっしゃい。それで? ご注文は?」
当たり前の事を聞かれただけなのに、茜はびくりと身をすくませた。なぜだかルナに恐怖を感じたのだ。
「えっと、何か軽いモノを……」
「ではサンドイッチをどうぞ?」
何も不自然な所はない。周りの人間は気づいてない。気づいているのは茜だけ。ルナがただの人間ではない、恐ろしく強い存在だという事を。
茜がルナに警戒しているその間も凛の友人響花音(jb1787)が訪れて騒ぎを起こしたり、楽しく和やかに店の中は過ぎ去って行く。
内心ルナの存在感の強さに、茜は恐れをいだきつつ思う。これほどの人が人間界にいたなんて……。はぐれ悪魔の茜を恐れさせる存在に怯えながら立ち上がった。
「サンドイッチ、御馳走様でした。お台はここに置いておきますね。それでは、今度は兄さん共々、お邪魔させて貰います」
キャスリング……油断のならない所。愛する兄のお気に入りの場所。そして危険な人間のいる場所。あのマスターに勝てる気がしない。それでも愛する兄のためなら……。
茜は小さな決意を秘めて店を出た。