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稲荷もいいけど、甘味もね!

 大通りを歩いていると、ぐぅと小さな音が聞こえた。安雄が振り向くと、後ろから付いて来ていた魅紺が、頬を赤く染めながら俯いている。「昨日の夜から何も食べてないのか?」と聞くと魅紺は「……変身にそこそこ力を使いますから……」と、また良い訳になっているのかよく分からない弁解を始めたので、元より落ち着いて話が出来る場所を探していた安雄は、あたりを見回して飲食店を探した。

 そうして見つけたのは甘味屋だった。和風の外観は貫録があって、今時の若者が入るにはいささか辛い所があったが、今の魅紺はいかにもこういった店に似合う格好をしているので、いっそ好都合だと思い直した。店内に入ると座敷に通され、安雄と魅紺はテーブルを挟み向かい合った状態で座る。

 辺りを見回すと、どうやら自分達以外の客はいないらしい。他人に聞かれたくない話をするには丁度いい、この店を選んだのは正解だった。機嫌を良くした安雄は、勝手が分からずきょろきょろしている魅紺にお品書きを手渡し、思わずこう言ってしまった。「好きな物を好きなだけ頼んでいいぞ。俺がおごるから」

「ここに書いてあるものを選べばいいんですか?」

「そうそう、選んだら店員さんを呼んで、これを下さいって言えば良い」

「餡蜜ですかぁ、お父さんが変身して人里に行った帰りに買ってきてくれたのを、少しだけ食べた記憶があります」

「甘いの好きか?」

「実は大好きです」

「よし、なら好きなもん行け」

「はい! ……お姉さーん、これとこれとこれと――」

 初めから、ちゃんとした食事を奢る予定ではいたのだ。俺が魅紺を助ける借りは、彩音との会話で返してもらうことでチャラだ。となると、妖怪の事情や能力について、教えて貰った借りについては全くの別件扱いになる。魅紺本人にそう言うと、恐らく遠慮してしまうだろう。それでは安雄の気は収まらなかった。何か小さな事でも良いから、彼女の為になることがしたかったのだ。

 だが、まさか、ここまで大食いだとは思ってもいなかった。

 この食べっぷりは、まさしく暴食、とでも言うのだろうか。背筋を伸ばして座布団の上で正座する姿からは綺麗な女性という印象を与えていたのだが、それはあくまで餡蜜が運ばれてくる前の姿で、ウエイトレスのお姉さんの「はい、おまちどう」の言葉の後が、まさしくその名の通り、化けの皮が剥がれた瞬間だった。

「美味しい。今の時代の餡蜜って、こんなに色鮮やかなんですね! はむはむ……あ、もう無くなっちゃった。安雄、またおかわり良いですか?」

「ああ、良いよ。好きにしな」

「もう! 安雄は本当に包容力のある御仁ですね。私ををこんなに喜ばせてどうしようと言うのです? あ、お姉さーん注文良いですか!」

「はいはい、次何にしょう?」着物姿のお姉さんが駆け寄ってくる。何度も何度も手間取らせて、本当にすみません。これが土日の休日なら、かなり面倒な客になるのだろう。平日の朝と言うほとんど貸切状態の今だからこそ、心おきなく注文が呼べる。呼べてしまう。

「えっとですねー、クリーム白玉あんみつの上から抹茶アイスとさくらんぼのトッピングとー、白玉抹茶クリームぜんざいとー、山盛りいちご大福! ……安雄は食べないんですか?」

「見てるだけでもう胸焼けしてきたよ」

「そうですかー、あっ、そうそう、閉めはやっぱりこれですねー稲荷寿司。三セットでお願いします!」

 ビシッと、これが重要とでも言わんばかりに、魅紺は三ピースをお姉さんに見せつけた。

 甘味を口に入れる度に「甘い!」だとか「美味しすぎる!」だの、大声で騒ぎたてる魅紺は、とてもではないが制御不能だ。ご機嫌な魅紺を見て、お姉さんも堪らず思わず笑ってしまっている。

