キャスリング誕生〜急
だいぶ待たせたが、ルナは笑って出迎えてくれた。豪華な作りの店内、しっかりと接客を身につけた店員。窓からは夜景が一望できた。
ルナと注文を決める会話をしつつも、凛の心は上の空だった。同胞の事が気になって仕方がなかったのだ。でも目の前で楽しそうにしているルナの笑顔を見ると、それをむげにも出来なかった。
一生懸命笑顔で話してるつもりだったが、そんな凛の異変にルナはすぐ気づいた。
「どうした?」
聞かれて凛も我慢の限界だった。申し訳なさそうに小さな声で話した。
「部室で同胞さんが具合悪そうにしてて、ついつきそっていたら遅くなってしまって……。ごめんなさい……」
そういいながら何とか笑おうとしたが、どうしてもぎこちない笑みになる。
「同胞が気になるならあとで俺が治療するぞ? 今から行ってもいいが。どうせ、料理が来るまで時間があるしな。その笑い方は、あんたにはにあわない。さて? その笑いを本物に変えに行こうか?」
そう断言するとルナは立ち上がった。そんなルナを見上げる凛の頬に一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ご、ごめんなさい。いえ、ここはありがとうと言うべきでしょうか。ルナさんとお店を開く記念日、こんな豪華なお店で本当に嬉しくて……」
それはまぎれもない事実。これからの凛とルナの明るい未来。その記念日。それをルナと関係のない話で台無しにしてしまった。それが申し訳ない。
「でもルナさんと同じく同胞さんも大切な友達だから、具合悪そうにしてたら気になってしまって……」
「じゃあ、行こうか。大切な友達を助けに。嬉しいと言ってくれるのはこっちも嬉しいが笑顔で思い切り笑ってくれたほうがもっと嬉しいからな。俺とお前で店を開いていく記念日をそんな顔で終わらせる気はない。さあ、戻るぞ?」
その言葉に、涙を止めて凛は本物の笑顔を浮かべた。ルナの隣に立ち上がって本当に嬉しそうにしている。
「はい。ルナさん、大好きです」
「そう、その笑みを浮かべてほしかった。そのこっちがくすぐったくなるような笑みを。ありがとう。俺も嫌いじゃないぞ。お前のことは」
そして二人は店を後にして部室に向かった。
「同胞さん! もう無理して。本当に心配でまた戻ってきちゃったじゃないですか」
意識のない同胞の姿にうろたえながら、必死で体調を確認する凛。呼吸も脈もある。ただ何が原因で具合が悪いのか分からない。
ルナが魔法で同胞の回復を試みようとすると、ふいに同胞が目を覚まし口を開いた。
『治療の必要はないよ。どこも悪くないんだから』
さきほどの体調の悪さなどみじんも感じさせないような態度。そしてどこか話し方や空気がいつもの同胞と違った。
「─────ッ! 誰だ!テメェ! 少なくとも同胞じゃないだろ! まず、正体から言ってもらおーか……」
凛を背にかばいつつ、ルナは同胞と距離をとった。事態が飲み込めない凛はルナがなぜ突然怒りだしたのか不思議そうだ。
『アハハッ、そんなに警戒しなくていいよ。少なくとも、君達が何もしてこなければ、危害を加えるつもりはないから。……それで? 僕の名前だっけ? 僕はオボユルガミだよ、よろしくね』
そう言いながら同胞は嗤った。いつもの穏やかな微笑みとは違う、人の悪い嗤い方。不吉な予感しかしない。凛もやっと異常事態を飲み込み始めた。
オボユルガミは語る。同胞の魂に寄生して、体を乗っ取っているのだと。今は同化している副作用で同胞の体調が悪くなってるだけだと。だから攻撃すれば同胞体が傷つくという事。オボユルガミが過去に同胞の感情を食べた事。
それを聞いて凛は怒りをあらわにした。
「同胞さんが感情を失う事をどれだけ恐れていた事か……。貴方のせいで、貴方のせいで!!!」
同胞はいつも穏やかに微笑んでいた。怒る事も、泣く事も、人に恋する事もない。それは感情を失ったせいだと言っていた。失った感情を取り戻したいと言った時、わずかに感じた哀しみの表情。全ての感情を失って獣に落ちるのではないかと怯えた表情。思い出すだけで凛の胸を痛めつける。
だからその元凶が目の前に現れて怒りに取り付かれていた。そして目の前にいるのに手出しできない事が歯がゆかった。
体は同胞の物。体の中に入り込んだ生命体を取り除く方法など知らなかった。
イラつく凛を押さえて、ルナは冷静に状況を把握する。
オボユルガミと交渉しなんとか出て行かせようとするものの、交渉の通じる相手ではなかった。
