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春崎安雄と真っ赤な嘘

 こうして思い返せば、自分に「能力」があると実感したのは小学三年生の頃だった気がする。記憶が曖昧なので確実性に欠けるが、それくらいの時期だっただろう。

 突然の母の実家へと引っ越し、当時の何も知らされていない安雄の当然の疑問に、母は「お父さんはね、どこか遠くに言っちゃったんだ」と、目を合わさずに言った。その時に発せられたものが、初めて見た赤い光だった。たぶん、きっと、おそらくそうだ。

 あの頃は母が嘘を吐くなど思いもしなかったので、安雄はその言葉を素直に信じ込み、ただ漠然と遠くに行ってしまっただけなのだと思っていた。今の年齢になってから聞けば、恐らく死んだと勘違いするだろう。現実はくだらない離婚だった。

 赤い光を纏った言葉には必ず裏がある。それはきっと、言葉を発した人の逃げ出したい気持だ。そう理解したのはそれから更に三ヶ月後のことだ。

 真実を知らされずに、のうのうと母の田舎でお婆ちゃんと暮らしていた安雄の元に、父が姿を現した。小学校から一人で下校していた時の出来事だった。どうやら母に無断でこっそり合いに来たらしく「来た事は絶対に言わないでくれ」と念押しもされた。

 安雄は驚いたがそれ以上に、この田舎から帰れる。という喜びの感情が大きかった。田舎は身内での縄張り意識が強く、余所物扱いを受けていた安雄は友達が居なかった。同年代の子供達が楽しく遊んでいるその傍らで、寂しく一人で過ごしていた。そんな状況だったから、父が会いに来てくれたのは自分をこの場所から連れ出してくれる為なのだと、信じて疑わなかった。

 だが、そのことを伝えると、途端に父は急にしどろもどろになった。この反応は知っている、母がこの田舎に連れてきた時と同じだ。安雄はこの時、初めて人を疑うことを知った。そんな思いを肯定するように、父の目から赤い光が現れた。

 安雄の想いを知り、同時に出鼻を挫かれてしまった父は、何も言うことが出来ずに、ただ一言「すまん」と頭を下げると、きびすを返して去ってしまう。

 安雄は呆然と、その場で立ち尽くした。父の姿が小さくなり、そのまま見えなくなってしまいそうになる。

 お願いだよ、待ってよ! そう思って無意識に手を伸ばす。

 その瞬間、気付けば足は一歩を踏み込んでいた。そのまま追いかける。父の遠ざかる背中を捕まえる為に。

 何も知らされないまま、大人の都合で振り回されるのはもう嫌だった。

 父は安雄がもの凄い速度で近づいているのに気付いたのか、車にそそくさと乗り込むと、まるで逃げるようにアクセルを踏んだ。そうして遠ざかる車を、全速力で安雄は追った。人が車に追いつけるわけがない。どんな馬鹿でも分かる当然のことなのに、ありえない筈なのに――

 ――気付けば安雄は、東京に居た。


「鬼ごっこの達人と言っていたのはつまり、そういう訳ですか」

 湿布を傷の上に張ると、手に痺れる感触が広がる。コンビニで色々買い込んだ二人は、また公園へと帰ってきていた。

「気付けば俺は、あの男の新しい家の正面玄関に立ってたんだ。無我夢中だったとはいえ、今思ってもあれは、普通じゃありえないと思う」

 ただ父の背中に追いつきたい一心で、ひたすら走った。

 父が何処に向かっているのかも分からなかったし、車はすぐに見えなくなってしまったが、それでもただ走り続けた。

 そして、最終的に安雄は追いついてしまった。

「インターフォンを押したら、知らない女の人が出てきてさ、自分の居場所は此処と違うんだって分かった。それで仕方ないから帰ろうとしたら、どうやって来たのか道が分からなくなって、偶然見かけた交番まで行ったら捜索願いが出されてたみたいでさ」

 平然と、とんでもない内容を語る安雄の話を狐は聞いている。驚いてはいるようだが、その目はあくまで冷静に見え、そういった異常事態の元締めのような存在だから、慣れてもいるのだろう。

 安雄が一旦話を終えると、情報の吟味を終えた狐は質問する。

「追っている間に捕まることはなかったんですか? ていうか、無我夢中で走り続けたって言いますけど、流石に休憩を挟んだり、食事を取ったりはしたんですよね」

「いいや」

「……え?」

「まぁ、パトカーで家まで送ってもらった時にぶっ倒れたけどな。反動って奴かね」

「……」

「普通じゃありえないだろ。だから、才能じゃなく能力だと俺は思ったわけ……おっと、そろそろだな」

「油揚げはわたしのですからね!」

 カップメンの蓋を剥がすと、鰹の香りを纏った湯気がふわりと鼻先に立ち上った。お箸で油揚げを摘むと、蓋を皿代わりにして狐の目の前に置いてやる。

「ほれ、熱いから気を付け――」

「あっつぃ!」

「お前って基本そそっかしいのな」

「猫舌とか絶対言わないでくださいよ」

「わかった。わかったから食えよ。イライラして俺の機嫌取りを無駄にするな」

 安雄が麺を啜ると、狐も悪態を吐くのをやめて油揚げを頬張り始めた。具の無くなったカップ麺は味気なく、また一杯だけで腹を満たせるとも思えないが、本来の目的は食事ではないと思い直す。

