キャスリング誕生〜序
この学園にいくつもの部活はあれど、これほど変わった名前の部活は珍しいだろう。『ラブコメ推進部』みんなで恋愛しよう!恋話しよう!というただそれだけの部活である。
ただ他に競合相手がいないせいか、名前が目立って面白いせいか、部員以外の人も集まって賑やかな部活だ。
12月26日。クリスマスの翌日にルナはラブコメ推進部の部室にいた。
部員ではないが、最近彼は好んでここに出入りしている。今はルナしか人はいないが、そのうち誰か来て話し相手ができるだろう、そんな気分でのんびりしていた。
こんこんとノックの後、遠慮がちに扉が開いた。入ってきたのはいつもの仲間……ではなく初めて見かける少女だった。
白銀の髪にメイド服、赤い瞳は長いまつげに縁取られ、人形のように愛らしく整っている。小柄で華奢で今にも壊れそうな儚い風情の少女。それが彼女の第一印象だった。
「ラブコメ推進部はこちらでよろしいでしょうか? おじゃまします」
作り物めいたぎこちない微笑みを浮かべながら少女はそう言った。仕草も言葉遣いも丁寧でおっとりとしている。ただもしかしたら初めてここに来るのかもしれない。おびえた子猫を思わせる少女の風情に、思わず笑みがこぼれる。
「さて、紅茶かコーヒー、淹れようか?」
少しでもリラックスさせようとかけた声に、少女は美しい顔を歪めて目に見えておびえた。
「ありがとうございます。では紅茶をお願いいたしますですの。わたくし珈琲は苦手で……いれるのも飲むのも」
珈琲を飲めないお子様少女。微笑ましいじゃないか。紅茶を出すと応えると少女は今までの作り物めいた笑顔ではなく、天使のような極上の笑顔を浮かべた。
「いつも人に紅茶を淹れてばかりなので、誰かに紅茶を出してもらうなんて久しぶりですわ。なんだか嬉しい」
「なかなか笑顔がお似合いだことで。それくらいは礼儀かな? ほい。簡単に淹れたけどシュガーとかはご自分で。頼めば淹れるぞ? こだわりの奴だが。紅茶には俺も凝っててね」
少女は砂糖を入れずにストレートのまま一口飲んだ。
「美味しいですわ。わたくし普段は『戦メイド・執事隊』という部活で部長をしていますの。部員やお客様にお茶を淹れていますわ。最近作ったばかりのささやかな部活ですけど」
メイドを名前にした部活は多くても、戦などと物騒な言葉がつく部活は初めてだ。メイドや執事がどう闘うというのだ。面白い……。ルナはほんの少しだけ興味を持った。
「時間があったらよらせてもらうか。俺の紅茶を美味しいと言ってくれるのは光栄だね。あくまでこの程度が限界だが。コーヒーもイケるけどな」
それからしばらくケーキとお茶を飲みつつ少女と会話を続けた。少女の名は斉凛と言うらしい。中等部一年という事だが、正直もっと幼く見える。本人もその事を気にしているようで、特に小さな胸がコンプレックスのようだ。
人見知りで、生真面目で、微笑ましい悩みを持った人形のような少女。ルナの悪い癖がでてきた。困っているやつをほうっておけないというか、特に凛は庇護欲をそそる雰囲気なので、ますますほっておけない。
場所がラブコメ推進部という事で、自然と話題が恋愛の話に移る。
「わたくし恋愛ってしたことがありませんの。そもそもこの学園に来るまで、友達もいませんでしたし。今は友達を作るので精一杯で恋愛は憧れでしょうか……。恋愛小説とかは好きでよく読みますのよ」
うっとりとした目で微笑みながら、恋に焦がれる少女。現実の恋愛はそう甘い物ではない。夢見がちなお子様かと心のどこかでバカにしつつもそれをルナは表に出さない。
初心な凛が騙されて傷つけられぬように、願いを込めて忠告をする。