「はい、畏まりました。少々お待ち下さいねー」

「待ちますよー!」

 線の細い美人が、とてつもない大量の甘味を胃袋に納めている。

 そして伝票が、おぞましい姿に変化していく。その過程を寒気がする思いで安雄は見つめていた。

 数分後、全ての料理を平らげた魅紺は、満足そうな表情で、テーブルに突っ伏していた。ほわほわと、周囲の空気が緩んでいるように見える。よっぽど幸せなんだろう。

「もう……食べられません。満足です……」

「そのまま寝るなよ頼むから、本題は何だったか覚えてるよな」

「本題……ほんだ……い……本マグロに……鯛……お寿司も良いですね……」

「わかった、また今度給料日にでも連れてってやるから、こっちの世界に帰ってこい」

「……ぐぅ」

 前髪を指先で撫でる。が、まるで反応を示さない。次にストローハットの天辺を掌で掴んで揺さぶってみるが、嫌がりもしなければ抵抗もしない。どうやら、本気で眠ってしまったようだ。こんな風に堂々と寝られては、お店の人もあまり良い顔しないんじゃないか? そう思って少し強めに肩を叩く。

「おいおい、これじゃ迷惑な客すぎるだろ。いい加減起きろ」

「別にいいよ。今は他に客もいないし、今日は平日だから暇だしね」

 先程注文を取るに来たお姉さんが、木のサンダル特有の固い音を鳴らしながら近寄って来る。手には湯呑みを二つ乗せたお盆を持っており、その内の一つを安雄の前に置いた。

「これ、いっぱい食べてくれたからサービス。良い緑茶だから飲んでよ」

「あ、ありがとう御座います。俺は金払うだけなんだけど、頂きます」

「ちっ、良い具合に渋めのお茶を飲んだ後に、また甘い物が食べたくなる作戦が台無しだ」

「お姉さんアンタ鬼か!」

「あはは、彼氏さんは大変だねぇ。まぁそういう事だからさ、ごゆっくりー。彼女さんの分は、起きてからまた持ってくよ」

 こいつは彼女じゃないと訂正する間も無く、お姉さんは店の奥へと戻ってしまった。それを遠目に見ながらお茶を啜ると、香ばしい苦みが、口の中を暖ながら広がっていく。「猫舌じゃないですからね!」と言って怒る魅紺の顔を容易に想像させる味だ。「口を火傷したので冷まさないといけまんせねぇ、うんと甘いアイスが良いです!」と、そこからコンボ攻撃が繰り出されるのも、違和感無く頭に浮かぶ。それが何よりも恐ろしくて、素直に美味いと言えないのが勿体無と思った。


「次の給料日はお寿司ですか?」

「びっくりした……突然起きるなよ」

 食べるわけでもなく、テーブルに肘を乗せお品書きのページをめくって暇を潰していた安雄は飛び上がりそうになった。携帯で時間を確認すると、どうやら魅紺が眠っていたのは三十分くらいらしい。……ちょうど安雄もお腹が減って来る時間だったが、無論何かを注文する気は無い。そんな気を知らないでか、うっとりとした顔の魅紺は両掌を胸の前で合わせると、神に祈るような姿勢で語り始めた。

「お寿司はわたし、食べたことないんですよ。例の如くお父さんが好きだったんですけどね。「子供には早い」って言って食べさせて貰えなかったんですよねー。別に普通に食べさせてくれたら良かったのに、あの頃はお父さんの食べ方を見て、お酒と一緒に食べなきゃいけないものだと勘違いしていたから素直に我慢していたんですよ。でも今はお酒もいけますから、安雄も日本酒と一緒にパァッとやりましょうよ!」

「はいはいそこまで、彼氏が困ってるよ」まるで夢物語を語る子共のようだった魅紺の頭上に、お盆がコツンと落ちる。

「な、な、なんですか!?」

「ていうか、どう見ても未成年相手にお酒勧めちゃ駄目。お茶あげるから、これで我慢しときな」

 既にお盆から手に持ち替えていたお姉さんは、お茶の湯呑を魅紺の正面に置いた。

 見知らぬ人に叱られてしまったのが恥ずかしかったのだろう、顔を真っ赤にした魅紺は、飲んで冷静さを取り戻そうとしたのか、それとも恥ずかしさを吹き飛ばす勢いでお茶を口に含み、勢いよく噴出した。

「うぇ、げほ……安雄、口の中を火傷したので冷やさなければなりません、なので、うんと甘いアイスを」

「台拭きとありったけの氷を下さい!」

 言わせねぇよ。


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