「俺からも質問良いか?」

「はふはふ!」

「食いながらで良いから聞いてくれよ。……まず気になるのは、何で俺にはこんな能力があのか、だな。もし何らかの理由があるなら、教えてくれないか?」

「はふはふ。……可能性の話でしかないんですけど、あなたはシルエットタイプだと思うのです」

「そうそれ、さっきから気になってたんだ。シルエットタイプって何だ」

「分かりやすく言えば、妖怪から能力を譲り受けた人間のことですね。他の譲渡方法の場合見ただけで能力者だと分かるのですが、シルエットタイプはパッと見た時に普通の人間と見分けが付かないのが特徴でしょうか」

「妖怪から……譲り受ける……」

 狐は油揚げを全部飲み込むと、ふぅ、と満足そうに息を付いた。そして、安雄の座っているベンチに飛び乗ると、その隣で説明を始める。

「混乱するのも無理はないです。本来、妖怪や魔物の起こす現象は人の記憶には残らないようになっています。例えば、炎を操る妖怪が森を焼いたとして、人間はそれをただの火事だと誤認し、それが決して妖怪の仕業だと捉えることは出来ません」

「何で?」

「詳しくは分かりませんが……世界に人が増え、時代と共に文明が発展したことが、妖怪にも強く影響しているようです。少なくとも、現代の人間には殆ど認識されなくなりました。恐らく、妖怪が起す現象を科学技術で容易に再現できるようになったからだと思います」

 確かに、こんな風に狐と話したことを知り合いに言ってみた所で、誰も信じないと思う。むしろ、漫画の読みすぎだとか、頭がおかしいとか、好き勝手言われた揚句馬鹿にされるのがオチだろう。勘違いしてはいけないのが、あくまでそれは普通の反応だということだ。

「俺も、本物の妖怪ってやつをこの目で見るまでは、人に言われた所でそんなの信じなかっただろうな」

「いえ、春崎安雄さんに限っては違いますよ」

 しかし、狐はそんな安雄の思いを簡単に裏切る。

「先程言ったように、シルエットタイプは能力を与えられた人達のことですから、与えた妖怪と会っているはずなんです。忘れているだけで」

「そうなのか。……全く記憶に無いんだが」

「思いこみによる記憶の改竄は仕方ないですよ。妖怪に関する記憶は残らないとはいえ、ぽっかりとその部分だけ記憶が消えている、という認識にはならないですからね。都合よくねじ曲げられて、違和感が思い浮かばないようになっています。ですが、妖怪が起こす能力行使と、能力を与えられた人間による能力行使には、大きな違いがあります」

「さっき言ってた認識か」

 妖怪が森を焼くのと、人間が森を焼くのとでは大きな違いがあるのだろう。

「そうです。例えば、炎を操る妖怪が森を焼いたとしても、人は妖怪を疑いません。ですが、何の道具も無しに人間が火を起こした場合、それは世間一般で言うところの「超能力」もしくは、「霊能力」等と表現されるのではないでしょうか?」

 世間では既に超能力なんてものも眉唾扱いなのだが……いかんせん、この狐がどの程度の現代の知識を有しているのか分からないので、一々ツッコミを入れるのは野暮だと思った安雄は、ただ話を聞き続けた。

 要は人間の行う能力行使は妖怪のそれと違ってバレやすいのだと、狐が言いたいことが分かればそれでいい。

「その辺りの事情から考えると、春崎安雄さんに能力を与えた妖怪は、かなり気を使っていると思います。『鬼ごっこの達人』は世間から浮いたりしない、人間の常識からギリギリ外れない程度の能力ですからね。……無茶な使い方さえしなければ」

「ほほぉ……いや待てよ、今こうして話している内容は忘れてしまうんじゃないのか? お前だって妖怪だろ」

「それは大丈夫です。春崎安雄さんはわたしを追いかけた時点で、既にこっち寄りになっています」

 そういえば、人間は妖怪を認識できないのであれば、確かに、安雄が狐を見つけられたのは可笑しいことになる。

 そんな安雄の驚きを見た狐は、「ふふ、妖怪そのものになるという意味ではありませんからご安心を」と言って意地悪そうに笑い、その疑問に答えた。

「忘れてしまうのは、妖怪によって人に一方的な干渉が行われた場合のみです。今回のケースでは、隠れようとしたわたしに強引に干渉しましたから、記憶は消えませんし、改竄も行われません」

