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ルナの珈琲特訓

 1月28日。平和な日常は突然惨劇へと切り替わる。それがキャスリング。この日のキャスリングもそうだった。


「メイド長ちょっと席を外します」


 芽楼が席を外し、ルナは今日は不在だった。つまりその日その時、店の従業員は凛一人である。しかし問題はないはずだった。客は数名で混んでるわけではない。ある1点をのぞけば凛は完璧なメイドである。この程度の人数ならさばけるのだ。

 ある1点をのぞけば。


 ちょうど芽楼と入れ替わるように、常連がまた一人来店した。


「お邪魔しま~す。昨日は来れなかったからなぁ」


 まるで毎日来るのが当たり前という調子で黄昏ひりょが入ってきた。


「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」


 凛は笑顔でひりょを出迎えた。ひりょはちょっと悩みつつダイスをふる。


「斉さんありがとう。なに頼もうかなぁ……」


 出た目は珈琲とキャスリングセットだった。それを見た瞬間凛が凍り付いた。


「げふぅ! キャスリングセットと珈琲ですわね。ダイス目はゼッタイ、ダイス目はゼッタイ……。とりあえずキャスリングセットはイカスミパスタとミルクセーキですわ。珈琲は……少々……お待ち、下、さ、い……」


 まるで死んだ魚のような目をした凛は呪文のように「ダイス目は絶対……」と呟きながらカウンターへ向かう。その不自然な挙動にひりょが首を傾げると、すでに店にいた客の一人ファレル(jb3524)がこう言った。


「なんか凛さんの珈琲ヤバいらしい。さっき言ってた」


 そう凛は珈琲が苦手だった。飲むのも淹れるのも苦手。パーフェクトメイドの唯一の汚点だった。そんな凛が今まさにそのヤバい珈琲をひりょに持っていこうとしたその時、すっと脇から芽楼がやってきた。


「いらっしゃいませなのです。珈琲をどうぞ」

「セーフ。お店的にも、黄昏さんの生死的にも、ぎりぎりセーフ。ナイスタイミング芽楼。今必至に珈琲の淹れかたを思い出そうとしていたところなの」


 凛は芽楼に抱きつかんばかりに感謝していた、そう自分でも自覚している。自分の珈琲は駄目なのだと。ひりょにださずにすんだ珈琲に目を落とす。

 耐熱コップに入った珈琲はゴポゴポと音を立てて沸騰している。どろっとして色も通常の珈琲とは段違いの不気味な色だ。見た目からして間違っている事は分かっている。でもなおせないのだ。なおそうと努力した日もあったな……と思わず遠い日の事を思い浮かべた。



 あれは開業まもない1月4日の開店直後。まだあの頃はキャスリングも暇だった。だからルナも暇つぶしに、気まぐれでこんな事をいいだしたのだ。


「今日お客さんは来るのだろうか……凛? 珈琲淹れてみなさい。味見してあげるから」

「い、いいんですか? では工程から観察して下さいね」


 そう言いながら凛はまず年代物っぽい珈琲ミルを取り出した。オリンピック選手並みの運動神経を持つ、撃退士の動体視力で見てやっとわかるぐらいの高速で、材料を入れていく。珈琲豆以外の何かも色々入っていく。

 ゴリッ、バキッ、ベキッ、グシャ。異音が店内にこだまする。


「珈琲粉はできたわ。ふう」


 できあがった珈琲粉? は珈琲以外にも白や赤のつぶつぶが見える。


「わたくしはネルドリップ式で入れていますの」


 ネルは洗剤でよくよく洗われ、洗剤の落ちきってない状態でセット、上から沸騰したお湯をそそぐ。


「さて仕上げ、仕上げ」


 珈琲ポットの赤黒い液体を片手鍋に移す。火にかけて牛乳やその他色々をいれてかき混ぜる。もはや魔女の薬草作りのようだ。


「カップも温めて置かないといけませんわよね」


 暖炉に耐熱コップをいれて、直火で温める。出来上がった珈琲をそのカップに注ぐ時、なぜかどろっとしていた。


「はい。完成です」


 カップの中でぼこぼこと沸騰している珈琲のできあがりだ。さすがのルナも顔を青ざめながら、どこから突っ込んでよい物か頭を抱えた。それでも冷静に丁寧に一つづつ突っ込む。