凛が同胞の身代わりに自らの体を差し出そうとしたり、ルナが魔法の力で同胞の中からオボユルガミを引きずり出そうとしたり、必死に努力した。どう考えても同胞にとって害獣でしかない存在を排除したかったのだ。
しかしそれらは無駄に過ぎなかった。
『……っと、そろそろ同化が終わるね。なかなか面白かったよ。それじゃ、またね~』
「待ちなさい! 逃げるだなんて許さない」
凛はオボユルガミを引き止めるように同胞の体を必死に抱きしめた。しかしそれは無意味な行為だった。また同胞が目をつぶり再度目を開く。すると普段の穏やかな表情の同胞がそこにいた。
「……ん? 寝てたのか。って凛、何で抱きついてるんだ?」
まるで何も知らないかのような反応に、ルナも凛も一瞬息をのんだ。そして本人が気づかない事に口を出すべきではないと判断した。
「なんでもありませんわ。あんまりにもぐっすり寝てるから心配になって鼓動の確認していただけですの。よく眠ってらっしゃったみたいですね」
凛は無理に微笑もうとするが、先ほどのオボユルガミとのやり取りのショックで涙がこぼれそうになる。それを必死でこらえていた。
「何、食事が終わったから帰ってきただけさ」
ルナも凛に口裏をあわせて何もなかったふりをした。凛は同胞に背をむけてルナの腕にわざとらしく抱きつく。
「ル~ナ~さん。同胞さん大丈夫みたいだしデートの続きしましょう」
声だけは明るく。しかし瞳から涙がこぼれ落ちていた。大切な人の危機に何も出来なかった自分の非力さ、同胞にこれから待ち受けるだろう戦い。それを思うだけで涙が止まらない。
ルナもそんな凛を気遣うように話を合わせる。何も知らない同胞はのんきにこう言った。
「そうか。んじゃ、楽しんでこいよ~」
いつもと変わらない笑顔と優しい声。でも彼の中に化け物が巣くっている。それがいつ表に出てきて暴れだすかわからない。彼の内側を食い荒らすかわからない。
それでもこの時のルナと凛にはどうしようもできなかった。そして同じ苦しみを分かち合い、共に試練に立ち向かったからこそ、よりいっそう二人の絆が強まったのだった。
後日……同胞は自力でオボユルガミを屈服させ支配下においた。しかし彼の失われた感情のすべてはまだ戻って来なかったそうだ。
高級レストランに戻った凛は先ほどのショックをまだ引きずっていた。
「本当にとんでもない事に付き合わせてしまってすみません。まさかあそこまで大事だったなんて……」
ちょっと体調の悪い友人の様子を見に行くだけ、そのつもりでルナを誘ったのだ。オボユルガミの機嫌を損ねたら、あの場での戦闘も避けられなかったかもしれない。そう思うと申し訳なくてしかたがない。
「気にするなって言ってもお前は気にするよな……」
ルナは凛をどう慰めた物かと困った表情をした。
「だったら簡単なおまじないをかけてやる。言霊とか言うおまじないだが。誰にでもミスはあるし、巻き込むことだってある。でもそれを乗り越えてからでないと。誰にも謝れない。それを乗り越えてから、晴れて謝ることができる。少なくとも俺はそう思ってる。だから今好きなだけお前は泣いていいし好きなだけ謝ってもいい。俺でよければもう一度胸に飛び込んできてもらっても構わないぞ? だから、凛の好きなようにしなよ?」
ショックで落ち込んでいた凛の心に、ルナの言葉が一つ一つ染み渡る。優しい言霊に癒され凛の涙が止まった。
「いいえ。泣きたくないんです。何も出来なくて申し訳ないと思う。悔しくて、悲しくて涙が出そうになる。でもルナさんが一緒に戦ってくれたのは、わたくしが謝ったり泣いたりしてほしいからではないでしょう? 言いたい事は一つだけ」
そこで深呼吸をして凛は精一杯の笑顔を浮かべた。まだ泣き笑いという複雑な感じだったが、それでもルナの気持ちが嬉しかったのだ。
「ありがとう。ルナさんのために笑いたい。笑って感謝したい。わたくし笑えているかしら?」
「そうだな。笑えてはいるけれどまだ、涙が残ってるぞ?」
そっとルナがハンカチで凛の涙を拭う。今度こそ凛は花のように微笑んだ。
「ルナさんは本当に優しい人ですわね。泣いてるだけじゃもったいないですわね。このお店も、この夜景も、美味しい料理も、もったいないですわ。だからもう一度仕切り直ししましょう。わたくしたちの店のために乾杯」
「ああ、俺達の、新しい店に、乾杯だ」
グラスが小さく音を立てる。出来ない事を嘆いていても仕方がない。今二人は旅立とうとしていた。キャスリングという店を始める。そのための前祝い。
そして二人は気持ちを切り替えて新たな店に関する話し合いを続けた。それは悔しさをバネに、今度こそ負けないという信念からくるのかもしれない。