「でもポストが二つ並んでたら流石に誰だって」

 お返しと言わんばかりに、安雄は言う。狐は慌てて弁解を始めた。

「あ、あれは確かに迂闊でしたけど、きっと設置した人が間違えたとか、夜中だから見間違えたとか、どうとでも修正されます! ……春崎さんが夜中にブランコ漕いでるのが悪いんですよ! しかも落ちるし! 怖かったんです!」

 狐は話を戻すと言わんばかりに、ごほん小さく咳払い。

「えー、良いですか? このように、何事にも例外はあります。シルエットタイプや妖怪による能力行使はある程度なら人の記憶から消えてしまいますが、強引に認識させることも一応は可能なのです。わたしの変身能力の場合は、同じ人間が二人いる状態を人に見られるとちょっと危ないですね。そういった事態は私達の間で特にタブー視されています」

「それじゃあ、お前と俺がこうして話しているのは相当不味いんじゃないのか? 能力使ったとはいえ俺は人間だぞ」

「春崎安雄さんは例外です」

 キッパリと断言する狐に、「こっち寄りってそういう意味か……」と言って、ガクリと肩を落とす安雄。

 なるほど、妖怪からはもう人間扱いされていないのね。

「あはは……他にも何か質問はありますか?」

「じゃあ、もう一つ……結構切実な願いなんだけど、この能力を消す方法はないの?」

 安雄にとっては切実な願いで、できれば簡単に消す方法を望んでいたが、それを聞いた狐が沈黙するのを見て、無理か困難の二択しかないのは容易に想像が付いた。

「あることにはありますが……大博打になりますね。命を掛けられるのであれば、方法はあります。……オススメはしませんよ」

「一応聞いていいか」

「さっき言った、人に強引な認識をさせようとした場合の問題になりますが、妖怪の能力があまりにも強大で、記憶改竄が不可能なレベル。つまり、世界そのものに影響を与える規模になった時『英雄』が現れます」

「英雄……」

 普段の生活では聞き慣れない単語だが、何故か安雄にはその言葉がとてつもなく大きなものに思えて、ごくりと生唾を飲み込んだ。絞り出すように言う狐の声に重さを感じたのかもしれない。

「わたしも言い伝えでしかその存在を知りませんが、その英雄が現れた時に能力が使えなくなります。封じられるのか、それとも奪われるのか、はたまた殺されるのか、どんな結果になるのかは分かりません。ただ、妖怪の力では絶対に勝てないらしいです」

 狐の声に震えが混る。実際に見たことが無い相手とはいえ、それなりの逸話を聞かされているのだろう。人間から見れば、悪を倒す正義の味方という印象があるが、妖怪の視点から見ると、一方的に攻撃を行う敵としか認識されていないのかもしれない。

「つまり、強引な認識は悪として見做されるということか」

「春崎安雄さんの場合、最低でも両目の視力を失わせて光そのものを感じさせなくする、とかありそうですね。……気を付けて下さいよ。英雄と遭遇する確率は妖怪よりもシルエットタイプの方が必然的に多くなりますからね」

「聞いといて良かった」

 能力に関しては保留ということで良いだろう。今のところは

「能力……要らないんですか?」

 狐はこちらに向けていた視線を外し、顔を俯け、まるで安雄の視線に痛みを感じているようなその仕草を見せる。何か後ろめたい物があるのだとしても、それについては深く追求するつもりはない。が、向こうは安雄について深く踏み込むつもりらしい。

 その質問に真面目に答えようとすると、ワンセットになった痛い思い出を同時に暴露しなければならない。

 勿論、妖怪と能力について教えてくれた相手が「聞かせろ」と言うのだから、ちゃんと答えるのが筋だと思えるし、こちらに今更隠すつもりは一切無い。

 本音を言えば、楽しい話にはならないから、あまり言いたくないんだけど。

「そりゃ、話を聞くまでは生まれ持った才能みたいなものだと思っていたからな。だけど、それがまさか押し付けられたものだったなんて……返品出来るもんならしたいもんだよ」

「……やっぱり、能力を持ったまま普通の生活を送るのは無理なんでしょうか?」

「無理だな。少なくとも俺の場合はだけど」

「その、よかったら、能力で失敗したこととか教えてもらえませんか?」

「結構長くなるぞ。それなりに」

「構いません」

 両腕を組み、考えるような仕草を見せる。俺の人生の中で、揉め事や人間関係の亀裂、面倒なトラブルの中心には、常にこの能力があった。何をするにしても、まるで影のように俺の背後に付いて回る悪魔の様な存在だった。

「分かった。それじゃ学校に俺の居場所が無くなった話をしよう」


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