「なるほどねぇ。出会いを求めてって? 友達ならなってもいいけどな。いいかい?お姫様。本の中のことを引き起こせる確率はゼロじゃない。自分を受け止める覚悟と勇気を持ちな。恋愛相談くらいならのってやるからさ? さて、素敵なプレゼントでもしてやるか」
凛の顔にこっそりと口をよせて、耳打ちをする。
「今度たそがれって店に来てくれたらおごってやるよ 」
「お友達……。嬉しいです。こちらこそよろしくお願いいたします」
お姫様扱いされて頬を染めて恥ずかしがりながら、凛は微笑んだ。初めのぎこちない作り物ではない本物の笑顔。わずかな時間話しただけで、自分がその笑顔を引き出せた事にルナは満足した。
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12月27日。その日凛は朝早く目覚めた。昨日の夜は夜更かししておしゃべりしたせいで睡眠時間は短い。なのになぜかすっきりと寝覚めがよかった。
すでに冬休みに入り授業はないので、最近の日課である『戦メイド・執事隊』の部活に向かう。今日は気分がいい。何か新しいお菓子でも作ろうか。鼻歌まじりでキッチンで作業を始める。
昨日の夜ラブコメ推進部で出会った黒髪・黒目・黒い服の黒づくしの少年。名前は確かルナだった。ちょっと軽そうだが、優しくて紅茶好きで、何より頼もしい。初めて会ったばかりの自分を気遣ってくれた懐の深さを思うと自然と頬が緩む。
今度ここに来てくれるかもしれない。その日が楽しみだ。そう思ってたらいきなり入り口の扉が開いた。
「朝の紅茶って優雅だよなぁ……」
そんな事を言いながら入ってきたのはルナだった。噂をすればなんとやらというが、先ほどからずっと考えていたせいで、目の前に現れただけで頬が自然と赤くなる。
それでも今日は大事なお客様。メイド仕事で培った鉄壁のスマイルを装備して優雅に挨拶をする。
「おはようございます。寝覚めのお茶もいいものですね」
「そうだな。斉凛は絵になりそうだ。では適当に……」
ルナの目がふとテーブルの上のメニュー表に目が止まる。おふざけで作ったダイス注文票だ。今まで使用する人間はあまりいなかったが、ルナの好奇心を刺激したらしい。ルナは迷わずダイスを振った。ダイスの神は悪戯好きらしい。
出た目は……神の領域レベルの最高に美味しい料理と珈琲。
「す、すみません。わたくし、珈琲だけは、淹れるのが壊滅的に下手で。たぶん普通の方が淹れた方がインスタント淹れた方がまし……」
震えながら必死に珈琲を作って差し出す。耐熱コップに入った、ごぼごぼと沸騰したどろりとした不気味な色の液体を見て、さすがのルナも顔を青ざめた。
それでも出された物を飲まないわけにはいかないと口をつける。その珈琲は一口でルナの意識を奪った。
ただ凛はこの時知らなかったが、ルナは普通の人間ではなく強靭な肉体の持ち主だった。
「三途の川を見た……」
と呟きながらなんとかルナはすぐに意識を取り戻した。
「コーヒー苦手なら無理に淹れるなよ……」
凛は謝りながら、今度は自信作のグリーンカレーを差し出す。ルナは口直しにカレーを口に運ぶ。
「料理のほうは……お前、俺と一緒に喫茶店でも開かないか?」
思わずルナがそう言ってしまうほど極上のカレーだった。そう凛は珈琲以外の飲み物・料理は常人以上に美味しく作れるのだ。
「喫茶店いいですわね。わたくし給仕も得意ですから。いらっしゃいませ~なんて」
凛もルナの提案にノリノリだった。まさかダイスの神の気まぐれが、その後のキャスリングにつながり、大繁盛するとはこの時は誰も知らない未来のお話。
「戦メイド・執事隊」という部活は、現在「メイド・執事の館」と改名致しました。
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