「洗剤が落ちてないぞ」

「洗剤……まあいっけない。こんな基本的な事に気づかないだなんて、ネルから珈琲臭を消すことに必至になりすぎましたわ」


 てへぺろとか、わざとらしすぎだろと、ルナは思わず舌打ちをうちたくなったが、そこは我慢した。


「よし、ちょっとこっちこようか。まず材料からゆっくり聞こうか」


 聞いて思わず絶句するほどあり得ない品の数々。ルナは意識が遠のきそうになる自分を叱咤激励しつつ、駄目弟子凛に易しく教え諭した。


「純粋にサイフォンを使おっか。君。そっちのほうがはやいから。マスクしながらやればいいし」

「サイフォンって……難しそうですわ。科学の実験みたい。それにわたくし間違えて、サイフォンを破壊してしまいそうな気がするのですが……」


 ルナはあらかじめ粉状になって売られている、業務用珈琲粉を取り出して凛に手渡す。


「簡単だ。この容器の中にこの珈琲の粉を淹れて、水を足せばそれで勝手に淹れてくれる。これなら何とかなるだろ。使ってみ」


 おびえる凛をなだめすかしてサイフォンを使わせたら、濡れたままいきなり火にかけて破壊してくれた。ルナは本気で頭を抱えたくなった。しかしそこで彼は諦めなかった。

 魔法のように何事もなく治るサイフォン。


「うん。まず、濡れた電化製品は拭いて使おうな? いろんな意味で危ないから。次はちゃんと拭いて使いなさい?」

「そうですか。わかりました。」


 一生懸命サイフォンを拭く凛。その姿はまったくふざけているようにみえない。

 不器用な訳ではなく、むしろ紅茶や菓子はあれだけ美味しく作れる人間が、なぜ真面目に珈琲を入れて恐ろしい劇物になるのか首を傾げる。


「もう一度入れて御覧?」

「は、はい。教官!」


 おそるおそるサイフォンに粉をいれようとして、震えるあまり手が滑って珈琲粉をまき散らす。


「げほっ、げほっ……。ご、ごめんなさい」


 ぞうきんで黒くなったルナの顔を拭く凛。凛の顔も真っ黒だ。これしきの事気にしない、気にしたら負けだ。


「手が震えてるぞ? 寒いのか? 風邪ひいてないか? 問題なければ続行だ」

「そ、その、たぶん、珈琲が嫌いすぎて極度のストレス状態からくる手の震えではないかと……。今度はこれで挑戦です」


 対毒ガス専用マスクを被って、誰だかわからないような状態で珈琲粉をいれる。


「あ……」


 今度はあきらかに珈琲粉をいれすぎである。いれすぎであるがここで止まってたらもう先に進まない気がした。なので今度から注意するように指導して珈琲を抽出した。


「ああ……珈琲が勝手に抽出されていく……ふふふ……わたくしにもまともな珈琲が……」


 凛は勝手に感動しているが、明らかに濃すぎて苦過ぎるだろう失敗作だ。それでも多量のミルクと砂糖でごまかせるだけだいぶマシ。最初の殺人珈琲よりずっとマシ。

 初めて飲んだ時、ルナは三途の川を見た。あれはヤバい。店で出した珈琲で死人はシャレにならない。


「この調子で明日もやろうか。今日はここまで」


 明日もと言ったが結局次の珈琲特訓はなかった。凛に教えるだけ無駄だったからか、店が忙しくなったからか。せっかく教わったはずが、しばらくしたら元の淹れ方に戻ってしまった性かもしれない。


 教訓『好奇心は猫をも殺す』キャスリングで凛に珈琲を頼んではいけない。

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