ふたりぼっちの共闘
高校入学したての頃、安雄はすぐにアルバイトを始めた。自分で自由に使えるお金が欲しい。という単純な動機だった。母子家庭という事情もあり、金のことであまり母に迷惑を掛けたくなかった。当然校則ではバイト禁止なので、近所のコンビニで面接を受けた際に、家庭の事情をより哀れに聞こえるように説明し、学校の先生が来たら隠れられるように配慮してもらった。決して嘘は付いていない。あくまで誇張表現だ。
新しいバイト先ではそれなりに楽しく働いていた。安雄は決して物覚えが悪い人間では無かったし、仕事にやりがいを感じ、学校では関わることのない大人達と話をするのは楽しかった。
だが、そんな日々は長く続かなかった。いつものように働いている最中、こそこそと、お菓子を手に取ったまま、辺りを落ち着かない目で見まわしている。あきらかに不審な客で、その様子を遠目から見ていた安雄が、これはもしかすると……と考えるや否や、その客は服の袖にお菓子を滑り込ませ、そそくさと店から出て行った。
安雄は追った。店を出た時点で既にその客は見えなくなってしまっていたが、そんなものは関係ない。追いかける気持ちが心み残っている内は、絶対に追い付くことが出来る。自らの足で車ですら追い詰められるのだから、これくらい余裕で追いつけるはずだ。
ひたすら走っていると、分かれ道に遭遇する。直観で右に曲がると、次の三叉路は左へと進む。何の迷いも無く、さも当然のように走り続けると、遠目に自転車が見えてきた。まだ距離が遠く豆くらいの大きさでしか確認できないが、アイツが犯人だと瞬時に確信すると、気付けば、万引き犯が真っ直ぐ進んだ十字路を、安雄は右に曲がった。そして、数分走り続けると、ピタリと足を止める。いつのまにか先回りのルートを選んでいたらしい。遠くから自転車がこちらへと向かってくる。
驚きの表情が見える距離まで近づくと、万引き犯も、正面にいるのがさっきの店の店員だと気付いたようだ。急ブレーキをして反転しようとするが、その頃には既に安雄の腕が前籠まで伸びていた。両腕でしっかりと捕まえると、万引き犯は力任せに振り払おうとする。だが、より強い力で逃げようとすればするほど、こちらの能力も強くなるのだ。安雄の能力の前には無駄な抵抗だった。
お互い顔を見合わせると、なんと見知った顔だった。高校入学してから出来た友人が……友人だと思っていた男が、そこにはいた。
「もし学校にバイトしている事をバラされたくなければ見逃せ」と脅しをかけられた。
安雄はそれを無視した。むしろ脅しを掛けるような奴に慈悲など不要だ。とでも言わんばかりに警察に即刻通報。その後、学校側の警告によりバイトはクビになった。
そして、学校での居場所も無くなった。
どうやら自分の想像以上に万引き犯を擁護する学生は多いらしく、一度クラス全体がそういう空気になってしまうと、良し悪しに関係なく、自分を助けてくれる人は現れない。
居場所を奪われるのは意外と辛い。報復としては、十分すぎる。学校に自分の居場所がなくなってしまった。
そんな精神的にショックを受けて、弱っている時だった。彩音から「暇だったら家で働け。使用人なんて雇ったことないから契約のことなんて良く分かんないけど」と連絡が来たのは。
俺なんかで良いのか? と、当然の疑問を口にすると、彩音は少し照れたような表情で「アンタが良い」とはにかむように言った。
それ以来、安雄は彩音の元で働き続けている。
しかし、手に入れた新しい居場所も、今となっては存続の危機だ。
安雄の話を聞いた狐は、考えるようにして押し黙っていた。確かにつまんない話だったとはいえ、感想の一つくらいはあってもいいだろう。と、安雄はカップ麺を食べながら、狐が言葉を発するのを待った。
まるで石になったように、狐は動かない。いや、本当に石に変身できる相手にこの例えは適切では無いのかもしれない。そんな下らないことを考えながら麺を全て胃に収めると、ゴミ箱まで歩き容器を捨てる。
そして、またベンチに戻ろうとして振り返ると、なんと狐の姿が消えていた。
「……おい」
話を聞いて、何を感じ、何を思ったのかは知らない。だが、露骨こういう反応を返されるのは癪に障る。ほんのちょっとだけど。
「隠れたい時に石になるのはお前の癖なのか?」
最初に立った頃よりも小さな石。それこそ、砂利と大差ないサイズだ。そんなに小さくなれるのは流石妖怪ならでは、と関心してやる。だが、その行為は何の意味も無いどころか、赤い光はこれまでで最も眩しい。本気で隠れようとすればするほど、こちらの力もより強くなるのだから。
どうするべきか、どう声を掛ければいいのか、安雄には判断が付かない。話を聞いて、どう思ったのかは分からないが、狐は安雄と関わるのはもう辞めにしたいらしい。
そういう意味の意思表示としては、十分に機能していた。
「その辺にいるのであろう狐に、今から伝えるぞ」
安雄はその場から動かず、狐の位置まで聞こえるよう、声を張り上げた。こんな夜更けに近所迷惑かもしれないが、構うものか。
「お前が俺に何を思ったのかなんて知らん。興味はあるが、詮索するつもりはない。でもな、言いたいことは全て言わせて貰う」
返答は無い。気にせず続ける。
「そりゃ、能力を与えた妖怪に文句を言う資格くらい俺にはあると思うけど、それでお前がヘコむ必要は無いんだ。むしろ、関係無い奴にそんな反応をされる方が気に入らない」
我ながらズレたことを言ってると自覚はあるのだが、話すのを辞められない。
こんなことでお別れなんて、絶対に嫌だからだ。妖怪事情や能力について色々教えて貰ったのだから、今度はこちらが恩を返なさければ気が済まない。
その為にも、ここで語りかけるのを止めてはいけない。
「単刀直入に言うぞ。俺は、お前を利用したいんだ!」
安雄の言葉に小石が震え、赤い光と共にその感情が漏れ出しているのが分かる。
「俺には大切な友達がいて……そいつは今元気が無くて、とても弱ってるんだ。それで、お前に頼みたいことっていうのは、その子を元気付けるのを手伝って欲しいんだ」
絵本作家ということは今伏せておく。話がややこしくなるのはなるべく避けたい。
「何か特別なことをして欲しいわけじゃない。その子は、人と話すのが大好きなんだ。だから、お前が石に変わったみたいに、人に変われるのであれば……話をしてくれるだけで良い。お願いできないか」
能力は決して人を困らせるだけじゃない、むしろ、その力で助けて欲しい。と言いたいのだが、その気持ちがちゃんと通じたのかは分からない。これ以上の言葉が思いつかず、安雄は、静かになった公園で、ただ返答を待つしかできなかった。そして、
「お前じゃないです……魅紺です」
細い声が聞こえる。そこにあった筈の石は消え去り、居なくなっていたはずの狐がこちらを見ていた。
赤い光も、いつしか消えていた。
「わたしの名前……呼んでくれたら、手伝います」
「ありがとう。俺もお前のこと全力で助けるから、よろしくな。魅紺」